今回は前回のこのシリーズの続き。
今回も『痛快!憲法学』を読んで、学んだことをメモにする。
8 第8章 「憲法の敵」は、ここにいる
これまでの章で大事なことを一行で書くと次のようになる。
第1章_憲法は慣習法であり、簡単に死ぬ
第2章_憲法は国家権力に対する命令書である
第3章_憲法と民主主義は無関係である
第4章_民主主義はキリスト教の聖書を背景に成立した
第5章_キリスト教の予定説は民主主義と資本主義を同時に生み出した
第7章_憲法と民主主義はキリスト教の契約遵守の教えが支えている
そして、第8章。
この章を1行にまとめると、「民主主義が独裁者を生み、憲法を抹殺する」になる。
この点、第3章の内容を次の1行でまとめた。
「憲法と民主主義は本質的には無関係である」と。
私が司法試験の勉強のための講義を受けていた際、非常に印象的だったことの一つに「自由と平等は対立する」とものがあった(他には「『事実認定』も『べき論』である」があるが、関係ないのでそれ以上は省略)。
近代憲法の目的は国民の権利や自由を守ることである。
つまり、主眼は「自由」にある。
その守り方に不合理な差別があってはならないという縛りはあるだろうが、目的は自由であり、平等(差別の禁止)は手段の部分で出てくるに過ぎない。
他方、民主主義は「国民は平等である。よって、国民は皆等しいレベルで政治に参加できる」となる。
ここでは「平等」という言葉が前に出てくる。
近代における憲法と民主主義の緊張関係についてまとめられているのがこの章である。
本章は「民主主義」という言葉の評価に関する話から始まる。
そして、「識者の間では、第一次大戦のころまで『民主主義』という言葉の評価は悪いものであった」という事実を教えられる。
例えば、アメリカは民主主義の国と評価するよりほかはないが、アメリカ人は当時の自分たちの国のことを「共和国」(リパブリカン)と呼んでいた。
この民主主義の評判の悪い背景には、古代ギリシャ・ローマにおける民主制の失敗の歴史、プラトンやアリストテレスなどのギリシャの哲学者の主張もあった。
ただ、その原因の一つには近代革命として名高いフランス革命にあった。
アメリカ独立戦争直後におきたヨーロッパの一大革命。
ピューリタン革命と名誉革命はイギリス・スコットランド・アイルランドで生じたもので、他国への政治的影響は(フランス革命に比較すれば)小さかった。
他方、フランス革命は国内の内乱からヨーロッパ全土を巻き込む大事件にまで発展する。
前に述べたが、ピューリタン革命が起こって国王チャールズ一世が処刑された後、国の運営の方針をめぐって保守(独立派・オリバー・クロムウェルの陣営)と革新(所謂「水平派」)が争い、保守が革新を制した。
だが、もし革新が勝利していたらどうなったか。
時代条件(三十年戦争直後で他国は疲弊していた・ロックの思想はまだない)や地政学的条件(イギリスはヨーロッパのはずれにある島国である)が異なるため、同じ展開になる保証はどこにもないが、一つのヒントになるのがフランス革命である。
フランス革命前夜。
フランスでは国王アンリ四世が「ナントの勅令」を発し、カトリックとユグノー(フランスにおける新教徒)の和解が「一応」行われた。
その結果、ユグノーを中心とする商工業者たちが活躍し、フランスは経済的発展を遂げ、太陽王ルイ十四世の時代にフランスは絶頂期を迎える。
しかし、絶対王政の象徴でもあったルイ十四世はユグノーに対して迫害を行い、最終的には「ナントの勅令」を廃止してしまう。
その結果、ユグノーたちは国禁を犯して亡命する(当時、亡命自体も法で禁止されていた、絶対王権において国民は国王の財産であるからこの発想はなくはない)。
他方、戦争その他が国民に対する負担を増大させた。
その後、ルイ16世の時代。
政府は財政悪化の状況を改善するためにあれこれ手を打つが、抜本的な改革はできなかった。
そして、不満を爆発させた国民はバスティーユ監獄を襲撃し、革命を起こす。
ところが、ピューリタン革命のときと同様、革命を主導する側には2種類の派閥があった。
一つは、イギリスのように王家を存続させ、議会の優位を認める保守。
これはブルジョワ中心、ピューリタン革命ならばオリバー・クロムウェル側。
もう一方は、「それではぬるい」と完全な民主主義を実現しようとする革新。
こっちは庶民中心、ピューリタン革命の場合の水平派側。
さらに、国王ルイ16世は亡命しようとするわ、他国を使って革命を壊そうとするわ、と混乱に拍車をかけた。
その結果、マクシミリアン・ロベスピエールを中心とする山岳派が、つまり、革新勢力が政権を取る。
しかし、このロベスピエール、やったことは反対派の粛清(処刑)であり、恐怖政治であった。
この「恐怖政治」という言葉、ロベスピエールの行った政治を指す言葉でもあり、固有名詞としての性質を持っている。
このロベスピーエルの主張と行動が民主主義の評価を引き下げた。
ロベスピエールの主張は今の時代の言葉で述べれば「共産主義」になる。
しかし、当時は「民主主義」という言葉で使われていた。
事実、共産党宣言でカール・マルクスなども「民主主義」という言葉を使っている。
まあ、当時の身分制を打破し、財産的差別の撤廃を掲げればそうなるのは必然のような気がするが。
また、民主主義に悪いイメージが付きまとう理由の一つ、過去の民主制の失敗。
