今回はこのシリーズの続き。
『日本人と組織』を読んで学んだことをメモにしていく。
7 第7章「組織の解体と再生の必要性」を読む
本章は、日本の組織の「外皮」と「内実」に関する話から始まる。
つまり、明治の近代化と戦後の高度成長による日本の変化は極めて急激であった。
その結果、日本の「内実」と「外皮」が分かりにくくなっている。
では、どうすれば日本の組織の「内実」が分かるか。
そのための合理的な手段は、①外皮を着る前の日本の組織形態、つまり、日本の「内実」を日本の伝統から把握すること、次に、②日本人にとって「外皮」の部分は近代化のモデルである欧米にとって「内実」であることを欧米の伝統から見て確認すること、の2点である。
ここから話はある宣誓拒否事件における刑事処分に対する日本人の違和感に進む。
この点、日本の刑法(特別刑法含む)では正当な理由のない宣誓拒否は偽証よりも罪が軽い。
このことは次の規定から明らかである。
刑法169条
法律により宣誓した証人が虚偽の陳述をしたときは、三月以上十年以下の懲役に処する
刑事訴訟法161条
正当な理由がなく宣誓又は証言を拒んだ者は、一年以下の懲役又は三十万円以下の罰金に処する
刑事罰があるという点では同じだが、量刑を見ると偽証の方が宣誓拒否よりもはるかに重い。
しかも、正当な理由があれば宣誓拒否は犯罪にならない点も注目である。
しかし、「偽証は宣誓拒否より重い」という価値判断は日本人の伝統と適合しているだろうか。
もし、適合していれば「記憶にございません」というような迷言は生まれなかったであろう。
つまり、宣誓拒否と偽証に関する刑法等の法律(偽証は宣誓拒否より重い)は日本では「外皮」に過ぎず、「実体」ではなかったことになる。
というのも、我々の伝統に従えば、刑が重い順は次のとおりになるからである。
①、宣誓拒否をした者
②、宣誓した上で、団体・組織の指示・要請とは無関係に虚偽の事実を述べた者
③、宣誓した上で、「記憶にない」と突っぱねた者
④、宣誓した上で、団体・組織の指示・要請に従い虚偽の事実を述べた者
日本の法律に従えば②・③・④が重く、①が最も軽い。
つまり、一致していないわけであり、だからこそ我々が違和感を持つわけでもある。
もっとも、この「偽証は宣誓拒否より重い」という規範は欧米では実体そのものである。
このことは、旧約聖書の「申命記」の記述、新約聖書やタルムードの記述等からも明らかである。
ここにあるのは、「宣誓した以上、宣誓した内容に反したら罪になる。宣誓しなければそもそも罪にならない」という価値観である。
そして、この価値観は民法において「私的自治の原則」という形になっているし、「組織への加入」においても現れている。
これを今はやりの言葉で述べれば、「自己決定・自己責任の原則(契約自由・過失責任の原則)」となるであろうか。
当然だが、徳川時代以前の日本の世界は、公的な部分においてこの価値観はなかった。
この価値観が多少なりあったのは、(合法化されていない)私的組織・秘密結社での誓約においてである。
さらに、私的組織・秘密結社への加入は「開かれた組織への加入」ではなく「人脈の世界への加入」となってしまう。
その結果、日本は「組織への加入」が「人脈への加入」の要素を多分に含むようになってしまった。
もちろん、欧米にも「人脈への加入」という形はある。
しかし、「組織への加入」は「人脈への加入」にある宿命的な加入の要素を持たない。
その結果、欧米では「組織への加入」と「人脈への加入」が(比較的)分離していると言える。
以上を踏まえたうえで、キリスト教を前提とする西ヨーロッパで作られた一大組織、フランシスコ会とイエズス会を見ていく。
両組織は共にカトリック教会の修道会である点で共通するが、フランシスコ会は霊能者を中心とした内向的組織、イエズス会は盟約を基礎とした外向的組織である。
もっとも、抽象化してみると、フランシスコ会は「組織の完成後、創立者たちが組織から離れ、大きな組織(カトリック教会)に新組織が組み込まれていくパターン」であり、イエズス会は「組織の完成後も創立者たちが組織から離れることなく、大きな組織(カトリック教会)の下の組織として活動していくパターン」である。
