薫のメモ帳

私が学んだことをメモ帳がわりに

『痛快!憲法学』を読む 11

 今回は前回のこのシリーズの続き。

 

hiroringo.hatenablog.com

 

 今回も『痛快!憲法学』を読んで、学んだことをメモにする。

 

 

10 第10章  ヒトラーケインズが20世紀を変えた

 これまでの章で大事なことを一行で書くと次のようになる。

 

第1章_憲法は慣習法であり、簡単に死ぬ

第2章_憲法は国家権力に対する命令書である

第3章_憲法と民主主義は無関係である

第4章_民主主義はキリスト教の聖書を背景に成立した

第5章_キリスト教の予定説は民主主義と資本主義を同時に生み出した

第6章_憲法ジョン・ロックの社会契約説が背景にある

第7章_憲法と民主主義はキリスト教の契約遵守の教えが支えている

第8章_民主主義が独裁者を生み、憲法を抹殺する

第9章_平和憲法では平和を守れない

 

 そして、第10章。

 この章を1行にまとめると、「経済不干渉の夜警国家大恐慌ケインズによって積極国家(福祉国家)となった」になる。

 ただ、この1行の出来はあまりよくないので、将来変えるかもしれない。

 

 

 本章のテーマは民主主義国家と経済の関係について。

 ジョン・ロックが社会契約説という発想を作り、この社会契約説が民主主義国家の統治システムの基礎となったことは前章で述べた。

 

 ここで、ロックの社会契約説の背景を今一度見直してみる。

  すると、「政府ができる前の時代、人(自然人)は平等であり、自由であった。そして、彼らは労働によって財産を増やし、豊かさや幸福を追求していた」という前提があることが分かる。

 

 この前提から、所有権絶対の原則」というルールが生まれる。

 個人の財産権(具体的な財産)は政府ができる前から存在していたのだから、原則としてそれを奪うことは許されない、ということである。

 また、財産が政府ができる前から存在したということは、その財産を増やす行為・交換する行為・消費する行為などの経済活動も政府が存在する前からあったことになる。

 そこで、「経済は国家と関係がない」・「民主主義と経済は無関係」という重要な結論が出てくる。

 よって、「国家は経済のことに口を出すべきではない。」という考えが生まれることになる。

 

 

 ロックがこの主張をしたのは17世紀。

 また、ロックが主張した段階では、この主張も社会契約説と同様、「仮説」にすぎなかった。

 だから、この考えに対する批判は絶えなかった。

 経済活動は利己的な行為であることを考慮すれば、その批判は当然である。

 

 ところが、アダム・スミスという経済学の元祖がロックの考えを「科学」的観点から正当化する。

 アダム・スミスがその著書『国富論』で述べたキーワードは「自由放任」であり、主張の要旨を書くと次のとおりとなる。

 

 経済活動においては国家が干渉せず、個人や企業の自由放任に任せておけばよい。

 そうすれば、「神の見えざる手」に導かれ、社会全体においては「最大多数の最大幸福」が実現される。

 

 このアダム・スミスの経済学は古典派経済学と呼ばれ、経済に関する主流の考えとして20世紀まで続く。

 古典派経済学の考えは、①規制はできる限りなし・②政府の市場への介入禁止、つまり、「マーケットのことはマーケットに任せておけ」という発想である。

 この発想において、経済に対しては国家権力は小さくなければならない。

 そして、この発想で考えられた国家のあり方を「夜警国家」と言われている。

 

 

 この夜警国家による国家運営でヨーロッパ経済はどんどん発展していった。

 ところが、20世紀の大恐慌という事件がこれまでの常識を揺るがすことになる。

 

 大恐慌

 1929年10月24日、ニューヨーク株式市場の大暴落に始まった大不況は世界を席巻、世界は大不況に陥った。

 当時のアメリカの失業率は約25%、今の日本の失業率がせいぜい数%であることを考慮すれば、これがとんでもない数値であることが分かる。

 また、大恐慌により銀行がばたばた倒れた。

 この時代には失業保険も預金者保護制度もない。

 よって、大恐慌による失業がどれだけ危機的状況かがわかる。

 もちろん、世界中が不況になったので、移民として別の国に行くという手段も採用できない。

 

 大恐慌によって、国民は政府に対して失業対策を要求した。

 もちろん、民意によって自分の地位が支えられている政治家もなんとかしようと考えた。

 しかし、恐慌の研究をしていないので手の打ちようがない。

 古典派経済学から見れば「時間が経過すれば大恐慌もマーケットの自動調整機能によってどうにかなる。そうなれば失業者もいなくなる」というものだから手の打ちようがなかった。

 

 この恐慌に対して立ち上がった若手経済学者がいる。

 それがジョン・メイナード・ケインズ

 彼は古典派経済学に挑戦し、ケインズ革命ケインズ経済学)が始まるのである。

 

