薫のメモ帳

私が学んだことをメモ帳がわりに

『日本人と組織』を読む 13

 今回はこのシリーズの続き。

 

hiroringo.hatenablog.com

 

『日本人と組織』を読んで学んだことをメモにしていく。

 

 

13 各章のまとめ(前編)

 今回から各章のまとめを箇条書きにしていく。

 もっとも、12章分を箇条書きにまとめるとなると結構な量になるため、今回と次回と次々回の3回に分ける。

 

(第1章)

・民間伝承のような空想の産物は、その時点・その民族の想像・空想の限界を示している

・ヨーロッパとアメリカの想像・空想の背景にあるのが「契約宗教」である

・「契約宗教」という発想は近代以前の日本にはない

ユダヤ教の「十戒」は神と人間の契約である

・聖書等の記載は過去の事項であっても、その聖書等を「読む」という行為は「現在の行為」であるから、聖書と現在との間に関連性がないということにならない

・聖書とユダヤ人・ヨーロッパ人・アメリカ人、クルアーンとアラビア人、経典と仏教徒四書五経と中国人・韓国人の関係を考慮すれば、宗教(教義)と現在との間に関連性がないのは例外で、その例外が日本人となる

・伝承の実在の否定は伝承の背景となる伝統の消失を意味しない

・契約を軸とした宗教などの背景は現在の欧米において政治・経済・組織・社会に反映していると考えてもおかしくない

・欧米型組織とは「『契約』に基づいて『一定の目標』を達成するために、その契約の『遵守』を約束した人間の集団」である

・欧米においては「組織への忠誠」とは「契約への忠誠」となり、「個人への忠誠」が排除される

・欧米において「契約への忠誠」は「誓いの禁止」に転化する

・「誓約」には①誓約は自分を処罰する者に対して行い、②自分の行為が誓約に反した場合、自分が処罰されることによって、誓約の履行を担保する、という形をとる

・欧米では「誓約」時の処罰する者が「神」になる

・日本では自分に「誓約」することが多いが、このことは履行を破れば自分で自分を罰することになり、このことは「切腹」などに現れている

・この「我が身に誓う」は一種の絶対化であり、「神と人の契約」における神側の誓約と類似する

・そのため「誓いの禁止」とは「人の自己絶対化の禁止」とも言える

・「我が身に誓う」の招来する悲劇は、①「自罰」の意識がなくなれば自罰は他罰へ転化すること、②「反省」という言葉が「自虐」に転ずる点である

・江戸時代において皇室と寺社の権力を縮小したこと、精神的・間接的には文化として影響が残ったことは欧米の脱宗教化と共通している

・この脱宗教体制が確立された場合、その体制や組織を支える哲学ができるところ、この哲学の限界は民族の空想力にある

・江戸時代に「聖書」のように読まれた書物の一つに貝原益軒の『大和俗訓』があり、それは後の『教育勅語』に要約される

・『大和俗訓』の規定は現代の銀行・大会社の規定と類似する点が多く、日本人は知らず知らずのうち、江戸時代以降の伝統的思考に従っていることになる

・欧米の聖書が神と人の関係を「契約関係」と考えたのに対して、日本の『大和俗訓』は自然・宇宙と人の関係を親子関係と考える

・『大和俗君』の発想は家族関係を宇宙・自然まで広めたものであり、かつ、総てを家族関係で規律することになる

・明治の近代化の過程において契約的組織と家族的組織の考え方は一体化することになる

 

(第2章)