このことを見れば、欧米における「組織」概念の変化も見ることができる。
まずは、フランシスコ会の概要をみていく。
このフランシスコ会は13世紀の中世末期にローマ法王庁の「足腰」となった組織であり、かつ、中世末期におけるもっとも活動的な組織である。
創始者は聖・フランチェスコ(アシジの聖フランシスコ、1181~1226)である。
この聖・フランチェスコが生きていた時代、日本では平家滅亡・鎌倉幕府成立・承久の乱といった事件があり、日本でもヨーロッパでも新しい時代への出発点に立った時代と言える。
このタイミングの一致は偶然か必然か、興味は尽きない。
戦争において捕虜となり1年間獄中で過ごしたこと、熱病にかかったという2つの経験に遭遇したフランチェスコは教会の再建を使命として働く。
このときのフランチェスコのスタンスは「労働は神から与えられる」であり、ここから「労働の報酬は神から与えられる、雇用者(人)から与えられる報酬は正当ではない」という発想につながる。
この発想とマックス・ウェーバーの『プロテスタンティズムと資本主義の精神』と比較すると興味深い。
もちろん、これらの労働観と報酬観は、日本人のものとは異質である。
しかし、この労働観等を宗教的権威をもって広めたのがフランチェスコであった。
ところで、教えを広めれば組織が必要となる。
最初は、フランチェスコの言動に感動した人たちの小さな集まりであった。
その後、会員も増え、規則ができ、法王庁から教団として認可されるなど発展した。
しかし、教団として認可されたころから団体の性質が「自然発生的な集まり」から「法王庁の下部組織」へと変化してきた。
また、会員が増加した関係でフランチェスコとの人的関係で会を運営することは困難となり、外的な細則や修道院(教育施設)が必要になった。
その結果、会それ自体がフランチェスコの意図に沿わないものとなってきた。
そこで、フランチェスコは会(組織)から離れることになる。
このフランシスコ会はフランチェスコの死後に目覚ましい発展を遂げた。
しかし、会の内部では穏健派と「最初の会則に戻れ」と主張する厳格派の争いは絶えなかった。
この対立は概ね穏健派が制していたが、厳格派の主張は常に存在していた。
なお、この団体は宗教改革の打撃を受けて多くの地方で壊滅し、スペインによって存続することとなる。
以上がフランシスコ会の概要である。
ここに見られるものは「一人のカリスマの元に自然に結集した団体が、急速に組織化し、発展していく様子、その一方で内部に『カリスマか組織か』という矛盾を抱え続けている様子」である。
これを下敷きにして、イエズス会についてみていく。
イエズス会の始まりは近代的である。
もちろん、創始者イグナティウス・デ・ロヨラの宗教的経験はフランチェスコと似ている。
しかし、フランシスコ会の場合と異なり、創始者が組織を拒否したわけではない。
また、団体のスタートも自然発生的な団体ではなく、誓約を立てて一つの目的を持つ組織として出発している。
これは「発起人が定款を作って会社(営利社団法人)を作る」型にそっくりである。
フランシスコ会と異なり、イエズス会の目的は布教であった(これは時代が宗教改革の時代だった点もあるかもしれない)。
そのため、イエズス会は布教団体であり、外部への布教を主体とし、その布教活動のために内部組織を構成するという意味で、近代的な組織の始まりであると言う人もいる、らしい。
近代的組織に見られる要素を確認すると、イエズス会は修道会ではなく結社であり、修道士生活に不可欠と考えられていたもののいくつかを廃止している。
また、布教という目的の達成のため一定の訓練があり、その訓練は規則に基づき団体が行っていた。
イエズス会に見られる一連の流れを抽象化すると次のようになる。
・七人の発起人が誓約し、誓約を定款という形で具体化し、一定の目的をもって団体・組織を作る
・定款に書かれた目的を実現するための規則(会則)を作る
