薫のメモ帳

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司法試験の過去問を見直す9 その9

 今回はこのシリーズの続き。

 

hiroringo.hatenablog.com

 

 旧司法試験・二次試験の論文式試験・平成11年度の憲法第1問についてみていく。

 なお、今回は前回に続いて、堀越事件と世田谷事件についてみていく。

 

22 両事件へのあてはめ

 堀越事件と世田谷事件の「政治的活動」の態様は基本的に変わらない。

 世田谷事件最高裁判所判決の記載を借りれば次のようになる。

 

(以下、世田谷事件最高裁判所判決から引用、強調は私の手による)

 本件配布行為が,勤務時間外である休日に,国ないし職場の施設を利用せずに,それ自体は公務員としての地位を利用することなく行われたものであること,公務員により組織される団体の活動としての性格を有しないこと,公務員であることを明らかにすることなく,無言で郵便受けに文書を配布したにとどまるものであって,公務員による行為と認識し得る態様ではなかった

(引用終了)

 

 そのため、両事件の判断の差は「公務員の地位・権限」に求めるしかない。

 まず、堀越事件では次のように述べて控訴審の無罪判決を支持した。 

 

(以下、堀越事件最高裁判所判決から引用、強調は私の手による)

 本件配布行為は,管理職的地位になく,その職務の内容や権限に裁量の余地のない公務員によって,職務と全く無関係に,公務員により組織される団体の活動としての性格もなく行われたものであり,

(引用終了)

 

 他方、世田谷事件は次のように判断している。

 こちらは少し長めに引用する。

 

(以下、世田谷事件から引用)

 被告人は,(中略)課長補佐であり,庶務係,企画指導係及び技術開発係担当として部下である各係職員を直接指揮するとともに,同課に存する8名の課長補佐の筆頭課長補佐(総括課長補佐)として他の課長補佐等からの業務の相談に対応するなど課内の総合調整等を行う立場にあり,国家公務員法108条の2第3項ただし書所定の管理職員等に当たり,一般の職員と同一の職員団体の構成員となることのない職員であったものであって,指揮命令や指導監督等を通じて他の多数の職員の職務の遂行に影響を及ぼすことのできる地位にあったといえる。

 このような地位及び職務の内容や権限を担っていた被告人が政党機関紙の配布という特定の政党を積極的に支援する行動を行うことについては,それが勤務外のものであったとしても,(中略),当該公務員による裁量権を伴う職務権限の行使の過程の様々な場面でその政治的傾向が職務内容に現れる蓋然性が高まり,その指揮命令や指導監督を通じてその部下等の職務の遂行や組織の運営にもその傾向に沿った影響を及ぼすことになりかねない。

 したがって,これらによって,当該公務員及びその属する行政組織の職務の遂行の政治的中立性が損なわれるおそれが実質的に生ずるものということができる。

(引用終了)

 

 この判決を見ると、「外側、つまり、国民から見た場合、『部下』がおらず、また、『裁量』がなければ公務員の政治的中立性に対する信頼を損なう危険が実質的にないが、指揮監督できる『部下』がいると信頼を損なう危険が実質的にある」ということになる。

 どうなのだろう。

 もちろん、「『信頼』まで含めて考えるならば危険はあるのかもしれない」と言えなくもない。

 しかし、その一方、「判決で述べる危険は『政治的行為』がなくても存在するのでは?」とも考えられる。

 これを前提とすると、「判決で述べる危険は『政治的行為』をしない一部の公務員にも存在しうるが、政治的行為をしない限り放置してもいい」ということになるようにも見えるのだが。

 

 

 ところで、堀越事件控訴審判決に対する検察官上告において、検察官は判例違反を取り上げている。

 まあ、当然の主張である。

 これに対して、最高裁判所「事案が異なる」と述べて一蹴した

 この部分もみてみよう。

 

(以下、堀越事件判決から引用、各文毎に改行、一部中略、強調は私の手による)

