今日はこのシリーズの続き。
『数学嫌いな人のための数学』を読んで学んだことをメモにする。
17 第4章の第1節を読む
本読書メモも第4章に入る。
第4章のタイトルは、「数学の論理の使い方_証明の技術_背理法・帰納法・必要十分条件・対偶の徹底解明」である。
また、第4章に登場する学者はカール・マルクスである。
ガウス、アリストテレスからマックス・ヴェーバー、マルクスへ続くところを見ると、「この本は文系のための本なのだなあ」という感想を持たざるを得ない。
ただ、数学との兼ね合いで考えると、自然科学より経済学よりになるのはしょうがないのかもしれない。
自然科学の場合、「自然現象の観察」や「実験」の要素の比重が強く、数学の力は相対化されてしまうので。
本章では、証明の技術として使われる概念、「背理法」と「帰納法」、また、「必要十分条件」と「対偶」についてみていくことになる。
いずれも論理と数学を使いこなす際には重要な概念である。
そんなところで、第1節に移る。
第1節のタイトルは「形式論理学の『華』_背理法(帰謬法)」である。
数学的証明・統計検定で使われる背理法について見ていくことになる。
(統計検定の場合、証明の強さこそ相対化されているが、この検定の背後にあるのは背理法である)。
そのため、「矛盾」が解消できないと、その説明・論理が破綻する。
この「矛盾」を利用した実効性の極めて高い証明技術、これが背理法である。
背理法を用いた証明で著名なものに、古代ギリシャのピタゴラスが行った「√2(ルート2)は有理数ではない」ことの証明がある。
この証明は後に触れる。
背理法のロジックは次の形式をとる。
1、「AはBである」と証明したいと考える
2、「AはBではない」と仮定する
3、「AはBではない」を前提に論理を進めて矛盾を生じさせ、論理を破綻させる
4、「AはBではない」が誤りである旨の結論を出す
5、「AはBではない」が誤りであることから、「AはBである」である旨の結論を出す
この点、形式論理学では「AはBである」と「AはBでない」という2つの命題がある場合、「どちらか一方が必ず成立する」という帰結になる。
「両方とも成立する」・「両方とも成立しない」・「両者の中間である」といった結論は矛盾律と排中律によってはじかれるからである。
そこで、一方の論理を破綻させてしまえば、自動的に他方の結論になる。
これぞ背理法である。
この点、形式論理学を作ったのは古代ギリシャのアリストテレスである。
そのためか、古代ギリシャ人は形式論理学によって作られたこの背理法を好んだらしい。
この「矛盾をついて破綻させる」ということを徹底した背理法は形式論理学の華であり、古代数学の華であった。
さらに、背理法の実効性の高さからこの証明技術は現代にも引き継がれている。
本書では、「プラトンの対話編」にあるソクラテスの問答から背理法の有名例を引き出している。
簡単に対話の形式を述べると次の形式になる。
①ソクラテスが問を発する
②相手が答えを出す
③ソクラテスが相手の答えを前提に論理を発展させ、不合理な結論となることを示す
④上述の不合理な結論から、②が誤りであることを示す。
これは上で述べた背理法の構造と同様である。
本書では、ここで「ジレンマ(両刀論法)」と呼ばれる論法について紹介されている。
「両刀論法」とは、相手を板挟みにして進退窮まらしめる論法であり、論争・討論で相手の主張をつぶす際に極めて有効な働きをする論証法である。
本書では、自己矛盾を含んだ契約を結んだ両当事者が互いに互いをジレンマに追いやろうとしている例が紹介されている。
ところで、古代ギリシャ人だけではなく、中世の哲学者も背理法を好んだ。
例えば、中世を代表する大思想家のトマス・アクィナスは、背理法を用いて神の存在を証明した。
ちなみに、アクィナスは14世紀にカトリック教会によって聖人に列されているし、彼の教義は19世紀の第二次ヴァチカン会議までカトリックの公式教義にされていた。
また、アクィナスの神の存在証明の特に優れていると言われている。
なお、第1章で述べた通り、存在問題(存在定理)は数学の根本問題である。
また、神の存在問題は古代イスラエル人の宗教からキリスト教・イスラム教に至るまでの啓典宗教における最大問題である。
背理法が数学の根本問題と啓典宗教の最大問題でリンクしたことは見ておく必要がある、らしい。
以上色々と見てきたが、背理法にはすごい威力がある。
そこで、この背理法の本質を理解し、背理法を使いこなせるようになることが肝要である、と著者は強調している。
話はここでコラムに移り、ピタゴラスが背理法を用いて証明した「ルート2は有理数ではない」の具体的な証明の話に移る。
前述の1~5を用いて証明の展開を示すと次のような形になる。
(以下、「ルート2が無理数であり、有理数ではない」ことの証明)
1、「『ルート2は無理数である(有理数ではない)』ことを証明せよ」という問を立てる
3、「ルート2は有理数である」を前提として矛盾を発生させる
具体的には次の方法を採用する。
(1)ルート2が有理数であれば、1以外に公約数を持たない自然数aとbを用いて
①、ルート2=b/a
と表現できることになる。
なお、このaとbの関係のことを「aとbは互いに素である」などと呼ばれる。
(2)①を乗して式整理すると
②、2×a^2=b^2
となり、bは偶数であることが分かる。
(3)bは偶数であるから、自然数cを用いて「b=2c」と置けるところ、②のbをcで入れ替えて式を整理すると、
③、a^2=2×c^2
となり、aは偶数であることが分かる。
(4)ここで、(2)と(3)からaとbは偶数となっている。
ならば、aとbは最低でも2の公約数を持つことになるが、この結論は、(1)の「aとbは互いに素である(1以外の公約数を持たない)」と両立しない。
よって、2の前提によった場合、矛盾が発生する。
