今回はこのシリーズの続き。
旧司法試験・二次試験の論文式試験・平成20年度の憲法第1問についてみていく。
2 人権規定の私人間効力
前回、「寄付を強制されない自由」が憲法19条によって保障されうることを確認した。
この点、憲法19条は内心にとどまる限り例外がない。
しかし、「寄付」といった外部的行為を伴えば、当然、例外の問題が生じる。
それゆえ、「寄付を強制されない自由」も絶対無制約ではないことになる。
次に、本問で「寄付を強制する主体」は自治会であり、「地縁による団体」(地方自治法260条の2)である。
もし、自治会を自治体などの国家権力と同視するのであれば、例外は「公共の福祉」(憲法12条後段、13条後段)の問題としてこれまでと同様に取り扱うことになる。
しかし、地方自治法の条文は次の1項がある。
地方自治法260条の2・第6項(強調は私の手による)
第一項の認可は、当該認可を受けた地縁による団体を、公共団体その他の行政組織の一部とすることを意味するものと解釈してはならない。
この条文は「『地縁による団体』は行政組織ではない(であると解釈しない)」というもの。
であれば、本問のような自治会は自治体や国家権力の一部ではなく、ただの私的な一集団ということになる。
そして、近代憲法の沿革からもわかる通り、憲法の人権規定は国家権力に対してのみ主張できるものである。
そこで、憲法の人権規定は私人間にも適用があるか、いわゆる憲法の私人間効力が問題となる。
この問題については、2つの保護すべき観点がある。
一つは私法上の大原則、つまり、「私的自治の原則(契約自由の原則)」の尊重である。
ぶっちゃけて言えば、「私人間のやり取り(取引など)に国家権力は口出しするな」になる。
この背後にあるのが、近代主義・自由主義(国家権力の介入を抑制する)と「人権は国家に対して主張できるものに過ぎない」といった発想である。
そして、これらを突き詰めると、「人権規定は適用されない」という不適用説につながる。
なお、この見解を採ると「私人による人権侵害はやりたい放題になるのではないか?」と不安になるかもしれない。
しかし、この場合であっても「法律によって」私人間の人権保障を図ることができる。
例えば、刑法の刑罰規定とかがその具体例になる。
よって、不適用説を採用したところで、必ずしも不当な結論が頻発するわけではない。
しかし、現代社会のように国家権力に匹敵する社会的権力が生まれている状況では、近代において国家権力から人権を保護する必要があるように、社会的権力からも人権を保護する必要がある。
そして、憲法は25条以下で社会福祉政策を行うことを前提としている。
さらに、憲法は公法ではあるが、私法と公法の上に位置するものとも考えられる。
これらの発想を突き詰めると、「私人間にも人権規定が適用される」といった直接適用説につながる。
以上、2つの見解を紹介した。
もっとも、最高裁判所は折衷説のような間接適用説を採用している。
これは、私的自治の原則と人権保障の両観点から、私法の一般条項を解釈する際に、憲法の人権規定の趣旨を解釈・適用することで間接的に私人間の行為を規律する、と考える発想である。
「法律を使って人権保障をする」という意味では不適用説に近いが、法解釈において人権規定を取り込む比重を大きくすれば直接適用説に近くなる。
なお、この見解は「いいとこどり」に見える一方、フリーハンドが多くなる関係で恣意的な評価が入りやすくなる。
そこで、具体的な利益衡量の重要性が強調されることになる。
以上の見解は最高裁判所が採用するもので、例えば、三菱樹脂事件などから見ることができる。
ここでは、三菱樹脂事件の判決をみてみる。
昭和43年(オ)932号労働契約関係存在確認請求事件
昭和48年12月12日最高裁判所大法廷判決
https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/931/051931_hanrei.pdf
(以下、三菱樹脂事件より引用、ところどころ中略、セッション番号は省略、文章ごとに改行、強調は私の手による)
しかしながら、憲法の右各規定は、同法第三章のその他の自由権的基本権の保障規定と同じく、国または公共団体の統治行動に対して個人の基本的な自由と平等を保障する目的に出たもので、もつぱら国または公共団体と個人との関係を規律するものであり、私人相互の関係を直接規律することを予定するものではない。
このことは、基本的人権なる観念の成立および発展の歴史的沿革に徴し、かつ、憲法における基本権規定の形式、内容にかんがみても明らかである。
のみならず、これらの規定の定める個人の自由や平等は、国や公共団体の統治行動に対する関係においてこそ、侵されることのない権利として保障されるべき性質のものであるけれども、私人間の関係においては、各人の有する自由と平等の権利自体が具体的場合に相互に矛盾、対立する可能性があり、このような場合におけるその対立の調整は、近代自由社会においては、原則として私的自治に委ねられ、ただ、一方の他方に対する侵害の態様、程度が社会的に許容しうる一定の限界を超える場合にのみ、法がこれに介入しその間の調整をはかるという建前がとられているのであつて、この点において国または公共団体と個人との関係の場合とはおのずから別個の観点からの考慮を必要とし、後者についての憲法上の基本権保障規定をそのまま私人相互間の関係についても適用ないしは類推適用すべきものとすることは、決して当をえた解釈ということはできないのである。
(中略)
すなわち、私的支配関係においては、個人の基本的な自由や平等に対する具体的な侵害またはそのおそれがあり、その態様、程度が社会的に許容しうる限度を超えるときは、これに対する立法措置によつてその是正を図ることが可能であるし、また、場合によつては、私的自治に対する一般的制限規定である民法一条、九〇条や不法行為に関する諸規定等の適切な運用によつて、一面で私的自治の原則を尊重しながら、他面で社会的許容性の限度を超える侵害に対し基本的な自由や平等の利益を保護し、その間の適切な調整を図る方途も存するのである。
