薫のメモ帳

私が学んだことをメモ帳がわりに

『日本人と組織』を読む 15

 今回はこのシリーズの続き。

 

hiroringo.hatenablog.com

 

『日本人と組織』を読んで学んだことをメモにしていく。

 

 

15 各章のまとめ(後編)

 今回は第9章から第12章までを箇条書きでまとめる。

 

(第9章)

・神聖組織には「現実の聖職者集団」と「理想の模型」という二重の意味がある

・神聖組織は「その理想の模型の実現化に向けて努力する」と構成員が信仰することによって成立する集団であり、「信にかかわる集団」である

・「信にかかわる要素」(信の要素)の対極には「知にかかわる要素」(知の要素)がある

・神聖組織において、組織の存立理由となる「信の要素」は重要である

・神聖組織において、組織を運営していく上で「知の要素」が重要になる

・「信の要素」と「知の要素」はしばしば重要かつ深刻な対立をもたらすが、「知の要素」と「信の要素」の矛盾・衝突をうまく調整できればその組織は単純な世俗組織とは比較にならぬスピードで成長し、二つの要素の矛盾・衝突を調整できなければ一気に組織は壊滅する

・世俗組織であれば「知の要素」と「信の要素」の対立といった問題は存在しない

・世俗組織において「信にかかわる要素」は個人の問題であり、組織の「知にかかわる要素」と衝突しない限り不問となる

・「信の要素」と「知の要素」の衝突例として「地動説の問題」や「信教の自由と表現の自由の問題」がある

・「信の要素」が肥大化すると、知的議論の拒否といった問題が生じうる

・「知の要素」が肥大化すると、信仰の問題が世俗の問題となって「棄教の強制」といった問題が生じうる

・日本の組織の特徴は神聖組織と世俗組織の中間型にあるため、「『信の要素』と『知の要素』の境界をあいまいにして分離しない」という特徴がある

・「信の要素」と「知の要素」の境界をあいまいにして分離しない結果、本来ならば科学・社会政策のような「知の要素」に属する事項が「信の要素」に属する事項として争点化するといった珍現象が生じる

・珍現象が生じる結果、「一定の社会政策の推進」が一種の宗教になり、社会政策の是非が一種の宗教戦争になり、知的議論が一切不可能になって改宗や転向の強制による解決が不可避となるといった、「信の肥大化」がもたらす悲劇が生じた

・「神聖組織と世俗組織の二重性」・「『信の要素』と『知の要素』の未分離」といった特徴は日本のあらゆるところに見られる

・世界の脱宗教化・世俗化現象によって日本人や日本の組織も世俗化を免れることができないところ、日本人が日本の組織を「知の要素」の対象としてしか見ず、「信の要素」を組織以外の別に求めるようになった

 従前の日本の組織は「日本人が『信の要素』を『信の肥大化させた何か』に預けることの危険性」を承知していたためか、組織内に「知の要素」と矛盾しない「信の要素」にかかわる対象を設置させてきた

・世俗性と神聖性を通じて日本の課題を具体化すると、「今後、企業が持っていた神聖組織としての要素が抜けて世俗化した際、構成員は『信の要素』をどう適切に保護していけばいいのか」ということになる

 

(第10章)

・ヨーロッパは分離型の「二尊主義」であり、個人は神と世俗権力の両方に直接リンクしていた

・江戸時代の日本は結合型の「一尊主義」であり、個人が神(儒教ならば「天」)に直接リンクすることを許していない

・江戸時代の秩序は、将軍は天をまつり、大名は将軍を天としてまつり、武士や庶民は大名を天としてまつり、子女は武士や庶民である父を天としてまつることで成立していた

キリスト教のような「二尊主義」の宗教が日本に導入されたら、忠誠を誓う対象が二つ、まつる対象が二つという「二尊」状態になってしまい、日本の秩序は大混乱になる可能性が高い

・日本の「二尊主義」の拒絶という態度は戦後も続いており、企業・組織は社員・構成員に対する二尊の所持を許容していない

・日本人も「二尊」を持たない方が精神的に安定する

・中国と日本は同じ儒教体制であったが、中国の外来のものを拒絶できる「角のある存在」である一方、日本は外来のものを受容しようとする「角のない円のような存在」であった

・「二尊主義」を拒絶する日本人のスタンスが端的に表れたのが内村鑑三の二尊主義に対する双方からの批判である

・一尊主義から見た場合、二尊主義に対して矛盾や中途半端さを感じることになる

・一尊主義者による「矛盾」の否定は「進歩」の否定を意味するところ、この「進歩」の否定は変化していく社会への不適応を招くことになる

・「日本人は義理人情を大事にする」と言われているが、日本の一尊主義から見た場合、「義」と「理」は「人情」のことであり、「人情絶対主義」に転化する

・人情絶対主義の結果、説得・決定の手段は「情に訴える」ことが専らとなり、「義=ドグマ」も「理=合理性」は一切考慮されなくなる

・情による競争は形式的な組織的つながりではなく、人脈を作ることになる

・本書が書かれた当時、一尊主義に対する反動からマイホームや趣味・同好会サークルへの加入といった現象が起きているが、この現象は徳川時代にもみられている

・一尊主義に対する反動の背後には、一尊主義のもたらした人情絶対主義に伴う嫉妬その他に疲れた人間が一種と諦念と無関心に陥り、その諦念等を土台にして組織の価値に興味を持たず、持たないがために無条件に肯定されるといった「無尊主義」というべき態度がある

・構成員が組織に対して「無尊主義」に陥れば、組織は形がい化・給与集団に成り下がり、組織が給与集団としての機能を果たせなくなったときに消滅する

 

