薫のメモ帳

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『日本はなぜ敗れるのか_敗因21か条』を読む 1

1 太平洋戦争の日本の敗因がコンパクトにまとまっている名著

『日本はなぜ敗れるのか_敗因21か条』という本がある。

 

 

 最近、私は山本七平の書籍を読み漁っている。

 その上で振り返ってみると、この本は「太平洋戦争における敗因分析」が綺麗にまとまっている。

 

 ちなみに、2021年4月4日現在、この本はアマゾン・アンリミテッドに入っている。

 興味のある人は読んでみるといいかもしれない。

 ただし、読めば読むほど暗澹たる気分になるかもしれないので、その点はご注意を。

 

 さて、この本の章を見てみよう。

 

(以下、書籍より引用)

 第1章 目撃者の記録

 第2章 バシー海峡

 第3章 実数と員数

 第4章 暴力と秩序

 第5章 自己の絶対化と反日感情

 第6章 厭戦と対立

 第7章 「芸」の絶対化と量

 第8章 反省

 第9章 生物としての人間

 第10章 思想的不徹底

 第11章 不合理性と合理性

 第12章 自由とは何を意味するのか

 (引用終了)

 

 この章立てを見るだけで、どのポイントで見ればいいのかの起点になっている。

 詳細は本を読んで、、、と言いたいところだが、私が理解したことを示す観点から、各章の要点をまとめてみる。

 

2 第1章 目撃者の記録

 本書では、多くのところで故・小松真一氏の『虜人日記』の記載が参照されている。

 

 

  この点、敗因に関する解説は2章以降であり、この章では敗因について触れていない。

 ただ、「信用できる記録とは何か。それは(『見』と『聞』になれ合いのない)『虜人日記』である。」ということを通じて、現在の記録(目撃者の記録)に対するマス・メディアのありようを批判しているように感じる。

 そして、外国の権威を笠に同胞に高圧的に接する日本人にも。

 この辺は私自身にも心当たりがあるので、機会があれば、そのときの私の経験とその背景を探ってみたい。

 

3 第2章 バシー海峡

 実を言うと、私は「バシー海峡」の意味を理解するのに時間がかかった。

 ただ、その意味を理解したときに背筋が凍る思いをしたことは覚えている。

 

 小松真一氏も山本七平氏もバシー海峡に日本の敗滅の原因を置いている。

 

(以下、小松真一氏が掲げた敗因21か条より引用)

 十五 バアーシー海峡の損害と、戦意喪失  

(引用終了)

 

 バシー海峡は太平洋戦争当時、いや、現在においても重要なルートである。

 日本と南方を結ぶためのルートとして。

 

 よって、太平洋戦争(特に、末期)においてはアメリカの潜水艦が待ち構えており、通行する輸送船などを次々と沈没させていったのである。

 この海峡を「魔の海峡」・「輸送船の墓場」というのはそのためである。

 

 ところで、「バシー海峡の損害と戦意喪失の背景」に何があるのか。

 それについて書いてあるのが、第2章である。

 

 乱暴にまとめてしまえば、次のようになる。

 

「失敗したときに、ただただ量を増してやり直すだけで、(目的を再確認して)代替手段を検討しないメンタリティ」

 

 この意味が分かったとき、私は背筋が凍るのを感じた。

 私にも似た経験があるからである。

 私の場合、量を積み重ねるだけで複数の難関を突破しており、成功体験がある分、さらに質が悪いのかもしれない。

 

  

 また、この章ではバシー海峡以外に2つのことに言及している。

 一つは「目的不在」、もう一つは「技術的知識」の軽視である。

 

「目的不在」とは何か。

 これは、第二次世界大戦の枢軸国、ドイツと対比させることではっきりわかる。

 

 第二次世界大戦のとき、ドイツは明確な目標を以てヨーロッパ各地に攻勢を仕掛けた。

 その所業をどう評価するかはさておき、明確な「目標」と目標を達成するための「手段」があったことは否定できない。

 さらに言えば、第二次世界大戦で連合国側になったアメリカ(フランクリン・ルーズベルト)・イギリス(ウィンストン・チャーチル)・ソ連ヨシフ・スターリン)・中国(共産党毛沢東)の指導者は、皆、目的意識がはっきりしていた。

 

 しかるに日本はどうか。

 日華事変こと日中戦争以降、対外的な目的・目標はなかったのではないか、と思われる。

 その意味では日露戦争とは大違いである。

 

 目的が不在・不明確であれば、手段の合理性など検討しようがない。

 手段の合理性は目的との兼ね合いで決まるのだから。

 

 この「目的不在」、これも私にとって耳の痛い話である。

 目的が明確な場合はうまくいったが、それが漠然となった途端にうまくいかず破綻してしまうのである。

 また、漠然と持っている程度では、日常生活に紛れて消えてしまい、不明確になって雲散霧消してしまう。

 それゆえ、最近では常に「今行っている行為の目的が具体的にどこにあるのか」を意識しているようにしている。

 そうすることで、手段の合理性も検討できるし、リソース配分も検討できるので。

 

 あと、この章で現れるものとして、「技術的知識」の軽視がある。

 ただ、この話は第11章にも触れられているので、ここではこれ以上触れない。

 

 

  山本七平氏は戦後の色々な場面でも同様のことが起きている旨書いている。

 そして、私が改めてみるに、現在の政治でもなんか似ている印象を受ける。

 とすれば、書籍でも書いてある通り、この点は克服されていないのだろう。

 

 もちろん、「克服すること」は簡単な話ではない。

 克服できない点をとがめるつもりはないし、私にはそんな資格はない。

 

 だから、将来のために記録を遺そうと思っている。

 それが変えられなくても、「我々にはこういう傾向がある」ことを知っていれば、対処しうる可能性も増えるのだから。