今日はこのシリーズの続き。
『数学嫌いな人のための数学』を読んで学んだことをメモにする。
20 第4章の第3節を読む(前編)
第4章の第3節のタイトルは「社会科学の最重要概念_必要条件と十分条件」。
高校数学、または、数的処理の判断推理、もしくは、SPIの推論で登場する必要条件と十分条件についてみていく。
というのも、数学を薬籠中のものにしようと考えた場合、必要条件と十分条件という概念ほど重要な概念はない一方で、両概念を理解することは非常に困難なものだからである。
本書は、日本の数学博士たる高木貞治(ていじ)博士の述懐が紹介されている。
曰く、「高等学校(現在の大学1・2年生)の学生に必要条件と十分条件を理解させることは困難である」と。
この発言での高等学校は旧制の高等学校である。
明治時代のころ、この旧制高校は全国に数えるほどしかなく、名古屋に高等学校(八高)ができたのは明治41年である。
つまり、高等学校に合格するのは全国にも名だたる抜群の秀才に限られていた。
しかし、その高等学校に入学した秀才に対しても「必要条件」と「十分条件」を理解させることは困難であった、そう高木教授は述懐しているわけである。
もちろん、当時の高等学校の学生に講義は行ったし、彼らも試験では合格した。
しかし、いつの間にか忘れ、しまいには何のことか分からなくなる。
このエピソードは「大学入試の為に必要条件と十分条件を学んだところで、大学受験を突破したら全部忘れてしまう」という現代の現象とオーバーラップしないではない。
なお、著者はこの二つのエピソードこそ日本の数学不振の最大の原因ではないかと述べているが、それはさておき。
では、「必要条件」と「十分条件」とは何か。
具体例から考える。
「犬は四本足である」という正しい命題があったとする。
このとき、この命題から必要条件と十分条件は次のように表現できる。
1、「犬であること」は「四本足であること」の十分条件である
2、「四本足であること」は「犬であること」の必要条件である
以上は具体例のお話である。
抽象化することで、必要条件と十分条件の意味を詰めておこう。
「『Pである』ならば『Qである』」という正しい命題がある場合、
「Pであること」は「Qであること」の十分条件である
「Qであること」は「Pであること」の必要条件である
これで説明は終わりである。
本書では様々な例を用いて説明している。
例えば、人間・犬は哺乳類であることから次のことが言える。
人間は哺乳類である → 「人間である」ことは「哺乳類であること」の十分条件
犬は哺乳類である → 「犬である」ことは「哺乳類であること」の十分条件
もちろん、これについてはライオン・虎・クジラについても同様である。
そのことから、哺乳類であることの十分条件は「人間である」ことを含めてたくさんある。
しかし、哺乳類であるとしても人間とは限らない(犬かもしれない・虎かもしれないなど)のであるから、哺乳類であることは人間であることの十分条件にはならない。
あるいは、「正方形であれば長方形である」という命題は正しい。
そこで、「正方形であることは長方形であることの十分条件」、「長方形であることは正方形であることの必要条件」ということになる。
本書では練習問題として「十分条件であること」や「必要条件であること」の例を考えてみよ、という問題があるが、いくらでも列挙できるためここでは割愛。
以上、必要条件と十分条件の定義を確認した。
「人間であれば哺乳類である」という正しい命題を例にすれば分かる通り、「PであればQである」が正しいとしても、「QであればPである」が正しい保障はない。
というのも、「人間であれば哺乳類である」と言うことができても(正しいとしても)、「哺乳類であれば人間である」と言うことはできないのから(例えば、鯨の場合を想像してみよ)。
しかし、場合によっては、必要条件であると同時に十分条件である場合もある。
例えば、「平行四辺形であれば、2組の対角はそれぞれ等しい」という命題を考える。
この命題は証明により正しいと言える。
その一方、「2組の対角がそれぞれ等しければ、その四角形は平行四辺形である」ということも証明によって正しいことが言える。
その結果、「平行四辺形であること」は「2組の対角がそれぞれ等しいこと」の必要条件にして十分条件であることになる。
このような場合、「必要十分条件」であるという。
他の例としては、「二等辺三角形は二等辺三角形であることの必要十分条件である」、「四角形の四角が総て直角であることは四角形が長方形であることの必要十分条件である」などが挙げられる。
一応、抽象化すれば、次のようになる。
「PならばQである」と「QならばPである」がともに正しい場合、PはQの必要十分条件であり、QはPの必要十分条件となる。
また、必要十分条件に該当する場合、その二つは論理的には全く同じことを言っている。