(第11章)

・どんな組織でも完璧な組織たりえないが、問題のみの組織ということもない

・長所と短所は表裏一体、合理性と不合理性は分離不可能である

・この不合理性は一定の視点から見た場合のものであり、別の視点から見れば合理的に見えることも十分ある

・二者択一選択方式は原則や理念を示す点、定量化の際の固定点を示す際に役に立つが、現実への修正案や均衡解を示す手段としては役に立たない

・日本の問題点は未来に対する基本的指針(原則)がない点にある

・「社会の変化に適合していない旧時代の組織・一定以上の問題を抱えた組織は改革し、または、再生させたほうが良い。改革しないままの組織を人間や社会の努力によって無理やり維持させても社会公共の利益に反する」という意見は原則論としては意味があるが、組織内に生きている人間に安楽死を強要することになりかねいため具体的な改革案として機能しない

・日本の組織の問題点に対する対処法のキーワードとして「トサフィスト」がある

・トサフィストによる対処法は長期的視点に立った即効性のないものである

・トサフィスト文化の大きな流れは「本の欄外に読者が自分の解釈・意見・見解を加え、それらがまとまったら編集」ということの繰り返しである

・トサフィストは中世ユダヤ教徒のある一群の人々を示す言葉であったが、トサフィストの発想はキリスト教社会にも伝わっている

・ヨーロッパで行われた革新的・独創的な試みはこのトサフィストの蓄積の上にある

・ヨーロッパにおける「進歩」とはトサフィストの発想に基づいて一歩一歩積み重ねていくプロセスのこと以外の何物でもない

・トサフィストの「過去への長い検討結果の集積を編集し直す」という作業は「過去を棄却して新しい発想をする」ことではない

・トサフィストの作業はトーラー・バイブルといった社会の基本的なものを停止させず、かつ、形がい化もさせないための手段である

・日本に足りない部分がこのトサフィストの発想である

・トサフィスト的な発想を行う前提に「本文の絶対性」というものがある

・聖書や宗教・国家や社会に対して個人は「尊重する態度」と「意見を述べる態度」の二つを持つところ、前者はトサフィストにおける本文の絶対性に、後者は欄外に注釈を加えることと関連している

・このトサフィストの成果は「歴史」になる

・トサフィストの作業によって作られた歴史とこれらの歴史による裏付けが得られた理論・モデルは近い未来の予測に役に立つでこととなり、この理論・モデルの精錬化の作業が近代科学になる

・日本にも定款やマニュアルと実務の架け橋として先例があるところ、この先例が絶対化して暴走することがある

・トサフィストにおける重要事項として、トサフィストの記述に誤りがあった場合、その誤った記述に「誤りである」という再注釈を加えることができても、記述自体を抹消してはならないという点がある

 

(第12章)

・日本の組織の問題に対して、ヨーロッパやアメリカの組織のモデルを単純に模倣しても、組織の実質が模倣するモデルとかけ離れたものとなるばかりか、日本の伝統とのミスマッチによって大失敗に終わりかねない

・組織とはそれ自体がイデオロギーである

・組織の外形がどのような形態であっても、その実体は過去の形態の再編成に過ぎない

・組織の問題点に改良するならば自己の歴史の延長線上になる範囲で合理化し続けていくしかない

・日本の歴史から見られる日本の組織の特徴は「集団であること」・「感情(情)によって現実に対応すること」である

・日本の「情による対応」は実に天才的であり、イデオロギー・宗教で拘束されたヨーロッパにおいてこんなことは到底できない

・日本人の組織のパフォーマンスを極大化させるためには、①日本人で対応可能であること、②周囲の対応すべきモデルが存在し、かつ、そのモデルに先進性があることの2つの条件が必要で、この2点があれば日本は成功し、なければ失敗してきた

・日本とヨーロッパの違いとして「失敗例の活用・蓄積」がある

・失敗例はそれ自体が貴重なデータであり、これを捨ててしまうことは大きな損失であり、将来の成功の可能性をつぶすことになる

・失敗例を大事にする背景にはトサフィストの発想がある

・いわゆる「巨人の肩に乗る」ことを実効化ならしめているのがトサフィストの発想である

・自分の歴史から離れることなく発展し続けるためには、企業・組織や自分に起きたことを記録し、削除せずに保存し続ける必要がある

・日本でよくなされる「過去を棚上げして否定すること」・「初心に帰れと強調すること」は「過去の否定」であり「歴史の無視」に過ぎない

・日本が「ピラミッドの頂点のつまみ食い」を見事に成功させたところ、この成功の背後には「原理・原則の不存在」といった日本人の特性がある

・ピラミッドの頂点のつまみ食いをすると基礎が存在しないため、結果をたたき出す前提条件が崩れたらそのつまみ食いはスクラップと化す

・スクラップにしないためにすべきこととして、「過去の索引化」(事項に沿った過去の事実の並べ直し)がある

・「制度のコピペ」という発想は、制度が根付かないという意味での悲劇だけではなく、名目的組織と伝統的秩序の無秩序な結合によって日本の組織の構成・原理についてわからなるという悲劇をもたらした

・外来文化の導入という問題は日本固有の問題ではない

・それぞれの社会が時代の行き詰まりの危機を乗り越えられたのは自らを歴史化・索引化しておくとともに、外来思想により自らを再把握し、自らを分析し、再構成してきたからであり、それは日本もヨーロッパも変わらない

 

 

 以上、3回にわたって各章をまとめた。

 次回は「欄外」に書かれるだろう私の感想を残して、この本の読書メモを終わりにする。