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司法試験の過去問を見直す9 その2

 今回はこのシリーズの続き。

 

hiroringo.hatenablog.com

 

 旧司法試験・二次試験の論文式試験・平成11年度の憲法第1問についてみていく。

 

3 在監者に対する人権制約の一般論 

 前回、制限された「Aの発信行為」が表現の自由によって保障されうる旨認定した。

 もちろん、かかる自由も絶対無制限ではないのは当然である

 

 通常であれば、「かかる自由も絶対無制限ではなく、『公共の福祉』(憲法12条後段、13条後段)による制約をうける」と続く。

 しかし、「公共の福祉」は人権相互の矛盾・衝突を調整するための実質的公平の原理とされているため、受刑者などの在監者に対する人権制約一般には利用しがたい。

 そこで、「公共の福祉」に代わる根拠が必要になる。

 

 

 この点、戦前は在監者などの人権制約の根拠として、「特別権力関係論」というものが用いられていた。

 この「特別権力関係論」というのは、公務員・大学生・在監者など特別な地位を有する場合、国家権力はその特別な私人に対して①包括的支配権を有し、②法律の根拠なく人権制限ができる上、③原則として国家権力の行為に対して司法審査が及ばないとするものである。

 この説によった場合、刑務所長は在監者に対して法律の根拠なしでの人権制限が可能になり、また、その人権制約それ自体に対する司法審査も原則及ばないことになる(刑法その他に抵触した場合にその範囲で問題になるだけである)。

 そのため、本件の刑務所長の不許可処分は無条件で合憲になると考えられる。

 また、日本教に整合的な見解はこちらのようだと考えられる

 

 もっとも、この理論は法治主義の世界で発展してきた理論である(そのため、戦前の憲法とは親和的であった)。

 そして、日本国憲法は「法の支配」(13条、31条、76条3項、81条、97条など)を採用していることを考慮すれば、これをストレートに用いることはできない

 そこで、別の根拠が必要になる。

 できれば、憲法上の条文と紐づいている方がよい。

 

 そして、憲法上の条文を見ると、18条や34条に在監関係の条文が存在する

 とすれば、憲法は「在監関係の存在とその自律性を憲法上の構成要素として認めている」ことになる。

 言い換えれば、憲法は「犯罪処罰のための制度などを置くこと、刑の執行を適正に行うこと」を前提としているということになる。

 ならば、「在監目的のための人権制約」を憲法は認めていると言える。

 そして、この「在監関係の存在とその自律性を憲法上の構成要素として認めていること」が憲法上の人権制約根拠となる

 

 ここは当然の前提だからさらっと書いてしまっていい。

 もっとも、この点は憲法外で考えていることがあるので、少し細かく言及した。

 

4 在監者に対する人権制約の違憲審査基準_最高裁判所の場合

 では、本問の不許可処分は合憲と言えるか、違憲審査基準が問題となる。

 ここからはいつものパターンとなる。

 

 まず、この点について最高裁判所がいわゆる「よど号ハイジャック新聞記事抹消事件」で何と言ったかを確認する

 この事件は「未決拘留者の閲読の自由(知る権利)」が制限された事案であるが、本判決の射程が広いため確認する(リンクは前回と同様)。

 

(以下、よど号ハイジャック新聞記事抹消事件から引用、一行ごとに改行、一部省略、強調は私による)

 未決勾留は、刑事訴訟法の規定に基づき、逃亡又は罪証隠滅の防止を目的として、(中略)、前記逃亡又は罪証隠滅の防止の目的のために必要かつ合理的な範囲において、それ以外の行為の自由をも制限されることを免れないのであり、このことは、未決勾留そのものの予定するところでもある。

 また、監獄は、多数の被拘禁者を外部から隔離して収容する施設であり、右施設内でこれらの者を集団として管理するにあたつては、内部における規律及び秩序を維持し、その正常な状態を保持する必要があるから、この目的のために必要がある場合には、未決勾留によつて拘禁された者についても、この面からその者の身体的自由及びその他の行為の自由に一定の制限が加えられることは、やむをえないところというべきである(中略)。

 そして、この場合において、これらの自由に対する制限が必要かつ合理的なものとして是認されるかどうかは、右の目的のために制限が必要とされる程度と、制限される自由の内容及び性質、これに加えられる具体的制限の態様及び程度等を較量して決せられるべきものである。

(引用終了)

 

 一般論を確認したところで、続きをみていこう。

 

(以下、同判決を引用、一行ごとに改行、一部省略、強調は私によるもの)

 しかしながら、このような閲読の自由は、(中略)その制限が絶対に許されないものとすることはできず、それぞれの場面において、これに優越する公共の利益のための必要から、一定の合理的制限を受けることがあることもやむをえないものといわなければならない。(中略)

(中略)閲読の自由についても、逃亡及び罪証隠滅の防止という勾留の目的のためのほか、前記のような監獄内の規律及び秩序の維持のために必要とされる場合にも、一定の制限を加えられることはやむをえないものとして承認しなければならない。

