薫のメモ帳

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司法試験の過去問を見直す15 その4

 今回はこのシリーズの続き。

 

hiroringo.hatenablog.com

 

 司法試験・二次試験・論文式試験の平成元年度の憲法第1問を検討していく。

 なお、今回からはこの問題を再検討して感じたこと・考えたことを述べていく。

 そして、平成19年度・平成9年度の過去問検討で気になっていた「外国人の人権享有主体性」についてもみていく。

 

6 マクリーン事件最高裁判決を見直す

 まず、外国人の人権享有主体性がリーディングケースとなったマクリーン事件最高裁判決を取り上げる。

 今回見ておきたいのが事実認定の部分である

 そこで、最高裁判所判例から事実関係の部分を引用してみる。

 

昭和50年(行ツ)120号在留期間更新不許可処分取消

昭和53年10月4日最高裁判所大法廷判決

https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/255/053255_hanrei.pdf

(いわゆる「マクリーン事件最高裁判決」)

 

(以下、マクリーン事件最高裁判決から引用、セッション番号は省略、各文毎に改行、一部中略、強調は私の手による)

 上告人は、アメリカ合衆国国籍を有する外国人であるが、昭和四四年四月二一日その所持する旅券に在韓国日本大使館発行の査証を受けたうえで本邦に入国し、同年五月一〇日下関入国管理事務所入国審査官から出入国管理令四条一項一六号、特定の在留資格及びその在留期間を定める省令一項三号に該当する者としての在留資格をもつて在留期間を一年とする上陸許可の証印を受けて本邦に上陸した。

 上告人は、昭和四五年五月一日一年間の在留期間の更新を申請したところ、被上告人は、同年八月一〇日「出国準備期間として同年五月一〇日から同年九月七日まで一二〇日間の在留期間更新を許可する。」との処分をした。

 そこで、上告人は、更に、同年八月二七日被上告人に対し、同年九月八日から一年間の在留期間の更新を申請したところ、被上告人は、同年九月五日付で、上告人に対し、右更新を適当と認めるに足りる相当な理由があるものとはいえないとして右更新を許可しないとの処分(以下「本件処分」という。)をした。

 被上告人が在留期間の更新を適当と認めるに足りる相当な理由があるものとはいえないとしたのは、次のような上告人の在留期間中の無届転職と政治活動のゆえであつた。

 上告人は、D語学学校に英語教師として雇用されるため在留資格を認められたのに、入国後わずか一七日間で同校を退職し、財団法人E協議会に英語教師として就職し、入国を認められた学校における英語教育に従事しなかつた。

 上告人は、外国人ベ平連(昭和四四年六月在日外国人数人によつてアメリカのベトナム戦争介入反対日米安保条約によるアメリカの極東政策への加担反対在日外国人の政治活動を抑圧する出入国管理法案反対の三つの目的のために結成された団体であるが、いわゆるベ平連からは独立しており、また、会員制度をとつていない。)に所属し、昭和四四年六月から一二月までの間九回にわたりその定例集会に参加し、七月一〇日左派華僑青年等が同月二日より一三日まで国鉄新宿駅西口付近において行つた出入国管理法案粉砕ハンガーストライキを支援するため、その目的等を印刷したビラを通行人に配布し、九月六日と一〇月四日ベ平連定例集会に参加し、同月一五、一六日ベトナム反戦モラトリアムデー運動に参加して米国大使館にベトナム戦争に反対する目的で抗議に赴き、一二月七日横浜入国者収容所に対する抗議を目的とする示威行進に参加し、翌四五年二月一五日朝霞市における反戦放送集会に参加し、三月一日同市の米軍基地キヤンプドレイク付近における反戦示威行進に参加し、同月一五日ベ平連とともに同市における「大泉市民の集い」という集会に参加して反戦ビラを配布し、五月一五日米軍のカンボジア侵入に反対する目的で米国大使館に抗議のため赴き、同月一六日五・一六ベトナムモラトリアムデー連帯日米人民集会に参加してカンボジア介入反対米国反戦示威行進に参加し、六月一四日代々木公園で行われた安保粉砕労学市民大統一行動集会に参加し、七月四日清水谷公園で行われた東京動員委員会主催の米日人民連帯、米日反戦兵士支援のための集会に参加し、同月七日には羽田空港においてロジヤース国務長官来日反対運動を行うなどの政治的活動を行つた。

 なお、上告人が参加した集会、集団示威行進等は、いずれも、平和的かつ合法的行動の域を出ていないものであり、上告人の参加の態様は、指導的又は積極的なものではなかつた

(引用終了)

 

 判決文を見るだけで、「政治活動が重視された」ということがわかる。

 この点、安保闘争・学園紛争などが消え去った現段階から見た場合、「この程度で追い出すのか」みたいな感想を抱くことはできないわけではない。

 また、そのような感想を抱くことができる現状に深い感謝を抱かざるを得ない(もっとも、この現状が薄氷のものであること、さらに、この現状について多大な努力と犠牲が支払われていることも承知の上で、である)。

 

 しかし、60年安保は相当大きな騒ぎになった

「とりあえずのソース」として次のウィキペディアの記事を掲載しておくが、これを見るだけでもそのすごさが想像できる。

 なにしろ、国会付近でデモ隊と警備隊と衝突して一名が亡くなり、これに誘発された騒擾が発生している。

 また、安保条約の批准後に岸内閣は総辞職した。

 さらに、その後、野党の党首が刺殺されているのだから。

 

ja.wikipedia.org

 

 また、この政治活動には日本の在留制度に対する反対活動・抗議活動が含まれている。

 以上の騒動の大きさ、また、在留制度に対する抗議という内容を見ると、憲法的に見た場合はさておくとしても、最高裁判所の判断は「まあ、日本においてはこんなものか」という域を超えていないのではないか、とは言える。

 もちろん、「それではマイノリティの人権擁護という裁判所の機能が果たされていない」という批判が成り立ちうることは当然であるとしても。

 

7 本問の結論の方向性について

 ところで、今回の検討では、結論を憲法上において外国人の政治的表現の自由の保障の程度は国民と同程度ではないが、法人においては国民と同程度である」とした。

 これは約15年前に司法試験に合格したころとは正反対の結論であり、また、最高裁判所の結論と同様である。

 

 つまり、当時の考えていた答案の結論は、「憲法上において外国人の政治的表現の自由の保障の程度は国民と同程度であるが、法人においては国民と同程度ではない」というものであった。

 当時の結論の背後にある考え方は、①外国人には参政権を保障されないため、政治的表現の自由を最大限認めることで彼らの権利を政治的に保障していく必要がある、②外国人の表現活動が国民の知る権利に寄与する、③法人の社会的権力が強大で国民の政治的自由を侵害するおそれがある、というものであった。

 そして、これらの考え方は極めて価値のあるものであり、答案上それを示すことが間違いになるとは考えられない。

 しかし、憲法から考えた場合、この3点は憲法それ自体から少し離れている(もちろん、許容範囲の中ではあるが)ように見える。

 そして、外国人と法人についての憲法の立場は前回・前々回で見てきたとおりである。

 ならば、今回の結論の方が日本国憲法に忠実なのかなあ、という気がする。

 

 

 以上、本問を通じて考えたことにうち「本問に関連すること」を見てみた。

 次回以降は、外国人の人権享有主体性と法人の人権享有主体性を日本教的観点から見てみたい。