薫のメモ帳

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司法試験の過去問を見直す9 その3

 今回はこのシリーズの続き。

 

hiroringo.hatenablog.com

 

 旧司法試験・二次試験の論文式試験・平成11年度の憲法第1問についてみていく。

 

6 監獄法46条2項の合憲性

 最初にあてはめに必要な情報を確認する。

 まず、問題文から。

 

(旧司法試験・二次試験・論文式試験・平成11年度・憲法第1問)

 受刑者Aは、刑務所内の処遇改善を訴えたいと考え、その旨の文章を作成して新聞社に投書しようとした。刑務所長は、Aの投書が新聞に掲載されることは刑務所内の秩序維持の上で不相当であると判断して、監獄法第46条第2項に基づき、文章の発信を不許可にした。

 右の事案に含まれる憲法上の問題点について論ぜよ。

(問題文終了)

 

 また、過去問にある(旧)監獄法46条2項を確認する。

 

(旧監獄法46条2項)

 受刑者及ビ監置ニ処セラレタル者ニハ其親族ニ非サル者ト信書ノ発受ヲ為サシムルコトヲ得ス但特ニ必要アリト認ムル場合ハ此限ニ在ラス

 

 さらに、違憲審査基準については前回導出した「相当の蓋然性」の基準を用いる。

 具体的にみていくと次のとおりになる。

 

(審査基準)

 受刑者の信書の発信を不許可にできるのは、(1)受刑者の性向・行状、(2)監獄内の管理・保安の状況、(3)当該信書の内容その他の具体的事情の下で、発信を許可することによって①監獄内の規律及び秩序の維持、②受刑者の身柄の確保、③受刑者の改善・更生の点において放置することのできない程度の障害が生ずる相当の蓋然性が発生する場合に許されるものと解するべきである。

 

 以上、前回までの確認をしたところで、あてはめに移る。

 

 

 この点、刑務所長は旧監獄法46条2項を根拠にAの信書の発信を制限している

 そこで、その根拠規定たる旧監獄法46条2項の合憲性を考える。

 

 この点、条文の文言を見ると、旧監獄法46条2項は受刑者の親族でない者との間の信書の発信・受信を原則として認めていない

 また、ただし書きにある「特ニ必要アリト認ムル場合」という文言を見れば、例外にあたる場合はかなり限定されている

 そこで、旧監獄法46条2項は、刑務所内の規律・秩序が害される「相当の蓋然性」がない場合にも規制が可能であるように読める。

 そのため、旧監獄法46条2項は違憲であるとも考えられる。

 

 

 文言を素直に読み、違憲審査基準を形式的にあてはめれば、普通はこうなるであろう。

 また、AとAの代理人から見れば当然の主張である。

 そして、このようにして法律を違憲にした場合、刑務所長の不許可処分は法律の根拠のない人権制限となり、特別権力関係論を用いないならば当然に違憲となる。

 しかし、この場合、本問に掲載されている事情が全く拾えなくなる。

 それでは司法試験委員会の出題趣旨に答えたことにならない

 そこで、「出題趣旨に答える」といった(大人の)事情に対応するため、また、その他もろもろの理由により合憲限定解釈を採用することにする。

 

 

 具体的には、「特ニ必要アリト認ムル場合」とは広く「放置することのできない程度の障害が生ずる相当の蓋然性発生しない場合」と解釈する

 そして、「本文と但書の原則と例外の関係」を逆転させ、「但書が原則で本文が例外」と解釈する

 このように解釈すれば、旧監獄法46条2項は前述の相当の蓋然性がある場合を除き信書の発信を制約できないため、法律に対する違憲審査はクリアできる。

 

 

 以上のロジックは前回紹介・引用した平成18年1月14日の判決と同様である。

 この点、この(限定)解釈は無理をしていないか、という疑問がなくはない。

 しかし、不許可処分を出すのは公務員である。

 そこで、運用によって公務員間の恣意性をはじくことができる(行政全体としての恣意についてはさておき)。

 とすれば、このような手法による権利の確保は可能である。

 そう考えると、「まあ、あり」なのだろう。

 この点、最高裁判所がこのような限定解釈をしているのは、背後にこのような事情があるのかもしれない。

 もちろん、実務上の混乱回避、とか、行政の肩を持っているなどといった事情もなくはないだろうが。

 

 なお、今回の限定解釈については、違憲審査基準に「明白かつ現在の危険の基準」を採用した場合でも可能である。

 この点、泉佐野市民会館事件(平成8年の過去問で紹介・引用)では、条例の解釈にあたってこのような限定解釈をしている。

 

7 不許可処分の合法性の審査基準

 旧監獄法46条2項は(限定)解釈によって合憲となった

 もっとも、根拠法令が合憲であっても、刑務所長が法令を濫用・逸脱して不許可処分を出した場合、処分が違法(違憲)となる。

 そこで、法令とは別に刑務所長の処分の合法性(合憲性)を検討する必要がある。

 また、処分の合法性を考える際にも、審査基準は目安になる

 

