今回はこのシリーズの続き。
『日本人と組織』を読んで学んだことをメモにしていく。
10 第10章「組織と個人の矛盾」を読む
これまで、「信」と「知」の問題、また、神聖組織と世俗組織の関係という問題における一般論を確認した。
そして、その一般論の視点から日本の社会・日本の組織・日本人の意識についてみてきた。
本章は新井白石の『西洋紀聞』から話が始まる。
というのは、本書で述べてきた「『信』と『知』の関係や神聖組織と世俗組織の関係」という観点から見た場合、日本の現実の体制はどう見えるかという問題に的確に答えた最初の人間が新井白石だからである。
この点は、『「空気」の研究』の最後に少し触れられていた(該当するメモの部分は以下の通り)。
この点、新井白石は江戸時代の中期における最高の知識人・教養人であった。
また、当時はまだ名誉革命が起きたあたり、フランス革命やアメリカ独立戦争も起きておらず、ヨーロッパに対する脅威や劣等感もなかった。
そして、その裏返しとも言える虚勢や自己絶対化もなかった。
その意味で、『西洋紀聞』では淡々とヨーロッパと日本の事情を比較している。
また、当時禁止されていたキリスト教の布教を目的として潜入した宣教師であるシドッチを志士として認めている。
さらに、彼の持っている自然科学的知識・人文科学的知識には敬意を払い、偏見で排斥する態度といったものもない。
その一方で、新井白石はキリスト教を明確に排斥すべきと考えた。
この点、新井白石は宣教の名のもとの武力侵略等の可能性は否定している。
もっとも、宣教による侵略の危険がなくても、宣教それ自体による危険がなくなるわけではない。
つまり、新井白石はキリスト教の布教それ自体による日本秩序の崩壊の危険を見抜いたことになる。
では、キリスト教の布教がもたらす日本秩序への危険とは何か。
前章までの言葉で表現するなら、「ヨーロッパは分離型の『二尊主義』であるのに対して、日本は結合型の『一尊主義』であるから、『二尊主義』のキリスト教が布教されたら日本の秩序は大混乱になる」という点である。
つまり、ヨーロッパのキリスト教社会では個人は神と世俗権力の両方に直接リンクしていた。
それに対して、日本社会では個人が神に直接リンクすることを許していない。
もちろん、当時の日本を支配していた宗教は儒教だったため、神に相当する概念は「天」になるわけだが。
この点、日本にせよ、中国にせよ、儒教において天にリンクできる、つまり、天を祭れることができるのは皇帝や将軍(あるいは、天皇)であってそれ以外にはない。
つまり、将軍は天をまつり(天皇が天をまつった場合は将軍が天皇を天としてまつり)、大名は将軍を天としてまつり、武士や庶民は大名を天としてまつり、子女は武士や庶民である父を天としてまつることで秩序が成り立っていた。
このような状況でキリスト教の布教を認めれば、個人が天を直接まつることになってしまう。
その結果、忠誠を誓う対象が二つ・まつる対象が二つという「二尊」状態になってしまう。
二尊状態になると、武士には「二君」ができ、妻には「二夫」ができてしまう。
これでは、一尊主義で成り立っている徳川幕府の秩序が崩れてしまう。
これがキリスト教による秩序崩壊の具体的な中身である。
この「二尊主義の拒絶」(一尊主義)という発想は現代でも十分に通用する。
この点、時代が変わればまつる対象は変わる。
現代社会の天からの流れを形にすれば、こんな感じになるのではないかと思う。
・皇室が天をまつる
・政府が皇室を天としてまつる
・大企業が政府を天としてまつる
・中小企業がグループの長たる大企業を天としてまつる
・社員が企業を天としてまつる
・社員の家族が社員を天としてまつる
かくして企業神や組織神が存在することになるわけである。
その結果、組織は構成員(企業における社員)に対して「二尊」を持つことを許容しない。
一方、日本人の側も「二尊」を持たない方が精神的に安定するようで、それを具体的に見てとれるのがいわゆる団体旅行である。
この「一尊主義」ともいうべき日本人の意識はヨーロッパから見て理解できないのは無理からぬ話である。
なぜなら、ヨーロッパ人は常に宗教と社会の両方に直接リンクしており、その意味で「二尊主義」でいることが当たり前の状態だからである。
このことから、日本の幕藩体制と中世ヨーロッパの封建社会は異なる様相を示していることが分かる。
