今回はこのシリーズの続き。
『危機の構造_日本社会崩壊のモデル』を読んで学んだことをメモにしていく。
11 第3章「歴史と日本人思考」をまとめる
まず、第3章の内容をまとめてみる。
箇条書きにするだけで1ブログの規定量(2000文字)をオーバーするかもしれないが。
・「石油危機」は日本経済の虚妄性を少ない損害で知らせてくれた
・「日本経済の虚妄性」とは「戦後も戦前と同様、日本国内には資源がないから、世界の情勢如何によっては資源が届かなくなり、一気に危機的状況に陥る」という日本経済の危うい前提である
・石油危機のような具体的なダメージの少ない段階で適切な処置を行えばこのような危機は天祐になりうるが、過去の日本でこのような危機は活かさていない
・このような危機が日本で活かされない理由は「日本人の思考の盲点」にある
・日本人の思考の盲点は「わかっちゃいるけどやめられない」という点をスキップしてしまう点、つまり、「社会も自然科学法則のように人間の意思ではどうにもできない法則が存在するため、社会問題を解決する際に個々人の努力だけではどうにもならない点」である
・この日本人の社会科学の無理解・軽視は現在に始まったわけではない
・軍国主義の観点から実質的に判断した場合、アメリカの方がはるかに軍国主義的であり、日本は実質的に軍国主義として機能しなかった
・機能しなかった原因は日本人を貫く社会科学的実践の欠如にある
・日本における「軍国主義」の復活に関する主張の骨子は友敵二分論を基本とした陰謀論に過ぎず、社会科学的実践からほど遠い
・社会科学的実践のメリットは、社会全体を見て多数ある要素と要素間の相互作用を考慮して、体系的・理論的分析を行うことによって、常識的結論に対して理論的根拠を提供するか、あるいは、常識に反する結果を予測する点にある
・社会科学的実践の際に留意すべきもののうち重要なものとして①(行為者の)意図せざる結果と②総ては総てに波及するという2点がある
・社会科学的実践によってなされる「日本の『軍国主義』の復活」に対する疑問として、「日本の危機は『軍国主義者』によってではなく、日本のシステムに内在している何かによって引き起こされるのではないか」という点にある
・社会科学的実践によって得られた分析結果である「日本の社会構造、日本人の行動・思考様式に関して戦前と戦後で大差がない」点から「戦後に生じるであろう破局の構造は太平洋戦争の敗戦と同種であり、当事者の意図せざる結果として生じる」ということが推測できる
・過去の日本のエリート(日本政府)の社会科学的実践の欠落の具体例として平沼内閣の総辞職があるところ、総辞職の原因となった独ソ不可侵条約の締結の可能性はドイツの地政学の歴史を把握していれば、予測できないレベルではなかった
・外交の定跡の一つに「イタリア統一の道はパリを経由する」といった「対外的な行動の前には大国への根回しが必要である」というものがあるが、戦前の政府関係者と軍務官僚はその辺が理解できていなかった
・戦前の日本は情報処理の能力が高くなく、それを裏付ける具体例も少なくない
・「情報処理」の具体的内容として情報収集・情報制御・学習がある
・日本は「秘密漏洩防止」以外の情報制御の能力が高くなかった
・戦後の日本人が石油危機から学習しなかったように、戦前の日本人もノモンハン事件や第一次世界大戦からの学習が弱かった
・現代の日本の経済システムはかつての大英帝国をイメージするとわかりやすくなるところ、大英帝国は全世界にめぐられた経済流通ルートの防衛のために何でもやった
・日本の経済システムの防衛を考慮しない、または、軍事的側面しか考えない国防論は国防論として射程・次元が狭い
・第二次世界大戦以前までは「帝国の栄光は戦勝と共に支えられ、敗戦によって崩壊する」という法則が成立していたが、戦後の中東戦争や朝鮮戦争などを見るに、戦争では政治目的が達成できない状況が増えた
・政治的に見た場合、「アメリカが日本を守ってくれるかもしれない」という状況があれば、合理的判断に基づいて大国でない国が日本に軍事侵攻してくる可能性はぐんと下がる
・ロシアとソ連の歴史を見ると、当時のソ連による日本への軍事侵攻の可能性は低い
・日米安保条約は国際情勢によって矛先が異なり、その矛先はソ連や中国だけではなく、アメリカに向かうこともあった
・「日米安保条約の矛先がアメリカに向く」とはアメリカは日本からの軍事的脅威を排除した代わりに経済的侵略を受けることを意味し、事実、本著の出版後、失われた30年が始まるまで日本はアメリカに対して経済攻勢をかけ続けることになる
・日米安保条約と9条に基づく国家戦略は吉田茂のアイデアであるところ、そのモデルとなるのが日英同盟である
・日英同盟は「イギリスは日本の列強入りを助け、日本はアジアにおけるイギリスの代貸しになる(イギリスの権益を日本は保証する)関係だった」が、ドイツ・ロシア等の帝国の没落と日本の強大化によって消滅した
・現在の国際情勢は両立しえない複数の構造の上に成り立っているため、これを乗り切っていくためには、ビスマルクが駆使したような冷静な分析能力が不可欠である(それだけでは足りないとしても)
