今日はこのシリーズの続き。
『数学嫌いな人のための数学』を読んで学んだことをメモにする。
25 第5章の第3節を読む(前編)
第3節のタイトルは「経済の相互連関を単純なモデルで理解する」である。
前回までに恒等式と方程式の違いを確認し、さらに、古典経済学派のドグマたる「セイの法則」とケインズが発見した「有効需要の原理」についてみてきた。
この節では、ケインズの最も単純なモデルを使って経済の相互連関作用をみていく。
この点、有効需要の原則は「需要が供給を作る」というもので、クラウディング・アウト(閉め出し)が発生すると機能しなくなる。
逆に、セイの法則は「供給が需要を作る」というもので、不況のようなニーズがない場合に立ち往生する。
そして、ケインズ派(有効需要の原理を重視する)は需要側の研究に没頭し、逆に、古典経済学派は供給側の研究側に没頭していた。
言い換えれば、古典経済学派は需要サイド、ケインズ派は供給サイドについては何ら問題ないと考えており、その結果、逆サイドの研究がなされなかったことになる。
例えば、リカードは消費分析の需要分析を軽視したため、効用分析や資本財の需要分析をしなかったらしい。
まあ、当然と言えなくもない。
以上の話を前提に、本節では「最単純ケインズモデル(ザ・シンプリスト・ケインジアン・モデル)」についてみていく。
なお、本メモでは生徒役の数学的ルールに対する突っ込みも紹介していきたい。
この点、「最単純ケインズモデル」は次の仮定を置いており、非常に単純化している。
1、外国は存在しない
2、政府は存在しない
3、時間はない
4、経済人以外存在しない
そして、この仮定の説明を受けたところで、早速、生徒から「なんと非現実的な!!!」と突っ込みが入る。
しかし、それに対して先生は「単純な理論的モデルとはこんなもんだ。『非現実的』だなんていうならば、物理学や幾何学の例を思い出せ」と反論する。
つまり、物理学のザ・シンプリスト・モデルたる「質点の力学」では、大きさがないが質量のみが存在する「質点」なるものを想定して、物体の運動に関する諸法則を規定する。
そして、剛体(大きさがあるが、変形しない物体)の力学へ進み、弾性体(変形を考慮する物体)の力学へと複雑になり、物理学全体を理解していくことができる。
経済モデルもこれと同様である、と。
生徒はユークリッド幾何学の線(太さがない)を思い出し、納得している。
ところで、この「最単純ケインズモデル」を表現したのサミュエルソンである。
これについては次のメモで述べたとおりである。
そして、一次方程式クラスの知識を使って「最単純ケインズモデル」についてみていく。
そして、「需要関数をDとする」と先生が述べると、早速生徒からの突っ込みが入る。
曰く、「何故、『需要』とだけ言えばいいのに『需要関数』というのか!!!」と。
これに対して、先生は「『需要』としか述べない場合、意味が不明確になる。例えば、需要の予測値なのか、需要の実測値(結果)なのかがはっきりしない」と返答している。
そして、「事前の需要」については予測に過ぎないことから、「関数」という模型を用いて予測しようとしているわけである。
つまり、ここでいう需要関数は需要を予測するためのモデル・道具ということになる。
ここで、本書は関数の説明に移る。
曰く、「関数とは、変数(引数)と出力(戻り値)の関係を示したモデルである」と。
しかし、先生がこのように述べると、生徒が突っ込む、というか、切れる。
「私は『関数』や『変数』という言葉が大嫌いだ!そんな言葉を使うんじゃない!」と。
これに対して、先生は「いちいち『反射』するな。あんたの態度は『子供のときに犬にかみつかれた人が犬を見るたびに跳びあがる』のと同じではないか。さっさとコンプレックスを取り除き、『関数』や『変数』という言葉に馴染め。別に、『変数』も『関数』も蠍でもなければ蛇でもない。忌み嫌ってもしょうがないし、正体を知れば『枯れ尾花』よりも怖くないことが分かる」と答える。
そして、先生の出した例を見ながら生徒はなんとか関数と変数に馴染むことになる。