(引用終了)
実は、この判決では(中略)の部分で、「私人の一方が国家権力に匹敵する社会的権力を有している場合に限り人権規定が適用される」といういわゆる「国家行為の理論」も否定している。
ただ、この部分を説明するとややこしくなるので、その点は中略。
以上をまとめると次の文章になる。
(「憲法の人権規定は自治会にも適用されるか、人権規定の私人間効力が問題になる」に続いて)
この点、現代社会における社会権力の大きさや憲法の福祉国家の理念(憲法25条以下)を考慮すると、社会的権力から人権を擁護すべく人権規定の適用を認める必要性がある。
もっとも、人権規定の直接適用は私法上の大原則たる私的自治の原則をゆるがす危険性がある。
そこで、人権尊重と私的自治の原則の調整の観点から、憲法の人権規定の趣旨を私法の一般条項を解釈・適用することで、間接的に私人間の行為を規律すべきと考える。
具体的には、地方自治法260条の2の第1項の「目的」の範囲について、団体の決議の目的、決議による目的の実効性、決議によって制約を受ける権利の内容・程度、代替手段(必要性)などを具体的に考慮して、決議の有効性を判断すべきである。
この部分、最後の文章「『具体的には、』から始まる文章」はある種のコピペである。
ついでに言えば、私が書いた答案のコピペでもある。
通常の団体の決議と異なるのが、本問の決議主体は自治会のような「地縁による団体」である、という点にある。
前回の判決で出てきたいわゆる強制加入団体(税理士会・司法書士会)であれば、「決議の内容が団体たる法人の『目的』(民法34条)の範囲内か否か」を判断することになる。
しかし、本問の「地縁による団体」の場合、適用条文は民法ではなく地方自治法260条の2になる。
よって、この部分は「いつものコピペ」通りに書いてしまうと積極ミスになる。
ところで、私は本番で、ある種の比較衡量の基準を用いてあてはめをしたので、上にある「具体的には」の部分で、比較衡量の際に利用する要素を列挙するという手段をとった。
もっとも、あてはめを二段に分け、自治会の性質、自治会の決議の自由と寄付を強制されない自由の憲法上の意味を探り、具体的基準を定立してあてはめる、という手段もありうる。
そこで、その手段を採用していこうと考えている。
まあ、上の場合は「具体的に」と書かれており、実際には「実質的関連性の基準」で判断しているのと似たり寄ったりの形にとっているため、どっちを採用しても似たような形になるとは考えられるが。
3 具体的な基準の定立(あてはめ前半)
上で述べた通り、自治会の性質と制約される権利の内容を見ながら、具体的な基準を定立してみる。
この点、「地縁による団体」たる自治会には結社の自由(憲法21条1項、地方自治法260条の2の第6項)が保証されている。
その結果、内部的事項・運営内容・運営方針についての自律的決定権が憲法21条1項によって保障されている。
さらに、団体にも性質上可能な限り人権享有主体性が認められるところ、寄付の自由は憲法19条によって保障されうるものである。
また、地方自治法260条の2の第7項の団体への加入の規定を考慮すれば、自治会は税理士会・司法書士会のような法律上の強制加入団体ではない。
とすれば、自治会の場合、寄付を強制されないための脱退の自由が住民に保障されていると言えなくもない。
そして、この点を強調すれば、自治体の「目的」を広く解することになる。
まず、反対利益を列挙した。
団体の脱退の自由がある場合、「いやなら出ていく」という手段が採用できる。
そして、この脱退の自由が広く認められている場合、条文上の「目的」は広く解釈しても差し支えない(思想良心の自由の制約が許される)ということになる。
さらに、強制加入団体が例外的であることを考慮すれば、原則論はこちらである。
もっとも、自治体は強制加入団体ではないと言えるのか、本問の問題意識はそこにある。
その点をみていこう。
しかし、現実を見れば、自治会はその地区にある唯一の団体であることが多く、「この自治会をやめたら別の自治会に行く」という選択肢は事実上取ることができない。
また、「入れる自治会を求めて転居する」という手段は住んでいる場所が持ち家ならかなりの不利益が伴うし、そうでなくても負担は軽くなく、現実的に可能な対策ではない。
これらのことを考慮すると、自治会は事実上の強制加入団体であるということができる。
「自治会が法律上の強制加入団体ではないから、法律以外の事項はやりたい放題である」とか「住んでいる住民に『寄付に反対なら自治会から出ていけ』と強く主張できる」というのは現実を見れば無理であろうと考えられる。
そのため、この点については修正する必要があると考えられる。
そして、「事実上の強制加入団体」という点を前提として、思想・良心の自由を「目的」の解釈に適用していく。
そして、そのような事実上の強制加入団体であれば、「内部には様々な思想を持つ者がいる」という前提が成り立つ。
そのため、団体の「目的」についても構成員の思想・良心の自由を考慮した解釈が求められることになる。
そこで、団体の決議の目的が重要ではなく、また、その手段が目的との間で実質的関連性が認められない場合には、決議は「目的」の範囲にあるとは言えず、無効になるものと考える。
この辺りの言い回しは南九州税理士会事件を参考にしている。
もちろん、政党への寄付、宗教団体に対する寄付ではないので、もっと緩やかに考えてもいいのではないか、群馬県司法書士会事件に引き付けて考えた方がいいのではないか、という疑問もなくはない。
しかし、制約される権利が思想・良心の自由に属するのであれば、この点を軽んじることができないと考えられる(本問の制約を財産権と考えれば別論)。
そして、「具体的に」考えるならば、合理的関連性の基準ではなく、実質的関連性の基準にならざるを得ない。
よって、この基準が不当、ということはないと考えられる。
これにより基準が立てられた。
この基準へのあてはめは次回に。