ユダヤ人の神話・理想化の方向は「権威者たる絶対君主への服従による秩序の建設」ではなく、「契約の遵守」に向いている

・現実において、「新しい世界」を作ろうとして先祖返りする、つまり、伝統的発想の原点に回帰することはよくある

・白人のアメリカ人たちの祖先たるピルグリム・ファーザーズたちが最初に作ったのは「メイフラワー契約」であり、アメリカ人も「最初に契約ありき」であった

・契約は対等な者同士の間で締結されることが大前提である

・組織において重要になるのは「上下契約」である

・「上下契約」のルーツは「神との契約」である

・「上下契約」の具体例としてローマ帝国時代の解放奴隷契約がある

奴隷解放契約の構造は、①奴隷と神とが締結する「資金提供契約」と②主人と神とが締結する「奴隷の売買契約」という二つの上下契約である

・「上下契約」の具体例として西欧の結婚式における宣誓があり、結婚の宣誓は神に対して行うことになる

・戦争による結果の重大性から、戦争を実践する軍隊では当時のもっとも合理的なシステムが取り入れられている

・ローマ帝政時代のローマ軍の上下関係・皇帝と一般人の関係は「主人と奴隷」の上下支配関係であった

・ローマの上下支配関係に上下契約が忍び込み、両者が衝突し、キリスト教徒の殉教という悲劇を生むことになった

・殉教の原因となったのはキリスト教の「誓いの禁止」という条項である

・上下支配関係という社会構造からみた場合、「誓いの禁止」は主人への忠誠を禁止しているように見える

・上下支配関係からみた「誓いの禁止」への疑問に対する回答は「契約・ルールに従うことは誓約するが、『あなたと神とすること』を誓約することはできない」となる

・欧米の「宣誓」では宣誓しない自由があり、例外的に自由がない場合であっても宣誓拒否の罪は偽証より軽く、宣誓した以上は偽証したら重罪になる

・上下支配関係の場合、宣誓拒否は支配関係からの脱却を意味するので、宣誓拒否それ自体が重罪になる

・欧米から日本を見れば「古代ローマのようだ」ということになるが、そのことはロッキード事件における証言その他にて具体化されている

・上下支配関係と上下契約の優劣・善悪はさておき、「我々は上下契約・相互契約によって作られた複雑な社会・組織を運営しなければ、我々の社会が維持できない」という点が直視しなければならない問題である

 

(第3章)

・日本の企業・組織では社則・社規などについて①自分の会社組織の社則・社規を読んだことのある人はほとんどいない、②自分の会社組織の定款と社則・社規の関係を把握・意識している人はいない、③日常業務と社則・社規は実質的には無関係という事実関係がある

・欧米の組織は「マニュアル」に従ってなされている

・このことから、日本では①何故、会社の目的に沿った業務が社則・社規抜きで可能なのか、②何故、日常業務と関連性のない定款・社則・社規を作成するのかという2つの疑問が出てくることになる

・業務が社則・社規抜きで可能なのは「社則・社規・マニュアルとは異なるルールが存在するから」ということになる

・多様な価値観・伝統的生き方を持っているアメリカであれば、マニュアルがなければ各自がバラバラに動いて統率が取れなくなるので、「体系化・精密化したマニュアル」と「マニュアル遵守の誓約」が必要になる

・他方、日本人は既に「組織内規範」を身に着けており、マニュアルがなくてもそれを実践すればよいという状況にあり、このことから日本には「統一的秩序体系」が存在することになる