・日本が「後は野となれ山となれ」と考えるのでなければ、ビスマルクが駆使した冷静な分析能力を使って、国際情勢に対処していく必要がある
・今後の国際情勢に適応していくためには、教育体制・研究体制にもテコ入れする必要がある
・デモクラシー国家においてジャーナリズムや新聞の役割は重大である以上、日本のジャーナリズムや新聞の役割は重要であるが、①日本人の特有の情緒倫理と②人格と意見を同一視する思考方式がデモクラシーにおけるジャーナリズムの活動や言論の自由空間の醸成を阻止している
以上のまとめを踏まえつつ、第4章に進む。
12 第4章「『経済』と『経済学』」を読む_前編
前章で石油危機が日本経済の虚妄性を可視化させた話をした。
しかし、石油危機は日本経済学の瞬間的な没落をももたらしたらしい。
そして、社会分析のための重要かつ現実的な道具がなくなってしまったという。
というのも、石油危機までは正確な予測を行っていたエコノミストたちの予測が石油危機後に外れるようになってしまったからである。
その結果、日本経済の見通しが立たなくなってしまった。
ところで、この石油危機における国民の行動様式は、戦前の世界恐慌から満州事変・国際連盟脱退の当時の国民の行動様式と変わりない(これまで散々述べたとおり、まあ、当然ともいえるが)らしい。
その特徴を3つ挙げると、①単細胞、②想像力の欠如、③社会科学的実践の欠如になるのだそうである。
総合的な書き方で戦前の失敗を表現すれば、「『軍事力は軍事だけで成立しない。政治・外交・経済・文化・学問の協働作業の上で成立する』という視点がなかった」ということになる。
この点、アメリカは太平洋戦争が始まるや否や、社会に存在するあらゆる分野の専門家を結集して軍事目的に活用・転用したのに対して、日本は員数としてしか使えなかった点を見れば明らかであろう。
もっとも、この表現を借りれば、「『経済発展は経済政策だけでは成立しない。政治・外交・軍事・文化・学問の協働作業の上で成立する』という視点がなかった」ということが戦後に対して言えることになる。
このことを証明したのがバブル経済の破綻から始まる「失われた30年」である。
この意味で、日本は過去から学習したとは言えない状況にある。
この表現をさらに一般化させれば、「社会の特定の分野を発展させる場合、その特定の分野の発展だけでは成立しない。政治・経済・外交・軍事・文化・学問などの協働作業の上で成立する」となるであろう。
このルールこそ日本がスキップしてしまった視点となる。
「一元主義的」というべきか、「盲目的予定調和説にとらわれている」というべきか。
もちろん、日本経済学は日本人の行動様式に対する理論的基礎を与えており、それが高度経済成長につながった。
つまり、日本は「失敗」のみを重ねまくっているわけでもなければ、日本経済学も最初から最後まで無用の長物だったわけでもない。
ただ、従前の経済学では政治学・社会学の要素がなく、次元数が低くて精度を出せなくなったというだけである。
ここで、話は日本の経済学の歴史に移る。
戦前、経済学は欧米から輸入されたが、学力の冴えない者が少なくなく、欧米の学問の翻訳・紹介以上の仕事をする者はほとんどいなかった。
その例外に当たるのが『経済学をめぐる巨匠たち』で紹介された高田保馬博士と安井琢磨博士、そして、その門下生である。
戦後もこの状況はしばらくの間続いた。
しかし、六十年代、事情が一変する。
前述の高田保馬博士は大阪大学の社研で後継者の育成し、その後、その学問研究の熱が東京大学の経済学部に伝染した。
そこに、官庁エコノミストが加わり、経済学が発展し、データも整備されることになった。
このようにして、日本の経済学は日本にしっかり根を下ろし、社会に貢献していくことになる。
ところが、七十年代、再び事情が一変する。
経済学は内外から批判の矢にさらされ、特に、石油危機以降の経済政策の行き詰まりなどもあって、一気に凋落することになる。
ここで、著者は経済学の凋落の原因について言及する。
学問研究の際、理論化(モデル化)という過程において「単純化」という作業が行われる。
この単純化という作業は、経済学に限らずどの学問でも行われていることであり、それ自体が非難に値するわけではない。
しかし、その理論・モデルを利用する者は「理論化の過程で何を省略して単純化したのか」が分かっていなければならない。
というのも、「省略した何か」によるノイズ(誤差)が跳ね上がった場合、その理論(モデル)は無用の長物に成り下がるにもかかわらず、そのモデルの利用者はそれに気付かぬまま理論を使い続けることになりかねないからである。
つまり、経済学凋落の原因は理論の前提(社会科学的意味)を忘れて、理論の有用性に目を奪われ、当事者その他が経済学万能であるがごとく錯覚したことにある。
では、経済学の理論の前提とは何なのか。
そして、60年代の日本社会では何故その前提が成立したのか。
一方、70年代の日本社会では何故その前提が成立しなくなったのか。
話はそこに移る。