古代ギリシャ、アテネでは試行錯誤の結果として自由民による民主制が行われていた。
意思決定は「民会」という自由民全員の集まる集会によって決していた。
また、行政をつかさどる役人も抽選で選び、戦争においては自由民が自ら兵隊として戦うという意味で行政・軍事の専門職を作らない徹底ぶりであった。
この民主制時代のアテネでは様々な芸術・学問が発展した。
しかし、これを批判したのが哲学者のプラトンである。
アテネがスパルタに敗北したペロポネソス戦争、また、アテネの市民による自分の師であるソクラテスの処刑を見せつけられたプラトンは「民主制は貧乏人の政治だ」と言い切る。
そして、その考えは弟子であるアリストテレスに継承された。
プラトンやアリストテレスの考えは後にスコラ哲学になるのだから、ヨーロッパの教養人ならば当然抑えているべきことになる。
だから、民主制にいいイメージがないのは教養人なら当然のことであった。
さらに、古代ローマ。
古代ローマはアテネほど徹底していないが、民主制のシステムが採られていた。
自由民の代表によって構成される「民会」が政治的な決定を行っていた。
しかし、軍事的に大活躍したユリウス・カエサルは自由民の期待を背にして独裁者になり、共和制を殺してしまう。
その後、カエサルの甥であるオクタウィアヌスがローマを共和国から帝国に変えてしまうことは周知のとおりである。
カエサルは軍事的な遠征を行って、これを成功させた。
また、貧しい平民(自由民)に国有地を分配した。
さらに、雄弁家であった。
こうして平民の支持と業績を取り付け、共和国を殺してしまったのである。
この現象はフランス革命でも、そして、フランス革命以後も起きる。
軍事的業績を上げ、大衆の支持を得たナポレオンがフランス共和国の皇帝、つまり、独裁者になってしまう。
市民革命の方向が一気に反転してしまったのである。
また、フランス革命以後も、民主主義システムを採用しているフランス・ドイツでナポレオン三世やアドルフ・ヒトラーが独裁者になった。
民主主義というシステムは独裁者の温床になり、悪い独裁者を選んでしまえば憲法も民主主義も殺されてしまうのである。
そうなれば、「民主主義はろくでもない。非エリートが政治に参加すればろくなことにならない」というイメージなるのも無理もないと思う。
まあ、ピューリタン革命以後・王政復古前もオリバー・クロムウェルもとが護国卿として独裁者のようにふるまっていたし(正直に言えば、やむを得ない面もあるが)。
何故こんなことになるのか。
ナポレオンは独裁者として権限を行使し、フランスの混乱を鎮めた。
その結果、フランスの景気は良くなった。
この点、ナポレオンはナポレオン法典(民法)を作ったが、これは近代資本主義における民法、近代主義における基本法である。
これを制定することで資本主義の作動条件である契約遵守が実効性を持つようになり、資本主義が発展した。
また、ヒトラーは世界恐慌と第一次世界大戦後で混乱していたドイツを公共投資によって立て直した。
これによりドイツ経済は一気に復興した。
もちろん、その一方でナポレオンは革命を他国に輸出しようと対外戦争を仕掛けたし、ヒトラーもユダヤ人を迫害して、第一次世界大戦のリベンジを巻き起こすのだが。
結局、民主主義は個人にとって必ずしも楽なものではない。
もっと言えば、政治的意思決定プロセスにもコストもかかる。
良い独裁官をあてれば民主主義よりも幸せになれることは十分ありうるだろう。
つまり、「民主主義を適切に維持するためには、その覚悟と代償が必要になる」ということになるのだろう。
あれは複雑だし、期間も長く、コストもばかにならない。
でも、独裁者を出さないためには有効である。
特に、ピューリタンによって建国されたアメリカ合衆国において、独裁者ほど新教徒の活動に対して危険なものはないと考える人は少なくないのだろうから、コストをかける覚悟もあるのだろう。
移民が増えた現代においてその発想が継承されるかどうかは別として。
また、「『平等』とは何かという回答・回答に対する確信度」も重要である。
ピューリタンによって建国されたアメリカ合衆国の「平等」は「チャンス(機会)の平等」であり、形式的平等である。
キリスト教・聖書の影響を強く受けているのだから、この傾向はかなり強く、かつ、はっきりしている。
しかし、現実では「形式的平等だけでいいのか。それでは、貧乏人は空腹の自由と貧乏の自由しかないではないか」という問題が生じる。
つまり、「結果の平等・実質的平等も必要ではないか」という考えも生じる。
これに対して、「神は『結果の平等』を実現するように取り計らってない。よって、『機会の平等』を確保さえすれば、結果において生じる不平等は気にする必要はない。逆に、それを実現しようとすれば大いなる災いを招く」と言い切ることができればそれは強いだろう。
本章の最後でこんな問いが読者に投げかけられる。
「あなたは民主主義と独裁制のどちらを選びますか」と。
本書は思考の土台を提供することが目的であり、意思決定の内容までは射程に入ってない。
この問いを突き付けるのは当然である。
さて、この問いにどうこたえるのか。
ここまで、本書は、憲法にある権利の由来・統治システムとしての民主主義についてその背景にあるキリスト教・聖書からひも解いてきた。
次の章と次の次の章では、国民生活について重要な影響をもたらす経済と平和(戦争)について語られることになる。