薫のメモ帳

私が学んだことをメモ帳がわりに

『日本人と組織』を読む 14

 今回はこのシリーズの続き。

 

hiroringo.hatenablog.com

 

『日本人と組織』を読んで学んだことをメモにしていく。

 

 

14 各章のまとめ(中編)

 今回も各章のまとめを箇条書きにしていく。

 前回は第4章までを見てきたので、今回は第5章以降をまとめる。

 

(第5章)

・世界全体として脱宗教化の傾向があるものの、各民族は各民族の伝統の方向に脱宗教化するため世界が一つにまとまることはない

・脱宗教化とは科学化のことであり、科学化によって手段の合理化・精密化はできても、目的・方向を規定することはできない

・脱宗教化と相互流通化が進むと、各民族毎に異なる部分・共有できない部分がめんどくさくなる

・欧米は一神教・モノティズムの世界なのに対して、日本は汎神論・パンティズムの世界である

・モノティズムは「中心軸主義」であり、一つの原理・原則から派生するルールで全体を規律しようとする

・パンティズムは「枠内主義」であり、一つの大きな枠を作って全体を拘束し、枠の中では自由と考える

・日本の場合、枠による規制が自動的にかかっているため、中心的統制をかけると二重の統制に耐えられなくなり、中心的統制を排除してしまう

・日本がパンティズムは日本の風土的秩序に由来する

・日本は海・日本語という「枠」が神話の時代から続いている上、国土・言語・宗教圏・自然的境界が一致しており、このような国はむしろ例外である

・日本の文化は盆地文化・準盆地文化であり、ここにも作られた「枠」がある

・日本では枠から強い制約(と恵み)を受けているため、「枠の中での対処」が求められる

・日本のパンティズムが生んだものとして「中心軸なき円環方式」というものであり、かつ、現代でもこの「中心軸なき円環方式」による意思決定は用いられている

・中心軸なき円環方式による意思決定の場合、決定に伴う責任は全体で引き受けることになるが、それは無責任に転化するため、ヨーロッパでは「中心軸なき円環による意思決定」を伝統的に排除している

・戦国時代の日本人にも契約概念があったが、その「契約」とは「個人間契約」や「集団間契約(『盆地間契約』や『枠対枠契約』)である

・モノティズムの世界でもパンティズムの世界でも「聖なる対象への誓約」が契約の履行の担保となっている

・「聖なる対象」が一つしかないモノティズムの世界では誓約される対象の存在はお互いに同じになる

・パンティズムの世界ではお互いの「聖なる何か」が異なるため、パンティズムの世界の誓約は「各自が各自の聖なる対象への誓約」という形でなされる

・パンティズム的誓約(契約)が成立するには、①自分と相手に共通する一定の枠(上位枠)があること、②上位枠の存在を相互に承認することの2点が必要になる

・日本における契約は、①相互の枠の承認と②相互の枠を共通する抽象的な上位枠の設定という形を採ることになる

・日本の契約では枠の設定の方が重要になる一方で契約条項が抽象化する

・日本の「枠の文化」は、欧米との接触において欧米との摩擦を減らし、欧米の長所を吸収して日本用にアレンジするという意味では最高の枠であった

 

(第6章)

・日本がパンティズムの世界であること、日本の組織がパンティズムを基本としていることから、「日本の組織における長所と短所」と「パンティズムの世界の長所と短所」がある程度重なることになり、パンティズムに関する知識などを日本の組織に応用できる

・人間の外部世界の把握の方法には①空間的把握と②時間的把握の2種類があるところ、現実に対応していくためにはこの2種類をうまく組み合わせる必要がある

・ヨーロッパ人の伝統的なやり方は「二つの把握方法による矛盾や緊張状態を維持して、矛盾に耐えながら緊張状態から生じるエネルギーを使って進歩する」というものである

・空間的把握が招来するものは停滞である

・パンティズムの世界と親和性があるのはこの空間的把握であるから、日本と親和性があるのは空間的把握である

・日本の組織の課題は組織にどうやって時間的把握を取り入れるかという形になる

・どの地方でも組織は空間的把握で構成され、時間的把握という要素はない

・組織と人間の意識の間には、「人の意識の比重が空間的把握に傾けば、組織の変化は妨げられ、組織の固定化が人の意識を空間的把握に特化させる」というスパイラル(循環)が存在し、これは容易に止まらない