・日本の統一的秩序体系となっているのは①礼儀の作法、②それに基づく敬語体系としての日本語、③年齢による意識の類型的変化である。

・日本では「加齢による意識変化」が一定であり、その裏付けとなっているのは日本の組織と年功序列システムである

・日本語の敬語は年々複雑化しているところ、この背後には礼儀作法の影響の低下がある

・日本の新入社員教育において有力な方法は「その会社の自社語を叩きこみ、かつ、自社語以外使えないようにすること」である

・この背後には言語の違いは組織の違いであり、組織が機能体ではなく共同体であることがある

・機能体たる企業が共同体になるのは日本特有の現象と推測できる

・欧米では階級の違いや地方の違い・コミュニティの違いが言葉に現れている

・日本では組織が全員同じ言葉を用いて、上下の秩序は敬語によって成り立たせている。

・言葉はその人間の意識の在り方を決定する。

・「敬語=言葉が秩序になる」ならば、言葉・敬語の誤用はそれ自体が「秩序の破壊」を意味する

・敬語は年齢による意識の類型化をもたらすため、同期・同年代の同一意識を将来する

・敬語と自社語は「ミュステーリオン」を生み、団体の結束を固める手段にもなる

ミューステリオンがあることは合理的組織がないことを意味せず、ミューステリオンによって組織の維持・団結を確保し、マニュアルによって運営する

ミューステリオンとマニュアルの二重拘束がうまく機能すれば大きな力を発揮する

ミューステリオンが大きな力を発揮すると集団は柔軟性を失う

ミューステリオンがあると不要になっても存在意義を主張することになるため、機能体にミューステリオンが生じるとやっかいなことになる

 

(第4章)

・日本には「日本には『何々』が足りない。この足らない状況をどうにかしなければならない」という信念をエネルギーにして色々成し遂げてきたという歴史がある

・生活習慣の変化は意識の変化をもたらしたが、「生活の欧米化」は「意識の日本化」という現象をもたらした

・国家間・共同体間・宗教間において、貨幣・商品・言語などは交換・流通が可能であるが、流通可能な対象に刻印されたものはそれぞれ異なる

・刻印は各国の人々の精神構造に由来する以上、刻印を変えることはほぼ不可能である

・欧米の組織に刻印されている内容は「IN_GOD_WE_TRUST」である

・日本の組織に刻印されている内容は「WE_TRUST_EACH_OTHER」である

・日本の刻印の背景にあるのは「血族社会的純血種社会」と「口伝律法」である

・日本が「血族社会的純血種社会」であることの現れに「労働の自由化」に関する問題に対する消極的姿勢がある

・日本の背景を知るための具体例として大和民族と類似の特徴がある古代イスラエルの歴史がある

・当時のユダヤ民族たちはヘレニズムの世界に組み込まれ、実質的にローマ帝国に支配されながら、ヘレニズムの一国とならなかったがためにディアスポラの悲劇と現代のイスラエル建国という復活を招くことになる

・当時のユダヤ民族がヘレニズムの一国とならなかった原因として①強固なセム族的伝統、②異常と言えるほどの教育の普及、③口伝律法の存在がある

・口伝律法という不文律で民族全体が動く場合、文化的併合は不可能になる

ユダヤ民族は口伝律法を利用した理由は、①口伝律法と聖書の律法が同一ではないことを示すこと、②口伝律法を施行法・特例法・細則として利用すること、③時代の流れに変化させることを想定して成文化による固定を防止する点にある

・口伝律法は庶民・子弟への普及において一定の成果を納めた

・口伝律法の絶対化と律法学者の権威の失墜は口伝律法による無自覚の拘束を招来し、それが文化的併合を困難にした

・当時のユダヤ民族のケースは明治時代の日本にあてはめると、①日本的仏教・日本的儒教による伝統、②江戸時代の寺子屋、明治時代初期の学制による全国民の教育、③口伝的不文律の存在という形で類似する

・この口伝的不文律は「教育勅語」として復活し、さらには、教育勅語が帝国憲法に優先することになった

・「口伝律法」の違反に対する異議申し立ては口伝律法の実態がない以上不可能であり、「口伝律法」の絶対化という結果を招いた

・戦後、明文たる教育勅語は消えても、口伝律法それ自体は残り、さらに絶対化され猛威を振るうことになる

・「口伝律法」の猛威と「空気」の猛威は類似性がある

外国人労働者問題との兼ね合いで、外国人労働者が入れなかった箇所として古代のイスラエルがあり、征服者たるローマ帝国でさえ当時のユダヤ民族に対して神経をつかった

 

 

 まだ三分の一しか終えていないが、結構な分量となってしまった。

 残りは次回と次々回に回す。