今日はこのシリーズの続き。
『小室直樹の中国原論』を読んで学んだことをメモにする。
4 第1章を読む_後編
前々回・前回と「幇」という人間関係について『三国志演義』・『刺客列伝』などの歴史(歴史物語)から見てきた。
今回はその続きである。
聶政の物語において、厳遂が聶政を訪問したこと、聶政が厳遂と対面して宴会が始まったところまでは見てきた。
つまり、厳遂は聶政と会うことにより一次試験をパスし、二次試験が始まったことになる。
このとき、厳遂は大金を贈って聶政の母の長寿を祝った。
しかし、聶政はこの受け取りを拒否する。
というのも、聶政から見た場合、厳遂は何故聶政に近付いて親交を結ぼうとするのかが分からないし、また、下手に大金を受け取ったら何をさせられるのかが分からないという事情があるからである。
そこで、聶政は「私に何をさせたいのだ」と厳遂に問う。
これに対して、厳遂は「特に、頼みたいことはない」と要求を出さない。
厳遂から見れば、お金を受け取ってもらえなかったため十分な人間関係は形成されていない以上、要求ができるタイミングではないと考えたことになる。
ここで重要なのが人間関係を結ぶためには時間がかかること、そのため、時間を急がないこと。
まあ、このことは日本もアメリカも大差ないような気がするのだが。
厳遂は要求こそ出さないが、母親の長寿の祝いとして差し出したお金を受け取るように勧める。
しかし、聶政は「老母はいるが、生活に苦労させているわけではない。よって要らない」と固辞する。
それを見て、厳遂も一応の関係ができたことに満足して、自分の心中を述べることになる。
厳遂は「私は仇を討ちたい人間がいる。そのため、仇を討てる勇士を探しているのだが、適当な人間に巡り合えなかった」と。
しかし、要求は出さない。
ところで、このように見ていくと、中国と日本の仇討ちの違いが分かる。
両者には大きな開きがあるとさえいえる。
まず、日本の場合、仇討ちは自ら実行するということ。
つまり、誰かに依頼する、ということは考えない。
そして、もう一つの違いが、自分に親しい人(多くは親)が殺されたことが原因になる点である。
つまり、日本の場合、自分自身に受けた屈辱・恨みを晴らすことを仇討ちとは言わない。
例えば、日本で有名な仇討ちとして曾我兄弟・赤穂浪士が挙げられる。
いずれも、親や主君が殺されたことが原因となっており、自分自身の無念を全面的に押し出すことをしない。
また、誰かに依頼するということもない。
他方、中国で著名な刺客として知られている聶政と荊軻にはそれぞれ依頼をした人間がいる。
また、その依頼をした人間にしても別に親の無念が云々、といったことはない。
なお、刺客列伝に記載された刺客についてみても見ておこう。
荊軻、代理として実行・依頼者(燕の太子丹)の目的は自身の怨恨に由来
聶政、代理として実行・依頼者(厳遂)の目的は自身の怨恨に由来
豫譲、自身が実行・目的は主君の仇討ち
専諸、代理として実行・依頼者の目的は政権奪取
曹沫、自身か代理かは不明・目的は領土の奪還(目的を達したため暗殺は未遂)
このような比較は比較社会分析のサンプルとして絶好であるから少し踏み込んできた。
ここで、聶政の物語を厳遂の立場から見てみよう。
厳遂は諸国をめぐって刺客を求めていたところ、聶政を見つけた。
そこで、礼を厚くして、辞を低くして、聶政に交際を申し込む。
そして、交際が厚くなったころに自己の心中を打ち明ける。
もっとも、要求が通るとは思っていない。
相手には相手の事情があるから。
この「相手の事情を考える」ことは重要であり、そのような考えの至らない「礼」をいくら尽くしても、中国人は「礼」とは見ないであろう。
その辺を理解していた厳遂は心中を打ち明けたものの、何も希望を述べなかった。
ところで、この目的のない交際、これぞ最高の交際である。
厳遂は「斉にきてあなたが義に厚いと知り、お付き合いしたいと考えているだけです。この贈り物の黄金も母上様のために利用してほしいと思っているだけです」と言う。
もちろん、本音が「刺客になってくれ」ということは明らかであるとしても。
これに対して聶政は「私が今の生計を立てているのは、老母を養うためである。その老母がいる限り、我が身を他人に捧げることはできない」と返答して、お金の受領を固辞する。
普通ならここであきらめるかもしれない。
刺客を他に求めることも可能であろう。
もっとも、幇を作りたいと思ったら、これでめげてはだめである。
人間関係を築くのは時間がかかるのだから。