 ケインズは言う。

「古典派経済学の考えが成立するためには、『神の見えざる手』が働くためには、『セイの法則』という『需要が供給を作る』という条件が成立していなければならない。ところが、大恐慌ではその法則は成立しないので、古典派経済学の考えが成立せず、『神の見えざる手』も働かない。」

 この点、アダム・スミスの時代から大恐慌までヨーロッパの経済は常に上向きであったため、古典派経済学は成り立っていた。

 そのため、古典派経済学の欠点も分からなかったのである。

 

 では、どうするのか。

 ケインズは「有効需要」という「国民総需要」の概念を用いて説明する。

 景気がいいとき(セイの法則が成り立つとき)は有効需要が大きいので問題ない。

 しかし、大恐慌においては有効需要が小さいので、神の見えざる手が働かない。

 ならば、有効需要を増やす必要がある。

 そして、政府は有効需要を増やすための政策を打つべきである、と。

 

 この点、有効需要は消費と投資の合計である。

 とすれば、有効需要を増やすためには、消費を増やすか投資を増やす必要がある。

 しかし、恐慌の時代、将来に不安を抱えている時代に国民が消費や投資をするとは考えにくい。

 借金の利率を下げたところで効果はたかが知れていよう。

 そこで、政府が自ら公共投資(公共事業)を行い有効需要を増やす必要がある、と。

 なお、政府が借金して公共投資を行うと政府の財政が破綻すると思うかもしれないが、(公共事業による)経済の波及効果を考慮すれば問題ない、と。

 また、公共投資による経済の波及効果が目的なので、公共事業自体は何でも問題ない。

 

 

 このように、ケインズ大恐慌に対する不況対策を示したわけだが、これを実現するのは大変だった。

 何故なら、夜警国家的発想から見れば、国家の市場への介入は経済活動の自由を定めた憲法に抵触してしまうからである。

 事実、アメリカの大統領フランクリン・ルーズベルトケインズの考えを実行に移そうとした。

 しかし、それらの政策は憲法違反だという批判が野党である共和党から沸き起こり、ケインズ政策を実行しようとした法律は片っ端から訴訟沙汰になった。

 そして、ニューディール政策の柱となる法律は連邦最高裁違憲判決が出てしまう。

 そのため、第二次世界大戦が始まり、途方もない軍需が発生して有効需要が高まるまで、アメリカ経済は停滞したままだったのである。

 

 このように、普通の民主主義国家であれば、ケインズの考えを政策に反映させるのは大変難しいことであった。

 そのため、ケインズ経済学は当時の大恐慌からの立て直しには役に立たなかった。

 ただ一つの例外、ヒトラー率いるドイツを除いて。

 ヒトラーアウトバーン建設などの公共工事を行い、また、軍拡を行うことで有効需要を増大させ、失業者を減らし、ドイツ経済を立て直した。

 彼は独裁者であり、古典派経済学に従って文句を言う学者・官僚・政治家を片っ端から排除できたので、すんなり政策が実行できたのである。

 また、ケインズ政策の欠点であるインフレについても、シャハト博士の金融政策のおかげで発生しなかった。

 

 第二次世界大戦によってケインズの考えの正しさが証明されたことから、このように言われる。

「戦前はヒトラーの時代、戦後はケインズの時代」と。

 そして、大恐慌ケインズ経済学によって夜警国家は積極国家・福祉国家へと変貌し、「政府による経済介入の禁止」という大原則も大きく修正されたのである。

 

 

 ところで、ケインズ景気対策に示した公共事業。

 現代の日本でも景気をよくするために公共事業をやっている。

 しかし、ケインズ本人が見たら、怒りのあまり墓から蘇りかねない程のミスをしている。

 日本がやらかしているミスは次の3つである。

 

 1つ目は、利率を下げすぎた結果、「流動性の罠」に陥っている。

 2つ目は、慢性的に公共事業をやりすぎて、社会主義化している。

 3つ目は、「ハーベイ・ロード」の前提が成り立っていない。

 

 このため政府の経済政策(公共投資)に実効性がなくなっている。

 よって、本書では「日本に資本主義の精神をみなぎらせねばならない」と言う。

 そして、「日本に資本主義の精神をみなぎらせるためには、民主主義の精神ををもみなぎらせなければならない」ということになり、「憲法を立て直すこと」と「経済を立て直すこと」がリンクすることになる。

  となると、次の問題は「何故、日本の憲法は死んだのか」になる。

 そこで、日本の近代史に話が移る、ということで本章が終わる。

 

 

 憲法・民主主義それ自体、また、それらの背景に関する知識は第10章まででほとんどが出そろった。

 次の章からはに日本に憲法や民主主義を根付かせようとした日本人の努力と成功と失敗の話に移る。

 ただ、本章のメモだけで既に約4000字を超えてしまったので、私の感想などは本書のメモを作り切った後でまとめることとしたい。