薫のメモ帳

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司法試験の過去問を見直す15 その1

 これまで「旧司法試験・二次試験・論文式試験憲法第1問」を見直してきた。

 

hiroringo.hatenablog.com

 

 これまで検討した過去問は、平成3年度・4年度・8年度・9年度・11年度~20年度までの14問。

 したがって、残りは平成元年度・2年度・5年度・6年度・7年度・10年度の6問である。

 この2年半で結構検討してきたものである。

 

 今回から平成元年度の過去問を見ていく。

 なお、今回のテーマは「法人の人権」と「外国人の人権」であり、前者については平成12年度と共通する部分が、後者については平成19年度(9年度)と共通する部分がある。

 

1 旧司法試験・論文試験・憲法・平成元年度第1問

 まず、問題文を確認する。

 なお、昔の過去問であることから、問題文は次の教科書にあったものを引用した(書籍のリンク先は最新版のものだが、私が引用したのは当時の版である)。

 

 

(以下、司法試験二次試験・論文式試験・平成元年度憲法第1問の問題文を引用)

 法人の「政治的表現の自由」について、外国人の場合と比較しながら、論ぜよ。

(引用終了)

 

 ずいぶんすっきりした問題である。

 法人の政治的表現の自由を外国人の政治的自由と比較しながら論じる1行問題と言うべきか。

 

 

 この点、本問に関連する憲法の条文は次のとおりである。

 

憲法11条

 国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。

憲法21条1項

 集会、結社及び、言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。

憲法98条2項

 日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。

 

 また、関連判例として次のものがある。

 

昭和41年(オ)444号取締役の責任追及請求事件

昭和45年6月24日最高裁大法廷判決

https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/040/055040_hanrei.pdf

(いわゆる「八幡製鉄事件判決」)

 

昭和50年(行ツ)120号在留期間更新不許可処分取消

昭和53年10月4日最高裁判所大法廷判決

https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/255/053255_hanrei.pdf

(いわゆる「マクリーン事件判決」)

 

 ところで、本問の自由を行使する主体はいずれも国民ではない。

 そのため、この問題を論じる順番は、①人権享有主体性について、②その主体に問題となっている自由が憲法上の権利として保障されるのかについて、③保障されるとしても国民と同程度に保障されるのかについて、を論じることになる。

 以下、順番に論じていこう。

 

2 人権享有主体性について

 人権享有主体性については従前述べたところと重複する。

 そこで、ここは一気に論じてしまおう。

 

 

 本問で問題となっている法人も外国人も日本国民(第3章)ではない。

 そこで、両者に人権享有主体性が認められるのかが問題となる。

 まず、外国人について見ると、そもそも人権は前国家性格を有している(11条、97条)し、憲法は国際協調主義をうたっている(憲法98条2項)ことを考慮すれば、外国人にも権利の性質上日本国民のみをその対象とするものを除き人権規定の適用があるものと解する。

 また、日本国内の法人(以下、「法人」とは日本国内のものに限る)について見ると、法人は社会的に実在しており、現代社会における重要な構成要素であること、法人の自由を保障することは構成員の自由を保障することにつながることなどを考慮すれば、性質上可能な限り認められるものと解する。

 以上のように、外国人は参政権のような一部の権利を除き人権が保障されるし、法人も法人の性質・権利などに照らして可能な限り人権が認められる点で共通する。

 

 

 人権享有主体性それ自体については特に争いがないので、サラッと述べておけばいいだろう。

 ただ、「比較しながら、論ぜよ。」とある以上、まとめの視点を入れておく。

 

 以上、人権享有主体性は認められた

 もっとも、政治的表現の自由が保障されるかは別問題である。

 そこで、次にこの点について検討する。

 

3 政治的表現の自由の保障について

 この点、法人であれば、日本国民に準じるものと考えられるため、政治的表現の自由が認められることは想像に難くない。

 しかし、外国人の場合、政治的表現の自由には参政権的性格が含まれていることから保障されるかどうかが問題となる。

 

 

 なお、前述のマクリーン事件最高裁判決では次のように述べている。

 

(以下、マクリーン事件判決から引用、各文毎改行、強調は私の手による)

 憲法第三章の諸規定による基本的人権の保障は、権利の性質上日本国民のみをその対象としていると解されるものを除き、わが国に在留する外国人に対しても等しく及ぶものと解すべきであり、政治活動の自由についても、わが国の政治的意思決定又はその実施に影響を及ぼす活動等外国人の地位にかんがみこれを認めることが相当でないと解されるものを除き、その保障が及ぶものと解するのが、相当である。

(引用終了)

 

 最高裁判所は、外国人の政治的表現の自由についても一定の留保をつけて認めている。

 もっとも、ここにはその根拠が書かれていない。

 よって、その実質的根拠をでっちあげる必要がある。

最高裁判所が宣言した」は実務では最強のカードであるとしても、司法試験として考える場合、そうもいかない

 というわけで、一気に書き上げてしまおう。

 

 

 確かに、政治的表現は参政権的要素がある。

 そして、参政権は自国の政治に参加する権利であり、憲法国民主権(前文、1条)を採用していることを考慮すれば、参政権は権利の性質上日本人のみをその対象としていると考えられる。

 そうであるならば、参政権的性格を有する政治的表現の自由は、権利の性質上日本国民をその対象とし、外国人には保障されないとも考えられる。

 しかし、外国人といっても一時旅行者もいれば、定住外国人のような日本人とほぼ変わらぬ生活をしているものもいる。

 また、身近な生活に関する問題であっても「政治的」な問題は多々ある。

 とすれば、政治的表現の自由を外国人に一切保障しないのであれば、定住外国人の日常生活に関する政治的意見を封殺することになりかねず、妥当でない

 また、政治的表現それ自体は投票すること、立候補すること、公務員になることなど参政権そのものと比較すれば、統治権との関連性は希薄である。

 さらに、外国人の政治的表現を通じて、国民は多様な意見を知り、その結果、国政に反映させることも拒否することもできることを考慮すれば、外国人の表現行為を保障することは国民の知る権利(憲法21条1項を再構成することによって保障される)にも寄与する

 したがって、外国人にも政治的表現の自由は保障されるものと考える。

 

 

 この点、次に「外国人や法人も日本人と同様のレベルまで保障されるか」ということを検討することから、ここでは二者択一的に判断し「保障される」ということにした。

 まあ、この辺はそれほどおお外しではないだろう。

 なお、法人については日本のものなので保障される、されない、の点についてはあまり問題点はない。

 こちらも一気に書き上げてしまおう。

 

 

 他方、日本国内の法人については、社会的活動として法人が政治的メッセージを発すること、政治的献金を行うことなどは現実的に想定できることから、政治的表現の自由は保障される。

 以上のように、外国人にも日本国の法人にも政治的表現の自由は保障される点では共通する。

 

 

 というわけで、保障されるという点まではみてきた。

 もっとも、「どの程度保障されるか」という問題は残っている。

 それについては、次回で。