そこで、このときの二者(上でいうPとQ)は同値である、と言う。
ちなみに、「論理的に同じ(同値である)」とは一方を示すことで同時に他方も示すことができることを言う。
形式論理学の言葉を用いれば、「『同一律』によって変換できる」と述べてもいい。
なお、本書では、「二辺が等しい三角形」と「二角が等しい三角形」が「いずれも二等辺三角形になる」いうサンプルを通じて同値について説明している。
この点、「二辺が等しい三角形」と「二角が等しい三角形」は定義が違う。
つまり、表現が違うし、両者の注目している対象も辺と角というように異なる。
とすれば、両者は同値でないように見える。
しかし、数学的証明(論理的な変換)を用いることにより、この両者は共に二等辺三角形になる。
そこで、両者は同値であると言うことができる。
逆に、両者は定義が異なることを理由に同値ではないと言うことができない。
そして、このことを「論理専横」と言うらしい。
また、二辺が等しい三角形では角について何も言及していないのだから、二角が等しくても差し支えない。
その逆も然り。
以上は三角形についてのお話。
では、四角が総て等しい四角形と四辺が総て等しい四角形の場合はどうか。
残念ながら、この場合は同値にならない。
つまり、四角が総て等しい四角形は長方形であり、四辺が総て等しい四角形はひし形になるからである。
この点、正方形は両者の条件を満たすが、そうでない場合は片方の条件しか満たしていない。
それゆえ、両者は同値にはならない。
なお、「同値」という言葉は数学用語なのでピンとこないかもしれない。
しかし、「論理的に同じ」や「一方が正しければ、他方も正しい」という言葉で置き換えれば理解しやすいだろう。
特に、後者は重要である。
というのも、複数の定理が同値であることが分かっている場合、一つの定理が成立することを証明することで、自動的に他の定理も成立することが判明するからである。
話はここからコラムに移り「循環論も正しい」ということについて高木博士の『解析概論』を用いて説明している。
つまり、高木博士の『解析概論』の第1章では最初に次の4つの定理が出てくる。
定理1 デテキントの定理
定理2 ワイエルシュトラスの定理
定理6 単調有界な数列は収束する定理
定理7 区間縮小法
そして、この4つの定理は総て同値であることが示されている。
そこで、どれか一つを公理として設定すれば、他の3つの定理は証明できることになる。
ところで、この四つの証明の仕方は循環論と同じ構造をしている。
そのため、少し昔の西洋人であれば「証明になっていない」という顰蹙を買ったかもしれない。
しかし、数学の証明方法が知れ渡ることにより、これで少しも差し支えないことが明らかとなった、と言われている。
これらを十二分に駆使できることが数学理解にとっての必要十分条件である。
そして、このことは一見簡単に見える。
しかし、実際のところ、これを本当に理解して使いこなすことはかなり困難である。
さらに、この考え方を広く流布して、多くの人々が習慣的に用いることができるようになることについては、それ以上に困難である。
というのも、必要条件・十分条件・必要十分条件は論理学の中枢であるところ、これが縦横無尽に活躍するようになったのは、近代以降の話だからである。
つまり、形式論理学の厳密な展開は近代以前の多くの人々を敬遠かさせたからである。
まあ、このような話を見ると、日本で必要条件・十分条件・必要十分条件んを流布し、日本人をしてこれらの概念を習慣的に使わしめることなど未来永劫不可能と判断せざるを得なくもないが。
ここで著者の体験談が紹介されている。
本書で紹介されている話は著者(小室先生)ととある経済学者の話らしいが、これを会話形式にすると次のようになる。
小室先生「(様々なデータを示しながら)、経済学の研究のためには数学は必要不可欠である」
某経済学者「数学だけでは経済学の研究のためには十分ではない。というのも(以下、様々な事例を列挙)。よって、私は君の意見に賛成することはできない」
小室先生「先生のご説はごもっともなものでございます」
某経済学者「なんだ、君は自説をそんなに簡単に撤回するのか。節操のない奴だ」
某経済学者の最後に述べた通り、このエピソードで小室先生は自説を撤回したか。
当然だが、小室先生の「経済学の研究のためには数学が不可欠」という主張と某経済学者の「数学だけでは経済学の研究のためには不十分」という主張は両立する。
つまり、「必要であること」は「十分ではないこと」は両立する。
したがって、小室先生が経済学者の説に同意したからといって、撤回したことにならない。
果たしてこの経済学者は何をしたかったのだろう。
数学を強調されたのが気に食わなかったのだろうか。
話はここからソビエト帝国崩壊に進むのだが、そこそこの分量になってしまった。
そこで、残りは次回にする。