薫のメモ帳

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司法試験の過去問を見直す10 その4

 今回はこのシリーズの続き。

 

hiroringo.hatenablog.com

 

 旧司法試験・二次試験の論文式試験・平成20年度の憲法第1問についてみていく。

 

 今回と次回で関連する最高裁判所判例を参照する。

 その後、本問の結論の妥当性について最高裁判例を軸に再考する

 なお、ここで参照した判例のいくつかは平成13年度の過去問(次回検討する予定である)を見る際に再度参照することになるため、詳しめに見ていくことにする。

 

5 法人(団体)の寄付に関する最高裁判所判例

 ここから参照する最高裁判所判例は次の4つである。

 

昭和41年(オ)444号取締役の責任追及請求事件

昭和45年6月24日最高裁大法廷判決

https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/040/055040_hanrei.pdf

(いわゆる「八幡製鉄事件」)

 

昭和48年(オ)499号組合費請求事件

昭和50年11月28日最高裁判所第三小法廷判決

https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/203/054203_hanrei.pdf

(いわゆる「国労広島地本事件」)

 

平成4年(オ)1796号選挙権被選挙権停止処分無効確認等事件

平成8年3月19日最高裁判所第三小法廷判決

https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/864/055864_hanrei.pdf

(いわゆる「南九州税理士会事件」)

 

平成11年(受)743号債務不存在確認請求事件

平成14年4月25日最高裁判所第一小法廷判決

https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/439/062439_hanrei.pdf

(いわゆる「群馬司法書士会事件」)

 

 各事案を比較してみると次のようになる。

 

八幡製鉄事件

 主体は株式会社(八幡製鉄株式会社)

 寄付先、政党(自由民主党

 寄付金額、350万円

 構成員への追加負担など、特になし

 判決による寄付の決議の効力、有効

 

国労広島地本事件

(寄付対象が複数あるため、それら毎に分けて考える)

 主体は、労働組合(事実上の強制加入団体)

 寄付先は、①他の労働組合、②安保闘争で不利益処分を被った組合員、③支持政党

 構成員の負担は、①が350円、②が30円、③が20円

 判決による構成員の協力義務の有無、①と②は義務あり、③は義務なし

 

・南九州税理士会事件

 主体は南九州税理士会(税理士にとっての強制加入団体)

 寄付先は政治団体政治資金規正法上の団体)

 構成員への負担、5000円

 負担に応じない構成員への不利益、「会費滞納者としての扱い」と「役員選挙の選挙権などのはく奪」

 判決による決議の効力、無効

 

・群馬司法書士会事件

 主体は群馬司法書士会(司法書士にとっての強制加入団体)

 寄付先は兵庫県司法書士会(復興支援目的)

 寄付総額は3000万円

 構成員への負担、1回の登記申請につき50円(期間は3年間)

 負担に応じない構成員への不利益、後述

 判決による決議の効力、有効

 

 

 これらの事件の判決で最高裁判所が述べたことを確認していく。

 

6 八幡製鉄事件最高裁判決を見る

 この点、八幡製鉄事件では「株式会社(営利社団法人)の権利能力」・「法人の人権享有主体性」・「政党への寄付と取締役の忠実義務違反」が主要な争点であり、「株主の寄付されない自由」についての言及はほとんどない。

 ただし、著名な判例であることを考慮し、重要な点をまとめておく。

 

 まず、最高裁判所は株式会社の権利能力を広い範囲で肯定した。

 

(以下、八幡製鉄事件最高裁判決より引用)

 x社は定款に定められた目的の範囲内において権利能力を有するわけであるが、目的の範囲内の行為とは、定款に明示された目的自体に限局されるものではなく、その目的を遂行するうえに直接または間接に必要な行為であれば、すべてこれに包含されるものと解するのを相当とする。そして必要なりや否やは、当該行為が目的遂行上現実に必要であつたかどうかをもつてこれを決すべきではなく、行為の客観的な性質に即し、抽象的に判断されなければならないのである

(中略)

 会社による政治資金の寄附は、客観的、抽象的に観察して、会社の社会的役割を果たすためになされたものと認められるかぎりにおいては、会社の定款所定の目的の範囲内の行為であるとするに妨げないのである。

(引用終了)

 

 また、次のように述べて、法人の人権享有主体性を肯定した。

 

(以下、同判決から引用)

 憲法第三章に定める国民の権利および義務の各条項は、性質上可能なかぎり、内国の法人にも適用されるものと解すべきである

(引用終了)

 

 これらのことから、法人・団体の寄付の自由は「憲法上の権利」から出発していると言える。

 本問でも、「団体の寄付の自由」を憲法上の権利と関連させたが、その根拠となる判例はこれである。

 

 

 以上を前提に、寄付を強制されない自由について各事件を見ていく。

 

7 国労広島地本事件最高裁判決を見る

 この事件の寄付団体は労働組合である。

 ただ、この事件では寄付先が複数になっている。

 具体的には、他の労働組合への寄付、安保闘争で不利益を受けた人たちへの寄付、支持政党への寄付が問題となっている。

 よって、具体的に見ていくことになる。

 

