今回はこのシリーズの続き。
『日本人と組織』を読んで学んだことをメモにしていく。
12 第12章「『索引づくり』による組織の再構築」を読む
これまで、ヨーロッパの組織のモデルと日本の組織のモデルを比較した。
そして、両者の違いは「ただ外面が違う」というわけではないこと、「それぞれの持つ伝統的な差異が外面に出た結果」であることを確認した。
このことから、日本の組織の問題に対して、ヨーロッパやアメリカの組織のモデルを単純に模倣しても、組織の実質は模倣前のモデルとかけ離れたものとなるばかりか、日本の伝統とのミスマッチによって大失敗に終わりかねないこともわかる。
このことは、「ワンマン的・日本的・伝統的」な組織が最も能率を上げている(いた)こと、日本を支えている中小企業の実態も一種の組織的家族による経営である(あった)ことからわかる。
また、ここまでの話は日本に限定した話であったが、外国の類似の例として帝政ロシアが近代化を進めたときにも同様の悲劇・喜劇が起きている。
さらに、民主主義がヨーロッパと北アメリカ以外にほとんど広まっていない理由を考慮すれば、コピペが失敗に終わるケースは日本に限った話ではない。
そして、話は「組織とイデオロギー」に移る。
つまり、組織とはそれ自体がイデオロギーである、と。
例えば、本書で著者は日本の組織を「組織的家族」と定義している。
ただ、グレゴリー・クラーク氏は日本の組織を「組織的外形を持つ部族」と規定しているが、この差はあまりないと考えられる。
重要なことは、「外形がどのような形態であっても、その実体は過去の形態の再編成に過ぎない」ということであり、これは日本だろうがヨーロッパだろうが変わらない、ということである。
ならば、組織の問題点に改良するならば自己の歴史の延長線上になる範囲で合理化し続けていくしかないことになる。
では、日本の歴史から見られる日本の組織の特徴は何か。
クラークの指摘によれば次のとおりである。
・集団であること(特定の能力を持った者を有機的に結合させたわけではない)
・感情(情)によって現実に対応すること(原理・原則の不存在)
そして、日本の「情による対応」は実に天才的であり、イデオロギー・宗教で拘束されたヨーロッパではこんなことはできない、とも指摘している。
日本の歴史を見る限りこの指摘は正しい。
ただし、日本人の組織のパフォーマンスを極大化させるためには次の2つの外部条件が必要になる。
1、日本人で対応可能であること
2、周囲の対応すべきモデルが存在し、かつ、そのモデルに先進性があること
日本人も生物的限界があり、自然科学法則・社会科学法則から自由になることができない。
よって、無から有を生み出すことはできない。
だから、オイル・ショックなど「石油がなくなる」と日本人が判断したのときには無能力化してしまう。
また、別途メモにしている『危機の構造』において「日本人には社会科学的実践の意思と能力が欠落している」という記載があるが、それゆえ対応力を失った例として世界恐慌がある。
あるいは、エネルギー問題・人口減少問題(少子化問題)もこの例に含められるかもしれない。
次に、周囲に模倣すべきモデルが存在することも重要になる。
もし、モデルそれ自体が存在しなければ社会は停滞してしまう。
本書では大正時代を例に出しているが、現在の「失われた30年」にも言えることかもしれない。
さらに、「モデルを見つけた場合」でもそのモデルがクソだったらこれまたまずいことになる。
これは、ナチスや社会主義圏などに先進性を感じて模倣した過去をイメージすればいいだろう。
このような日本とヨーロッパの違い(ここでは単純化しているが、現実はより複雑だと思われる)が、様々な面に表れる。
その違いを取り上げると、「失敗例の活用」が挙げられる。
例えば、サンフランシスコでつり橋を作ったところ、風に橋が揺られて通行中の列車を振り落とすという事故が発生した。
その後、橋の再設計は従前のつり橋を作った人間に依頼された。
その背景には、「あなたは元のつり橋の欠点を一番よく知っている。だから、修正の方法も失敗の経験のあるあなたが一番よく知っている。だから、あなたに依頼する」というケースである。
この発想は飛行機事故に対する対応や原子力研究においても現れている。
他方、感情的に動いてしまう日本でこんなことをやれば炎上は必至であろう。
もっとも、「失敗例」はそれ自体が貴重なデータであり、これを捨ててしまうことは大きな損失であり、将来の成功の可能性をつぶしていることになる。
もちろん、失敗例を大事にする背景にはトサフィストの発想がある。
トサフィストの発想は宗教に対するものだが、この発想が技術に応用されれば「失敗例を残す」ということになる。
つまり、トサフィストの誤った記載に「誤りである」と注釈を加えることができても削除することを許さなかった。
同様に、失敗例に「失敗である」と注釈を加えることができても削除することを許さないわけである。
当然、本文(技術なら理論モデルと事前の検証結果)に変化はない。
しかし、本文の欄外に事後の実用性検証結果が無数に加えられ、ある時点で再編集されて、その一部(5%)が役に立つことになる。
これがいわゆる「巨人の肩に乗る」ということであり、「巨人の肩に乗る」ことを支えているのがトサフィストの発想ということになる。
ここでも伝統との関連性を見ることができる。
ここで「トサフィスト」というヨーロッパの伝統を持ち出したが、これを行うことは単純である。
企業・組織や自分に起きたことを記録し、削除せずに保存し続ければいいだけである。
それにより、自分の歴史から離れることなく発展し続けることができる。
この場合、現代の視点(改良された製品)から見れば、過去の改良前の製品は失敗例になりうる(もちろん、それは当時の時点から見れば成功例である)。
