今日はこのシリーズの続き。
『小室直樹の中国原論』を読んで学んだことをメモにする。
8 第3章を読む_前編
第3章のタイトルは「中国共同体のタテ糸『宗族』」。
第1章と第2章では、中国共同体のヨコ糸たる「幇」についてみてきた。
第3章では、中国に存在するもう一つの共同体たる「宗族」についてみていく。
「宗族」とは父と子という関係を基礎に作られる父系集団のことである。
つまり、「父から子へ」という形で集団を作り、かつ、姓を同じくする。
この点、父系集団であっても姓を持つ集団と持たない集団がある。
しかし、中国や韓国は「姓を持つ父系集団」である。
また、「宗族」においては同一宗族内の結婚を認めていない。
このことを「部外婚制(エクゾガミィ)」という。
このように、中国には血縁共同体たる「宗族」が存在する。
このような共同体はアメリカにも日本にもない。
本書はここで日本に関する注釈が入る。
曰く、「日本は血縁社会ではないのか」と。
本書では学問的定義を引きながらこの点を確認する。
この点、血縁社会とは父系社会、または、母系社会のことを指す。
そして、父系社会とは父から子という親子関係を条件に成立する集団(人間の集合)を指す。
言い換えれば、「父から子」という関係の有無で集団が構成される社会が父系社会となる。
この概念は、日本の親戚・親類とは完全に異なる。
というのも、第一に、親戚・親類の範囲が不明確だから。
これは、親戚・親類の基準を「何親等」という明確な基準で決めても意味がない。
何故なら、「誰から何親等以内にあるか」によって具体的な親戚・親類の範囲が異なってしまうから。
これに対して、父系集団は集団(人間の集合)として明確に決めることができる。
なにしろ、父と子の関係の有無さえ判明すれば一義的に決まるのだから。
なお、本書では、「日本が血縁社会ではないなんて非常識である」という凡人の思いつきそうな意見が紹介されている。
これに対して、小室先生は「私は常識・非常識ではなく、学問の話をしているのである。中国を理解したければ、学問レベルで理解しなければならない」と述べている。
学問と常識の関係、これも日本教を見る際に一度確認しておきたいものである。
閑話休題。
話を父系社会に戻す。
父系社会は中国社会だけに限らない。
インドや中近東諸国も父系社会である。
また、父系社会は、同じ氏を持つか否か、部外婚制の有無で分類できる。
例えば、中国とインドは部外婚制があるが、中近東諸国には部外婚制がない。
また、古代イスラエルでは父系社会であるが姓がなかった。
そして、中国の父系集団たる宗族、この宗族では共通する同一の姓を持つが、姓が同じであるからといって同一宗族にいるわけではない。
また、中国の部外婚制は同一宗族内に限られるため、同一宗族でなければ同姓でも結婚できるらしい。
もっとも、同姓の結婚はあまり好まれていないのだとか。
以上、宗族の範囲についてみてきた。
ここから、宗族の内容についてみていく。
以下は、本書で引用されている『中国法制史増訂版』の記載を確認する。
(以下、本書に引用されている上述の書籍の記載部分を引用、ただし、カッコ内にある訳は著者の小室先生によるもの)
血統の表示として共同の姓を有するばかりでなく、共同の始祖と祭祀とを有し、その内部に一つの族的統制が保たれていた。(中略)
したがって中国の相続はAgnatischer_Verband(父系集団)であったと同時にPatriarcha_lischer_Verband(族長集団)でありHerschaftlicher_Vervand(統治集団)であった。(中略)
同一宗族の結合はきわめて固い。すなわち、百代経っても「同一世代つまり同一輩行(排行)の族人は兄弟である」。(中略)
(引用終了)
つまり、宗族は共同の姓のみならず、共同の始祖と祭祀を持つ。
また、宗族は父系集団であり、族長集団だけではなく統治集団であったことになる。
さらに、同一世代の族人は兄弟である。
それゆえ、現実の家族共同生活から分離されたとしても、宗族結合の観念的基礎があるため、同族意識・兄弟意識は失われない。
また、宗族は共同体である。
だから、内側と外側で規範が異なる(二重規範、ダブルノルム)。
そして、宗族内の規範は絶対的、宗族外の規範は相対的である。
また、富・名誉・権力などは、最初に宗族に配分され、その後、宗族内のメンバーに配分される。
このことを社会財の二重配分機構と言う。
ところで、宗族は血縁集団(父系集団)であるから、宗族に血縁集団に見られる社会学的諸法則を見ることができる。
では、地縁との関係はどうだろうか。
この点、特定の地縁と結びついた父系集団を「本貫」という。
しかし、中国は韓国と比較して本貫の要素は少ないと言われている。
つまり、宗族は必ずしも同一地方に固まって住んでいるわけではなく、中国中に、あるいは、世界中に散らばっていることもある。
でも、宗族結合の観念的基礎があるので、同族意識・兄弟意識が失われることはない。
例えば、ニューヨークやサンフランシスコで二人の中国人がばったり会う。
最初は見ず知らずの二人であったが、話しているうちに同じ宗族の人であることが分かる。
そうなると、途端に二人は兄弟のように親しくなる。
