薫のメモ帳

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司法試験の過去問を見直す20 その1

 これまで私は「旧司法試験・二次試験・論文式試験憲法第1問」を見直している。

 

hiroringo.hatenablog.com

 

 そして、前回までで19問の検討が終わった。

 そこで、今回は最後の問題、平成10年度の過去問をみていく。

 本問のテーマは「公教育の宗教的中立性」である。

 

1 旧司法試験・論文試験・憲法・平成10年度第1問

 まず、問題文を確認する。

 なお、昔の過去問であることから、問題文は次の教科書にあったものを引用した(書籍のリンク先は最新版のものだが、私が引用したのは当時の版、つまり、第2版である)。

 

 

(以下、司法試験二次試験・論文式試験・平成10年度・憲法第1問の問題文を引用、なお、文毎に改行)

 公立A高校で文化祭を開催するに当たり、生徒からの研究発表を募ったところ、キリスト教のある宗派を信仰している生徒Xらが、その宗派の成立と発展に関する研究発表を行いたいと応募した。

 これに対して、校長Yは、学校行事で特定の宗教に関する宗教活動を支援することは、公立学校における宗教的中立性の原則に違反することになるという理由で、Xらの研究発表を認めなかった。

 右の事例に関するYの措置について、憲法上の問題点を指摘して論ぜよ。

(引用終了)

 

 平成8年にこの事例に非常に似た事件に対する最高裁判決が出ている(後述)。

 そのため、その事件を意識して答案を作れば、答案の型を大きく外すことはないと考えられる。

 

 では、関連条文と判例をみていこう。

 

憲法12条後段

 又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

憲法13条後段

 生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

憲法20条1項前段

 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。

憲法20条3項

 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。

憲法21条1項

 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。

憲法23条

 学問の自由は、これを保障する。

憲法26条1項

 すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。

 

平成7年(行ツ)74号進級拒否処分取消、退学命令処分等取消事件

平成8年3月8日最高裁判所第二小法廷判決

https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/882/055882_hanrei.pdf

(いわゆる「神戸高専剣道実技拒否事件最高裁判決」)

 

 

 さて、本問の構造を見ると、「国民(公立高校の生徒)が何かをやろうとしたら、校長(公立学校、公権力)がそれを制限した」という形になるため、憲法上の権利の制限と正当化のパターンに持ち込める。

 そのため、以下、そのパターンに乗せて検討していくことにする。

 

2 本問検討の方向性

 憲法上の権利の制限と正当化のパターンで考える(論じる)として、最初に考えるべき問題が、「本問で制限されている権利は何か」であろう。

 なぜなら、本問の研究発表をどうとらえるかによって、制限される権利が変わってしまうからである。

 

 例えば、Xらが一種の伝道のために発表をしようとしたと考えてみる。

 とすれば、Xらの行為の制限は宗教的行為の制限となり、憲法20条1項の問題となる。

 また、Xらが自分の信じる宗派について学問的なメスを入れて、その結果を発表しようとしたと考えてみる。

 この場合、Xらの行為の制限は学問研究の発表の制限となり、憲法23条の問題となる。

 さらに、Xらにさしたる意図がなかったとすれば、表現の自由に対する制限ということになって憲法21条1項の問題となる。

 最後に、「何かについての研究とその発表の練習の機会」として考えれば学習権の制限となり、これは憲法26条1項の問題となる。

 

 このように、そもそも「何条の問題として考えますか」ということが問題になることになる。

 この辺は平成12年の過去問と同様である。

 

hiroringo.hatenablog.com

 

 この点、どの権利を持ち出すかによって権利の重要性と権利の制限の程度が変わってしまう。

 つまり、この選択は結論に直結する

 また、原告に不利な条文を持ち出して合憲にする、有利な条文を持ち出して違憲にすると、(当事者の主張としては成り立つとしても)裁判所の判断として書かれるべき答案としてはあれである。

 とすれば、この選択は結構重要な問題となる

 

 なお、最高裁の事件と同じように考えればいいではないか、と思わなくもない。

 確かに、上の事件は「棄教か迫害(原級留置処分・退学)か」の二択を突きつけられた事例であるから、信教の自由の問題と考えることに抵抗はない。

 でも、本問では「棄教か迫害か」といった究極の二択といった要素はない。

 それなのに、同じように考えていいのか。

 

 

 など、色々考え始めるとあれだが、本問回答の価値判断については次の通りとする。

 私はこの問題のような事件が国賠訴訟その他になったら(平成14年の過去問みたいな状況をイメージされたい)、こう思うだろう。

「訴訟なんて大げさな」、と。

 一方で、校長の言い分にも「宗教的中立性が害されるなんてなんと大げさな」と感じるだろう。

 やや悪意的なものを追加すれば、「さすがに形式主義的すぎませんか」といってもいいかもしれない。

 そこで、本問の答案はこの2つの私の意見を反映させる形にしようと考えている。

 

 

 また、問題文に書かれた事情だけだと、少し評価すべき事情が足らない。

 そこで、少し設定を追加しようと考えている。

 この点、この設定は無理のない設定であるとは考えているが、「それは違う」という評価がありうることは当然である。

 また、この設定は平成10年度の世情ではなく、現代の世情に引き付けて考えている。

 それらの点についてはご容赦。

 

・文化祭

 → 対外的に公開される、最低でも保護者等は参加できるものを想定する

・生徒からの研究発表の募集

 → 題材について生徒側に一定の決定権がある

 → 発表は一般ブースよりも目立つ場所(体育館とか)を用いた形で行う

 → 全校生徒(参加者)の前で発表するという形は採らない

・その宗派の成立と発展に関する研究発表

 → 生徒らの調査した結果の発表である(新規研究の発表ではない)

 → 校内で発表、発表の準備などをする者はXらであって、発表自体に外部の人間が関与することはない(見にはくるかもしれないが)

 

 

 以上の事実を前提にして、本問を検討してみよう。

 ただ、分量が規定量(2000文字)を超えてしまったので、本格的な検討は次回に。