今日はこれらの記事の続き。
今回は山本七平氏の『日本はなぜ敗れるのか』を読んで学んだことをメモにする。
4月23日現在、このブログで学習内容をメモにする予定として、この書籍(『日本はなぜ敗れるのか(以下略)』)と小室先生の『痛快!憲法学』と旧司法試験・論文試験の過去問(憲法第1問)である。
取り上げたいことがたくさんある(上にあげた3つでさえ、年内に終わるか微妙である)ので、一つ一つ着実に行っていきたい。
6 「第6章 厭戦と対立」を読む
この章に関連する敗因21か条の条項は次のとおりである。
(以下、敗因21か条から引用)
敗因十七 国民が戦争に厭きていた
敗因十二 陸海軍の不協力
(引用終了)
太平洋戦争は「1941~1945年」である。
そのため、私は「太平洋戦争は5年間」だと思っていた。
しかし、期間を月を含めて記載すると「1941年12月~1945年8月」であり、3年10カ月となる。
5年間だと思っていたものが、月で数えると「3年10カ月間」(4年未満)になったのを見て、「ん?短くね?」と思った。
という私の話はさておいて。
この章は「十五年戦争」という言葉から話が始まる。
曰く、「15年(昭和6年~昭和20年)といっても実質は13年10カ月(昭和6年9月~昭和20年8月まで)だろ」、「満州事変から日華事変(日中戦争)までの約4年間は大規模な軍事行動がないのに戦争期間に含めるのは変だろ」と突っ込みを入れる。
そして、軍事作戦の連続期間を考慮すれば、盧溝橋事件(昭和12年7月)から起算するのが妥当、というように話をもっていく。
この場合、戦争期間は連続して8年1カ月になる。
この点、世界的視点、とりわけ、ヨーロッパから見れば8年間の戦争というのはそれほど長いわけではない(百年戦争、三十年戦争などを見よ)。
しかし、私から見た場合、日本から見た場合、8年という期間は非常に長く感じることは明らかである。
事実、当時、戦争は「月」でカウントするものだったのだから。
さて。
章のタイトルにある「厭戦」。
そして、敗因21か条に指摘された「戦争に厭きていた」。
つまり、士気(モラル)の低下。
月計算で終了する計算であった「日華事変」が年単位で継続し、戦争継続の結果として生活物資が困窮し(ちなみに、昭和13年4年に国家総動員法が公布・施行される)、さらに先行きが分からない。
そうなれば、士気は低下する。
士気の低下は問題であるから、政府は様々な対策を打つ
その対策がフェイクであることに気付く人間は一応それに乗ったふりをするが、士気は低いまま(当然回復しない)。
その対策がフェイクであることに気付かない人間はそのフェイクが現実的な問題の解決につながらないことに気付かない。
結果、どんどん悲劇的状況に繋がるというわけである。
当然だが、専門的知識がある人間はカラクリが分かるので、フェイクに気付く。
だから、モラルの崩壊は職業軍人・専門家から始まる。
秦郁彦氏が、太平洋戦争を「プロは投げて、アマだけがハッスルしていた戦争」と述べたがこれが的確な説明になるだろう。
もちろん、現場にいる人間は専門的知識があろうとなかろうと逃げるわけにはいかないので、さらに悲惨なことになるが。
そして、最終的には、アマも投げるようになり、総てが空中分解する。
この部分は次の文章で締めくくられている。
(以下、本章の文章引用)
これが、「暗雲が一気に晴れた」とか「一切の迷いは去った」という、心理的解決だけに依拠し、実在の現実を無視していた者が、最後に落ち込んでいく場所である。
そしてこれが、当事者自身が「厭戦」のくせに、あらゆる言葉で実態をごまかしつづけ、その場その場を「心理的解決」で一時的にごまかして行った者の末路だったわけである。
(引用終了)
この章の現代に具体例は「コロナ対応」がそれにあたるだろう。
時間が経過したら、資料をかき集めて類似性を詳細に検討したい。
さて。
厭戦によるモラル低下、それが真っ先に現れた例が「陸海軍の対立」であろう。
海軍はもちろん専門家である。
とすれば、真っ先にモラルが低下してもなんら不思議ではない。
そして、日華事変の泥沼化が拡大し、果てには英米を相手に戦いをしなければならなくなる。
海軍としては(陸軍より)日米の実力差が分かっているので及び腰になるが、それを非難される。
そりゃ「やってられるか」とはなろう。
ただ、組織的な背景も考えておく必要がある。
つまり、日本のセクト主義、そして、日本のタテ社会がもたらすヨコの連携の不在といってもいいだろうか。
こうやって本章を見てみると、「モラルの問題」と「ヨコの連携不在がもたらす組織間対立」、これは現在も生きているだろう。
私自身、組織から遠いところに居続けてたため、この点をどうすればいいかは全く想像ができないのだが、これまた再び悲劇の原因になりそうである。