この点は、親等がどれだけ離れていても、両者の身分がエリートと密航者であったとしても関係がない。
そして、このような宗族に該当する集団は日本にも欧米諸国にもない。
だから、理解は困難かもしれない。
しかし、中国を理解するならば宗族の理解は必須である。
ここで、数学的(論理的)にも宗族を見ておく。
宗族に属するかしないかは一義的に区別でき、かつ、二分法的に分類される。
つまり、総ての人間は「ある宗族に属するか」、または、「ある宗族に属しないか」のいずれかである(矛盾律と排中律の採用)。
また、総ての中国人はどれか1つのみの宗族に属し、2つ以上の宗族に属することはない。
なお、集合論的に表現するならば、「総ての中国人は宗族によって直和分解される」となる。
この「どれか1つのみの宗族に属する」という点は幇と異なる。
つまり、中国人はどこか1つの宗族にしか属することができない。
しかし、中国人は複数の幇に属することができなくはない。
例えば、劉備(玄徳)は桃園の三人幇(劉備・関羽・張飛)に属すするとともに、君臣水魚の二人幇(劉備と諸葛亮)にも属していた。
まあ、一般的には二つ以上の幇に属することは困難であるが。
ここから、中国人の「姓」と日本人の「苗字」の違いについてみていく。
この点、中国に姓のない人はいない。
例えば、漢の高祖こと劉邦は若いとき、沛公になったとき、漢王になったとき、皇帝になったとき、いずれの場合も「劉邦」である。
しかし、日本では苗字のない人は存在するし、過去にはたくさん存在した。
例えば、現在でも皇室には苗字がないし、江戸時代には庶民にも苗字はなかった。
また、江戸時代や戦国時代には、複数の苗字を持っている人もいた。
このことを社会学的に述べると次のようになる。
姓は人の属性を表示するものであるのに対し、苗字は場である。
つまり、場に対応する苗字は身分や場によって変更することが可能である。
例えば、秀吉の「木下→羽柴→豊臣」や家康の「松平→徳川→源」のように。
また、かつての五摂家(近衛・九条・二条・一条・鷹司)は明治時代、それぞれの名称を苗字にした。
だが、彼らは本来は藤原氏であるから、正式な場合は「藤原」の氏を用いている。
これも苗字が場であることの一例である。
これに対して、人の属性を表示する姓は変更できない。
また、身分が極端に低い場合は名前が分からない場合もある。
例えば、『史記』の「高祖本紀」によると、劉邦の姓は「劉」氏で字は「季」であったとされている。
また、劉邦の父は「太公」、母は「劉媼」と言う。
しかし、「太公」はおじいさん、「媼」はおばあさんという意味である。
また、兄弟の順序は「伯・仲・叔・季」で表現されるので、「季」は末っ子や四男を表すことになる。
このことから、劉邦とその両親は本名は伝えられていないことになる。
しかし、姓の方ははっきり「劉」と判明していた。
このことからも、当時の中国においては、庶民でさえ姓が定着しており、その背後にある宗族、または、宗族の原初形態が存在していたということができる。
さて、この「宗族」というシステムは中国の社会構造の一部である。
とすれば、これが容易に変化するとは推測しがたい。
この社会構造の頑固さは人類学(ラドクリフやブラウン以降の社会人類学)と社会学(マックス・ヴェーバー)によって明らかにされている。
なお、急激な社会変化があっても「父系社会」や「母系社会」は変化しないらしい。
そして、宗族の存在が明確に看取できるのは宋代以降である。
また、大きな宗族は数千人、数万人にもなるらしい。
しかも、部外婚制もちゃんと遵守されるようになるらしい。
では、宗族の存在はいつまで遡れるか。
この点、宗族が社会構造の一部になっていることから太古にも存在したと推測することができる。
また、最も古い時代の中国においては母系社会であったのではないか、とも推測されている。
その根拠となるのが、中国における三皇五帝の1人である「神農」である。
『荘子』によると、「神農の世、民その母を知りてその父を知らず」とある。
ちなみに、神農は中国の聖人の一人で、人々に耕作を教えたことからこのような名前がついている。
なお、中国における聖人は文化・制度を作った人を指す。
この点、仏教の「聖人」は悟りを開いた人であり、キリスト教の「聖人」はキリスト教を布教した人になる。
だから、仏教やキリスト教には制度を作るという発想がない一方、中国には古くから「制度を作る」という発想があったことになる。
この発想は儒教には強く伝わらなかったが、法家の思想に強く出ることになる。
また、中国では超古代でさえ、姓があったことになる。
さらに、「姓」は「女」の「生」と書く。
これらのことから超古代の中国は母系社会だったのではないか、とも推測されている。
そして、これらの中国の聖人にも姓があった。
これと比較すると、日本の聖人(神)には名前があっても姓はない。
このことから、超古代において中国には血縁集団があり、他方の日本には血縁集団がなかったことが推測される。
まあ、推測であって証明には至らないが。
というのも、古代イスラエルでは父系社会であったのに姓がなかったのだから。
このことは『旧約聖書』の「モーセ五書」にある「だれだれの子だれだれ」という記載から分かる。
以上、宗族についてみてきた。
残りの部分は次回に。