というのも、西洋の封建社会ではカソリック教会と国王(領主)という二尊とリンクする体制だからである。
一方、日本では鎌倉時代から江戸時代まで武士(領主)は幕府としかリンクしておらず、武士が幕府を介さずに朝廷と直接リンクするということは例外的にしか起きていない。
このことを考慮すると、日本の幕藩体制は封建社会というよりも日本的儒教体制と言ったほうがいいのかもしれない。
では、この日本的儒教体制というのは中国などと何が違うのか。
その違いは「外来思想に対する柔軟な対応」という態度の有無である。
つまり、中国は外来のものを拒絶できる「角のある存在」である一方、日本は外来のものを受容しようとする「角のない円のような存在」である違いである。
この点、この態度は新井白石にもある。
また、過去を遡れば、キリスト教を一度は受け入れながら後に棄教した不干斎ハビアンにもこの態度がみられる。
例えば、新井白石は「地球が丸い」といった儒教に反する教えをそのまま受容している。
この新井白石の態度はハビアンと論争をした儒学者林羅山と異なる。
こてこての儒学者から見たら、新井白石の態度はあるまじき態度に見えることだろう。
もっとも、この「円のような存在」は「二尊主義を許さない存在」でもある。
そんな状態で二尊主義のキリスト教を受容するとどうなるか。
まず、「二尊状態を許さない日本人全員がキリスト教を排除する」というシナリオがある。
これは中国の場合と同様のケースであり、このシナリオで済めばマシな結果で済むだろう。
しかし、日本社会の下層に追いやられている者たちがキリスト教を受容する可能性がある。
インドのヒンディー教社会で迫害されていた下層身分の者たちがイスラム教を選択したように。
日本人の新しいもの好きも併せれば、この点は否定できない。
このとき、日本社会がキリスト教を受容した下層集団に対して一種の二尊状態を許すのであれば、一種の共存状態を生み出すことができるだろう。
しかし、日本社会は「二尊主義」を面従腹背と見て許さない社会である。
そうすると、日本社会は日本人キリスト教徒に対してキリスト教か日本かの二者択一を迫ることになる。
日本を選択すれば棄教することになる一方、キリスト教を選べば日本社会に対して牙をむくことになり、行き先は島原の乱である。
これは困る。
一方、受容した日本人も二尊状態を選択できるかという問題もある。
受容した日本人がキリスト教の一尊のみ選択する事態になれば、この場合も日本の秩序から切断されてしまう。
これも困る。
本書にはここまで具体的な記載はない(このブログは読書メモであって、本の内容を単純にコピペする予定のものではない)が、新井白石の思考過程を想像すればこうなるのではないか。
以上、一尊主義と二尊主義から組織や個人の転向をまとめて書くと次のようになる。
まず、二尊状態を許容できれば、組織が転向した場合、個人は自らの信仰を変えないまま転向後の組織とリンクすることができる。
また、個人の信仰が変わっても、組織とのリンクをそのまま維持することができる。
しかし、二尊状態を許容できない場合、組織が転向すれば、個人の信仰も組織に合わせて転向することが強制され、転向できないものは組織から追放されることになる。
また、個人の信仰が組織から別の対象に変われば、面従腹背と判断されて組織から追放されてしまう。
ちなみに、この新井白石の予想は正しかった。
その正しさを証明した具体例が内村鑑三である。
この点、内村鑑三は二尊主義者であり、彼自身も「二つのJ」、つまり、イエス(ジーザス)とジャパンに尽くす者と規定していた。
例えば、大正13年にアメリカの排日法案が可決された際、内村鑑三は「国民新聞」に何度も排日反対の文章を掲載しており、その動き方は右翼と言っていいほどである。
また、内村鑑三不敬事件においても内村鑑三は最敬礼をしなかっただけで、敬礼しなかったわけではない。
しかし、内村鑑三の二尊主義は二尊主義を許さない日本では常に問題が生じ、双方から裏切り者だの不徹底といった非難を浴びることになる。
この点、二尊主義は日本の一尊主義から見て「中途半端」にも「矛盾」にも見える。
その結果、二尊主義者は排除され、日本は「全日本」を一丸とする「一尊主義」となり、太平洋戦争によって物理的に壊滅させられることになった。
もっとも、戦争の壊滅は物理的な壊滅に過ぎず、質的な変化はないから、戦後も一尊主義が継承されることになる。
では、一尊主義は二尊主義の何を見落としたのだろうか?