ただ、その軌跡を残し続けるのが「進歩」になるのである。
そして、その(削除のない)保存された記録を見れば、過去の自分が全部わかり、当時は考えていなかった発想が出てくることもある(もちろん、必ず出るわけでもない)。
この意味で、「過去の記録」は対外的な自慢のために陳列するものでもなければ、「歴史もの」のように新しい視点で過去を再構成して今の発想に適合するとっつきやすい物語を創作することでもない。
また、過去を棚上げして否定することでも、初心に帰れと強調することでもない。
これらは「過去の否定」であり、「歴史の無視」に過ぎない。
もちろん、これを続けられる背景にはユダヤ教・キリスト教といった宗教的伝統がある。
他方、このような伝統がないにも関わらず日本は明治の近代化や高度経済成長といった諸外国から見て稀な奇跡を起こしてきた。
これができたのは、日本が「ピラミッドの頂点のつまみ食い」を見事にこなしたからということになる。
何やら悪いニュアンスがある(もちろんある)が、良いが意味がないわけではない点にも注意が必要である。
そして、この背景には「原理・原則の不存在」といった日本人の特性も助けているだろう。
また、頂点をうまくつまみ食いして、日本人に使える形に応用すれば、良い結果をたたき出すことは十分ありうる。
そして、この場合、コストもいらないから万々歳である。
しかし、この場合は基礎がないので、結果をたたき出す前提条件が崩れたらその応用は直ちにスクラップと化してしまう。
この辺は、いわゆる『敗因21か条』にも記載があった(メモへのリンクは次の通り)。
では、どうするか。
ここで一つしておくべきことが「過去の索引化」である。
過去を時系列に並べたものが「歴史」なら、事項別に並べたものが「索引」になる。
この点、ヨーロッパの索引のシステムは目を見張るものがある。
この背後には伝統と歴史があるわけである。
それに対して、日本では索引が貧弱だと言われているが、これは日本人読者が索引を必要としないからといった社会的事情もあるのだろう。
必要がなければ発展するはずもないのだから。
その結果、一定の事項に対する過去の事例を探すのが大変になっている。
大変ということは詳細な客観的事実の判定が困難となることを意味するので、日本の比較はただの印象比較になってしまい、情動的対応の範囲にとどまってしまう。
これでは、「自分の歴史の延長線上としての合理化」それ自体が不可能である。
この点、「我々のこれまでの情動に基づく天才的な対応を考慮すれば、今後も社会環境の変化にも対応できる。仮に、できなかったら運命として滅びを受け入れる」と考えて、トサフィストの発想を採用しないといった発想も可能である。
事実、「トサフィストの発想を採用すれば滅びを免れる」わけでもないから。
また、天才的な対応を放棄してヨーロッパの原理・原則に基づく行動に移行しようとして外面を真似ても失敗に終わるだけであるから、天才的な対応を放棄する必要もない。
もっとも、「滅びを極力回避したい」なら、できる範囲で過去の索引化などをしてもいいのではないか、と本書では勧めている。
本書はここから明治の近代化に焦点をあてる。
例えば、明治時代に民法典を編纂する際、日本の伝統を無視してヨーロッパの民法をただただ翻訳した。
つまり、「制度をコピペすればいい」という発想は、現代日本の裁判実務などを見れば失敗していることが分かる。
その一方で、このことはいわゆる「民法出でて忠孝滅ぶ」といった予言の誤りをも示している。
さらに、名目的組織と伝統的秩序の無秩序な結合により、日本の組織の構成・原理についてわからなくなってしまった。
理解できなければ合理化も改良も不可能となり、それは固定化と停滞をもたらすことになる。
組織を動かせなくなった結果、社会環境に対応するために過去の伝統的概念たる忠と孝の抽象化と体系化による解決が試みられた。
しかし、本来、「忠」は主君と家臣の具体的秩序を律する概念、「孝」は家族間の具体的秩序を律する概念であるから、抽象化は「主君と家臣」や「親と子」以外の関係をも律することになる。
さらに、「忠」と「孝」が支える価値観は近代以前のものから何ら変わっていなかった。
その結果、「忠」と「孝」の抽象化は巨大家族化を招くだけで、組織化に失敗したのである。
もちろん、この失敗は戦後も変わらない。
ただ、失敗の前には近代化に対応する高度経済成長という成功があったことも変わらない、というべきであろう。
最後に。
日本が外来文化を取り入れて急速に近代化・民主化を行っている。
しかし、このような外来文化の導入は日本の専売特許ではない。
ヨーロッパの歴史を見ればわかるが、外来文化の導入は盛んに行われていた。
ローマ帝国が拡大する際にはヘレニズム文化を取り入れた。
その後、キリスト教を取り入れた。
また、アラビア世界からいろいろな文化を取り入れてルネッサンスとなった。
などなどなど。
この間、ヨーロッパは安泰だったわけではない。
ただ、時代の行き詰まりの危機を乗り越えられたのは自らを歴史化・索引化しておくとともに、外来思想により自らを再把握し、自らを分析し、再構成してきたからである。
このことは、いかなる民族・社会・組織・文化であれ同様であり、このような合理化によって生存・進歩するのである。
日本もこの点ではヨーロッパと同じである。
以上が本章のお話。
これまで山本七平氏の書籍をいろいろと読んできたが、読み終えると基本的に「どんより」していた。
「過去のミスは見させられる。未来の見込みは暗い」という感じだったからである。
しかし、この本は最後に「だから、大丈夫だ」という幻聴を聴くことができた。
その意味でなんか希望が持てた気がする。
ところで、本書のメモは章ごとのまとめを作ってなかった。
そこで、次回は章ごとのまとめを書き、次々回は私の感想を直近の経験を交えて書いて、このメモを終わりにする。