今回はこのシリーズの続き。
『日本人のためのイスラム原論』を読んで学んだことをメモにしていく。
なお、この本は3つの章と7つの節から構成されているが、各節の分量が多い。
そこで、各節について2回または3回に分けてメモにする。
2 「第1章_イスラムが分かれば、宗教が分かる_第1節」を読む(前編)
まずは、第1章の第1節からみていく。
第1章の第1節のタイトルは「アッラーは『規範』を与えたもうた」。
この章のキーワードは「規範」である。
ところで、第1章の第1節ではこんな書き出しから始まる。
(以下、本文から引用)
イスラムを知る者は祝福される。
世界の宗教を理解するからである。
世界そのものを知るからである。
(引用終了)
興味深いなと考えるのは、「イスラム教信者は祝福される」ではなく「イスラムを知る者は祝福される」となっていること。
次に、祝福の理由が「理解」にある点。
つまり、この言葉を要約すると、「信仰せずとも知るだけで祝福される。祝福の内容は『理解』」となる。
当然だが、この表現はたとえである。
しかし、「信仰せずとも(別の条件の成就によって)祝福される」なんて通常の宗教では到底言えないだろう。
それは、「祝福される理由が『理解』にある」という点も同様である。
このような言い回しができること自体、本書にいう「無宗教性」を特徴とする日本の特徴なのかもしれない。
本書は日本人の無宗教性がもたらす弊害を述べることから始まる。
例えば、日本人の無宗教性から派生する価値判断として「宗教が違っても人間はみな同じ」というものである。
この点、生物的な部分に注目して、規範や行動様式を捨象して考えるならば、この判断に大きな誤りはない。
しかし、規範や行動様式までを範囲に入れて「人間みな同じ」と宣ってしまうと、それは「横並び一線主義の強制」に転化し、さらには、相手の価値観の否定にもなってしまう。
その結果、「宗教が異なれば、行動様式や規範が異なる」という外国人を面食らわせることになる。
もっとも、この価値判断は「日本人の前提」=日本教というような感じもするのだが、
さらに、本書では日本の無宗教性の弊害として以下のものが列挙されている。
・カルト教団による信者の搾取、カルト教団による信者を用いた犯罪
・日本における規範の崩壊
・経済に対する依存、経済的破綻を理由とする自殺
・官僚による民主国家日本の簒奪、その結果生じる庶民の搾取
キーワードでまとめれば、「アノミー」・「盲目的予定調和説」・「社会科学的実践の欠落」などなど。
まあ、これらの内容はこれまで読んできた本と大差ない。
もっとも、これは「無宗教性の問題」と見るべきなのか、「日本教の問題点」と見るべきではないか、というのは少し気になった。
この点、どちらを選択しても問題点の具体的な内容は同じになる。
また、後者を選択したほうが対策が立てやすい(実行しやすいことを意味しない)とも言いうる。
だから、細かい話だし、どちらでも構わないレベルではある。
ところで、社会問題に対して弊害だけ書いて対策を述べないのはあまり意味がない。
そのため、小室先生は日本の無宗教性を緩和するための処方箋を掲げている。
その処方箋の内容は「イスラム教に入信しなさい」というものである。
そして、入信が無理な人(まあ当然である)に対する次善の策が「イスラム教とは何かを本気になって研究(理解)する」である。
この「入信せよ」という処方箋。
私の感想は、「確かに、イスラム教に入信すれば、無宗教性の弊害は改善するだろう。しかし、そんなことをしたら近代社会は回せないし、日本人が大挙して今のイスラム教に帰依したら『果たしてこれは日本人なりや』となりかねない。最後に、ラノベやアニメといったものは偶像崇拝として弾圧の対象になることを覚悟する必要がある」といったところか。
閑話休題。
この点、イスラム教の理解によるメリットを次のように述べている。
第一に、イスラム教は宗教の模範に近いので、イスラム教を理解すれば宗教が理解できる点。
人間視点から見た場合、イスラム教がユダヤ教、キリスト教の不合理を克服するべく生まれたのであるから、ある種当然なのかもしれない。
次に、イスラム教の理解によってキリスト教とユダヤ教の理解が進む点。
さらに、キリスト教を理解することで、資本主義・立憲主義・民主主義といった近代を支える思想を理解し、それと共に外国人との交流を円滑にできる点。
「いささか現実的利益が強すぎないか」という感想を持たざるを得ないが、私を被験者として実験してみた結果から考えると、それなりに有効性はあるように思われる。
ただ、「イスラム(教)と日本的なもの違い」の大きさに逆に驚く羽目になったが。
ここから本格的に「イスラム教とは何か」という話に進む。
ただ、理解を進めていくための補助線として、次の問題を考える。
その問題は「なぜ、日本にはイスラム教徒が少ないのか」という問題である。
この点、日本の宗教に対する寛容さ、おおらかさはユニークである。
例えば、仏教について。
仏教が導入された聖徳太子(蘇我馬子)の時代、蘇我氏と物部氏との間に争いがあったものの、その後、平安時代・鎌倉時代・室町時代と時代が経つにつれて日本に定着していく。
もっとも、日本の浄土宗などは「はたしてこれは仏教なりや」などと言われることもあるらしいが。
次に、キリスト教について。
確かに、江戸時代に徳川幕府が禁教令を出した。
しかし、フランシスコ・ザビエルが鹿児島にやってきてから禁教令が出される約50年の間、キリスト教は九州に広まり、いわゆるキリシタン大名が生まれた。
もちろん、スペイン・ポルトガルが軍隊を使って改宗を迫ったわけではない(キリシタン大名自ら百姓に改宗を迫ったケースはあるだろうが)。
これもすごい。
