薫のメモ帳

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司法試験の過去問を見直す20 その6

 今回はこのシリーズの続き。

 

hiroringo.hatenablog.com

 

 旧司法試験・二次試験・論文式試験の平成10年度憲法第1問をみていく。

 

9 神戸高専剣道実技拒否事件を読む

 前回までは「Xらの発表が学習権によって保障される」ことを前提にYの措置の違憲性について検討した。

 今回から「Xらの発表が信仰の自由によって保障される」ことを前提にYの措置の違憲性について検討する。

 

 

 もっとも、先に確認したい最高裁判所判例があるので、これをみていく。

 

平成7年(行ツ)74号進級拒否処分取消、退学命令処分等取消事件

平成8年3月8日最高裁判所第二小法廷判決

https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/882/055882_hanrei.pdf

(いわゆる「神戸高専剣道実技拒否事件」最高裁判決)

 

 この事件は、自己の信仰を理由に工業高等専門学校の体育の中の剣道(自己の信仰に反するもの)の受講を拒否した結果、原級留置処分と退学処分という不利益を受けたため、その処分の取り消しを求めて訴えた事件である。

 まさに、「退学(迫害)か棄教か」という形になってしまった事件である。

 

 この点、この事件の第一審は退学処分について合憲(合法)と判断し、控訴審と上告審は退学処分を違憲(遺法)とした。

 

 

 まず、最高裁判所が認定した事実関係を確認する。

 

(以下、上述の最高裁判決から引用、各文毎に改行、セッション番号などは省略、一部中略、強調は私の手による)

 被上告人は、平成二年四月にD工業高等専門学校(以下「D高専」という。)に入学した者である。(中略)

 D高専では、保健体育が全学年の必修科目とされていたが、平成二年度からは、第一学年の体育科目の授業の種目として剣道が採用された。(中略)

 被上告人は、両親が、聖書に固く従うという信仰を持つキリスト教信者である「E」であったこともあって、自らも「E」となった。

 被上告人は、その教義に従い、格技である剣道の実技に参加することは自己の宗教的信条と根本的に相いれないとの信念の下に、D高専入学直後で剣道の授業が開始される前の平成二年四月下旬、他の「E」である学生と共に、四名の体育担当教員らに対し、宗教上の理由で剣道実技に参加することができないことを説明し、レポート提出等の代替措置を認めて欲しい旨申し入れたが、右教員らは、これを即座に拒否した

 被上告人は、実際に剣道の授業が行われるまでに同趣旨の申入れを繰り返したが、体育担当教員からは剣道実技をしないのであれば欠席扱いにすると言われた。

 上告人は、被上告人らが剣道実技への参加ができないとの申出をしていることを知って、同月下旬、体育担当教員らと協議をし、これらの学生に対して剣道実技に代わる代替措置を採らないことを決めた。

 被上告人は、同月末ころから開始された剣道の授業では、服装を替え、サーキットトレーニング、講義、準備体操には参加したが、剣道実技には参加せず、その間、道場の隅で正座をし、レポートを作成するために授業の内容を記録していた

 被上告人は、授業の後、右記録に基づきレポートを作成して、次の授業が行われるより前の日に体育担当教員に提出しようとしたが、その受領を拒否された。

(中略)

 その結果、体育担当教員は、被上告人の剣道実技の履修に関しては欠席扱いとし、剣道種目については準備体操を行った点のみを五点(学年成績でいえば二・五点)と評価し、第一学年に被上告人が履修した他の体育種目の評価と総合して被上告人の体育科目を四二点と評価した。(中略)

 そのため、平成三年三月二三日開催の第二次進級認定会議において、同人らは進級不認定とされ、上告人は、同月二五日、被上告人につき第二学年に進級させない旨の原級留置処分をし、被上告人及び保護者に対してこれを告知した。

