薫のメモ帳

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司法試験の過去問を見直す9 その6

 今回はこのシリーズの続き。

 

hiroringo.hatenablog.com

 

 旧司法試験・二次試験の論文式試験・平成11年度の憲法第1問についてみていく。

 そして、前回から憲法外の視点から本問を見ている。

 今回はその続きである(なお、あと2回ほど続く予定である)。

 

 なお、色々と考えてはいるものの、「よくわからない」以外の感想が出てこない

 ただ、この点は以前から一度考えてみたいことであったので、収拾がつかないことが明白になるまで続けていくことにする。

 

13 原則と例外の割合

 前回は、「法の支配」による原則論と反対意見の共通性を確認した。

 その上で、反対意見に掲げた基準自体を前提として、その上で、立法事実を用いて反対意見に反論できるかをみてきた。

 また、その反論はあまり意味がなさそうなことも確認した。

 

 しかし、できる反論は他にもたくさんあるので、それらについてみていきたい。

 次の反論は次のとおりである。

 

 死刑囚の場合(なお、監獄法を見れば、受刑者も同様である)、いわゆる「相当の蓋然性」がなくても、「一般的・抽象的なおそれ(可能性)」があれば制限できる。

 そして、本件の基準はその基準を満たしているので、例外として正当化される。

 

 もし、「いわゆる『公共の福祉』はマジックワードである」と考えていれば、これがメインの反論になる

 そこで、この点を見ていく。

 

 

 この点、河合裁判官は反対意見に「(注)」というものを掲載して、次のようなことを述べている。

 

(以下、反対意見から引用、各行ごとに改行、強調は私の手による)

注 最高裁昭和五二年(オ)第九二七号同五八年六月二二日大法廷判決・民集三七巻五号七九三頁参照。

 なお、右判例が刑事被告人の新聞等閲読の自由の制限について示している適法性判断基準は、拘置所長の裁量に関する部分を含め、基本的には、死刑確定者の発信の自由の制限についても妥当するものである

 たしかに、刑事被告人と死刑確定者との間には、大きな相違がある。

 刑事被告人は、無罪の推定を受け、原則として一般市民と変わらない自由を享受すべき者であるのに対し、死刑確定者は、既に有罪が確定し、しかも極刑の宣告を受けている者である。

 そのため、拘禁の目的あるいは監獄内秩序等の障害が発生する可能性が高く、その防止のため心情の安定に配慮する必要もはるかに強いであろう

 しかしながら、右のような相違は、すべて、右判例の判断基準を適用する場合の判断要素として考慮すれば足りることである。

 少なくとも、死刑確定者の発信の制限について右判断基準を全面的に排除する理由となるものではない

(引用終了)

 

 つまり、いわゆるよど号事件の「相当の蓋然性の基準」は未決者の閲読の自由だけではなく、死刑囚の発信の自由にも適用されると述べている。

 また、本問で紹介した平成18年度の最高裁判決(リンク先省略)も受刑者の発信の自由について同様のことを述べている。

 一応、該当部分を引用しておこう。

 

(以下、平成15年(オ)422号損害賠償請求事件・平成18年3月23日最高裁判所第一小法廷判決から引用、各文毎に改行、強調は私の手による)

 監獄法46条2項の(中略)目的にかんがみると,受刑者のその親族でない者との間の信書の発受は,受刑者の性向,行状,監獄内の管理,保安の状況,当該信書の内容その他の具体的事情の下で,これを許すことにより,監獄内の規律及び秩序の維持,受刑者の身柄の確保,受刑者の改善,更生の点において放置することのできない程度の障害が生ずる相当のがい然性があると認められる場合に限って,これを制限することが許されるものというべきであり,(中略)

(引用終了)

 

 このことから、最高裁判所は平成11年以降、反対意見の方向に舵を切ったと言えなくもない。

 

 ただ、ここでは敢えて反論とその論拠などを考えてみる。

 もちろん、現在の時点で私はこの最高裁判所の意見や反対意見に賛成の立場なのだけれども(でなければ、本問の結論を違法にしていない)。

 

 

 まず、「具体的な障害が生じる(相当の)蓋然性がなければ権利の制約ができない」、つまり、「一般的抽象的なおそれがあるだけでは権利の制約はできない」という部分に「一般的抽象的なおそれ(危険の可能性)があれば、表現の自由を制約してもいいではないか?」と言う反論を加えてみる。

 

 ここで参照したいのが、何度も紹介している猿払事件最高裁判決である。

 合理的関連性の基準として何度も引用している部分を改めて引用する。

 

昭和44年(あ)1501号国家公務員法違反被告事件

昭和49年11月6日最高裁判所大法廷判決(いわゆる「猿払事件」)

https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/800/051800_hanrei.pdf

 

(以下、いわゆる猿払事件最高裁判決から引用)

 右のような弊害の発生を防止するため、公務員の政治的中立性を損うおそれがあると認められる政治的行為を禁止することは、禁止目的との間に合理的な関連性があるものと認められるのであつて、たとえその禁止が、公務員の職種・職務権限、勤務時間の内外、国の施設の利用の有無等を区別することなく、あるいは行政の中立的運営を直接、具体的に損う行為のみに限定されていないとしても、右の合理的な関連性が失われるものではない。

(引用終了)

 

 この猿払事件という表現の自由に関する極めて重要な判決によれば、「おそれ」がある表現行為、しかも、政治的表現の自由という参政権にもかかわるものに対して包括的に制限をかけてもよい(合憲である)と述べている