4、3の結論から「ルート2は有理数である」という仮定は誤りであると言える。
5、4の結論から「ルート2は無理数である」と証明できる。
このような感じで数学において背理法は絶大な威力を持っている。
また、背理法の手法は現代社会において決定的かつ重要な役割を演じている(統計検定でも証人尋問で証言の信用性を突き崩す場合でも)。
このことから背理法を理解することの重要性が推測できる。
というのも、ユークリッド幾何学から非ユークリッド幾何学への発展にも背理法が決定的な役割を果たすことになるからである。
発見者はロシアの天才数学者、ニコライ・イワーノビッチ・ロバチェフスキーである。
この点、ユークリッド幾何学は次の5つの公理からスタートしている。
公理1、任意の点とこれと異なる他の任意のテントを結ぶ直線を引くことができる
公理2、任意の線分はこれを両方へいくらでも延長することができる
公理3、任意の点を中心として任意の半径で円を描くことができる
公理4、直角はすべて相等しい
公理5、2つの直線が1つの直線と交わっているとき、もしその同じ側にできる内閣の我が2直角よりも小であったならば、その側へ延長すれば必ず交わる
ここで、公理の補足をしておく。
まず、公理1から直線を引く手段として目盛りのない定規を利用してよい、と言える。
また、公理1と公理2をまとめると「二点を通る直線はただ1つである」となる。
さらに、公理3はコンパスを使ってもよいと言える。
ところで、公理1から公理4は単純であるのに対して、公理5は複雑である。
なお、公理5は現在では次のように言い換えられている。
公理5の変形、任意の直線と直線外の任意の1点が与えられているとき、その1点を通り、かつ、その直線に平行な直線はただ1本に限られる
これは平行線の公理と言われている。
二次元「平面」上に限定して考えれば、これは間違ってないだろう。
ただ、そこに単純さはない。
そこで、数学者たちは「公理5は公理(仮定・前提)ではなく、公理1から公理4から証明された当然の結果に過ぎないのではないか」という疑問を持った。
もっとも、公理1から公理4から公理5を導くことは19世紀まで誰もできなかった。
そのため、「公理5は公理(仮定・前提)なのか結論なのか」という点に結論が出なかった。
こんな状況で、ロバチェフスキーが登場した。
彼はガウスより22歳年下である。
ロバチェフスキーは第5公理を外して、「第1公理から第4公理に第5公理と矛盾した公理を追加した幾何学」を作って論理を進めていった。
第5公理に反する公理を追加して論理を破綻させようとしたわけであり、ここでも背理法が登場する。
ここで追加した公理は「一直線外の任意の1点を通ってその直線に平行な直線は必ずしも1本とは限らない」というもの。
この点、この過程で矛盾が生じれば、第5公理と矛盾した追加した公理が間違いとなって、第5公理が前提であることが確定する。
矛盾が生じれば証明終了であり、目的は達成される。
ところが、ロバチェフスキーが幾何学を発展していっても、矛盾はいつまで経っても出現しなかった。
その一方で、新しい幾何学体系の推論によって新しい定理はどんどん発見されていく。
その結果、ロバチェフスキーは新しい非ユークリッド幾何学を作り上げることになる。
本来の意図がそこになかったとしても。
この非ユークリッド幾何学の発見は数学史・科学史に残る大発見であった。
ただ、ここに形式論理学の華たる背理法があることは確認すべきであろう。
なお、科学の歴史ではよくあることだが、この非ユークリッド幾何学とロバチェフスキーの天才性は直ちに認められなかった。
もっとも、後にはロバチェフスキーの天才性が認められることになる。
そして、非ユークリッド幾何学はドイツの数学者リーマンやクラインによって引き継がれ、新たな発展を遂げるのである。
なお、本書では触れられていないが、ユークリッド幾何学と非ユークリッド幾何学の前提における大きな違いは平面を前提とするか、平面を前提としない(曲面をも含むか)となる。
そのため、非ユークリッド幾何学が出現したからといってユークリッド幾何学によって発見されたものが無用の長物に転化するわけではない。
ただ、非ユークリッド幾何学の発見は別のパラダイムをもたらした。
それは、「公理は絶対ではなく、数学者が作ったものに過ぎない」ということである。
つまり、現代の日本教徒が漠然と思っているように、古代ギリシャの人々は「(ユークリッド幾何学における諸)定理は先だって存在し、かつ、数学者がこれを発見するもの」と考えていた。
簡単に述べれば、「前提・定理は既に存在し、科学者はこれを発見する」という発想である。
この発想は古代ギリシャの人々だけではなく、古代ローマ、イスラム帝国、近代ヨーロッパの人々がそう思っていた。
しかし、非ユークリッド幾何学の創造はこの研究態度を一変させることになる。
つまり、「前提・定理は既に存在し、科学者はこれを発見する」から「科学者によって前提はいくらでも創造できる。どの前提が『真実か』という問題設定は意味がない」という方向に。
ちょうど、ロバチェフスキーが非ユークリッド幾何学という前提を設定することで、様々な定理を作り上げていったように。
このパラダイムシフトは幾何学研究法から始まり、現在では様々な科学でも起きている。
かくして科学者は「真理の発見者」から「(妥当な)理論構築者」へと変化することになる。
そして、このパラダイムシフトの際に大活躍した論理こそ背理法と矛盾律である。
以上が本節の話。
うーん、参考になった。
特に、パラダイムシフトの部分が。
私自身、このメモを作成するまで漠然と「科学者の職務は真理の発見」と考えていた。
今回、メモを作り直して「真理の発見から理論構築者」の意味が分かった。
その意味で、読書メモの作成という行為の意義は大きいと考える次第である。