今回はこのシリーズの続き。
司法試験・二次試験・論文式試験の平成7年度の憲法第1問を見ていく。
7 視聴者の知る権利の制約の合理性について
前回までで放送事業者の放送の自由に対する検討を行った。
今回は視聴者から見た問題点を検討する。
この点、視聴の自由が知る権利として憲法21条1項によって保障されることは確認した。
その結果、本問要求によって一方的な政治的立場に基づく放送番組や意見の対立する問題点について論点を単純化してある種の「わかりやすく、短時間で」説明するような番組を視聴する自由が制限され、憲法上の権利の制限が存在することになる。
もちろん、知る権利も「公共の福祉」による合理的な制約に服すること、合理的な制約と言えるかどうかは具体的利益衡量によることも既に述べてきたとおりである。
以下、違憲審査基準を定立してあてはめまで一気に書いてしまおう。
まあ、放送事業者と重複する点はあっさり書いていくが。
この点、表現の自由と同様に、視聴の自由の背後にある知る権利も自己実現の価値と自己統治の価値を有する重要な権利である上、情報の受領が不当に妨げられれば民主制の過程での自己回復は困難になることは発表の制限と同様である。
そのため、知る権利に対しては厳格な基準をもって審査すべきとも考えられる。
しかし、前述の通り放送は公共性を有する上、放送という表現手法は新聞の場合と異なって表現者による視聴者に対する影響力が強く、他の視聴者との関係で放送の適正化を実効化させる必要性が高い。
また、情報の受領という観点から見れば、本問要求という制限のない新聞やインターネットといった放送以外のメディアによって情報を受領するといった手段が十分に存在し、この点は放送事業者の放送編集の自由よりもさらに制限の程度が小さくなる。
したがって、視聴者の知る権利との関係で検討する場合、目的が正当で、手段が合理的関連性を有すれば、「公共の福祉」による合理的な制約になるものと解する。
本問についてこれを見ると、本問要求の規制目的は放送事業者の場合と同様であり、正当であると言える。
また、本問要求がなかった場合、政治的偏向性の強い報道や意見の対立する論点について一方的な主張をする可能性が高いことは前述のとおりであるから、本問要求が目的との関係で合理的関連性もある。
したがって、本問要求は視聴者の視聴の自由との関係でも「公共の福祉」による合理的な制約と言える。
以上より、本問法律は視聴者との関係でも合憲である。
重複する部分もあるので、一気に書き切ってしまった。
重要な点は、視聴者は放送以外のメディア、つまり、新聞、ラジオ、書籍、インターネットなどによって本問要求によって制限された情報を受領できる可能性が十分ある点であろう。
ならば、違憲審査基準も緩やかにすることができるし、本問要求を違憲にするのは難しいだろう。
以上、「権利の制限」という観点から放送事業者と視聴者の憲法上の権利の制限について検討した。
ただ、本問にはもう一つ憲法上の論点があるように見えるので、それについても簡単に確認する。
8 視聴者から放送事業者への是正要求の可否
前回見た最高裁判所の判例では、放送によって名誉棄損・プライバシー侵害を受けた被害者が放送法を根拠とする訂正放送請求権の有無が問題となった。
原審の高等裁判所ではこれを肯定し、最高裁判所はこれを否定したわけだが。
とすれば、放送事業者が本問要求を無視して放送をした場合に、視聴者が放送事業者に対して「政治的に公平な放送をしろ」・「もっと多様な論点を示して報道しろ」といったことを裁判を通じて要求するといったことの可否が全く問題にならないとまでは言えない。
そこで、この点を検討する価値が全くないということはないだろう。
まあ、結論は否定するけど。
この点、否定する理由は放送法1条の目的と3条を持ちせばよいものと考えられる。
つまり、放送法は第1条2号で放送の自律を保障することによって放送による表現の自由を保障することを放送法の目的としており、放送の自由の重要性を述べている。
また、放送法3条は法律によらない放送への干渉を否定しているところ、放送法は本問要求に反したときの視聴者による請求を定めた規定がない。
さらに、視聴者が放送事業者に対して具体的な要求を実現できると考えると、その要求をおそれて放送事業者が委縮し、ひいては放送事業者の放送の自由を妨げるおそれが極めて高い。
したがって、放送事業者が本問要求に反した放送をしたとしても、視聴者は放送事業者に対して裁判を通じて具体的な要求をする権利はないものと解する。
まあ、名誉権やプライバシー権の侵害もないのに、視聴者が放送事業者に対して裁判を用いて具体的な要求をなしうるというのはいくら何でもやりすぎであるから、この結論で問題ないだろう。
さらに言えば、論じる価値がそもそもあるのかさえ微妙な話でもあるが。
なお、以上の論述はいわゆる「反論権」をイメージした。
この反論権が原則として認められない点については、サンケイ新聞事件最高裁判決が同趣旨のことを述べている。
一応、重要な部分を確認する。
昭和55年(オ)1188号反論文掲載事件
昭和62年4月24日最高裁判所第二小法廷判決
https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/168/055168_hanrei.pdf
(以下、上記判決から引用、各文毎に改行、セッション番号など一部中略、強調は私の手による)
(前略)いわゆる反論権の制度は、記事により自己の名誉を傷つけられあるいはそのプライバシーに属する事項等について誤つた報道をされたとする者にとつては、機を失せず、同じ新聞紙上に自己の反論文の掲載を受けることができ、これによつて原記事に対する自己の主張を読者に訴える途が開かれることになるのであつて、かかる制度により名誉あるいはプライバシーの保護に資するものがあることも否定し難いところである。
しかしながら、この制度が認められるときは、新聞を発行・販売する者にとつては、原記事が正しく、反論文は誤りであると確信している場合でも、あるいは反論文の内容がその編集方針によれば掲載すべきでないものであつても、その掲載を強制されることになり、また、そのために本来ならば他に利用できたはずの紙面を割かなければならなくなる等の負担を強いられるのであつて、これらの負担が、批判的記事、ことに公的事項に関する批判的記事の掲載をちゆうちよさせ、憲法の保障する表現の自由を間接的に侵す危険につながるおそれも多分に存するのである。
このように、反論権の制度は、民主主義社会において極めて重要な意味をもつ新聞等の表現の自由(前掲昭和六一年六月一一日大法廷判決参照)に対し重大な影響を及ぼすものであつて、たとえ被上告人の発行するD新聞などの日刊全国紙による情報の提供が一般国民に対し強い影響力をもち、その記事が特定の者の名誉ないしプライバシーに重大な影響を及ぼすことがあるとしても、不法行為が成立する場合にその者の保護を図ることは別論として、反論権の制度について具体的な成文法がないのに、反論権を認めるに等しい上告人主張のような反論文掲載請求権をたやすく認めることはできないものといわなければならない。
なお、放送法四条は訂正放送の制度を設けているが、(中略)、その要件、内容等において、いわゆる反論権の制度ないし上告人主張の反論文掲載請求権とは著しく異なるものであつて、同法四条の規定も、所論のような反論文掲載請求権が認められる根拠とすることはできない。
(引用終了)
以上、問題自体の検討は終わった。
次回、本問を通じて考えたことを述べ、本問に関する検討を終えることにする。