・前述のスパイラルがあるため、日本人の不満が社会的問題に発展しても、その結果は「枠を固定する方向」にしか作用しない

・空間的把握に特化した人間は現実がその空間的把握から離れた場合に「裏切られた」という感想を持つ

・時間的把握の根幹にある発想は「社会には耐用年数がある」・「一定の時間の経過によって社会が変化する」となる

・時間的把握の根幹にある発想はマルクス主義にみられるが、旧約聖書新約聖書に由来するヨーロッパの伝統的発想でもある

新約聖書には「時代は一定の期間に区切られ、時代の終わりは必ずやってくる。次の時代の直前・ある時代の終焉を迎える時、社会は急激に崩壊し、大混乱を引き起こすが、その崩壊・混乱を耐えて次の時代まで生き延びた者は、次の時代で救済される」という発想が見られる

・ヨーロッパの人たちは、一方において現在の社会の崩壊を予想し、他方で合理的な一神教的組織を維持しようとするという二つの矛盾した意識を持ち、この二つを調和させることを考える

・バビロン捕囚の後、イスラエルの地でエズラ革命が起き、正典絶対の時代がやってくることで、「預言」から「正典の解釈」に流れが変わった

イスラエルで「正典の解釈」を担ったのは律法学者である

預言者は神から直々に言葉を賜った者であるところ、その賜った言葉は神の言葉であるため、従前の正典と矛盾しても問題がないため、この律法学者は預言者と両立しえない

キリスト教では、絶対的な正典(聖書)に依拠する律法学者と(絶対的な正典から)自由な発想を持つ預言者という両立しえない二つものが共に権威を持つ状態、つまり、旧約聖書新約聖書の二つが共に権威を持っている

・空間的把握は律法学者とリンクし、時間的把握は預言者とリンクすることになる

・「それぞれ背後に権威があり、かつ、両立しえないもの」を一つの組織が抱え込んだ場合、その組織は相矛盾する二つの権威を共に存在させ続けなければならない

・この要請を歴史的に最も長い間継続し続けてきた実体のある組織がカトリック教会である

カトリック教会は崩壊の危機に何度もさらされつつも、崩壊に至らず現在まで続いている

・組織の存続の要点は「空間的把握(律法学者)と時間的把握(預言者)の調整」という点である

カトリック教会はローマ教皇を頂点とした完全なピラミッド組織であり、「完全な空間的把握」に基づくものである

カトリック教会は霊能(カリスマ)という概念も認め、この霊能(カリスマ)の能力を持った人間はその能力に基づいて行動することを許容し、霊能者が築いた組織その他をそっくり組み込むことで、組織の名称を変えずに実質的に組織の構成を組み替えている

 

(第7章)

・明治の近代化と戦後の高度成長による日本の変化は極めて急激であったため、日本の「内実」と「外皮」が分かりにくくなっている

・日本の組織の「内実」を把握する方法は、①外皮を着る前の日本の組織形態、つまり、日本の「内実」を日本の伝統から把握すること、②日本人にとって「外皮」の部分は近代化のモデルである欧米にとって「内実」であることを欧米の伝統から見て確認することの2点である

・日本の刑法の量刑を比較すると、正当な理由のない宣誓拒否は偽証よりも罪が軽いが、これは日本の伝統的価値観と整合しないため、日本の「外皮」にあたる

・「偽証は宣誓拒否より罪が重い」は欧米では実体そのものである

カトリック教会の下部組織として作られた組織のうちで大きくなったものとしてフランシスコ会イエズス会がある

フランシスコ会イエズス会の双方を見ることで、欧米における「組織」概念の変化も見ることができる

フランシスコ会は組織の完成後、創立者たちが組織から離れ、大きな組織(カトリック教会)に新組織が組み込まれていくパターンである

フランシスコ会を見ることで、一人のカリスマの元に自然に結集した団体が、急速に組織化し、発展していく様子、その一方で内部に「カリスマか組織か」という矛盾を抱え続けている様子を確認できる

イエズス会は組織の完成後も創立者たちが組織から離れることなく、大きな組織(カトリック教会)の下の組織として活動していくパターンである

イエズス会は布教団体であり、外部への布教を主体とし、その布教活動のために内部組織を構成するという意味で、近代的な組織の始まりであるとも言いうる

イエズス会では、目的が布教活動という対外活動にあること、目的の実現には会員の修練が必要であることから、組織それ自体に明確な目標と目標を達成するための基本原則が必要だった

イエズス会における会と個人の関係を規律するものは、「責任を負えないなら、または、不服なら、最初から宣誓しなくてもよい。しかし、宣誓した以上、宣誓に反したら責任を負う」である

フランシスコ会と異なり、イエズス会には①外部に対する柔軟な対応、②内的原則よりも対外成果の重視という特徴があり、これが外部からのイエズス会に対する非難の原因となる

イエズス会はヨーロッパにおいて近代の組織的教育の基盤となったカトリック初等教育のカリキュラムを作成し、その結果、国民主義・絶対主義・啓蒙主義といった考えを生み出した