 平成三年度においても、被上告人の態度は前年度と同様であり、(中略)、表彰懲戒委員会が開催され、(中略)、右原級留置処分を前提とする退学処分を告知した。

 被上告人が、剣道以外の体育種目の受講に特に不熱心であったとは認められない

 また、被上告人の体育以外の成績は優秀であり、授業態度も真しなもので あった。 

 なお、被上告人のような学生に対し、レポートの提出又は他の運動をさせる代替措置を採用している高等専門学校もある

(引用終了)

 

 いささか過激なことを言ってしまうが、行政権側の肩を持つことの多い裁判所(一般に、第一審が生徒の肩を持ち、控訴審がそれをひっくり返して行政の肩を持ち、最高裁判所控訴審判決を追認する)が、第一審の判決をひっくり返してまでこの事件で学校側を負かして生徒を救済した理由は何か。

 その理由は、上の事実関係のうちの強調した部分にあるのではないか、と考えられる。

 なお、この最高裁判決には、当時の選挙訴訟で先進的な主張をしていた福田博裁判官が合議体に加わっている。

 

 

 ところで、本事件の争点は2点である。

 1つ目は退学処分の合憲性であり、2つ目が代償措置を採用することが政教分離原則に反しないか。

 以下、これらの点を確認する。

 

 まず、1点目については裁判所は次のような規範を立てた。

 

(以下、エホバの証人信徒原級留置処分事件最高裁判決から引用、各文毎に改行、セッション番号などは省略、一部中略、強調は私の手による)

 高等専門学校の校長が学生に対し原級留置処分又は退学処分を行うかどうかの判断は、校長の合理的な教育的裁量にゆだねられるべきものであり、裁判所がその処分の適否を審査するに当たっては、校長と同一の立場に立って当該処分をすべきであったかどうか等について判断し、その結果と当該処分とを比較してその適否、軽重等を論ずべきものではなく、校長の裁量権の行使としての処分が、全く事実の基礎を欠くか又は社会観念上著しく妥当を欠き、裁量権の範囲を超え又は裁量権を濫用してされたと認められる場合に限り、違法であると判断すべきものである(中略)。

(引用終了)

 

 こうやって見ると、最高裁判所はいわゆる明白性の基準によって処分の違法性・違憲性を判断するように見え、その結果、違憲になることはほとんどないように見える。

 事実、第一審はこれに従った感がある。

 

 しかし、以上を前提にしながらも、最高裁判所は原級留置処分や退学処分に関する裁量に縛りをかけていく

 

(以下、エホバの証人信徒原級留置処分事件最高裁判決から引用、各文毎に改行、セッション番号などは省略、一部中略、強調は私の手による)

 しかし、退学処分は学生の身分をはく奪する重大な措置であり、学校教育法施行規則一三条三項も四個の退学事由を限定的に定めていることからすると、当該学生を学外に排除することが教育上やむを得ないと認められる場合に限って退学処分を選択すべきであり、その要件の認定につき他の処分の選択に比較して特に慎重な配慮を要するものである(中略)。

 また、原級留置処分も、(中略)、卒業を遅らせる上、(中略)退学処分にもつながるものであるから、その学生に与える不利益の大きさに照らして、原級留置処分の決定に当たっても、同様に慎重な配慮が要求されるものというべきである。

(引用終了)

 

 そして、最高裁判所は次のような判断をして、退学処分、原級留置処分の相当性を否定した。

 

(以下、エホバの証人信徒原級留置処分事件最高裁判決から引用、各文毎に改行、セッション番号などは省略、一部中略、強調は私の手による)

 公教育の教育課程において、学年に応じた一定の重要な知識、能力等を学生に共通に修得させることが必要であることは、教育水準の確保等の要請から、否定することができず、保健体育科目の履修もその例外ではない。

 しかし、高等専門学校においては、剣道実技の履修が必須のものとまではいい難く、体育科目による教育目的の達成は、他の体育種目の履修などの代替的方法によってこれを行うことも性質上可能というべきである

 他方、前記事実関係によれば、被上告人が剣道実技への参加を拒否する理由は、被上告人の信仰の核心部分と密接に関連する真しなものであった。(中略)

