今日はこのシリーズの続き。
『経済学をめぐる巨匠たち』を読んで、経済学に関して学んだことをメモにする。
5 「第3章_最高の理論家が発見した国際経済学の原理」を読む
この章の主役はデビット・リカードである。
このリカード、「まえがき」では株屋として紹介されている。
しかし、証券の仲買人だったリカードがアダム・スミスの『国富論』を手にして経済学・経済政策の研究にのめむことで、「比較優位説」を発見し、また、「セイの法則」を中心に据えた理論を作り上げることになる。
その意味では、レッセ・フェールを広めた功績はリカードによるところが大と言えるのかもしれない。
では、リカードの発見した「比較優位説」とは何か。
比較優位説とは、「自由市場(貿易)が実現すれば、その貿易において双方に利益がある(厳密には、不利益は生じない)」である。
当然だが、国によって生産力に差があるし、得意分野が同じであればライバル関係になることもある。
それでも、自由貿易によって双方に不利益をもたらすことはない、らしい。
この点、アダム・スミスも分業と交換のメリットを説いている。
しかし、アダム・スミスの主張は「『絶対優位』の分業論」であり、「得意分野に特化せよ」というものである。
そして、「『絶対優位』の分業論」の場合だと、どの分野でも勝っている国がどの分野でも劣っている国に対して貿易をするメリットはない。
どの部分でも勝っている以上、劣っている国から得られるものがないからである。
これに対して、リカードの比較優位論によれば、「どの分野でも勝っている国が劣っている国と貿易しても損をしない」ということになる。
ただ、正直、私がピンときてないので、リカードが用いた具体例を使って考える。
具体例では、イギリスとポルトガルの二国間、ぶどう酒と毛織物の二製品、生産手段は労働のみ(一生産要素)というシンプルな例が紹介されている。
ポルトガルとイギリスは共にぶどう酒と毛織物を生産している。
15世紀の頃は、ぶどう酒と毛織物のどちらにおいても、イギリスよりもポルトガルの方が生産力が高かった。
例えば、ポルトガルはぶどう酒1樽や毛織物一反を作るのに労働者1人による1年分の労働力(1人・年分)が必要だとする。
他方、イギリスはぶどう酒1樽を作るのに労働者20人による1年分の労働力(20人・年分)、毛織物一反を作るのに2人の労働者1年分(2人・年)が必要だとする。
そして、生産に要した労働力が価格となり、価格の比が交換比率になるものとする。
以上をまとめると次のようになる。
・ポルトガルの場合、ぶどう酒1樽が1(人・年)、毛織物一反が1(人・年)
→ ポルトガルにおいて、ぶどう酒1樽と毛織物一反の価格比は1:1
・イギリスの場合、ぶどう酒1樽が20(人・年)、毛織物一反が2(人・年)
→ イギリスにおいて、ぶどう酒1樽と毛織物一反の価格比は10:1
この場合、アダム・スミスの絶対優位の分業論に従えば、ぶどう酒・毛織物のいずれにおいても、イギリスよりもポルトガルの方が生産力が高く、生産コストは低い。
そのため、イギリスと貿易するメリットがない。
しかし、比較優位論に従えば、メリットが生じる。
つまり、ポルトガルがぶどう酒1樽をイギリスに運び、イギリスでぶどう酒を毛織物に変えてポルトガルに持ち帰った場合、輸送費を無視すればぶどう酒1樽を毛織物10反に変えることができる。
この場合、イギリスと貿易することで、ぶどう酒1樽は毛織物10反に化ける。
他方、イギリスと貿易をしなければ、ぶどう酒1樽は毛織物1反にしかならない。
つまり、ポルトガルはイギリスと交易することで毛織物を安く手に入れられることになる。
他方、イギリスも毛織物をポルトガルに運んで、ポルトガルでぶどう酒に交換し、本国に持ち帰った場合、毛織物一反をぶどう酒1樽に変えることができる(輸送コスト等は無視する)。
もちろん、イギリス本国であれば、毛織物を十反用意しなければぶどう酒1樽に交換することができない。
つまり、イギリスはポルトガルと交易することで毛織物の価値を高めることができることになる。
以上、自由貿易を行い、お互いに作るものを特化させる(イギリスは毛織物に、ポルトガルはぶどう酒に)ことで、お互いに得をするわけである。
