薫のメモ帳

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司法試験の過去問を見直す20 その8

 今回はこのシリーズの続き。

 

hiroringo.hatenablog.com

 

 旧司法試験・二次試験・論文式試験の平成10年度憲法第1問をみていく。

 ただ、今回から本問の検討を通じて気になったことをみていく。

 なお、気になった点が3点あるため、今回、次回、次々回と3回に分けてみていくことにする。

 

11 保障される権利の選び方

 今回の過去問の検討で、Xらの発表の自由を学習権によって保障される場合と信教の事由によって保障される場合の2つの場合についてみてきた。

 また、その前段階で表現の自由や学問の自由によって保障されると考えることがやりにくい点もみてきた。

 

 

 では、その背後にある基準にはどのようなものがあるのだろうか

 つまり、「『複数の権利によって保障されうる』と考えるときの権利の選び方」はいかなる基準によって決められるべきなのだろうか。

 これまでに登場した過去問を考慮しながらこの点を検討する。

 

 まず、保障されると考えられる権利が複数あった場合の過去問として、「寄付の拒否」が問題となった平成20年度の過去問、「営利的言論の自由」が問題になった平成18年度の過去問、「政治献金の自由」が問題となった平成13年度の過去問、「教育の自由」が問題になった平成12年度の過去問がある。

 これらの問題は「ある種お金(経済活動や財産)の問題として考えるべきか否か」が問題となった。

 また、これらの問題は「経済活動または財産権の問題ではなく、精神的自由(思想良心の自由、表現の自由、教育の自由)として考える」という方向で共通している。

 そこで、「経済的自由と精神的自由の両面が問題となった場合、精神的自由の要素がある限り精神的自由で考える」という基準を抽出することができ、また、この汎用性は高いのではないかと考えられる。

 

 

 もっとも、本問ではこの基準を用いることはできない。

 何故なら、本問では経済活動とは無縁だからである。

 では、この場合はどのように考えるべきか。

 もちろん、精神的自由に属するのだから、どれを選んでも結論において大差ない、とは言えるだろうけれども。

 

 今回候補となった保障される憲法上の権利は、表現の自由、信教の自由、学問の自由、学習権の4つである。

 そして、それぞれを検討した結果は次のとおりである。

 

表現の自由

(根拠)表現行為を伴う

’(問題点)発表内容が一切考慮されていない

・学問の自由

(根拠)「研究発表」と称して行われる

(問題点)対外的に見た場合、Xらの行為を「学問研究の発表」と評価されにくい

・信教の自由

(根拠)自分の信じる宗派の紹介、宣伝を兼ねている

(問題点)この権利を持ち出すこと自体、権利の制限がより正当化されかねない

・学習権

(根拠)教育の場での発表行為である、生徒である

(問題点)彼らの信仰を軽く見ていないか

 

 今回、検討から除外した学問の自由と表現の自由の問題点を抽象化すれば、「一般化されすぎている」と「対外的にそのように評価されていない」になる。

 とすれば、保護すべき権利を決める際には、「具体的に行為を見る」・「社会や第三者の行為に対する評価を考慮する」の2点が重要になる。

 うち、後者の点は重要になるだろう。

 

 そして、後者の要素を考慮した結果、学習権と信教の自由が選ばれた。

 では、この二者を分ける要素は何か。

 それは、「行為の目的」になるだろう。

 つまり、彼らの意図を「宗派の宣伝」ととらえるなら信教の自由を選ぶべき、ということになるだろう。

 しかし、(偏見によるものか否かはさておき)私自身が「そんなことを文化祭とはいえあからさまにやるだろうか。現段階でそこまでの意図はないのではないか」などと考えた結果、「発表の練習の機会」ととらえて学習権の問題として考えた、ということになる。

 いずれにせよ、ここで「行為の目的」が重要な要素になっていることは間違いない。

 

 以上、2つの要素を抽出すると、「行為の目的」と「行為に対する社会や第三者の評価」になる。

 どうやら、この2点が保護される憲法上の権利を考える上で重要な要素となるようである。

 

 

 なお、これは経済的自由権か精神的自由権か」の区別でも使えるかもしれない

 例えば、私立の幼稚園を運営する目的は、教育であって金儲けではないだろうから、これは教育の自由によって保障されると考えた方がいいことになる(平成12年度の過去問)。

 また、政治献金を拒否する自由は財産の譲渡というよりは特定の政党を支持をしないという要素が強くなるため、財産権よりも(政治的)思想・良心の自由などによって考えた方がいいことになる(平成13年度の過去問)。

 さらに言えば、社会福祉団体への寄付の拒否も同じようなものかもしれない(平成20年度の過去問)。

 

 もっとも、この発想で微妙になるのが、営利的言論の自由である(平成18年度の過去問)。

 営利的言論の場合、当事者の目的は経済活動、手段が表現活動となる。

 また、コマーシャルは宣伝という経済活動であることはよく知られている。

 このように考えた場合、上の基準に従うなら営利的言論は憲法22条1項によって保障されると考えるべきようにも考えられる。

 どうなのだろう。

 

 

 以上、保護される権利の選び方において重要になる要素を抽出してみた。

 客観(共同主観)と主観(目的)の相関で決せられる、というのは当然と言えば当然であるが、意識して使いこなせれば有益ではないか、と考えられる。

 

 次は、「裁量」という言葉について見ていく予定だが、そこそこの分量になっているので、これについては次回に。