1 はじめに
「痩我慢の説」という福沢諭吉の文章がある。
これを「意訳」してみようと思う。
この点、「意訳」であって「直訳」ではない。
私がイメージしているのは「私釈三国志風意訳」である。
(当然だが、私が「私釈三国志」の訳の形を志向して意訳しているにすぎない、このブログの意訳の責任が私にあることは当然である)
例えば、福沢諭吉は「痩我慢の説」の本文を勝海舟に送り、勝海舟に対して事実誤認の指摘や反論を求めた。
その際の勝海舟の返答の一部(有名な部分)を意訳した結果は次のとおりである。
なお、原文は次のサイトのものを利用した。
(原文)
行蔵は我に存す、毀誉は他人の主張、我に与からず我に関せずと存じ候。各人へ御示御座候とも毛頭異存無之候。
(引用終了)
(以下、意訳)
私の出処進退は私が決める。
あれこれいうのは他人の仕事、私は知らん。
公開したけりゃ勝手にやれ。
(意訳終了)
これでは「意訳を超えて異訳、または、違訳ではないか」と言えなくもない。
まあ、直訳ではないことは明らかであるから、直訳を知りたい人は別のサイトなどを参照してほしい。
ここから始まる一連の文章メモは言うなれば、「私釈『痩我慢の説』」なのだから。
2 「痩我慢の説」とは
本文を意訳する前に「痩我慢の説」について確認する。
「痩我慢の説」は福沢諭吉の書いた文章である。
その内容は勝海舟と榎本武明が明治政府から爵位を受け(積極的かどうかはさておく)、または、出世していく様を論評・批判したものである。
その批判の背景にあるものが「痩我慢」(やせがまん)である。
この点、批判している部分は「新政府に対して2人が出世していく点」であって、戊辰戦争における二人の行為は称賛している。
戊辰戦争における二人の立派な行為がなければ、「痩我慢の説」はそもそも存在しなかっただろう。
「痩我慢の説」は四部構成で成り立っている。
最初に総論があり、「痩我慢」の重要性を説明している。
次に、各論が二つあり、二人の行為を批判している。
最後がまとめである。
このまとめを要約し、私釈三国志風に意訳すると次のようになる。
(以下、私によるまとめ、私釈三国志風)
徳川の家臣や「痩我慢」として見た場合、榎本武明の抵抗は特に立派だった。
でも、その後、敵だった明治政府から爵位をもらったり、立身出世を重ねていったら、これらの立派な行為は台無し。
「痩我慢」の美徳も消し飛んでしまうじゃねーか。
政府からもらった名誉や禄を捨て、さっさと隠棲しろ。
まあ、人間弱いし、別の事情もあるだろうから隠棲できないかもしれねー。
だから、痩せ我慢を維持していくために、同時代の人間として二人を批判した文章を書いとく。
(意訳終了)
私が考える(違う可能性は十分ある)に、福沢諭吉は慎重だったと考えられる。
というのも、この本文を批判した二人に文章を送り、「間違いや反論があったら指摘してほしい」と意見を求めているからである。
それに対する勝海舟の返事(重要な部分のみ抜粋)は上の通り。
また、この文章は明治24年頃に執筆されたが、公開されたのが明治34年である。
つまり、長い間、関係者や周辺の人間しか知らなかった(それでも漏れたらしいが)ことになる。
この点からも福沢諭吉の本文に対する慎重さが垣間見える。
この点、私はどちらか一方のみの肩を持つ気はない。
福沢諭吉のような立場であれば福沢諭吉のようなことを書くだろう。
それに対して、勝海舟側のような立場であれば、勝海舟のような振る舞いをするだろう。
そう考えるからである。
3 第一段落を意訳する
まず、第一段落を意訳してみる。
具体的には、「立国は私なり、公に非なり。」から「つねに隣区と競争して利害を殊にするにおいてをや。」までの部分である。
(以下、第一段落の私釈三国志風意訳、これが意訳であることに注意)
国家はエゴによって作られる。
パブリックなんてフィクションだ。
地球上にはたくさんの人間がいる。
人々は海や山によって集団毎に分けられてしまう。
だが、住んでいる土地を利用して食べ物や衣類を作って生活すればいい。
また、余ったもの、足らないものはお互いに交易するのもいいだろう。
このように、太陽や自然の恵みを使って、土地を耕して食料を食べ、物を生産し、交易をして豊かな生活を送る。
これが実現すれば十分じゃねーか。
それなのに、なんで国境を作って国家なんか作るんだ?
なんで国家同士で縄張り争いするんだ?
なんで隣の国家の不幸を気にせず、自分の利益に邁進するんだ?
さらに、国家の中でボスを作って、ボスを「君」なんて立派に仰ぎ、その上、みんなの財産を空費するのはなんでやねん?
しかも、国家の中で複数の集団に分け、それぞれの集団で中ボスを作って、中ボスを仰いで服従し、隣の集団と競争するなんてまあバカなことか。
(意訳終了)
、、、改めて自分の言葉に変換してみると見えてくるものがあるな。
この点、近代国家はジョン・ロックの思想の上に立っている。
そのロックの前提は次のとおり。
・身分や特権はない(人はみな平等である)
・人には予見能力があるので、飢えをしのぐための食料などの資源(富)を求める、その際、現在の分だけではなく、将来の分も確保しようとする
・人間は「労働」によって富を増加させられるので、富は無限である
第一段落の前半部分は、ロックの思想と極めて類似する。
このロックの思想に対して、ホッブスが別の前提を置いた点はこれまで触れてきた通り。
そして、ホッブスの前提と帰結が「富は有限である」であり、その結果、「万人の万人に対する闘争をもたらす」となる点はこれまでさんざん触れてきた通りである。
日本は自然が豊かである。
だから、ジョン・ロックの前提がすんなり受け入れられたのだろう。
一方、日本が砂漠の国(アラビア)や人口過剰の国(中国・インド)だったらどうだろう。
ジョン・ロックの思想は一顧だにされないかもしれない。
ジョン・ロックの思想から見た場合、「なんで争うの?」という問いは正当である。
しかし、現実に争いは絶えないし、争いを勝ち抜くにはリーダー(権力と権威を代行する者)が必要になる(アテナイのペロポネソス戦争参照)。
また、ホッブスの前提を置けば「争いは起きて当たり前」になる。
当然だが、福沢諭吉をどうこういうつもりはない。
ただ、明治時代は近代思想を必死で取り入れていった時代。
近代思想という補助線を引きながら「痩我慢の説」を見ていったら面白いかもしれない。
第一段落を意訳してそんなことを考えた。
第二段落以降は次回、いや、来年以降に
(この記事は年内120個目の記事であり、これにて年内の記事は終了である)。
では、皆さん、良いお年を。