薫のメモ帳

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司法試験の過去問を見直す7 その2

 今回はこのシリーズの続き。

 

hiroringo.hatenablog.com

 

 旧司法試験・二次試験の論文式試験・平成14年度の憲法第1問についてみていく。

 

3 「公共の福祉」による制約_違憲審査基準

 まず、問題文を確認する。

 なお、出典は前回と同様、法務省である。

 

(以下、平成14年度の司法試験・二次試験・論述式試験・憲法第1問の問題文)

 A市の市民であるBは,A市立図書館で雑誌を借り出そうとした。

 ところが,図書館長Cは 「閲覧用の雑誌,新聞等の定期刊行物について,少年法第61条に違反すると判断したとき,図書館長は,閲覧禁止にすることができる。」と定めるA市の図書館運営規則に基づき,同雑誌の閲覧を認めなかった。

 これに対し,Bは,その措置が憲法に違反するとして提訴した。

 この事例に含まれる憲法上の問題点について論ぜよ。

(問題文終了)

 

 前回、「図書館所蔵の雑誌を閲覧する権利」を憲法21条1項の「表現の自由」を解釈することによって、憲法上の権利たりうることを確認した。

 もっとも、「憲法上の権利たりうる」ことは制限が一切許されないことを意味するわけではない。

 つまり、知る権利は絶対無制約ではなく、「公共の福祉」(憲法12条・13条)による制限を受ける

 そこで、本問のCの措置が「公共の福祉」による制約と言えるか。

 まずは、違憲審査基準が問題となる。

 

 

 ここでは、規範定立までの論述を「原則→修正→歯止め」という形で考える。

 まずは原則論から。

 

 この点、知る権利は、情報の取得を通じて個人の人格を形成・発展させるいわゆる自己実現の価値と、取得した情報を生かして民主主義的討論を通じて国家の意思形成に参加するといういわゆる自己統治の価値に寄与する極めて重要な権利である。

 よって、このような価値を有する知る権利を制限する際には厳格な審査基準をもって臨むべきであるのが原則である、と。

 

 この辺は、知る権利が表現の自由と表裏の関係にあることを考えれば、当然に出てくる原則論である。

 なお、似たような言い回しは前回取り上げた「よど号ハイジャック新聞記事抹消事件」の最高裁判決でも見られる(具体的な言い回しは前回のブログ記事参照)。

 ところで、この原則論、どうせひっくり返すのに必要なのか、とも思える。

 まあ、この原則論を掲げるのは個人的趣味の面もあるかもしれない。

 

 

 しかし、この原則論は直ちにひっくり返すことになる

 

 つまり、本問のように図書館の所蔵する書籍・雑誌を閲読する際には、どのような方法で実現するのかといったことを考える必要がある

 そして、その具体的な方法を考えるにあたっては、図書館の事情や図書館を運営する自治体の事情を考慮せざるを得ない

 また、本問で制限されている権利は請求権的な性質を持つものであり、外部に流通している特定の情報へのアクセスを禁止するといったいわゆる自由権に対する制約とは性格を異にする

 よって、図書館が所蔵する雑誌を閲読する自由の制約については管理権者の裁量を尊重せざるを得ず、その意味で合理的関連性の基準のような緩やかな基準によるべきとも考えられる

 

 ここで、例外を考える際には、必要性と許容性の両方から考えた。

 この「必要性と許容性の両方から考える」という発想は重要である。

 

 

 そして、場合によってはこれ以上踏み込まずに「合理的関連性の基準」で考える、といったことも可能である。

 ただし、このブログでは歯止めをかけることにする。

 歯止めをかける際に用いる事情は、「図書館」という事情である。

 つまり、単に「地方公共団体がもっている情報を出せ」という情報公開請求とは異なる視点で考える、ということになる。

 

 ここで参考になるのが、船橋市立図書館事件最高裁判決で用いられた言い回しである。

 最高裁判決において参考になる部分を引き抜いてみよう。

 

(以下、「船橋市立図書館事件最高裁判決」から引用、一部省略、注釈・強調は私の手による)

 図書館は,「図書,記録その他必要な資料を収集し,整理し,保存して,一般公衆の利用に供し,その教養,調査研究,レクリエーション等に資することを目的とする施設」であり(図書館法2条1項)、「社会教育のための機関」であって(社会教育法9条1項)、国及び地方公共団体が国民の文化的教養を高め得るような環境を醸成するための施設として位置付けられている(同法3条1項,教育基本法7条2項参照)。