 

 まず、最高裁判所労働組合の団体の性質に言及しながら、次のような規範を成立する。

 

(以下、国労広島地本事件より引用、一文毎に改行、一部中略、強調は私の手による)

 労働組合の組合員は、組合の構成員として留まる限り、(中略)組合費を納付する義務を負うものであるが、これらの義務(以下「協力義務」という。)は、もとより無制限のものではない

 労働組合は、労働者の労働条件の維持改善その他経済的地位の向上を図ることを主たる目的とする団体であつて、組合員はかかる目的のための活動に参加する者としてこれに加入するのであるから、その協力義務も当然に右目的達成のために必要な団体活動の範囲に限られる

 しかし、いうまでもなく、労働組合の活動は、必ずしも対使用者との関係において有利な労働条件を獲得することのみに限定されるものではない。(中略)

 しかし、このように労働組合の活動の範囲が広く、かつ弾力的であるとしても、そのことから、労働組合がその目的の範囲内においてするすべての活動につき当然かつ一様に組合員に対して統制力を及ぼし、組合員の協力を強制することができるものと速断することはできない。

 労働組合の活動が組合員の一般的要請にこたえて拡大されるものであり、組合員としてもある程度まではこれを予想して組合に加入するのであるから、組合からの脱退の自由が確保されている限り、たとえ個々の場合に組合の決定した活動に反対の組合員であつても、原則的にはこれに対する協力義務を免れないというべきであるが、労働組合の活動が前記のように多様化するにつれて、組合による統制の範囲も拡大し、組合員が一個の市民又は人間として有する自由や権利と矛盾衝突する場合が増大し、しかも今日の社会的条件のもとでは、組合に加入していることが労働者にとつて重要な利益で、組合脱退の自由も事実上大きな制約を受けていることを考えると、労働組合の活動として許されたものであるというだけで、そのことから直ちにこれに対する組合員の協力義務を無条件で肯定することは、相当でないというべきである。

 それゆえ、この点に関して格別の立法上の規制が加えられていない場合でも、問題とされている具体的な組合活動の内容・性質、これについて組合員に求められる協力の内容・程度・態様等を比較考量し、多数決原理に基づく組合活動の実効性と組合員個人の基本的利益の調和という観点から、組合の統制力とその反面としての組合員の協力義務の範囲に合理的な限定を加えることが必要である

(引用終了)

 

 最高裁判所は、労働組合の目的の範囲は広く考えている。

 その一方で、労働組合が事実上加入が強制される(事実上脱退が制約されている)団体である点を考慮し、協力義務の範囲に合理的な制限を加えようとしている

 

 そして、他の労働組合への支援目的の寄付については広い範囲で肯定した。

 

(以下、国労広島地本事件より引用、一文毎に改行、一部中略、強調は私の手による)

 労働組合が他の友誼組合の闘争を支援する諸活動を行うことは、しばしばみられるところであるが、労働組合ないし労働者間における連帯と相互協力の関係からすれば、労働組合の目的とする組合員の経済的地位の向上は、当該組合かぎりの活動のみによつてではなく、広く他組合との連帯行動によつてこれを実現することが予定されているのであるから、それらの支援活動は当然に右の目的と関連性をもつものと考えるべきであり、また、労働組合においてそれをすることがなんら組合員の一般的利益に反するものでもないのである。

 それゆえ、右支援活動をするかどうかは、それが法律上許されない等特別の場合でない限り、専ら当該組合が自主的に判断すべき政策問題であつて、多数決によりそれが決定された場合には、これに対する組合員の協力義務を否定すべき理由はない。

(引用終了)

 

 

 次に、安保闘争に参加して不利益処分を受けた人たちへの支援金については労働組合の政治活動と協力義務の調整」に関する一般論を述べて、結果的に納入義務を肯定した

 ここで、次に参照する南九州税理士会事件との対比で興味深いことを述べているので、長めに引用する。

 

(以下、国労広島地本事件より引用、一文毎に改行、一部中略、強調は私の手による)

 労働組合が労働者の生活利益の擁護と向上のために、経済的活動のほかに政治的活動をも行うことは、今日のように経済的活動と政治的活動との間に密接ないし表裏の関係のある時代においてはある程度まで必然的であり、(中略)。

 それゆえ、労働組合がかかる政治的活動をし、あるいは、そのための費用を組合基金のうちから支出すること自体は、法的には許されたものというべきであるが、これに対する組合員の協力義務をどこまで認めうるかについては、更に別個に考慮することを要する。

 すなわち、一般的にいえば、政治的活動は一定の政治的思想、見解、判断等に結びついて行われるものであり、労働組合の政治的活動の基礎にある政治的思想、見解、判断等は、必ずしも個々の組合員のそれと一致するものではないから、もともと団体構成員の多数決に従つて政治的行動をすることを予定して結成された政治団体とは異なる労働組合としては、その多数決による政治的活動に対してこれと異なる政治的思想、見解、判断等をもつ個々の組合員の協力を義務づけることは、原則として許されないと考えるべきである