 所論引用の判例(前掲最高裁昭和49年11月6日大法廷判決)の事案は,(中略),勤務時間外の行為であっても,その行為の態様からみて当該地区において公務員が特定の政党の候補者を国政選挙において積極的に支援する行為であることが一般人に容易に認識され得るようなものであった。

 これらの事情によれば,(中略),公務員の職務の遂行の政治的中立性を損なうおそれが実質的に認められるものであったということができ,行政の中立的運営の確保とこれに対する国民の信頼に影響を及ぼすものであった。

 したがって,上記判例は,このような文書の掲示又は配布の事案についてのものであり,判例違反の主張は,事案を異にする判例を引用するものであって,本件に適切ではなく,所論は刑訴法405条の上告理由に当たらない。

(引用終了)

 

 興味深いのは、この判決の基準を猿払事件の事案に当てはめた場合、「(公務員の)労働組合協議会の構成員である職員団体の活動の一環」として行われた以上、政治的中立性を損なうおそれがあったが実質的に認められると判断している点であろうか。

 

 

 ところで、両判決には千葉勝美裁判官(裁判官出身)の補足意見が掲載されており、裁判官の発想を知るうえで貴重なことが書いてある。

 そこで、補足意見をみていく。

 

23 補足意見から見る判例の価値について

 千葉裁判官は平成15年の過去問を検討した際に参照した再婚禁止期間規定に関する法令違憲判決で貴重な補足意見を述べている。

 また、次の書籍を書いている(最近、図書館で借りてきた、これから読む予定である)。

 その意味で、裁判官の発想を外部に発信することに対して積極的な方と言える。

 

 

 そこで、補足意見を通じて、色々とみてみたい。

 

 

 ところで、最高裁判所が小法廷で判決をする際に判例変更をすることはできない。

 根拠条文は裁判所法第10条第1項第3号である。

 

裁判所法第10条

第1項 事件を大法廷又は小法廷のいずれで取り扱うかについては、最高裁判所の定めるところによる。但し、左の場合においては、小法廷では裁判をすることができない。

 第1号 当事者の主張に基いて、法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを判断するとき。(意見が前に大法廷でした、その法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するとの裁判と同じであるときを除く。)

 第2号 前号の場合を除いて、法律、命令、規則又は処分が憲法に適合しないと認めるとき。

 第3号 憲法その他の法令の解釈適用について、意見が前に最高裁判所のした裁判に反するとき

 

 このことから、両事件の判決が猿払事件判決と抵触する場合、大法廷で判決をする必要が出てくる。

 また、ここまでの内容を見ると、猿払事件と両事件の判決はその発想が異なり、猿払事件と両立しないように思われる。

 そのため、千葉裁判官は猿払事件との整合性について丁寧な説明をしている

 最初にこの辺を見ておく。

 

 

 まず、千葉裁判官は次のように述べている。

 

(以下、補足意見から引用、文章ごとに改行、一部中略、強調は私の手による)

 猿払事件大法廷判決は,国家公務員の政治的行為に関し本件罰則規定の合憲性と適用の有無を判示した直接の先例となるものである。

 そこでは,(中略),本件罰則規定の禁止する「政治的行為」に限定を付さないという法令解釈を示しているようにも読めなくはない

 しかしながら,判決による司法判断は,全て具体的な事実を前提にしてそれに法を適用して事件を処理するために,更にはそれに必要な限度で法令解釈を展開するものであり,常に採用する法理論ないし解釈の全体像を示しているとは限らない。(中略)

 そうすると,猿払事件大法廷判決の上記判示は,本件罰則規定自体の抽象的な法令解釈について述べたものではなく,当該事案に対する具体的な当てはめを述べたものであり,本件とは事案が異なる事件についてのものであって,本件罰則規定の法令解釈において本件多数意見と猿払事件大法廷判決の判示とが矛盾・抵触するようなものではないというべきである。

(引用終了)

 

 つまり、「大法廷であっても判決は事案に即して出されたものであって、抽象的な違憲審査をした結果ではない。そして、本件の事案と過去の事案に異なる事情がある以上、過去の大法廷判決に矛盾・抵触するわけではない」と述べている。

