薫のメモ帳

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司法試験の過去問を見直す15 その3

 今回はこのシリーズの続き。

 

hiroringo.hatenablog.com

 

 司法試験・二次試験・論文式試験の平成元年度の憲法第1問を検討していく。

 

5 法人の政治的表現の自由の保障の程度

 まず、問題文を再掲載する(引用元は前回と同じ)。

 

(以下、司法試験二次試験・論文式試験・平成元年度憲法第1問の問題文を引用)

 法人の「政治的表現の自由」について、外国人の場合と比較しながら、論ぜよ。

(引用終了)

 

 前回、外国人の政治的表現の自由の保障の程度が国民のそれと異なることを示した。

 今回は法人について見ていく。

 

 この点、この論点のリーディング・ケースである八幡製鉄事件最高裁判決で最高裁判所は次のようなことを述べている。

 

昭和41年(オ)444号取締役の責任追及請求事件

昭和45年6月24日最高裁大法廷判決

https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/040/055040_hanrei.pdf

(いわゆる「八幡製鉄事件判決」)

 

(以下、八幡製鉄事件最高裁判決から引用、各文毎改行、一部中略、強調は私の手による)

 憲法上の選挙権その他のいわゆる参政権が自然人たる国民にのみ認められたものであることは、所論のとおりである。

 しかし、会社が、納税の義務を有し自然人たる国民とひとしく国税等の負担に任ずるものである以上、納税者たる立場において、国や地方公共団体の施策に対し、意見の表明その他の行動に出たとしても、これを禁圧すべき理由はない

 のみならず、憲法第三章に定める国民の権利および義務の各条項は、性質上可能なかぎり、内国の法人にも適用されるものと解すべきであるから、会社は、自然人たる国民と同様、国や政党の特定の政策を支持、推進しまたは反対するなどの政治的行為をなす自由を有するのである。

 政治資金の寄附もまさにその自由の一環であり、会社によつてそれがなされた場合、政治の動向に影響を与えることがあつたとしても、これを自然人たる国民による寄附と別異に扱うべき憲法上の要請があるものではない

 論旨は、会社が政党に寄附をすることは国民の参政権の侵犯であるとするのであるが、政党への寄附は、事の性質上、国民個々の選挙権その他の参政権の行使そのものに直接影響を及ぼすものではないばかりでなく、政党の資金の一部が選挙人の買収にあてられることがあるにしても、それはたまたま生ずる病理的現象に過ぎず、しかも、かかる非違行為を抑制するための制度は厳として存在するのであつて、いずれにしても政治資金の寄附が、選挙権の自由なる行使を直接に侵害するものとはなしがたい。

 会社が政治資金寄附の自由を有することは既に説示したとおりであり、それが国民の政治意思の形成に作用することがあつても、あながち異とするには足りないのである。

 所論は大企業による巨額の寄附は金権政治の弊を産むべく、また、もし有力株主が外国人であるときは外国による政治干渉となる危険もあり、さらに豊富潤沢な政治資金は政治の腐敗を醸成するというのであるが、その指摘するような弊害に対処する方途は、さしあたり、立法政策にまつべきことであつて、憲法上は、公共の福祉に反しないかぎり、会社といえども政治資金の寄附の自由を有するといわざるを得ず、これをもつて国民の参政権を侵害するとなす論旨は採用のかぎりでない

(引用終了)

 

 外国人と比較してみると、最高裁判所のスタンスとして次のようなものが見えてくる。

 

参政権(選挙権・被選挙権)の保障について

・外国人、保障されない(日本国籍を有しないから)

・法人、保障されない(自然人ではないから)

 

政治的表現の自由について

・外国人、わが国の政治的意思決定又はその実施に影響を及ぼす活動等外国人の地位にかんがみこれを認めることが相当でないと解されるものを除き、その保障が及ぶ

・法人、国民と同程度に保障される

 

 つまり、参政権の保障については外国人と法人は認めないという結論で共通する。

 しかし、参政権的性格を有する政治的表現の自由の保障の程度については結論を異にしている

 その理由は「参政権を否定する理由が国籍がないことではなく、人間ではない(集団としては日本に帰属する)から」ということになるのだろう。

 

 もっとも、法人といっても脱退な自由な営利社団法人のような株式会社もあれば、税理士会のような強制加入団体もある。

 そして、憲法の私人間適用の問題でみてきたように、団体・法人は少数派に対して権利の制約を行う主体にもなりうる。

 ならば、国民と同程度の権利の保障を認めてもいいかについては議論の余地がある。

 その辺を踏まえて、一気に書き上げてしまおう。

 なお、結論は最高裁判所の「憲法上においては同程度の保障が認められる」いう結論にあわせる

 また、法人は国内の法人に関する話であることはこれまでと同様である。

 

 

 この点、外国人とは異なり、法人は社会的権力として個人の権利を制約することがある。

 その結果、法人に個人と同程度の憲法上の権利の保障を認めると社会権力によって国民の選択権を奪うことになりかねないことを重視して、国民と同程度の保障を認めるべきではないということもできる。

 しかし、外国人と異なり、法人は日本人によって構成されると考えられる。

 とすれば、その法人の権利について国民と同程度の保障を認めないと考えることは、ひいてはその法人に属する個人の権利を矮小化させることになりかねず妥当でない。

 また、外国人と異なり、選挙権などの参政権が法人に保障されないのは、法人が自然人でないからであり、帰属対象が外国だからではない。

 そして、表現行為については法人も個人と同様観念することは十分可能である。

 とすれば、憲法上の権利として考えた場合、法人は自然人と同程度の保障が認められるものと解する。

 もっとも、このことは法人と自然人の権力関係など法人と個人の差異に注目して特別の制限をかけることができないことを意味するわけではない。

 なぜなら、このような制限は「公共の福祉」(憲法12条後段・13条後段)による制約として十分正当化ができるからである。

 

 

 以上、一気に書き上げてみた。

 もちろん、法人の社会的権力に注目して国民と同程度の保障を認めないという結論にすることも可能である。

 ただ、「憲法上の権利の保障」という観点から見れば、ここで別段差異を設ける必要があるのか、というのは感じる。

 というのも、法人といっても千差万別であって十把一絡げとはいかないからである。

 また、同程度の保障を認めたところで、自然人と異なる規制をかけることは「公共の福祉」による制約として十分可能であるからである。

 これらのことを考慮すれば、別段同程度の保障を認めても大きな間違いはない(司法試験の答案として)のかなあ、と考える次第である。

 

 最後にまとめの部分を作っておく。

 

 

 以上、法人にも外国人にも人権享有主体性が認められること、政治的表現の自由が認められうることは共通する。

 しかし、「国民と同程度の保障を受けうるか」という点については外国人には認められない一方、法人には認められるという違いがある。

 この違いは、国籍、つまり、帰属先が日本か外国か、という部分に由来することになる。

 

 

 以上で問題の検討は完了した。

 次回は、本問を通じて考えたことについて触れることにする。