薫のメモ帳

私が学んだことをメモ帳がわりに

ある資格試験の過去問を見直す

1 久しぶりに司法試験の過去問を見る

 私は、過去使ったコピーの裏側をメモ用紙として利用している。

 最近、そのメモ用紙の裏側を見たところ、以前勉強していた司法試験の過去問がコピーされていた。

 具体的には、昭和58年度の司法試験・二次試験の論文式試験憲法の第1問。

 昭和58年の司法試験、つまり、法科大学院ができる前の司法試験である。

(昔の司法試験のことを「旧司法試験」というので、以下、そう書く)。

 

 私が受験し、合格した旧司法試験(の二次試験)は3つの試験から成り立っていた。

 短答試験・論文試験・口述試験である。

 

 短答式試験は選択式の試験(全部で60問・3時間半・3科目)で、いわゆる予選。

 論文試験は6科目(1科目2問・2時間)の論述試験で、これが本戦。

 最後の口述試験は確認の意味合いが強く、ほぼ合格できる試験である

(それでも約1割は不合格になっていた)。

 この点、当時の試験のシステムが分かる資料がないかと思って探していたら、ネット上に資料が残っていたので、これを紹介しておく。

 https://www.soumu.go.jp/main_content/000082032.pdf

 

 さて。

 旧司法試験の天王山は論文試験である。

 口述試験はほとんど合格する(私が合格した年は9割合格した)うえ、落ちても翌年口述試験からスタートでき、短答式試験と論文試験をスキップすることができる。

 他方、論文試験に落ちると(多くの人間がここで落ちて涙を飲む)、短答式試験からやり直さなければならない。

 よって、論文試験は重く、論文試験対策が極めて重要になる。

 

 さて、メモにコピーされていた過去問、この過去問は思い入れがあった。

 何故なら、旧司法試験の勉強を開始してはじめての答案練習会(論文試験の時間と同じ配分、1問1時間で論文式の答案を書く演習)で始めて過去問に挑み、初めて書いた答案だったからである。

 だから、この問題を振り返ってみる

 

2 昭和58年度・司法試験・論文試験・憲法第1問

 過去問の問題は次のとおりである。

 以下、当時使っていた司法試験の教科書であった『司法試験対策講座5・憲法・第二版』(伊藤真著・弘文堂・1998)から転記した。

 

(以下、同書籍より引用)

 出版物に関するいわゆる税関検査について、「表現の自由も絶対無制限なものではない。国は公共の福祉を維持し、社会の健全性を防衛する任務を有している。外国の表現物が我が国に無制限に流入するときは、我が国の健全な風俗を害することがあり得る。したがって、国が一定の要件の下で輸入を禁止するのは当然であり、公共の福祉にかなう」という見解がある、この見解に含まれる憲法上の問題点を指摘して論評せよ。 

 (引用終了)

 

 憲法第1問、「人権」分野からの出題である。

 当時、私が書いた答案(現在押し入れの中に眠っている)は滅茶苦茶であった。

 答案の書き方(形式)は守れたが、中身がスカスカであった。

 まあ、右も左もわからない状況だったのでしょうがないけど。

 

 この過去問に書かれている見解、下敷きとなる判例がある。

 いわゆる税関検査に関する最高裁判決(昭和57(行ツ)156・ 最大判・昭和59年12月12日・第38巻12号1308頁)である。

 

https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/690/052690_hanrei.pdf

 

 関係する部分を引用しておく。

 

(以下、上述の最高裁判決から引用、一部省略)

 思うに、表現の自由は、憲法の保障する基本的人権の中でも特に重要視されるべきものであるが、さりとて絶対無制限なものではなく、公共の福祉による制限の下にあることは、いうまでもない。また、性的秩序を守り、最小限度の性道徳を維持することは公共の福祉の内容をなすものであつて、(中略)。そして、わが国内における健全な性的風俗を維持確保する見地からするときは、猥褻表現物がみだりに国外から流入することを阻止することは、公共の福祉に合致するものであり、(以下略)

(引用終了)

 

 この過去問、その後の復習等により「再び書く機会があったらこのように書く」と決めていた内容の骨子は次の3点だった。

 

1、税関検査が国民の閲覧の自由を制限しうる性質を有すること、その前提として、閲覧の自由が憲法上の権利、具体的には、知る権利として憲法21条1項により保証されること

2、税関検査が「公共の福祉」(憲法12条・13条)に基づく制約として正当化されないこと(見解に反対)

3、税関検査が憲法21条2項前段の「検閲」に該当するかが憲法上問題となること、そして、税関検査は「検閲」にあたる(見解に反対)

 

 この点、1は書かれていない前提部分、しかも、当然の前提であり、「不要ではないか」とも思える。

 しかし、条文上自明ではない(21条には「知る権利」とは書かれていない、書かれているのは「表現の自由」、つまり、発表の自由である)こと、ロジックを書く上で前提を省略するのは得策ではないことを考慮すると、書きすぎは避けるとしても触れないわけにはいかないのだろう。

 

 本問の核心は2と3である。

 見解に反対するなら、見解の根拠を引っ張り出した上で叩いて潰さなければならない。

 他方、賛成するとしても、その実質的な根拠が必要だろう。

最高裁が言った(判決で書いた)から賛成する」というのはさすがにリスクである(無論、実務では「判例である」は最強のカードであるとしても)。

 

