1 何もかも信じられなくなる
少し前、私は「何もかも信じられない状況」になっていた。
原因は分からない。
健康状態が悪化したせいか。
精神的な不調のせいか。
コロナ等による社会情勢の変化のせいか。
この点、「自分が信じられない」という状況は恒常的に存在していた。
そのため、「不信が一時的に極端に悪化した」とも言える。
さて、「何もかも信じられない状況」を放置することはできない。
そこで、立て直しのために「記録を録る」ことにした。
結果を評価せず、「機械的・形式的」に事実だけを淡々と書く。
「機械的・形式的」の点を守って記録すれば、その記録(事実)は真実になる。
そうすれば、(他が信じられないとしても)その記録は信じられるから。
そのことについて書いたのが、少し前のブログである。
記録を録ることで、「事実認定に対する不信」は改善した。
事実が客観化・定量化された結果、事実に関する勘違いが修正され、不明確な部分が明確化されたのだから。
もっとも、「事実の評価に対する不信」が残る。
そこで、「事実の自分による評価」(主観的評価)と「事実の客観的評価」をぶつけてみることにした。
それが整合すれば「自分が行った事実の評価は正しい」ことになり「事実の評価に対する不信」は改善するだろうし、逆に整合しなければ従前の自分の評価を訂正することにより「事実の評価に対する不信」は改善するだろうから。
そして、「WAISーⅣ」という知能検査を受けてみることにした。
WAIS™-IV知能検査 | 検査詳細 | 心理検査 | 日本文化科学社
当然だが、私は「自分に対する評価」を持っている。
一方、上述の知能検査は「一定の基準」による自分に対する評価が出てくる。
これをぶつければ、主観と客観の比較にはなるだろう。
というわけで、知能検査を受けてみることにした。
ただ、付け加えるならば、「一度、自分の能力を確認したい」というもあったが。
2 検査を受ける
私は自分の通っている心療内科医に検査について相談した。
主治医はあっさり了承し、検査の方法の説明・検査日程の確認・検査の予約手続に移った。
その相談の約1か月後、知能検査を受ける。
検査は1時間から1時間半くらいだった。
具体的な検査内容は省略(というか、具体的なことは忘れてしまった)。
3 結果を受け取る
検査から1か月後、検査結果を受け取り、かつ、説明を受ける。
検査結果は数枚のレポートの形で渡され、また、レポートについて補足的な説明を受けるというものであった。
具体的な数値についてはこんな感じだった。
この点、データの分布は平均100、標準偏差15の正規分布を想定している。
・全検査IQ 118
・言語理解(VCL) 106
・知覚推理(PRI) 116
・ワーキングメモリ(WMI) 134
・処理速度(PSI) 108
この際、詳細な説明を受けているが、それについては省略(公開できない)。
イメージのためにどんな説明を受けたか抽象的に書くと、「こんなことが得意です・苦手です」とか「ほにゃららについてはこのように対応していきましょう」というようなことである。
4 検査を受けた影響
まず、自分の能力に関する恣意的な思い込みが払しょくされた。
この点、この数値結果は私の過去の特徴をそのまま反映していた。
だから、数値化された結果を見たためなのか、過去の特徴と検査による数値が私の長所・短所を含めて整合していたからかは分からない。
しかし、ストレートに言ってしまえば、「自分に対して持っている妄念」が吹き飛んだ。
次に、何かに取り組むときの自分の方針を定めることができた。
検査結果が得られるため、私の得意・苦手についてあまり分かっていなかった。
もちろん、「この分野は得意・苦手」というのはあったが、分野に共通する得意な点・苦手な点は分からなかった。
しかし、今回の結果を得ることで、未知の分野に挑戦する際にどうすれば自分の適性を活かせるのかが分かった。
また、自分の過去の各状況において、うまくいったときのその理由・うまくいかなかったときのその理由について言語化し、能力による裏付けを行うことができた。
過去の成功・失敗の原因について自分の知能からの分析ができたのは大きかった。
それと同時に、この状態が続くことを前提にした場合、この道を選べばどうなるかということも予測がつけられるようになった。
というわけで、この検査を受けたことにより「不信」の状況は相当程度改善した。
将来、再びこうなったら、今回と同様のことを行う予定である。
5 雑感
最後に。
「後知恵」ではあるが、今回の不信の原因は「(山本七平氏が言う)情況倫理に振り回されてしまった結果、収拾がつかなくなったから」だと推測している。
だから、「(これも山本七平氏の言うところ)固定倫理」で私を掃除したことでその状況を脱却できたのではないか。
形式的・機械的な録取はまさに「固定倫理による事実の認定」である。
外部機関による評価も「固定倫理による事実の評価」である。
固定倫理による事実認定・事実の評価を自分認識による事実認定・事実評価と照合し、ずれていたものを一掃することで不信の状況から抜け出せたようだ。
以上の原因分析のヒントになったのは、山本七平氏の著作である『「空気」の研究』や『日本はなぜ敗れるのか ー敗因21か条ー』である。
この点は、自分の認識・理解を深め、まとめるためにも、このブログをアウトプットしたい。