・会則に基づいた権限の委譲が行われ、その権限に基づき業務規定を行い、その規定通りに実施する
・入会を希望する人間には誓願を求める
この点、誓願を求める点は申命記やタルムードに見られたヨーロッパの発想の延長線上にあり、この点はフランシスコ会もイエズス会も同じである。
違うのは、時代や社会の要請に適合していること、目的が内向的か外向的かという点だけである。
そして、イエズス会の場合、目的が布教活動という対外活動にあること、目的の実現には会員の修練が必要であることから、組織それ自体に明確な目標と目標を達成するための基本原則が必要になる。
例えば、イエズス会の標語は「より大いなる栄光のために」であり、会員は「死体のように運ばれ、目の不自由な人の杖のように用いられる」ことを当然の義務としていた、らしい。
この点、フランシスコ・ザビエル(日本史に出てくる重要な人)はイエズス会の発起人の一人である。
その発起人、日本で言うならば副社長・取締役クラスの重役が西ヨーロッパから極東の日本に伝道したことを考慮すれば、納得である。
そして、組織における明確な目標・目的達成の基本原則を確立させるためには当然ピラミッド型の中央集権組織を必要とする。
その結果、イエズス会の組織は軍隊的なものであった。
もっとも、彼らの伝統は同じである以上、軍隊であれ、修道院であれ、会社であれ、一つの組織観と「組織と個人の関係」の原則から出発することになる。
そして、組織と個人の関係を規律するものは最初に述べた「責任を負えないなら、または、不服なら、最初から宣誓しなくてもよい。しかし、宣誓した以上、宣誓に反したら責任を負う」になる。
なお、イエズス会に見られる特徴は何か。
この点、内向的な目的を持つフランシスコ会と異なり、イエズス会には次の二つの特徴があった。
・外部に対する柔軟な対応が可能であること
・内的原則よりも対外成果の重視
しかし、この態度が後にイエズス会に対する非難の原因となる。
つまり、イエズス会は、日本などのヨーロッパ外の布教活動においてかなり妥協的な態度を示した(外部に対する柔軟な対応による対外成果の獲得)一方で、ヨーロッパ内の世俗主義に対しては驚くほど厳格かつ戦闘的な態度を示す、という意味でダブルスタンダードを生んでしまったからである。
このダブルスタンダードは現代の国際社会では当然のこととされ、一国の外交でも当然のように要請されている。
ただ、社会に対して当然のように要請されるからと言って、それに対する批判は衰えるわけではないらしい。
なお、イエズス会はヨーロッパにおいて近代の組織的教育の基盤となったカトリック初等教育のカリキュラムを作成している。
そして、イエズス会の作った教育の結果、国民主義・絶対主義・啓蒙主義といった考えを生み出した。
これらの考え、つまり、ヨーロッパ内の世俗主義(脱宗教主義)に対して、イエズス会は前述の通り厳格かつ戦闘的な態度を示したわけである。
これでは批判が厳しくのもやむを得ないだろう。
さらに、イエズス会の引き起こした事を抽象化させれば、この現象は「外向的性格と成果主義」がもたらす矛盾と言え、このタイプの組織の弱点であると言える。
というのも、外向的性格と成果主義が極端化すると、「目的(成果)のために手段を選ばない」ことになって対外的に強烈な攻撃を仕掛け続けることになるが、その攻撃がもたらす未来は総反発になるからである。
その意味で、パスカルらの批判は原則論として正しい。
その一方、フランシスコ会と異なり、イエズス会の内部において原則論の対立はなかった。
争いは外と内のいずれかで生じざるを得ない、ということなのかもしれない。
このようにカトリック教会の下部組織の具体例を見てきた。
極めて長い間、大組織が存続するためには解体と再編成が必要ということを物語っている。
その観点から見た場合、日本の問題は出来上がった組織の解体・再編成ができない点、ということになる。
以上が本章のお話。
フランシスコ・ザビエルがイエズス会の発起人の一人って知らなかった。
地位的に見てもあの人ってすごい偉い人だったんだ(ヨーロッパから日本まで伝道にやってきた点がすごい点は当然として)。