 ところで。

 勉強していた当時、私は骨子2と骨子3の部分に賛成する方針の答案は準備していなかった。

 骨子3に同意するのは難しくないので(最悪、最高裁の定義を使って一蹴すればいい)ので、当時でも「骨子3の部分は賛成、骨子2の部分は反対」という答案は書けただろうが、両方賛成という答案は用意していなかった。

 というか、その方針で書くことそれ自体を考えたことすらなかった。

 

 今、この過去問とその時準備していた答案の骨子を見て、考えた。

「これって反対で書くのか?」と。

 論評対象は過去問に書かれた見解であって、「税関検査の最高裁判例そのもの」ではない。

 最高裁判例と過去問の見解を混同していないか、と。

 

 そこで、もう少し過去問と過去作った答案骨子を見直してみる。

 

3 いま改めて過去問を見直す

 過去問に書かれた見解を再び整理してみる。

 

(以下、再び過去問を引用、ただし、文ごとに改行し、かつ、番号をつける)

1、表現の自由も絶対無制限なものではない。

2、国は公共の福祉を維持し、社会の健全性を防衛する任務を有している。

3、外国の表現物が我が国に無制限に流入するときは、我が国の健全な風俗を害することがあり得る。

4、したがって、国が一定の要件の下で輸入を禁止するのは当然であり、公共の福祉にかなう 

 (引用終了)

 

 1は当然すぎる(知る権利が21条1項により保証されることよりも当然である)。

 よって、ここを争点にするのは無謀である。

 

 2はどうだろう。

「公共の福祉」という条文の文言が一義的に明らかではなく、条文解釈をする必要があることを踏まえれば、ここがメインの一つになることは間違いない。

 

 3は事実に関する部分である。

 この部分の反対するということは、「外国の表現物が我が国に無制限に流入しても、我が国の健全な風俗を害することはない」ということを主張することになるが、害されうることそれ自体を否定するのは無理がありそうである。

 とすれば、この部分を答案に利用することはあっても、反対するのはまずい。

 

 4は規制手段についての言及である。

 ここでは、「一定の要件」としか書いておらず、具体的な言及がない。

 そうすると、「例外なく制限できない」という結論を採用しない限り、「一定の要件」について具体的に論じる必要がある。

 

 以上がこの問題を改めて見て思った感想である。

 では、当時準備した答案骨子(「答案構成」と呼ばれている)を見てみよう。

 内容をまとめると次のようになっていた。

 

(骨子1は省略)

骨子2・「一定の要件」という抽象的な文言で制約するのは基準が不明確であり、表現の自由に対する制約として正当化されない、よって、見解の結論には賛成できない。

骨子3・判例の検閲の定義は狭すぎて妥当ではない。「検閲」の定義は広く解釈すべきである。その定義において税関検査は憲法上禁止する「検閲」に該当するので、その意味でも見解の結論には同意できない。

 

・・・

 

 まず、「公共の福祉」の解釈の部分、具体的には見解2の部分はスルーか?

 十分時間をかけて準備しておいて、その部分にフォーカスできないのはまずくねーか。

 

 あと、「一定の要件」だから抽象的で基準が不明確というのもどうなの?

「一定の要件の基準が明確であること、具体的には、一般人から見て基準の境界が理解できるようになっているものでなければ賛成できない」と書くのは全然ありだが、一方的に「見解の基準では不明確」というのは・・・。

 

 この点、下敷きになった判例の事案では基準の明確性が争点になっている。

 そのため、判例に引きずられたのだろうか。

 それでも、昔作った答案骨子ではいわゆる「論点主義」になっていて、「問いに答えていない」と判断されかねないが。

 

 検閲については、、、まあどっちでもいいや。

 判例の検閲の定義を叩いて見解に反対する側に回ってもよいが、「検閲にあたる」として切ってしまうとそれで議論が終了するので、これまた答案制作上は得策ではなさそうだが、骨子2の部分で見解に反対するなら書き方次第でどうにかなるだろう。

 

4 昔と今

 改めて過去問を見て答案を作るなら、「税関検査は閲覧の自由の制限たりうる、この閲覧の自由は知る権利として憲法21条1項により保証される。以上の前提のもと、①検閲(定義は判例のものを使う)にはあたらない、②「一定の要件」の基準が明確であり、●●であれば賛成」という答案を作るような気がする。

 では、昔と今とで何が変わったのだろう。

 

 この点、知識自体は昔と今とで差があるわけではない(忘れたこともある分、昔の方がたくさんあったとさえいえる)。

 違うのは憲法的価値に対する関心の違い、判例に対する態度の違いだろうか。

 

 私が司法試験の勉強を始めたきっかけは憲法だった。

 そのため、憲法的価値に対して昔は忠実だった。

 もっとも、今は憲法に対して明らかに冷めた目で見ている(詳細はある本のレビューで触れたい)。

 だから、「制約を認める見解に無理に反対しなくてもいい」というのはある。

 

 あと、判例に対する態度も変わった。

 学習環境のせいにしてはいけないだろうが、司法試験の学習をしていたころは、憲法刑事訴訟法判例に対してかなり批判的であった。

 しかし、合格して実務に出て、その辺の意識が変化した。

 視野が広がったというか、判例の権威にやられたというか。

 

 妙な言い方をすれば、当時は若かったのだろう(事実、若かった)。

 そして、今は年を取った、と。

 そういうことなのかもしれない。

 

 司法試験の過去問を見て、そんなことを思い出した。

 せっかくなので、メモを書き留めておく。