今回は前回のこのシリーズの続き。
今回も『痛快!憲法学』を読んで、学んだことや考えたことをメモにする。
なお、各章を1行(正確には「1文」か)にまとめた結果は次のとおりである。
第1章_憲法は慣習法であり、簡単に死ぬ
第2章_憲法は国家権力に対する命令書である
第3章_憲法と民主主義は無関係である
第4章_民主主義はキリスト教の聖書を背景に成立した
第5章_キリスト教の予定説は民主主義と資本主義を同時に生み出した
第7章_憲法と民主主義はキリスト教の契約遵守の教えが支えている
第8章_民主主義が独裁者を生み、憲法を抹殺する
第9章_平和憲法では平和を守れない
第10章_経済不干渉の夜警国家は大恐慌とケインズによって積極国家(福祉国家)となった
第11章_日本は民主主義・資本主義を根付かせるために「天皇教」という宗教を作った
第12章_日本の『空気』支配が憲法を殺した
第13章_ 日本のリヴァイアサンを操る官僚の弊害、戦後改革がもたらした自由と平等に関する誤解、天皇教による権威の崩壊によって日本は沈没する
15 私の感想(後半)
前回は、第8章までを読んだ私の感想を書いた。
今回は、第9章以降の私の感想を書く。
第9章は平和主義について。
大日本帝国憲法と異なり、日本国憲法では9条にて平和主義を謳っている。
これは戦争がもたらす惨禍を考慮すれば、または、太平洋戦争がもたらした惨劇を考慮すれば当然とも思える。
ただし、日本国憲法のような「平和主義で戦争が防げるか」と言われるとそうもいかないようだ。
「平和(戦争の回避)が大事なら戦争について徹底的に研究しろよ。『平和主義を唱えれば平和になる』という発想でいるなんて日本は呪術国家かっ」というのが著者(小室直樹先生)の主張である。
ただ、この「平和主義を唱えれば平和になる」という点と「平和を希求する」という点、これは日本の古来の伝統とかなりマッチしていそうな気がするので、この点は「さもありなん」ということなのかもしれない。
第10章は経済について。
(立憲)民主主義と資本主義は双子であるところ、資本主義、特に、古典経済学において「国家は経済にタッチすべからず(自由放任)」というドグマがあった。
もっとも、20世紀の大恐慌がそのドグマにヒビを入れる。
その結果、ケインズ主義が生まれ、国家が経済政策を行うことがよしとされた。
しかし、日本では立法・行政を動かす連中が資本主義の精神やケインズの思想を理解していないようで、実効性のある公共投資ができていない。
日本が員数主義的なところ、表面的な部分しか理解できていない部分がここに現れている。
と、憲法に関する基礎知識が得られたところで、日本の近代化の歴史について話題が移る。
それが第11章と第12章、そして、第13章である。
明治時代における日本の近代化は日本の自衛、つまり、日本が植民地にならないためになされた。
欧米列強の侵略から日本を防衛するためには、日本は欧米列強と対等に渡り合えなければならない。
欧米と対等に渡り合うためには近代的な軍隊を持つ必要がある。
近代的な軍隊を持つためにはそれに見合う経済力が要る。
その経済力を維持するためには日本を資本主義の国にしなければならない。
日本を資本主義の国にするためには、国家の統治システムを立憲民主主義のシステムにし、国民には資本主義の精神を植え付けなければならない。
そのために、明治政府は二宮金次郎を使って勤勉の精神を国民に植え付け、さらに、天皇教を使って平等の精神を植え込もうとした。
この2つの精神は近代革命を起こした人たち(新教徒)が持っていた精神と類似のものである。
その結果、日本は帝政ロシアとの間で戦争をして戦争目的を達成した上、欧米との不平等条約を改正し、大正デモクラシーを実現させて、さらには、国政連盟の常任理事国に就任する。
すさまじい成果である。
しかし、日本の伝統に基づく民族性は明治時代の政策だけでは昇華させられなかった。
「時間が足りなかった」と言うべきかもしれない。
大恐慌に対する政府の無能から議会政治に対する不信が生じ、ナチス・ドイツの躍進や大日本帝国憲法の欠陥などから政党政治・議会政治はとどめを刺される。
そして、第二次世界大戦終了後、アメリカの占領政策によって「日本を近代化させようとしたシステム」を潰され、日本国憲法が死ぬことになる。
さて。
私が感想として持つのは、「立憲主義にせよ民主主義にせよ、運営・維持するのは大変なのだなあ」ということである。
確かに、身体の自由がある状況・信仰の自由等がある状況・(一定の財産がある状況で)自由が保障されているというのは素晴らしい。
しかし、共同体内においてそれらの自由を維持するのは大変なのだなあ、と思わされる。
そして、戦後、それがいかに大変であるかということを次世代に伝えなかったのはとんでもないことだなあ、とも考える。
もう一つ、「歴史って大事だなあ」ということも実感させられる。
この点、自然科学法則の場合、外部条件が同じであれば生じる結果は同じである。
例えば、惑星の位置関係が同じであれば、地球の公転軌道は変わらないし、重力も同じである。
人間の都合によってニュートンの運動法則の中身が変わったり、地球の公転軌道が変わったりしない。
よって、自然科学法則や自然科学を学ぶ際、歴史を参照する必要はそれほどない。
しかし、社会科学や人文科学はそうはいかない。
これは「立憲民主主義の成り立ちにいかにキリスト教の影響が入っているか」などを見ればそれは火を見るよりも明らかである。
以上の2点が本書の感想である。
次回は、「本書の内容を将来にどう生かすべきか」について私の考えたことを書いてこのシリーズを終えることにする。