ただ、日本教徒たる一般人はこんなものなのかもしれない。
とはいえ、「反射」って・・・(ここでいう「反射」とは生物学用語の「反射」であり、動物の生理作用のうち、特定の刺激に対する反応として意識される事なく起こるものを指す)。
ところで、ここで登場する「関数」は昔は「函数」と言われていた。
また、引数と戻り値の関係が関数であるように、集合と集合の対応も関数となりうる。
さらに、関数は恒等式であることもあれば、方程式であることもあるらしい。
さて、最単純ケインズモデルにおいて生産関数と所得関数をY(これは有効需要にもなる)とすると、Yは次のように表現される。
なお、最単純ケインズモデルでは生産関数と所得関数は等しいものと考える。
Y=C+I (Yは生産関数・所得関数、Cが消費関数、Iが投資関数)
また、消費関数については次のような関数・モデルを仮定する。
C=aY
この限界消費性向aは所得が増えた場合に消費が増える割合を指す。
もちろん、個人であればこの数値はばらばらになるが、(国民)全体で見れば平均値を持って置き換えることができる。
例えば、所得が一定量増加した場合、消費が増えた所得の80%分だけ増加すると考えれば、限界消費傾向は80%となる。
さらに、「最単純ケインズモデル」では投資関数Iは一定と考える。
ここで、「関数の戻り値が定数」であることに生徒がかみつくのである。
「関数の戻り値が定数ならば、変数たる引数によって戻り値が変わらないことを意味するではないか、それでも関数と言っていいのか」と。
これに対して、先生は「『変化しない』ということは『変化する』の特殊バージョンに過ぎないから、差し支えない」と返答する。
つまり、生徒のように「変化しない」と「変化する」を二項対立で考えれば、生徒のの批判は成立しないではない。
しかし、「変化しない」を「ゼロだけ変化する」と考えた場合、「変化しないこと」を「nだけ変化すること」のカテゴリに放り込み、このカテゴリのn=0のケースであるということができる。
よって、このように考えることで、「変化しない」は「変化する」の特殊ケースと考えることができる。
例えば、数学において直線は曲線の一種と考えることがあるが、これも曲線の特殊ケース(曲がっているレベルがゼロであるものが直線である)と考えることになる。
そして、このことは道義的・倫理的妥当性とは関係ない。
なお、曲線の特殊ケースに直線がある、とか、変数の特殊ケースに定数がある、と言ったことに対して、生徒は「数学的にはそれでいいなら」と納得しているが、敬虔な日本教徒だったらどう反応するか。
敬虔な日本教徒であれば、「このような数学の取り決めは間違っている」と宣い、この数学のルールを拒絶するのではないか、と思わないではない。
横道にそれたが、最単純ケインズモデルにおいては投資関数を定数と考える。
ここで、投資関数Iを定数とすることにどんな意味があるのか。
結論を述べると、「投資関数が定数であるとは、経済システムの外側によって決まる」ということを意味する。
これと同時に最単純ケインズモデルにおいて「政府はいない」と考える意味も説明してくれる。
つまり、「政府がいない」とは、「政府による経済への影響を考えない」と考える、と。
これは、資本主義がレッセ・フェールを志向することと整合的である。
その結果、経済モデルから見た場合、政府の活動は「外生変数」として処理される。
ここで、外生変数とはモデルの外側にある変数で内部の影響を受けない変数であり、逆に、内生変数とはモデル・関数・システムの中にあって相互作用を及ぼす変数である。
最単純ケインズモデルの場合、内生変数はYとC、外生変数がaとIである。
このようにして、ケインズのモデルを最も単純な形で、かつ、システマティックに考えていくことができる。
もっとも、サミュエルソンは過去の経済学者、レオン・ワルラスが用いた方法を引き継いだに過ぎない。
本書は、このままワルラスの話に続いていくのだが、既にそこそこの分量になってしまった。
そこで、残りは次回に。