今回はこれまでの続き。
今回も山本七平氏の書籍から学んだことをメモにする。
8 「第8章 反省」を読む
第8章のタイトルは「反省」。
この章に関連する敗因21か条は次のとおりである。
(以下、敗因21か条より引用)
一〇、反省力なきこと
十四、兵器の劣悪を自覚し、負け癖がついた事
(引用終了)
この「反省力」とは巷で行われている「反省」とは関係ないものである。
それについて端的に書いてある部分があるのでそこを引用する。
(以下、本文から引用)
では、一体「反省」とは何なのか。反省しておりますとは、何やら儀式をすることではあるまい。それは、過去の事実をそのままに現在の人間に見せることであり、それで十分のはずである。
(引用終了)
本章は、日中国交回復時に起きたブームの話からスタートする。
それを見た筆者(故・山本七平氏)は「反省という語はあっても反省力はない」という感想を抱く。
何故なら、西南の役における鹿児島軍と太平洋戦争における日本帝国軍には共通する部分が多いからである。
以下、どんな部分で共通する部分があったか、本章で挙げられている分を列挙する。
(鹿児島側に見られた現象)
① 客観的(物理的)軍事力の把握不足
② 精神的優位の妄信(大西郷に対する過剰な依存)
③ 近代戦のおける火力と補給の軽視
④ 地元住民の厭戦気分(田原坂の激戦が始まる頃、地元鹿児島は官軍の手に落ちる)
⑤ 持っている専門的知識の戦争への不利用
⑥ 現実的な敗北がきっかけによる自暴自棄・集団自殺的発想
⑦ 合理的な目的の不存在
⑧ 作戦計画の不存在
もちろん、鹿児島軍側の事情を考慮すると、「しょうがない」と評価すべき部分もある。
しかし、太平洋戦争と西南の役、似ている部分が多いようだ。
上で挙げたのは鹿児島側の事情であるが、政府側にも共通する傾向がある。
本章で挙げられた具体例を書いていくと、次のような感じになる。
(政府側に見られた現象)
① 報道機関を用いた全国民の戦争への心理的参加への強制
② フェイクニュース・創作記事を用いた「敵(鹿児島)側は悪魔である」・「自分(政府)側は正義の味方である」という虚像の作成
③ 官軍VS賊軍、つまり、神と悪魔という概念の固定化
ちなみに、本章では西南の役に関する文章が紹介されているが、その中に犬養木堂(犬養毅)の記事がある。
もっとも、犬養木堂の報道(田原坂の戦いにおける最も的確な報道として紹介されている、本章208ページ)でさえ、上の傾向から逃れられぬ「同類」と切って捨てられている(本章224ページ)。
この3点、「政府側の事情」として書いたが、主導したのは政府なのだろうか?
本章には記載されていないし、仮に、「政府が報道機関を利用した」としても不思議ではなく、特段咎めるつもりもないのだが、実際のところどうなのだろう。
逆に、当時の小規模だった報道機関が「自らの存在価値を高めるために積極的にやった」という可能性も考えていいのかもしれない。
もちろん、それ自体をとがめるつもりは私にはない。
さて。
最初の部分で「反省とは何か」について本章の文章を紹介した。
反省とは「過去の事実をそのままに現在の人間に見せることであり、それで十分」である、と。
しかし、「これが極めて大変である」ということは認識した方がいいだろう。
そもそも、「過去の事実」を明らかにすること自体、容易ではないのだから。
また、「過去の事実をそのままに現在の人間に見せた」として、それを活かすことも大変ではないか。
というのも、そのためには過去を活かす意思だけではなく、過去を活かすための技術・リソースと過去が活きる環境の両方が必要だからである。
これらの条件が満たされなければ、「過去の事実をそのままに見せる」ために投じたリソースは無駄になる。
この事情を考慮したうえで、「反省すること」を選択するためには自己決定(共同体的自己決定)が必要になる。
それが日本共同体に可能なのか。
正直、無理ではないか。
とはいえ、この点をどうにかしたいのであれば、できる人間ができる範囲から始めるしかない。
また、「過去の事実をそのままに見ること」、それのみからできることもある。
例えば、過去を活かせず、過去と同じ失敗を繰り返す場合であっても、過去の事実から未来の結論の方向を予測して、失敗によるダメージを軽減することならできる。
この点、私は「どうせ私は変えられない。ならば、反省をしても未来は変わらない」と思っていたが、過去の自分の経験から未来の方向をぼんやりとではあるが予測していた関係で失敗によるダメージを減らすことができた。
もちろん、これは予測していただけで、ダメージを減らすために何かしたわけではないのだが。
とすれば、この辺が「反省」を始めるための出発点になるのかもしれない。