これが比較優位論の根拠である。
もちろん、比較優位論の前提において、交易コスト(輸送費等)と交易が途絶した場合(自由貿易のプラットホームが壊れた場合)のリスク(現代日本のように食糧を外国に頼る状況で外国と貿易できなくなった状況を想定してみよ)を無視しているが。
ここで、サムエルソンが述べた皮肉な話が紹介されている。
曰く、「アメリカ人が比較優位説を理解できないほど愚かであった事が幸いであった。それがために南北戦争が起き、米国は最大の工業国になったのだから」と。
つまり、南北戦争前、農産物を生産していた南部は輸出拡大のために自由貿易を望み、イギリスに対して工業力で劣る工業地域の北部は保護貿易を望んでいた。
比較優位説を知っていれば「自由貿易をするべき」という結論になるが、アメリカ人をそれを知らず、また、理解できなかったため、南北が対立して戦争になった。
しかしながら、北部が勝って、アメリカは世界最大の工業国になった。
自由貿易をすれば、イギリスは工業に特化してアメリカは南部中心の農産物生産に特化したので、北部の工業地域が大発展することになかっただろう。
それゆえ、比較優位説が理解できなかったことが幸いな結果をもたらしたのである。
確かに、この比較優位説、私は知らなかった。
このような単純なことも把握していなかったとは自らの浅学ぶりを恥じるほかない。
さて、リカードが主張した理論・法則等で「比較優位説」と同様に重要な理論が「セイの法則」である。
このセイの法則は「供給されたものは総て売れる」という恐ろしい法則である。
日常の生活感覚を前提とする人などは「ばんなそかな!!!」と叫ぶことになるだろう。
世の店は長蛇の列ができる店ばかりではないのに、なんでそんな非現実的な設定を前提にするのだ、この人現実を知らないんじゃないかしら、などなどなど。
この点、セイの法則は「部分部分は格別、全体として見れば『供給すれば売れる』ことになる」ということを意味する。
もう少し言葉を縮めれば、「供給が需要が作る(はじめに供給ありき)」になる。
このセイの法則、その後の経済学者によって当然の前提として使われた。
このことは、「セイの法則はセイという男の子供じみた戯言である」と言い放ったマルクスでさえ例外ではない。
しかし、この「セイの法則」を経済学者があまりに当然視したことによって、とんでもない副作用が発生してしまった。
セイの法則という前提においては「供給は総て満たされる」ことになる。
そのため、「深刻な不況(モノが長期間売れない事態)は起きない」ことになる。
無論、短期的な不況は生じるが、市場の持つオート・ヒーリング(自動調整機能)によって不況から脱出できると考えるのである。
つまり、不況が生じても、労働者は賃金の減少を受忍し、経営者が反省して経営方針を改めれば(できなければ市場から退場するだけ)、景気は元に戻ると考えられていたわけである。
その結果、古典派の経済学者は失業や不況に関する研究を全くしなかった。
そのため、大恐慌において古典派はなんら有効な対策が打てなかった。
大恐慌による不況を克服したのはナチス・ドイツのアドルフ・ヒトラー、そして、ジョン・メイナード・ケインズである。
この点、古典派の主張・ドグマである「レッセ・フェール」を批判したのは、マルクスとケインズである。
マルクスはレッセ・フェールによって生じる社会的問題(貧富の格差の上昇、労働者の貧困)を根拠に古典派を批判した。
ケインズは古典派が当然とするセイの法則は常に成り立つものではない(成り立つときもあるが、成り立たない場合もある)と批判し、セイの法則が成り立たないときにレッセ・フェールを貫いても不況から脱出できない旨述べた。
ケインズが古典派に挑戦して50年以上が経過するが、古典派とケインジアンの論争は今も続いている。
また、リカードの時代から既に200年が経過し、技術・経済規模は大きく変わったが、古典派の理論は今も生きている。
そこで、古典派の理論が何故今も通用するかを知るため、古典派の思想の背景をもう少し深く掘ってみる。
というのが本章のお話。
うーん、参考になった。
あと、シンプルなモデルからでもざっくりとした傾向や原則を抽出できるのはすごいなあ。
モデルの強みを再確認することができた。