薫のメモ帳

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司法試験の過去問を見直す17 その1

 私はこれまで「旧司法試験・二次試験・論文式試験憲法第1問」を見直している。

 

hiroringo.hatenablog.com

 

 これまで平成元年度から平成20年度までの過去問のうち、15問の検討が終わった。

 現在検討中の問題が1つ(平成元年度)、検討していない問題が4つ(平成2年度、平成5年度、平成7年度、平成10年度)ある。

 

 この点、2個前の過去問(平成元年度)の検討が終わっておらず、さらに言えば、この検討が煮詰まりすぎていて(脳内で)収拾がついていない。

 しかし、前問(平成6年度)の検討は無事に終了した。

 そこで、新しい問題の検討を始めてしまうことにする。

 

 今回具体的に見るのは、平成7年度の過去問である。

 本問のテーマは「放送の自由と知る権利」である。

 

1 旧司法試験・論文試験・憲法・平成7年度第1問

 まず、問題文を確認する。

 なお、昔の過去問であることから、問題文は次の教科書にあったものを引用した(書籍のリンク先は最新版のものだが、私が引用したのは当時の版、つまり、第2版である)。

 

 

(以下、司法試験二次試験・論文式試験・平成7年度憲法第1問の問題文を引用)

 放送法は、放送番組の編集に当たって、「政治的公平であること」、「意見の対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」を要求している。新聞と対比しつつ、視聴者及び放送事業者のそれぞれの視点から、その憲法上の問題点を論ぜよ。

(引用終了)

 

 この点、現行(当時のものと同様)の放送法を見ると、次のようになっている。

 

放送法第1条

 この法律は、次に掲げる原則に従つて、放送を公共の福祉に適合するように規律し、その健全な発達を図ることを目的とする。

一 放送が国民に最大限に普及されて、その効用をもたらすことを保障すること。
二 放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによつて、放送による表現の自由を確保すること。
三 放送に携わる者の職責を明らかにすることによつて、放送が健全な民主主義の発達に資するようにすること。

放送法第3条

 放送番組は、法律に定める権限に基づく場合でなければ、何人からも干渉され、又は規律されることがない。

放送法第4条1項

 放送事業者は、国内放送及び内外放送(以下「国内放送等」という。)の放送番組の編集に当たつては、次の各号の定めるところによらなければならない。
一 公安及び善良な風俗を害しないこと。
二 政治的に公平であること。
三 報道は事実をまげないですること。
四 意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。

 

 現在の放送法を見る限り、問題文にある条文は放送法第4条1項の2号と4号に該当する。

 よって、「この規定の憲法上の問題」を「視聴者の視点」と「放送事業者の視点」から見ていけばいいことになる。

 

 なお、問題を答えるにあたっては「新聞との対比」を考える必要がある

 何故なら、新聞には放送法4条1項に対応するような条文はないからである。

 この点、新聞に関する規律については戦前に「新聞紙法」というのがあったが、戦後になって廃止されている。

 

ja.wikipedia.org

 

 さて、本問検討にあたり関連する憲法上の条文を確認する。

 

憲法12条後段

 又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

憲法13条後段

 生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

憲法21条1項

 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。

 

 この点、放送法に関する最高裁判所判例は存在する。

 そのため、その判例から最高裁判所放送法についてどう考えているかを推測することができる。

 しかし、その事案は訂正放送に関連するもので、本問との関連性は弱い。

 そこで、それらの判例は適宜引用する予定である。

 

2 放送事業者・視聴者の制限されうる憲法上の権利について

 ところで、本問にある放送法の要求(以下、「本問要求」という)は放送事業者の放送の編集に対して制限を加えるものである。

 また、放送を見る視聴者から見れば、本問規律で規制される放送の視聴が制限されることになる。

 つまり、本問規律により「放送事業者の放送編集の自由」と「視聴者の視聴の自由」が制限されることになる。

 このように考えることにより、本問は「『憲法上の権利』として保障されうる自由の制限が正当化されるか」といういわゆる人権問題のパターンで検討すればいいことになる。

 以下、このパターンに沿って原則論の確認をしていこう。

 

 

 まず、本問にある放送法の要求は放送内容の編集方法に制限を加えている。

 そのため、本問要求は放送事業者の放送編集の自由と視聴者の視聴の自由を制限していると言える。

 そこで、放送編集の自由と視聴の自由は憲法の権利と言いうるか。

 まず、放送とは電気通信技術を用いて音声・映像・文字などで表現された情報(動画)を「1対多」の形で送信することを言うところ、これは通信技術を用いた発表に他ならないこと、放送内容を編集する際には情報の取捨選択などの知的な作業を伴うことを考慮すれば、放送編集の自由は憲法21条1項の表現の自由によって保障されることになる。

 これに対し、視聴とは上記情報を受信することをいうところ、これは情報の受領行為と見ることができる。

 では、情報を受領する自由、いわゆる知る権利は憲法上の権利として保障されるか。

 この点、表現の自由は発表の自由しか保障していないように見える。

 しかし、現代社会では情報の送り手たるマスメディアの立場と受け手たる国民の立場が固定化されてしまっている。

 とすれば、情報の受け手にも情報アクセスの権利を保障する必要がある。

 そこで、知る権利は表現の自由を受け手の側から再構成することにより憲法21条1項によって保障されるものと解する。

 以上より、本問規律によって制約を受ける放送事業者の放送編集の自由と視聴者の視聴の自由は憲法21条1項により保障される。

 

 

 知る権利が憲法上の権利として保障されることは当然の結果であるが触れなければならない。

 これが出発点だからである。

 そして、本問については少々細かめに触れることにした。

 というのも、本問は具体的事案を検討するのではなく、ある種の一般論を検討するこ とになりそうだから、である。

 

 また、以上により、本問で問題で制限されている各自由が憲法上の権利として保障されていることも確認した。

 とはいえ、以上は原則論に過ぎない。

 つまり、無制限にかかる自由が認められること、いかなる制限が認められないことを意味しない。

 そのため、ここから例外、つまり、「公共の福祉」による制約の正当化に議論が移るわけだが、この議論は次回にて。