厳遂も断られたが、最後まで聶政を賓客として扱い、帰っていった。
ここで重要なことは、人間関係の深さが通る要求と関連すること。
そして、お金はその人間関係の深さを得るための道具に過ぎない。
言い換えれば、人間関係を深められない金銭は無意味であるし、金銭と要求はストレートにリンクしていない、ということでもある。
さて、聶政は厳遂のお金を受領しなかった。
また、厳遂は聶政に対して心中を打ち明けただけであった。
この点を形式的、資本主義的に見れば、「刺客になることを依頼する」・「依頼を受諾する」という意味の取引は成立していない。
もっとも、聶政と厳遂が生きている世界は中国、しかも、資本主義が興る前の中国である。
だから、資本主義的な観点とは異なる見方が必要になる。
そこで、ここで資本主義的な取引と中国社会の取引についてみていく。
まず、資本主義社会においては取引成立とは契約が成立することを言う。
つまり、契約が成立すれば、相互に債権・債務が発生し、債務については履行責任が発生する。
このとき、債務の内容は契約の内容によって決まり、人間関係が入り込む余地はない。
そして、資本主義社会では基本的に価格は需要と供給によって決まる。
しかし、中国ではそうはならない。
価格決定に情誼(チンイー)という人間関係が入り込む。
この点は次の読書メモで見てきたとおりである。
ところで、以上の話は取引だけではなく、賄賂にも成立する。
アメリカにおいて賄賂は違法である。
しかし、アメリカにおける賄賂は役人の行為の購入を意味する。
だから、賄賂をもらった以上は役人は賄賂に応じた行為をなす必要がある。
これがキリスト教・資本主義社会における賄賂の意味である。
このことは暗殺者の雇用にも言える。
暗殺者は暗殺に関する契約に忠実でなければならず、そうでなければ暗殺者は務まらない。
例えば、南北戦争の後、アメリカは資本主義の精神が充実し、プロテスタンティズム(ピューリタン・ユグノー)の倫理は広まっていった。
その結果、第三次大覚醒ともいうべき時代がやってきた。
しかし、この時代は「金ぴか時代」と呼ばれる時代でもあり、賄賂が横行し、腐敗堕落は全国に満ち満ちていたと言われている。
例えば、南北戦争で北軍を指揮した英雄グラント将軍は大統領になるものの、任期中は役人のスキャンダルに悩まされ続けることになる。
さて、この時代、アメリカは急激な成長を遂げることになる。
例えば、アメリカ政府は鉄道建設を積極的に進め、補助金の交付・沿線の土地の払い下げていった。
そして、鉄道建設には大資本が必要であったことから、鉄道事業の独占化が進み、これが百万長者を生み出した。
その一方で、アメリカ政府は積極的な産業育成政策を実施した。
その結果として、賄賂が日常的になり、政治の腐敗は最高潮に達した。
また、アメリカの急成長を見込んで大量の移民がやってきたところ、金持ちの政治家はこれに目を付ける。
つまり、彼らの衣食住や就職や病気の世話を見る代わりに、移民の票を獲得した。
票を獲得した議員は市政をわが物にして、公共性を利用して大いに私益を吸い上げた。
このように、アメリカの政治は腐敗まみれになっていたが、逆に、アメリカ経済は大躍進を遂げることになる。
過去、中国が腐敗堕落で経済発展が損なわれたのとは対照的である。
また、この比較は中国やアメリカを理解する上で絶好のサンプルである。
本書が取り上げているのは、結局は賄賂も資本主義的な契約の形をとる、ということである。
ならば、賄賂を通じて役人市場ができただけ、ともいえる。
そして、その役人市場がスムーズに機能していれば、廉潔性から見て問題があるとしても、市場の合理的な作動を妨げることはない。
それゆえ、腐敗堕落が極まっていたとしても資本主義的な発展はありうる、ということになる。
さて、賄賂や取引に話が飛んでしまったが、話を再び聶政の物語に戻す。
資本主義的な意味の取引は成立しなかったが、厳遂と聶政は人間関係を深めることに成功した。
つまり、厳遂は「幇」ではないとしても、相応の人間関係という資産(アセット)を取得することができた。
そして、聶政の母が亡くなる。
とすると、前提が変わったために、聶政は厳遂との人間関係を思い出す。
そして、「厳遂さまは私を国士として扱ってくれた。これまでの私は老母がいたのでそれに報いることができなかったが、老母は天寿を全うした。それゆえ、これからは厳遂さまのために報いよう」と考える。
いわゆる「士は己を知る者の為に死す」であり、この点は豫譲の場合と同様である。
