今回はこのシリーズの続き。
司法試験・二次試験・論文式試験の平成6年度の憲法第1問を検討していく。
7 損失補償請求権の法的性格
前回までで本問の法律が財産権に対する合理的な規制であることを確認した。
そして、通常の憲法上の権利に対する制限の問題であれば、これで話は終わることになる。
しかし、本問法律を執行すれば、土地という「私有財産」(憲法29条3項)を収用することになる。
そして、本問法律には「市場価値よりも低い価格で収用することができる」としか書いていない。
つまり、この低い価格が「正当な補償」でなかった場合、憲法にある「正当な補償」が請求できないようにも見える。
そこで、憲法29条3項を直接の根拠として裁判所に損失補償を求めることができるか、つまり、憲法29条3項の損失補償請求権は具体的権利なのかということが問題となる。
なお、前回までの検討で見てきた通り、「憲法29条3項を直接根拠にして損失補償を請求できる」ことを財産権の制限を正当化できる根拠に用いたため、この点は先に検討しておく必要がある。
まず、少し背景を見ながらこの論点を確認しよう。
とある自由や権利、それは、信教の自由であっても表現の自由であってもいいが、それが、憲法上の権利として保障された場合、その権利は2種類に分けられる。
一つは具体的権利、もう一つが抽象的権利である(なお、憲法上は「権利」と書いてあるにもかかわらず、憲法上の権利として認めないものとしていわゆるプログラム規定があるが、ここではそれには触れない)。
両者の違いは、法律による具体化が必要か否か、である。
例えば、憲法21条を再構成することで保障される「知る権利」についてみていこう。
知る権利を国家の介入を防ぐ権利としてみた場合、この権利は具体的権利になる。
つまり、未決の在監者が新聞を読む権利・閲読の自由、これは、「国民の情報の受領を妨げられない」という意味があることから、具体的な権利であって、これが侵害されれば法律上の根拠なく裁判所にその是非を争うことができる。
別に、監獄法その他に「閲読の自由はこれを許す」と書いて(いても)いなくてもよいことになる。
他方、知る権利を政府や自治体の情報を開示する権利としてみた場合、これは抽象的権利となる。
この場合、法律や条例の根拠がなければ、情報の開示を裁判を通じて求めることはできない。
というのも、情報の開示をどのように行うかは憲法上一義的に明らかではなく、政府や自治体の事情を考慮するよりほかはないからである。
つまり、法律による具体化を伴って裁判で救済を受けうる権利が抽象的権利であり、法律による具体化が不要な権利が具体的権利である。
この点、信教の自由・表現の自由・職業選択の自由といった自由権の大半は具体的権利である。
これに対して、国家賠償請求権や社会権に属する権利は抽象的権利となる。
というのも、社会権といったものは社会福祉政策と関連することから、政治部門の判断なくしてどの程度の権利を認めるかを確定することができないからである。
では、憲法29条3項の損失補償請求権は具体的権利か抽象的権利のいずれか。
後者であれば、法律上の救済規定がなければ正当な補償がなくても泣き寝入りの他はない。
というのも、国家賠償請求権による救済は「違法な」国家行為による損害を対象としており、適法な国家行為に対して適用されないからである(本問法律が合憲であることは既に述べた通り)。
そこで、憲法29条3項の権利の性質が問題となる。
この点、憲法29条3項の損失補償請求権の趣旨は①収容した財産を価格で補償することで財産権不可侵の原則を貫徹すること、②社会のための負担は国民が等しく負担すべきという平等原則の確保にある。
ならば、損失補償の範囲は収容された部分(差額)ということになり、この範囲は裁判所がある程度客観的に判断することができる。
そこで、憲法29条3項を直接根拠として損失補償の請求をすることができると考える。
この部分は触れる必要はあるものの、あっさりと肯定してもいいだろう。
この部分は前提だからである。
なお、最高裁判所は河川付近地制限令違反事件最高裁判決で次のように述べて損失補償請求権の具体性を肯定している。
昭和37年(あ)2922号河川附近地制限令違反
昭和43年11月27日最高裁判所大法廷判決
(いわゆる河川付近地制限令違反事件最高裁判決)
https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/697/050697_hanrei.pdf
(以下、河川付近地制限令違反事件最高裁判決より引用、各文毎に改行、一部中略、強調は私の手による)
もつとも、本件記録に現われたところによれば、(中略)その財産上の犠牲は、公共のために必要な制限によるものとはいえ、単に一般的に当然に受忍すべきものとされる制限の範囲をこえ、特別の犠牲を課したものとみる余地が全くないわけではなく、憲法二九条三項の趣旨に照らし、さらに河川附近地制限令一条ないし三条および五条による規制について同令七条の定めるところにより損失補償をすべきものとしていることとの均衡からいつて、本件被告人の被つた現実の損失については、その補償を請求することができるものと解する余地がある。
したがつて、仮りに被告人に損失があつたとしても補償することを要しないとした原判決の説示は妥当とはいえない。
しかし、同令四条二号による制限について同条に損失補償に関する規定がないからといつて、同条があらゆる場合について一切の損失補償を全く否定する趣旨とまでは解されず、本件被告人も、その損失を具体的に主張立証して、別途、直接憲法二九条三項を根拠にして、補償請求をする余地が全くないわけではないから、単に一般的な場合について、当然に受忍すべきものとされる制限を定めた同令四条二号およびこの制限違反について罰則を定めた同令一〇条の各規定を直ちに違憲無効の規定と解すべきではない。
(引用終了)
この判決の趣旨をまとめると、適法・合憲である法令により財産権の制限を受けたが、特別の事情があったがために受忍限度を超えた制限となった場合、①憲法29条3項を直接根拠として損失補償を請求できる一方、②補償規定がないことは違憲の根拠にはならないということになる。
前回、市場価格より低いことそれ自体を違憲の理由にしなかったのはこの判決を踏まえてのことである。
以上より、本問法律は「市場価値より低い価格」であることで「正当な補償」とならなかった場合、法律が違憲になることはないが、当事者は損失補償を請求することができることになる。
そこで、本問法律で具体的に低額で土地を収用された人たちの損失補償を是非についてみていくことになるが、既に、規定量(2000文字)を超えているため、それらについては次回に検討する。