・その一方で、イエズス会はヨーロッパ内のこれらの世俗主義(脱宗教主義)に対して厳格かつ戦闘的な態度を示していたため、非難を巻き起こした

イエズス会に対する非難を抽象化させると、「外向的性格と成果主義がもたらす矛盾」となり、これはこのタイプの組織が持つ弱点である

フランシスコ会と異なり、イエズス会の内部において原則論の対立はなかった

・日本の組織の問題を出来上がった組織の解体・再編成ができない点である

 

(第8章)

・すべての人間は組織に不満を持つが、構成員の組織に対する不満は千差万別である

キブツには組織のある種の原理が示されているところ、その特徴は①生産組織と生活組織の一体化・一本化、②生産共同体と生活共同体の一致の2点である

キブツは原初的な(家族)共同体を現代に適合する形に組織化させたものになる

キブツに対する不満は「生産組織と生活組織の一本化」に向けられる

・「生産組織と生活組織の分離」を徹底している国にアメリカがある

・「生産組織と生活組織の分離」が徹底している社会では、労働条件が重要になり、職場における「生きがい論」や「人間性無視論」に対して労働者も資本家も拒否反応を示す

・組織を見る場合、組織の目的という観点から「神聖組織(宗教組織)」と「世俗組織」という分類ができる

・神聖組織は宗教が絡む関係で来世に投影され、理想的秩序のモデルにもなりうる

・社会において世俗と宗教の問題があるように、神聖組織と世俗組織の関係をどうするべきかという問題がある

・初期の段階では神聖組織が上で世俗組織が下であったが、その後、世俗組織も神の被造物であるという考えが生まれ、両者の関係をどう規律すべきかが考えられるようになる

・神聖組織と世俗組織をリンクさせる発想のことを「知恵」と呼んだ

・世俗組織の不満によって生じる一連のプロセスは、①世俗組織への不満の表面化、②不合理性の是正要求、③不満なき理想的神聖組織化への運動、④世俗組織それ自体の解体というルートを辿る

・神聖組織と世俗組織をリンクさせる方向性についても「分離型」と「結合型」の2パターンがある

マルティン・ルターは「霊の秩序」・「肉の秩序」という形で両者を分け、「人は二つの秩序(宗教と世俗)に属している」と考えた

・分離型の発想は、「教会と政府」・「企業と家庭」・「地域共同体と職場」という発想にもつながる

・この分離型の背後にある発想は、「両者(世俗と宗教)を分離して、二種類の組織に関わることで、人間が双方の組織への不満(期待)を持たないようにする」というものである

・結合型を採用する一派として「メノナイト」というキリスト教の一派があり、この組織では世俗組織は神聖組織の従属する範囲でしか認めていない

・結合型も分離型も、神聖組織が世俗組織に対する絶対的服従を拒否する方向では共通している

・日本では世俗組織と神聖組織の区別が曖昧であり、厳格な分離型・厳格な一体型といった組織が出現しにくい一方、世俗組織から宗教組織の転換が容易に起こりうる

・日本では神聖組織が下部組織に手段としての世俗組織を持つような状態であり、その結果出来上がる組織は「キブツ日本」のようなものになる

・この「キブツ日本」はキブツ型組織でありながら私有財産が否定が徹底されていない

・明治時代の神聖組織・世俗組織を分離しない混合形態は、そのまま戦後に引き継がれ、この宗教性と世俗性の併有が日本の組織の特徴である

・日本では「世俗組織」・「宗教組織」といった区別・聖人と俗人(凡人)といった区別がない

・日本では、世俗組織であっても「聖なるもの」の存在が世俗組織の存在理由や構成員の士気のために必要といったことが起きる

・欧米の場合、世俗組織に「聖」なるものが存在してはならず、「世俗組織の中に『聖』なるものが存在する」と主張することが一種の冒涜とも判断されうる

・「キブツ日本」を支えた「平等」には日本文化、特に、「『空気』の研究」で見てきたいわゆる「一君万民・状況倫理」の裏付けがあった

・神聖組織は基本的に平等・無競争・ゼロ成長を基本とするため、神聖組織が下部に世俗組織を抱えている状況のままでは、新しい参加者が加わらない限り、世俗組織は一定以上の成長は見込めなくなる。

・戦後の「キブツ日本」は「戦後の若年層」という大量の加入者をばねに急激な発展を続けてきた

・日本の世俗組織は神聖組織の性質も持っており、自分の人生を投入する価値があった。

・神聖組織はゼロ成長が基本だから、過度な神聖性の導入は組織の発展の可能性を阻害すること、若者が大量に増える時代は当時の時点で見ても少子化により終わりつつあることから、日本は未来のための模索を始めなければならなくなっている

 

 

 ここまでで結構な分量になってしまった。

 よって、第9章以降は次回に。