そして、聶政は厳遂の下に行って、刺客になることを打ち明ける。
これに対して、厳遂はターゲット(韓の首相侠累)を教え、さらには手伝いや車・馬の提供を申し出る。
しかし、聶政は人を多くすると秘密が漏れるので危険であると述べ、単身、韓へ出かけていく。
そして、役所に乗り込んでターゲットたる侠累を刺殺、一気に目的を達成することになる。
役所は大混乱、そのなかで聶政は縦横無尽に大活躍、数十人を討ち果たす。
しかし、多勢に無勢、自分の身元が分からぬようにして自害する。
その後、韓の政府は、刺客たる聶政の身元が分からなかったため、聶政の死体を城下にさらし、「この者の身元を明かした者には褒美を与える」と懸賞金をつけて調べたが一向に判明しない。
一方、聶政の姉は韓に出向いて遺体を確認したところ、刺客が聶政であることを確認する。
そして、その姉は「刺客となったのはわが弟、聶政である」と絶叫し、その場で自害する。
当時の人々は「聶政のみならず、この姉は立派である」と言い合い、この物語は『史記』に掲載されることになる。
以上が聶政のストーリーである。
なお、本書では出典元として『史記』と『戦国策』を挙げているが、すぐに確認できる資料として次のリンクを紹介する。
これらのサイトは、私が参考にしたサイトである。
この点、中国では刺客が相応の社会的地位を持っている点を述べた。
これはアメリカの暗殺者(殺し屋)とは比較できない。
このことはある種漫画のシティー・ハンターをイメージすればいいかもしれない。
ただ、刺客と殺し屋を比較すると、理解が深まるであろうと考えられる。
そこで、両者を社会的に比較してみる。
まず、アメリカの殺し屋の特徴は殺人がビジネスであり、資本主義的契約であることが挙げられる。
これは資本主義社会なのだから当然ともいえる。
そして、資本主義的契約であることから、殺し屋への報酬が多額になる。
需要と供給のバランスを見た場合、圧倒的に需要の方が大きいのだから。
また、事情変更の原則の適用もない。
土地(商品)を引き渡すかの如く、暗殺・殺人を実行することになる。
このようなアメリカ的な事情は日本には存在しない。
その結果、日本には(アメリカにおける)「殺し屋」のような仕事は存立しえないことになる。
本書では、「殺人契約を締結して、前金をもらった。契約(殺人)を中止してとんずらするのと、契約を実行することのどちらがまずいか」という仮想質問を利用している。
そりゃ、日本の場合、人格と契約が結び付けられているわけだから、そうなるのも当然である。
ところで、この殺し屋の観点を見た上で刺客について見ていくと、刺客の特徴が見える。
まず、刺客は資本主義的契約によるわけではないことが分かる。
というのも、報酬が受け取れないからである。
刺客列伝に登場する5人(6人)で生き残ったのは曹沫だけである。
残りは全員死んでしまった。
また、ミッションを達成した聶政・専諸・曹沫を見ても、生き残れたのは曹沫のみ。
曹沫がどうなったのかは記録がない。
また、聶政についてもその一族には名誉しか残らなかった。
専諸についてはその子供が諸侯に取り立てられたという記録があるが、それだけである。
これに対して、アメリカの殺し屋の場合、原則として生還することが前提となる。
報酬を受け取るならば生き残らなければならないからである。
この原則として生還ということが資本主義的な殺し屋の条件である。
ならば、中国の刺客が契約によっているとみることは難しいだろう。
さらに言えば、聶政は報酬自体受け取っていない。
ただ、本件を見ると、報酬を受け取っても受け取らなかったとしても刺客になるかどうかは無関係であることが分かる。
というのも、聶政が刺客になったのは、母親の死亡という事情の変更にあるからである。
これは事情変更によって契約が有効になったと言えるであろう。
そして、その背後には人間関係というアセットが効果を発揮したことになる。
以上のように、人間関係を中心に見ないと中国の理解は難しい。
そして、それができない資本主義企業は中国から撤退することになる。
たとえ、その内容が資本主義から見て理解を絶するものだとしても。
以上が第1章のお話である。
色々と参考になった。
ところで、アメリカの殺し屋・中国の刺客・日本の暗殺者を比較したら何か見えてくるものがあるかもしれない。
その際、日本の暗殺者としてシティーハンターあたりをサンプルにしたらどうなるか。
興味は尽きないが、時間がないのでそれはまたの機会としたい。