 この点、最高裁判所はいわゆるよど号ハイジャック新聞記事抹消事件(判決へのリンクは次の通り)で次のようなことを述べている。

 

昭和52(オ)927号損害賠償請求事件

昭和58年6月22日最高裁判所大法廷判決

https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/137/052137_hanrei.pdf

(いわゆる「よど号ハイジャック新聞記事抹消事件」)

 

(以下、よど号ハイジャック新聞記事抹消事件より引用、一部中略、強調は筆者)

 具体的場合における前記法令等の適用にあたり、(中略)相当の蓋然性が存するかどうか、及びこれを防止するためにどのような内容、程度の制限措置が必要と認められるかについては、監獄内の実情に通暁し、直接その衝にあたる監獄の長による個個の場合の具体的状況のもとにおける裁量的判断にまつべき点が少なくないから、障害発生の相当の蓋然性があるとした長の認定に合理的な根拠があり、その防止のために当該制限措置が必要であるとした判断に合理性が認められる限り、長の右措置は適法として是認すべきものと解するのが相当である

(引用終了)

 

 つまり、最高裁判所は不許可処分に関する施設の長の裁量を認めている。

 この判例に従って適用違憲の枠組みを考える。

 

 

 この点、「相当の蓋然性」の有無については刑務所の実情に詳しい刑務所長の裁量的判断を要する場合も少なくない。

 よって、「相当の蓋然性」があるという刑務所長の判断に合理性がない場合は、刑務所長の処分は違法(違憲)になる。

 以下、処分の適法性を検討する。

 

8 不許可処分の合法性へのあてはめ

 ところで、本問で紹介している平成18年の最高裁判決(リンクは後述)は受刑者が新聞社に刑務所内の処遇改善の投書をしようと文章を発信しようとしたら刑務所長から不許可処分を受けた、と言う事案である。

 そして、この最高裁判所は次のようなことを述べている。

 

平成15年(オ)422号損害賠償請求事件

平成18年3月23日最高裁判所第一小法廷判決

https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/855/032855_hanrei.pdf

 

(以下、前回紹介した平成18年の判決から引用、一部中略)

 本件信書は,国会議員に対して送付済みの本件請願書等の取材,調査及び報道を求める旨の内容を記載したC新聞社あてのものであったというのであるから,本件信書の発信を許すことによって(中略)刑務所内に上記の障害が生ずる相当のがい然性があるということができないことも明らかというべきである。

(引用終了)

 

 最高裁判所はあっさりと「相当の蓋然性はない」と認定している。

 これを参考にしながら、本問の適用違憲へのあてはめを考えてみる。

 

 

 確かに、待遇改善の文章を新聞社に発信すれば、新聞社が新聞に掲載しることで文章が不特定多数に知られ、また、必要な取材などを行うことが容易に想定される。

 また、新聞に掲載された結果として、インターネット上での炎上も起こりえなくはない。

 その結果、刑務所内では取材や炎上の対応に追われることになり、刑務所内の秩序維持に割いていたリソースを取材対応・炎上対応に回す結果、刑務所内の規律・秩序が保てなくなる可能性もあり得ないとは言えない。

 しかし、これらの対応は四六時中対応しなければならないものではなく、これらの対応によって割かれるリソースはそれほど多くなるとは考え難い。

 また、刑務所における待遇は公共の利害に関する事実として民主的討論の対象になるべきものであるから、当該文章は受刑者Aのみならず国民の知る権利に対しても重要なものである。

 さらに、刑務所内の秩序についても発信を許可した後、話題が大きくなった場合に新聞の閲読を制限することで秩序の維持を保つといった手段も考えられる。

 以上を考慮すれば、刑務所長の不相当との判断は一般的抽象的おそれがあるといったものにすぎず、具体的な蓋然性があるものとはいえない。

 したがって、刑務所長の不相当という判断は合理的とは言えない。

 よって、刑務所長の不許可処分は違法・違憲である。

 

 

 このように考えることで、処分を違法にした。

 新聞の投書を許すことで施設内の秩序に対する障害が具体的に生じるとは考え難いことを考慮すれば、この結論が不当であるとまでは言えないだろう。

 

 なお、本問の刑務所長は「刑務所内の規律・秩序の維持」の観点から不相当と考えているが、被告人の改善・更生の観点から不相当と考えていないようである。

「処遇改善の要望などを考えていて、どうして適切な更生できようか」といった発想はないようである。

「更生」という要素は「秩序」の要素に比べて刑務所長(行政)の裁量がより広くなるので、こちらを主張すべきだったのではないか、と考えられなくもないが。

 この辺は次回に少し触れたい。

 

 

 以上、本問の検討は終わった。

 次回は、当時の状況を考慮した出題趣旨・本問を見て憲法外から考えたことについてみていく。