 かかる義務を一般的に認めることは、組合員の個人としての政治的自由、特に自己の意に反して一定の政治的態度や行動をとることを強制されない自由を侵害することになるからである。

(中略)

 しかしながら、労働組合の政治的活動とそれ以外の活動とは実際上しかく截然と区別できるものではなく、一定の行動が政治的活動であると同時に経済的活動としての性質をもつことは稀ではないし、また、それが政治的思想、見解、判断等と関係する度合いも必ずしも一様ではない。

 したがつて、労働組合の活動がいささかでも政治的性質を帯びるものであれば、常にこれに対する組合員の協力を強制することができないと解することは、妥当な解釈とはいいがたい。

 例えば、労働者の権利利益に直接関係する立法や行政措置の促進又は反対のためにする活動のごときは、政治的活動としての一面をもち、そのかぎりにおいて組合員の政治的思想、見解、判断等と全く無関係ではありえないけれども、それとの関連性は稀薄であり、むしろ組合員個人の政治的立場の相違を超えて労働組合本来の目的を達成するための広い意味における経済的活動ないしはこれに付随する活動であるともみられるものであつて、このような活動について組合員の協力を要求しても、その政治的自由に対する制約の程度は極めて軽微なものということができる。

 それゆえ、このような活動については、労働組合の自主的な政策決定を優先させ、組合員の費用負担を含む協力義務を肯定すべきである。

 これに対し、いわゆる安保反対闘争のような活動は、(中略)、直接的には国の安全や外交等の国民的関心事に関する政策上の問題を対象とする活動であり、このような政治的要求に賛成するか反対するかは、本来、各人が国民の一人としての立場において自己の個人的かつ自主的な思想、見解、判断等に基づいて決定すべきことであるから、(中略)。

 一定の政治的活動の費用としてその支出目的との個別的関連性が明白に特定されている資金についてその拠出を強制することは、かかる活動に対する積極的協力の強制にほかならず、また、右活動にあらわされる一定の政治的立場に対する支持の表明を強制するにも等しいものというべきであつて、やはり許されないとしなければならない

 次に、右安保反対闘争のような政治的活動に参加して不利益処分を受けた組合員に対する救援の問題について考えると、(中略)。

 しかし、労働組合が共済活動として行う救援の主眼は、組織の維持強化を図るために、被処分者の受けている生活その他の面での不利益の回復を経済的に援助してやることにあり、処分の原因たる行為のいかんにかかわるものではなく、もとよりその行為を支持、助長することを直接目的とするものではないから、右救援費用を拠出することが直ちに処分の原因たる政治的活動に積極的に協力することになるものではなく、また、その活動のよつて立つ一定の政治的立場に対する支持を表明することになるものでもないというべきである。

 したがつて、その拠出を強制しても、組合員個人の政治的思想、見解、判断等に関係する程度は極めて軽微なものであつて、このような救援資金については、先に述べた政治的活動を直接の目的とする資金とは異なり、組合の徴収決議に対する組合員の協力義務を肯定することが、相当である。

(引用終了)

 

 規範に至る過程を少しまとめてみると次のようになる。

 

 労働組合の政治的活動は法的に肯定されるが、組合員の協力義務には限界がある。

 そこで、活動の政治性は濃淡があることを考慮し、個々の組合員の政治的思想などとの関連性が乏しく、かつ、政治的活動を直接の目的としない場合に限り、協力義務は肯定される。

 

 そして、不利益処分を被った人々への寄付へ協力義務を肯定した。

 その一方、政党への寄付に関する協力義務を否定した。

 

(以下、国労広島地本事件より引用、一文毎に改行、一部中略、強調は私の手による)

 政治意識昂揚資金について右資金は、総選挙に際し特定の立候補者支援のためにその所属政党に寄付する資金であるが、政党や選挙による議員の活動は、各種の政治的課題の解決のために労働者の生活利益とは関係のない広範な領域にも及ぶものであるから、選挙においてどの政党又はどの候補者を支持するかは、投票の自由と表裏をなすものとして、組合員各人が市民としての個人的な政治的思想、見解、判断ないしは感情等に基づいて自主的に決定すべき事柄である。

 したがつて、労働組合が組織として支持政党又はいわゆる統一候補を決定し、その選挙運動を推進すること自体は自由であるが(当裁判所昭和三八年(あ)第九七四号同四三年一二月四日大法廷判決・刑集二二巻一三号一四二五頁参照)、組合員に対してこれへの協力を強制することは許されないというべきであり、その費用の負担についても同様に解すべきことは、既に述べたところから明らかである。

(引用終了)

 

 実は、この国労広島地本事件、概要と結論は知っていたが(短答式試験では出てくることがあるし、平成13年の論文式試験憲法第1問でも出てきたため)、最高裁判所の判決文を詳細に読んだのは今回が初めてであった。

 かなり踏み込んで書いてある。

 試験に合格する前に何故読まなかったのか、と感じる今日この頃である。

 まあ、このような感想はこの判決だけに感じることではないのだけれども。

 

 

 さて、次に南九州税理士会事件に移りたいが、判決への引用だけで分量が結構な量になっている。

 よって、南九州税理士会事件などについては次回にみていく。