 この点、日本国憲法違憲審査制は付随審査制であるからそういえなくもない。

 ただ、それだと裁判所法10条1項3号が骨抜きにならないか、と考えられなくもないが。

 

24 補足意見から見る「表現の自由に対する規制基準」一般について

 次に、千葉裁判官は違憲審査の手法について次のように述べている。

 これまた、非常に興味深いので、みてみたい。

 

(以下、補足意見から引用、文章ごとに改行、一部中略、強調は私の手による)

 なお,猿払事件大法廷判決は,本件罰則規定の合憲性の審査において,公務員の職種・職務権限,勤務時間の内外,国の施設の利用の有無等を区別せずその政治的行為を規制することについて,規制目的と手段との合理的関連性を認めることができるなどとしてその合憲性を肯定できるとしている。

 この判示部分の評価については,いわゆる表現の自由の優越的地位を前提とし,当該政治的行為によりいかなる弊害が生ずるかを利益較量するという「厳格な合憲性の審査基準」ではなく,より緩やかな「合理的関連性の基準」によったものであると説くものもある。

 しかしながら,近年の最高裁大法廷の判例においては,基本的人権を規制する規定等の合憲性を審査するに当たっては,多くの場合,それを明示するかどうかは別にして,一定の利益を確保しようとする目的のために制限が必要とされる程度と,制限される自由の内容及び性質,これに加えられる具体的制限の態様及び程度等を具体的に比較衡量するという「利益較量」の判断手法を採ってきており,(中略)

 この見解を踏まえると,猿払事件大法廷判決の上記判示は,当該事案については,公務員組織が党派性を持つに至り,それにより公務員の職務遂行の政治的中立性が損なわれるおそれがあり,これを対象とする本件罰則規定による禁止は,あえて厳格な審査基準を持ち出すまでもなく,その政治的中立性の確保という目的との間に合理的関連性がある以上,必要かつ合理的なものであり合憲であることは明らかであることから,当該事案における当該行為の性質・態様等に即して必要な限度での合憲の理由を説示したにとどめたものと解することができる(中略)

 そうであれば,本件多数意見の判断の枠組み・合憲性の審査基準と猿払事件大法廷判決のそれとは,やはり矛盾・抵触するものでないというべきである。

(引用終了)

 

 興味深い意見である。

 ぶっちゃけて要約すると、「当罰性の強い(規制の必要性の高い)行為に対する違憲審査は一般論として厳格な基準を用いるべき場合(例えば、表現の自由や集会の自由が問題になる場合)であっても緩やかな基準を用いて判断している」というものである。

 そして、猿払事件は「規制の必要性の高い事案」であったにすぎず、同様の事案でもストレートに適用されるわけではない、と。

 事実、堀越事件ではストレートに適用されなかった。

 

 つまり、補足意見を前提とするならば、司法権を行使する裁判所としては、各事案における具体的妥当性の追求がより大事で、判例の法的安定性はそれほど重視しない」ということが推測できる。

 確かに、このことをうかがわせる最高裁判所の判決は他にもみられている。

 しかし、そうなると、自然科学法則(万有引力の法則など)や社会科学法則と比較して、最高裁判所判例の一般性が弱くなるのではないか、という感想が頭に浮かぶ。

 ただ、これについては「それでいい」というところなのかもしれない。

 

 

 なお、補足意見はこの次に「条文解釈についての意見」が書いてあり(これがあったので、本問の条文解釈は合憲限定解釈なのかただの解釈なのか、という疑問が生じた)、非常に勉強になった。

 これらのことは、今後に生かしていきたい。

 

 

 以上、表現の自由に関する最高裁判決について見てみた。

 本来なら表現の自由に対する内容中立規制(平成3年度の過去問)に関する判決を絡めたほうがいいようにも考えられるが、それをやり出すと問題がさらに拡散するので、今回は割愛する。

 

 次回は、本問の各論に属する部分で私が気になった点を見て、本問の検討を終了する予定である。