 公立図書館は,この目的を達成するために地方公共団体が設置した公の施設である(図書館法2条2項,地方自治法244条,地方教育行政の組織及び運営に関する法律30条)。

 そして,図書館は,図書館奉仕(図書館サービス)のため,①図書館資料を収集して一般公衆の利用に供すること,②図書館資料の分類排列を適切にし,その目録を整備することなどに努めなければならないものとされ(図書館法3条),特に,公立図書館については,その設置及び運営上の望ましい基準が文部科学大臣によって定められ,教育委員会に提示するとともに一般公衆に対して示すものとされており(同法18条),平成13年7月18日に文部科学大臣によって告示された「公立図書館の設置及び運営上の望ましい基準」(文部科学省告示第132号)は,公立図書館の設置者に対し,同基準に基づき,図書館奉仕(図書館サービス)の実施に努めなければならないものとしている。

 同基準によれば,公立図書館は,図書館資料の収集,提供等につき,①住民の学習活動等を適切に援助するため,住民の高度化・多様化する要求に十分に配慮すること,②広く住民の利用に供するため,情報処理機能の向上を図り,有効かつ迅速なサービスを行うことができる体制を整えるよう努めること,③住民の要求に応えるため,新刊図書及び雑誌の迅速な確保並びに他の図書館との連携・協力により図書館の機能を十分発揮できる種類及び量の資料の整備に努めることなどとされている。

 公立図書館の上記のような役割,機能等に照らせば,公立図書館は,住民に対して思想,意見その他の種々の情報を含む図書館資料を提供してその教養を高めること等を目的とする公的な場ということができる。

 そして,公立図書館の図書館職員は,公立図書館が上記のような役割を果たせるように,独断的な評価や個人的な好みにとらわれることなく,公正に図書館資料を取り扱うべき職務上の義務を負うものというべきであり,閲覧に供されている図書について,独断的な評価や個人的な好みによってこれを廃棄することは,図書館職員としての基本的な職務上の義務に反するものといわなければならない。

 他方,公立図書館が,上記のとおり,住民に図書館資料を提供するための公的な場であるということは,そこで閲覧に供された図書の著作者にとって,その思想,意見等を公衆に伝達する公的な場でもあるということができる。(中略)

 そして,著作者の思想の自由,表現の自由憲法により保障された基本的人権であることにもかんがみると,公立図書館において,その著作物が閲覧に供されている著作者が有する上記利益は,法的保護に値する人格的利益であると解するのが相当であり,(後略)

(引用終了)

 

 船橋市立図書館事件とは、「図書館の職員が、自分の好みに従い、また、図書館の基準に反して、とある思想に基づく書籍100冊あまりを恣意的に廃棄した」という事件に対して、一部の著者たちが損害賠償を請求した国家賠償請求事件である(なお、請求相手は自治体であるが、適用法規が国家賠償法なので国家賠償になる)。

 なお、ウィキにも該当事件についての言及があったので、そのリンクを張っておく。

 

ja.wikipedia.org

 

 この事件の下級審では、恣意的な廃棄の違法性を認定した

 しかし、国家賠償の要件たる「権利の侵害」を否定したため、請求は退けられた。

 この点、私から見ると、「権利の侵害がない以上、違法性を認定することは司法のしゃべりすぎ(越権行為)ではないか」との疑問を持たないではないが、その点はまあいい。

 しかし、上告された最高裁判所はこれをひっくり返すことになる。

 

 本問の兼ね合いで重要なことは「図書館が舞台である」ということである。

 

 つまり、「公立図書館は、住民に対して思想・意見その他の種々の情報を含む図書館資料を提供してその教養を高めること等を目的とする公的な場」である。

 このことを考慮すれば、図書館の蔵書へのアクセスを制約する場合には図書館の公共性や知る権利の重要性を考慮して慎重に判断するべきであると言える。

 とすれば、本問措置の違憲性を判断する際には、形式的・抽象的に審査する合理的関連性の基準ではなく、具体的・実質的に審査する厳格な合理性の基準を用いるべきである。

 具体的には、①目的が重要であり、②目的と手段との間に実質的関連性がある場合に合憲と判断すべきであると考える。

 

 

 以上、「①原則→②修正→③歯止め」の流れに乗せて規範を定立した。

 また、③歯止めについては「図書館」の公共的性格を強調することが重要であると考える。

 そうでないと、通常の情報公開請求との違いが出てこないからである。

 

 

 以上、規範定立まで進めることができた。

 次回はあてはめについてみていくことにする。