 しかしながら、未決勾留は、前記刑事司法上の目的のために必要やむをえない措置として一定の範囲で個人の自由を拘束するものであり、他方、これにより拘禁される者は、当該拘禁関係に伴う制約の範囲外においては、原則として一般市民としての自由を保障されるべき者であるから、監獄内の規律及び秩序の維持のためにこれら被拘禁者の新聞紙、図書等の閲読の自由を制限する場合においても、それは、右の目的を達するために真に必要と認められる限度にとどめられるべきものである。

 したがつて、右の制限が許されるためには、当該閲読を許すことにより右の規律及び秩序が害される一般的、抽象的なおそれがあるというだけでは足りず、被拘禁者の性向、行状、監獄内の管理、保安の状況、当該新聞紙、図書等の内容その他の具体的事情のもとにおいて、その閲読を許すことにより監獄内の規律及び秩序の維持上放置することのできない程度の障害が生ずる相当の蓋然性があると認められることが必要であり、かつ、その場合においても、右の制限の程度は、右の障害発生の防止のために必要かつ合理的な範囲にとどまるべきものと解するのが相当である。

(引用終了)

 

「未決勾留者の知る権利の制限」について最高裁判所は次の基準を立てた。

 

具体的事情のもとにおいて放置できない程度の障害が生ずる相当の蓋然性があると認められる場合

 

 いわゆる「相当の蓋然性」の基準と呼ばれるものである。

 

 

 ところで、以上の未決者に対する基準は「受刑者(既決)の表現の自由にも適用があるのか、と考えるかもしれない。

 しかし、表現の自由と知る権利は表裏の関係にあるから、権利の性質において両者にそれほどの差がない。

 また、最高裁判所は次の判決(リンクなどは前回参照)で旧監獄法46条2項について次のように述べている。

 

(以下、平成15年(オ)422号損害賠償請求事件・平成18年3月23日最高裁判所第一小法廷判決から引用、各文毎に改行、ところどころ省略、強調は私の手による)

 監獄法46条2項の(中略)目的にかんがみると,受刑者のその親族でない者との間の信書の発受は,受刑者の性向,行状,監獄内の管理,保安の状況,当該信書の内容その他の具体的事情の下で,これを許すことにより,監獄内の規律及び秩序の維持,受刑者の身柄の確保,受刑者の改善,更生の点において放置することのできない程度の障害が生ずる相当のがい然性があると認められる場合に限って,これを制限することが許されるものというべきであり,(中略)

 そうすると,監獄法46条2項は,その文言上は,特に必要があると認められる場合に限って上記信書の発受を許すものとしているようにみられるけれども,上記信書の発受の必要性は広く認められ,上記要件及び範囲でのみその制限が許されることを定めたものと解するのが相当であり,したがって,同項が憲法21条,14条1項に違反するものでない(中略)

(引用終了)

 

 最高裁判所は、広範な規制が許されるように見える旧監獄法46条2項について限定解釈をした。

 その際の基準となっているのが前述の事件である。

 ならば、最高裁判所は未決勾留者と受刑者で基準を分けていないとみることができる。

 

 

 さて、本問で違憲審査基準を立てるために必要な情報は出そろった。

 以下、本問の違憲審査基準を組み立てていく。

 

5 本問の違憲審査基準

 まず、違憲審査基準の出発点は利益衡量論となるであろう。

 つまり、不許可処分の根拠規定が監獄法46条2項にあるところ、この規定が違憲となるか否かは「①逃亡・矯正教化・施設内の規律・秩序維持のために必要な程度、②制限される自由の内容・性質、③具体的制限の態様・程度」によって決まる、と。

 もっとも、この審査基準をそのまま用いるのはあれなので、この基準を具体化する。

 

 まず、監獄法46条2項によって不許可処分がなされると、施設内に収容されている受刑者は対外的な発言の機会をほぼ封じられることになる

 つまり、受刑者の表現の自由が全面的に封じられ、③本問の制限の程度は直接的・全面的な制約と言えるものである。

 また、表現の自由自己実現・自己統治の価値を持ち、民主制での自己回復が困難な権利である。

 つまり、本問で制限されている表現の自由は②民主制にかかわる重要な権利である

 これらのことを考慮すれば、違憲審査基準としては明白かつ現在の危険の基準といった極めて厳格な基準を採用すべきともいえる。

 

 もっとも、最高裁判所の基準に引き付けるためここからひっくり返す。

 キーワードは「未決者と既決者」の違いである。

 

 しかし、未決拘留者と異なり、受刑者は一般人と同様の自由を享受することが想定されていない。

 つまり、受刑者は施設内の規律・秩序の維持、逃亡防止のためだけではなく、矯正教化のための権利の制約をも予定されている。

 そこで、受刑者の信書の発信を制限できるのは、(1)受刑者の性向・行状、(2)監獄内の管理・保安の状況、(3)当該信書の内容その他の具体的事情の下で、発信を許可することによって①監獄内の規律及び秩序の維持、②受刑者の身柄の確保、③受刑者の改善・更生の点において放置することのできない程度の障害が生ずる相当の蓋然性が発生する場合に限るものと解するべきである。

 

 

 以上、違憲審査基準とその根拠をみてみた。

 試験においては「最高裁判所が採用している」ということが根拠にならないので。

 

 これで違憲審査基準は決まった。

 あとは、あてはめの問題になるのだが、それらについては次回に。