新井白石のいうところの「円の文化」の現れというべきだろうか。
さらに、ここでの記載がない儒教について(具体的な記載は第2節にある)。
江戸時代以降、明の滅亡という事件もあってか儒教もどんどん入ってきた。
しかし、イスラム教にはこのような気配がない。
この点、イスラム教はキリスト教・仏教と並んで世界の三大宗教の一つに数えられている。
ならば、イスラム教もキリスト教や仏教のように日本に入ってきてもおかしくない。
しかし、現代日本を見るとそのような気配はない。
これは意外な結果である。
この点、宗教社会学者のマックス・ウェーバーによると「学者に最も必要な能力は『驚く』能力である」であり、「学者を育てようと考えるならば、学問を教えるよりも驚き方を教えろ」とのことである。
なんか、日本の現状とは真逆に見えるがそれはさておき。
このマックス・ウェーバーの意見を前提とすれば、「日本におけるイスラム教の薄さ」という不思議な現状に驚かなければ学者としては要はなさないのだろう。
そして、最初に取り上げた「なぜ、日本にはイスラム教徒が少ないのか」という問題。
この問題を考える際、イスラム教と日本社会の双方を見ていけば答えられる問題である。
そこで、この問題を考える過程を通じて、イスラム教を見ていこう、というわけである。
まず、イスラム教とイスラム社会を見ていく観点から、歴史に話題を移す。
預言者マホメットが現れ、イスラム教のもとにアラブが結集した。
その後、イスラム教は帝国として爆発的発展を遂げていくことになる。
マホメットの死後、100年も経たないうちに、ローマ帝国やアレクサンドロス三世(アレクサンダー大王、イスカンダル)が築いたマケドニア帝国の版図を超える帝国を作り上げてしまったのである。
当時、アラビアにはキリスト教のビザンティン帝国とゾロアスター教のササン朝ペルシャが覇を競っていた。
両方とも歴史のある強大な帝国である。
しかし、イスラム教のもとに結集したアラブ人たちは634年から始まる戦争においてたった8年でササン朝ペルシャを葬ってしまう。
そして、ビザンティン帝国からは文化が発展していたシリア・エルサレム・エジプトなどを奪い取った。
すごい快進撃である。
もちろん、その背景に602年から628年まで続いた両帝国の戦争による疲弊があったとしても。
日本の戦国時代(信長の野望)でたとえるなら、関ヶ原前夜、豊臣方と徳川方で争っている際、関ヶ原が長引いて両者が疲弊してたところ、伊達政宗や真田一族が天下を取ってしまうようなものである(いささか大袈裟か)。
ところで、両帝国を蹴散らしたイスラム帝国はこれだけで満足しなかった。
北アフリカをどんどん西に進み、ジブラルタル海峡を渡ってスペインまで進む。
今のフランスにいたカール・マルテル(フランク王国の宰相、カール大帝の祖父)によりフランスへの侵攻はかなわなかったが、それでもすごい進軍である。
もちろん、イスラム帝国が爆発的に発展したあともイスラム教は広がっていく。
例えば、インド。
インドと言えば仏教やヒンドゥー教が発祥し、文化の発展が著しい地方であったが、11世紀ころからイスラム教の王朝が出現し、その後、イスラム教を奉じるムガル帝国ができる。
さらに、バルカン半島。
オスマン帝国(オスマン・トルコ)の領土拡張、コンスタンティノープルの征服によりこれらの地方にもイスラム教が広まっていくことになる。
もちろん、中国にもコーランが到達し、イスラム教を信仰する官僚も登場する。
本書では明の時代に大船団を率いた鄭和が紹介されている。
ところで、イスラム教の布教はキリスト教の布教よりも穏やかである。
というのも、イスラム教のクルアーンには「信仰を強制してはならない」というものがあるからである。
具体的な記載の様子を次のサイトのクルアーンから見てみる。
(以下、上記サイトからクルアーンの和訳の第2章の第256節から引用、引用元のリンクは引用直後に記載)
宗教には強制があってはならない。正に正しい道は迷誤から明らかに(分別)されている。それで邪神を退けてアッラーを信仰する者は、決して壊れることのない、堅固な取っ手を握った者である。アッラーは全聴にして全知であられる。
(引用終了)
それゆえ、帝国の領内にいたからといって、イスラム教以外の宗教を信仰することが禁止されていたわけでもない。
本書に記載はない点を追加すると、前述のとおりササン朝ペルシャは滅亡したが、ゾロアスター教が帝国の滅亡と同時に瓦解したわけではない。
もっとも、このような異教を信仰した場合、人頭税などの負担はあった。
また、イスラム教徒に異教を勧めることもできるわけではないし、社会的な差別のようなものがなかったとは言えないだろう。
その意味で、近代主義における「信教の自由」とは意味が異なる。
しかし、十字軍や新大陸におけるキリスト教徒の振る舞いに比べればはるかに穏やかと言えるだろう。
なお、本書では「すべてが平和的に行われた」・「占領地の人々が回収したのは、すべて自発性に基づくものである」などいった断定的な表現が使われている。
本ブログは読書メモでもあるので、その点は補足しておく。
そのイスラム教、日本に根をおろしていない。
本書の記載その他によると、日本人のムスリムは約5万、日本在住の外国人も含めて約20万人とのことである。
一般に、徳川家康が禁教令を出した時点で、日本のキリスト教徒が約20万人(当時の人口は今の人口の3分の1以下であった)いたことを考慮すれば、この違いが分かる。
もちろん、そもそも根をおろしていないので禁教令のようなものもない。
その原因を、イスラム教の側、日本社会の側の両方から見てみる。
以上が本節の最初のお話。
ここからイスラム教側の事情を見ていくわけだが、ちょうどきりがよい。
よって、今回はこの辺にしておく。