経済学のスタートにおいて置く前提は次の2点である。
1、「経済学における人は経済合理性に基づいて行動する」といった人間の行動様式に関する仮定
2、経済現象は他の社会現象から分解できるという仮定
この点、1の仮定については、はなから現実と適合しないことが明白である。
このことは現代経済学の始祖のヒックスとて否定していない。
しかし、「非現実な仮定」を設定することによって重要な法則を抽出することができる。
例えば、質点という「質量はあるが、大きさはない」などといった設定は非現実的である。
しかし、そのような非現実な設定があるから物理学は重要法則を引き抜き、発展できたのである。
もちろん、物理学は質点の力学からスタートするが、質点の力学で終わるわけではない。
質点の力学→多数の質点による力学→剛体(大きさを持った物体)の力学→液体の力学という形に複雑化し、現実の現象に近付けていっている。
そして、この話は経済学の同様である。
よって、非現実な設定それ自体を非難するのは科学的手法それ自体の否定と言われても抗弁できない。
しかし、非現実な設定に対する見返りがあるか否か(現実に役に立つ重要法則の発見の有無)の視点は極めて重要である。
事実、ノーベル経済学賞を受賞したサミュエルソンも「経済学の発展に必要なのは、数学的整備ではなく、他の社会科学との連携である」という批判を浴びせられた。
しかし、現実の経済学は非現実性に基づく理論の精緻化を進め、その成果を社会に還元していくことになる。
では、なぜ経済学は一時期、日本で大成功を納めたのか。
それは、現実の資本主義と経済学の前提がマッチしたからである。
そして、このマッチングは資本主義以外では適合しないこともわかる。
そのことは、徳川時代や戦前の農村において「分を超えない消費を行う」ことが正義であり「消費効用を最大化」など思いもよらなかったこと、アメリカの経済学者が発展途上国で生産力が倍になるような助言をしたが、その結果、労働時間が半減し、所得は増えなかったといった例を見れば想像できる。
つまり、経済学を含む科学におけるモデルの単純さ・非現実性を批判するには、「非現実性」だけを叩くだけではだめで、次の手段のいずれかを採用しなければならない。
1、従前の単純化・モデル化の際に捨てた部分を考慮して補正したところ、精度が大きく上がり、現実をより正確に予測できるようになった。以上より、従前のモデルは古い
2、そのモデルで捨てた部分に重要な部分が入っているため、そのモデルが現実に使えない。以上より、そのモデルは使えない
そして、この2パターンの批判は極めて生産的であり、その批判を糧にすれば科学はどんどん進化していくのである。
ならば、「非現実的性だけを叩き、この2パターンに持ち込まない」批判の背景には、学問・科学の失墜・没落を意図したものなのかもしれない。
もちろん、こんなことは本書に書いていないが。
以上を前提にすれば、経済学の凋落の理由も明らかである。
70年代に入って日本社会が経済学の前提とする資本主義から劇的に乖離してしまったからである。
もちろん、この現象は欧米社会でも見られている。
しかし、日本の場合、資本主義の発展の経緯が欧米と異なる。
例えば、ヨーロッパやアメリカにおいて資本主義の基礎を作ったのは新教徒(ピューリタン)であるが、日本では資本主義の基礎を作ったのはピューリタンではない。
ならば、乖離の程度・種類も欧米社会とは異なることが想定され、その分析が必要になる。
そこで、日本の資本主義の特性を明らかにする。
この点、ヨーロッパの封建制度と徳川時代の幕藩政権に当てはめると対応しないものが多いことから、徳川時代の幕藩政権を封建制度と呼ぶことを好まぬ人がいるらしい。
これと同様に、日本の資本主義と欧米の資本主義の間に幕藩制度と封建制度くらいの違いがあっても不思議ではないことになる。
このことは「日本は最も成功した社会主義国である」という言われ方をしたことにもみられる。
この点、資本主義の定義を厳密に始めたら大変なことになる。
だから、日本は資本主義国家か否かという二分論的議論はしない。
だが、日本の資本主義と欧米の資本主義の違いを分析することはできる。
本書の記載に従うと、資本主義の特徴は生産者と生産手段の分離・労働と労働力の分化ということになる。
この定義は近代資本主義と資本主義以前に莫大な富を築いたいわゆる前期的資本を区別する際、威力を発揮する。
この定義を用いて、日本を見ると欧米の近代資本主義からはかなり違ったものになることがわかる。
労働力と労働は分離されておらず、労働市場は一般にない。
また、生産者と生産手段の分離も不十分。
さらに、資本が資本家の私有物という発想もない。
よって、ヨーロッパやアメリカの資本主義社会から見た場合、日本の資本主義社会はかなり違うものだということがわかる。
もちろん、それが悪いわけでもなく、また、日本が資本主義社会か否かという問題は考えないけど。
以上が本章のお話。
今回の経済学の栄光と凋落の物語、身近なところでも同様のエピソードがあったので非常に参考になった。
本当に最近の学習はいろいろとためになる。