 したがって、被上告人は、信仰上の理由による剣道実技の履修拒否の結果として、他の科目では成績優秀であったにもかかわらず、原級留置、退学という事態に追い込まれたものというべきであり、その不利益が極めて大きいことも明らかである。

 また、本件各処分は、(中略)、被上告人がそれらによる重大な不利益を避けるためには剣道実技の履修という自己の信仰上の教義に反する行動を採ることを余儀なくさせられるという性質を有するものであったことは明白である。(中略)

 また、被上告人が、自らの自由意思により、必修である体育科目の種目として剣道の授業を採用している学校を選択したことを理由に、先にみたような著しい不利益を被上告人に与えることが当然に許容されることになるものでもない

 被上告人は、レポート提出等の代替措置を認めて欲しい旨繰り返し申し入れていたのであって、剣道実技を履修しないまま直ちに履修したと同様の評価を受けることを求めていたものではない。

 これに対し、D高専においては、被上告人ら「E」である学生が、信仰上の理由から格技の授業を拒否する旨の申出をするや否や、剣道実技の履修拒否は認めず、代替措置は採らないことを明言し、被上告人及び保護者からの代替措置を採って欲しいとの要求も一切拒否し、剣道実技の補講を受けることのみを説得したというのである。

(引用終了)

 

 ・・・なんか、この事件、はじめに代償措置の申し出を一蹴したために引き返せなくなったような感じがしないではないが、どうなのだろう。

 

 以上、処分が相当性を逸脱している点を確認した。

 さて、代償措置、つまり、処分の必要性についてはどうだろうか

 この点について最高裁判所は次のように述べている。

 

(以下、エホバの証人信徒原級留置処分事件最高裁判決から引用、各文毎に改行、セッション番号などは省略、一部中略、強調は私の手による)

 信仰上の理由に基づく格技の履修拒否に対して代替措置を採っている学校も現にあるというのであり、他の学生に不公平感を生じさせないような適切な方法、態様による代替措置を採ることは可能であると考えられる。

 また、履修拒否が信仰上の理由に基づくものかどうかは外形的事情の調査によって容易に明らかになるであろうし、信仰上の理由に仮託して履修拒否をしようという者が多数に上るとも考え難いところである。

 さらに、代替措置を採ることによって、D高専における教育秩序を維持することができないとか、学校全体の運営に看過することができない重大な支障を生ずるおそれがあったとは認められない(中略)。

 そうすると、代替措置を採ることが実際上不可能であったということはできない。

(引用終了)

 

 そして、代償措置を行うことが政教分離原則違反にあたるという高校側の主張を次のように述べて一蹴した。

 また、その際には、津地鎮祭訴訟最高裁判決を引用している(言及個所の引用は省略)。

 

(以下、エホバの証人信徒原級留置処分事件最高裁判決から引用、各文毎に改行、セッション番号などは省略、一部中略、強調は私の手による)

 信仰上の真しな理由から剣道実技に参加することができない学生に対し、代替措置(中略)の成果に応じた評価をすることが、その目的において宗教的意義を有し、特定の宗教を援助、助長、促進する効果を有するものということはできず、他の宗教者又は無宗教者に圧迫、干渉を加える効果があるともいえないのであって、およそ代替措置を採ることが、その方法、態様のいかんを問わず、憲法二〇条三項に違反するということができないことは明らかである。

 また、公立学校において、学生の信仰を調査せん索し、宗教を序列化して別段の取扱いをすることは許されないものであるが、学生が信仰を理由に剣道実技の履修を拒否する場合に、学校が、(中略)、当事者の説明する宗教上の信条と履修拒否との合理的関連性が認められるかどうかを確認する程度の調査をすることが公教育の宗教的中立性に反するとはいえないものと解される。

(引用終了)

 

 最高裁判所がこの辺に触れたのは第一審の影響があるだろう。

 もちろん、高校側からもそのような主張はあっただろうし。

 

 