 ならば、死刑囚に対する発信の自由に対しても同じように障害の発生する「おそれ」(一般的抽象的可能性)がありさえすれば制約してもよい、と考えることは不思議ではない

 

 そして、この前提に立った場合、受刑者や死刑囚の信書の発信によって「秩序維持ができない障害が発生する一般的抽象的なおそれがある」とさえ言えないことはないだろう。

 特に、死刑囚に関してその危険性が高いことは河合裁判官の反対意見でも否定していないのだから。

 その結果、これらの基準は例外として正当化されることになる。

 

 これが、この反論のロジックである。

 猿払事件という超著名な、しかも、現時点まで判例変更されていない判例を使った反論である以上、それなりの説得力を持たせることができる。

 

 

 当然だが、この反論に対して「この反論は表現の自由の重要性、特に、自己統治の価値を軽視している」という再反論は可能である。

 事実、猿払事件最高裁判決にはこのような批判があるのだから。

 また、これらの再反論が不合理であるとは考えられない。

 しかし、それは民主主義や立憲主義から見て妥当な意見であるに過ぎない。

 つまり、日本教から見てその再反論が妥当であるとは限らない。

 そして、日本に根付く「事大主義」から見た場合、①議会や政府が権力を持っていること、②その議会や政府が認めた権利の制限であることの2点から、権利の制約は広く認められるという発想になりやすいように推測できる。

 どうなのだろう。

 

 私はこの要素は相当強いのかな、と考えている。

 そして、その強いことを支えているのが、そもそものロジックを構成する人権享有主体性の問題である。

 何故なら、人権享有主体性を認めれば認めるほど例外は限定的になる一方、認めない方向で考えるならば例外は広く認められることになるからである。

 そこで、以下、人権享有主体性という原則論についてみていく。

 

 ただ、人権享有主体性それ自体の問題の前に、大日本帝国憲法で用いられていた「法律の留保」という概念も見ておきたい。

 そこで、法律の留保に関する一通りの知識をまとめておく。

 

14 法律の留保の歴史的経緯

 前回、大日本帝国憲法には人権規定に「法律の留保」がついていた旨述べた。

 そして、この「法律の留保」は必要十分条件である。

 その結果、「公共の福祉」との共通点として「法律上の根拠のない権利制約はできない」という点と、「公共の福祉」との違う点として「法律上の根拠があれば権利制約ができる」という点がある。

 つまり、「法律の留保」には立法の暴走(立法行為と立法内容の不合理性)を止める手段がないという限界がある。

 例えば、たとえ法律による権利制約が不合理極まりないもの(例えば、治療薬が広まったあとのハンセン病の隔離政策や合理的根拠のない選挙権のはく奪など、立法不作為国賠訴訟になった事件など)であったとしても、裁判所は違憲判断ができないことになる(裏技的な救済はできなくはないだろうが、国会が判断を改めない限り抜本的な判断はできない)。

 つまり、「裁判所が立法内容・立法行為に対して違憲判断ができるか」という違いが「法律の留保」と「公共の福祉」の大きな違いになる。

 

 

 ところで、戦前からこの現象を見た場合、この「法律の留保」は世界的に見て特異な現象ではない。

 なぜなら、違憲立法審査権を認めていた近代国家は多くなかったからである。

 例えば、立憲君主国たるイギリスは議会主権の国であって、議会に対する違憲審査権がないと言われている。

 また、大陸系のフランスやドイツで違憲立法審査権が認められたのは戦後である。

 この背後には、ヨーロッパでは王政とそれに与した裁判所に対して国民が対抗したという歴史がある。

 その結果、これらの国では議会制への信頼が厚い(司法に対する信頼が薄い)という事情がある。

 一方、議会制が発展していたイギリスから独立したアメリカは逆に議会への信頼が(相対的に)薄い

 そのため、独立直後、早い段階から違憲立法審査権判例上認められていた。

 

 もっとも、第二次世界大戦がその流れを変えることになる

 例えば、ワイマール共和国は全権委任法の可決によって自身の憲法を死文化させてしまった。

 その結果、憲法第二次世界大戦を止められなくなるのは歴史が示すとおりである。

 このような結果、ドイツでは憲法裁判所、フランスでも憲法院が作られ、議会に対するコントロールがなされるようになる。

 

 以上は、「法律」の信頼度(違憲立法審査の可否)についての歴史的経緯である。

 そして、この話になるとヨーロッパやアメリカの傾向が出てくる。

 もっとも、この話で「日本はどうなのか」ということは司法試験の勉強をしていたころはあまり見なかったような気がする

 どうなのだろう。

 

 この点、欧米を簡単に類型化すると次のようになると言われていた。

 

イギリス・裁判所_信頼、議会_信頼

アメリカ・裁判所_信頼、議会_不信

戦前のフランスとドイツ・裁判所_不信、議会_信頼

 

 司法試験を勉強していたころ、私は自身の感想として「日本はどちらにも信頼がないのかなあ」という感覚を持っていた。

 ただ、正確に述べるなら「日本の場合、いずれにも関心がない」なのかもしれない。

 もちろん、その場合、信頼でも不信(いずれも関心がある、が前提になる)でもなくなるわけだが。

 

 

 以上、法律の留保についてあれこれみてきた。

 これも考慮しながら、原則論たる「人権享有主体性」・「憲法上の権利として保護されうること」についてみていきたい。

 ただ、既にそこそこの分量になっているので、続きは次回に。