もちろん、二尊主義者が一尊主義から見て矛盾や中途半端に見えることは当然である。
しかし、二尊主義者はこの「矛盾」が「個」を確立させ、さらに、確立した「個」と「組織」の矛盾が進歩を可能にすると考えていた。
それゆえ、一尊主義者による「矛盾」の否定は「進歩」の否定をも意味することになる。
この点、一尊主義者が「進歩しなくてもいい」と考えるなら、矛盾を否定しても差し支えないことになるだろうが、社会が変わらない保証はない以上、この発想は社会の変化に伴って滅びを招くことになる。
次に、日本の一尊主義の欠点とは何だろうか。
ここで見るべきなのが、内村鑑三が日本の組織への批判として取り上げた「人情絶対主義」というべきものである。
内村鑑三は「日本人は『義理人情』という言葉を使うが、『義』と『理』と『人情』の三概念は結合しないはずだ」という。
言い換えれば、「義理人情」ともっともらしく言うが、それはただの「人情」の絶対化に過ぎない、というべきか。
この点、義理人情を分解すると、「義=公的な規定(教義・法律)」・「理=合理性を裏付けるもの」・「人情=個人の私的感情その他」となり、それぞれ別物である。
そして、二尊主義者であれば「義と人情という矛盾したものを理を使って調整する」と考えるのであろう。
しかし、日本人がこの言葉を使う場合、強調されるのは「人情」である。
そして、組織を「一尊」として全人格を没入させれば、残るのも「情」である。
ならば、決定や説得の手段は「情に訴える」ことが専らとなる。
これでは、「義=ドグマ」も「理=合理性」は一切考慮されない、ということになる。
その結果、日本の組織は「情」、つまり「情実」がすべてを優先する。
そして、「情による決定」を獲得しようとして「情に訴えかける」という手段のみに特化される。
この点、内村鑑三は「『ご無沙汰しておるのでちょっとご挨拶を・・・』などと言ってくる人がいるが、貴重な時間を『顔を見る』だけでつぶされるのは迷惑である」といった趣旨のことを述べている。
もちろん、相手は内村鑑三に対して「情によって接する」ために行っているのであり、このことは日本の組織であれば頻繁に行われていることである。
しかし、内村鑑三は「『情による決定』は嫉妬しか生まない。そして、一尊主義によって各人が組織に全人格を没入させた場合、『情による競争』と『嫉妬』で規律されるようになるから、そこには義や理による決定ができなくなる」とも述べている。
つまり、情による競争は義や理による競争ではなく、敗者は「私は義や理ではなく、情によって敗れたに過ぎない」と考えるため、嫉妬が生じてしまうというわけである。
これは、アメリカの従業員とはまったく違った態度である。
また、情による競争は形式的な組織的つながりではなく人脈を作ることになってしまう。
もちろん、二尊主義の世界でも人脈はあるが、義理による組織と人情による人脈は切り分けるわけだが、一尊主義ではこの二つが混同してしまうわけである。
ところで、本書が書かれた当時でも、一尊主義に対する反動が生じていたらしくマイホームや趣味・同好会サークルへの加入といった現象が起きていたらしい。
しかし、この現象は現代だけではなく、徳川時代にもみられている。
そして、この傾向は一尊主義のもたらした人情絶対主義に伴う嫉妬その他に疲れた人間が一種と諦念と無関心に陥り、その諦念等を土台にして組織の価値に興味を持たないという態度の表れである。
この考え方は幕末にはすでにあり、例えば、『三眼余考』にも見られている。
ここでは、自分が自分の内心の世界に生きられるがために、現実の組織・体制を全肯定できるといった態度になっている。
こうなれば、一切の組織は「どうでもいい存在としてここにある」という形で存在が絶対的に肯定されることになる。
これでは一種の無尊主義であり、二つの対象に忠誠を持って二つの間に生じる矛盾の中で生きるといった二尊主義とはかけ離れたものと言わざるを得ない。
そして、構成員が組織に対してこのような態度を持てば、組織は形がい化し対外的には何もできなくなる。
もちろん、従前までに蓄えていたパワーがあるので、組織の維持は可能かもしれないが、これでは組織はただの給与集団に成り下がらざるを得ない。
そして、その組織が構成員に給与を払えなくなったとき、組織は消えるが、消滅による社会的な影響が全くないといった事態になるわけである。
以上が本章のお話。
構成員が趣味に逃避する発想が江戸時代からあったというのは考えてみれば当然かもしれないが、意外かつ新鮮であった。
次章からどうすればいいかという話になるわけだが、ここまででも十分参考になった。