 ところで、控訴審(引用元は次のウェブサイト参照)では、重要な争点は代償措置の有無に尽きると述べた上で本事件の検討に移っている。

 また、処分の適法性については比較衡量によって判断する旨述べており、この点は裁量論を用いた最高裁判所と異なる(ように見える)。

 さらに、代償措置に関する学校側の態度について次のように述べている。

 一部紹介する。

 

www.cc.kyoto-su.ac.jp

 

(以下、同事件控訴審判決から引用、セッション番号は省略、各文毎に改行、強調は私の手による)

 本件において、本件各処分が適法であったを否かに関する争点は、神戸高専において、控訴人に対し、代替措置をとるべきであったかどうかに収斂されるのである。

(中略)

 憲法が保障する信教の自由は、(中略)、信仰が外部に対し積極的又は消極的な形で表される場合に、それによって他の権利や利益を害するときは、常にその自由が保障されるというものではない。

 そして、このような場合には、信教の自由を制約することによって得られる公共的利益とそれによって失われる信仰者の利益について、それぞれの利益を法的に認めた目的、重要性、各利益が制限される程度等により、その軽重を比較考量して、信教の自由を制限することが適法であるか否かを決すべきである

 したがって、本件においては、神戸高専が控訴人に対し剣道実技に代わる代替措置をとらなかったことによって保持しうる公共的な利益と控訴人が剣道実技の受講を拒否したことによって受けなければならなかった不利益、すなわち本件各処分との軽重を比較考量することとなる。

(中略)

 被控訴人は、平成2年度、3年度において、剣道実技の受講拒否を認めないとの方針を頑なに維持し、代替措置の可否についてはそもそも頭から検討の埒外に置いていたものである。

(引用終了)

 

 高等裁判所は学校側に対し、「お前ら(学校)、代償措置について云々言っておるが、そもそも、事件の当時、全く検討していないじゃね―か」と述べている。

 地裁でこういうことを言って原告側を勝たせ、控訴審でこれがひっくり返るということはあるとしても、今回はその逆である。

 よほどあれだったのだろうか。

 

 

 ところで、この事件の最高裁判決が平成8年、そして、本問は平成10年度に出題された過去問である

 だから、本問を見てこの事件が頭に浮かばなければ、そもそも論文式試験は受けられない。

 しかし、こうやって改めて事件を見ると、本事件と本問とはだいぶ違うな、という印象を受ける。

「似て非なるもの」と言えばいいだろうか。

 

 もちろん、本事件の最高裁判所の構成は非常に役に立つものであり、この構成を利用することは間違いない

 でも、参考にしていいのはそこまでなのかなあ、という感じがする。

 

 

 この点、本事件と本問の事実関係を比較してみると、次のようになる。

 

・問題となった行為

本事件、教義に反する行為の実践(作為)

本問、自己の宗派の歴史についての発表の禁止(不作為)

 

・行為がなされる予定の場所

本事件、高等専門学校(公立)の必修授業

本問、公立高等学校の文化祭

 

・生徒の不利益

本事件、退学処分

本問、おそらくなし

 

・行為と教義上の義務(信仰)との関係

本事件、教義と密接に関連

本件、教義との関連性は乏しい(発表内容は研究発表で題材は宗派の歴史)

 

・代償措置の検討の有無

本事件、なし

本問、なし

 

・代償措置の現実的可能性

本事件、あり

本問、あり

 

・学校の属性

本事件、公立の工業専門学校(原級留置処分は1年次)

本問、公立の高等学校

 

 こうやって見ると、本事件と本問とで共通する点は、学校が公立であること、中等教育であること、学校側が代償措置を検討していない一方、具体的な代償措置がありうることくらいであろうか。

 処分の大きさ、制限された行為は大きな違いがある。

 私が違和感を感じたのはこの辺なのかもしれない。

 

 

 以上、信教の自由から見た場合の検討をするため、参考になるであろう最高裁判所判例を確認した。

 次回は、本格的に本問の検討に移ることにする。