薫のメモ帳

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司法試験の過去問を見直す9 その8

 今回はこのシリーズの続き。

 

hiroringo.hatenablog.com

 

 旧司法試験・二次試験の論文式試験・平成11年度の憲法第1問についてみていく。

 

 なお、最近、「世田谷事件」や「堀越事件」といった表現の自由に関する重要な最高裁判決を詳しく読んだ

 また、今回の過去問検討を逃すと、表現の自由について検討する機会が当分来ないようである(残っている過去問で表現の自由が論点となっている問題は平成7年であるところ、この問題を見るのは当分先の予定である)。

 そこで、ここで「公務員や在監者など憲法上特別な身分を有する者の表現の自由に関する最高裁判決を比較したい。

 

18 在監者関係の表現の自由に関する判例について

 まず、本問と関連の強い在監者に関する最高裁判決を確認する。

 もっとも、判例の詳細はこれまでの検討で見ているため、ここでは結論を確認するにとどめる。

 

 参考にする判例は次の2つである。

 

昭和52(オ)927号損害賠償請求事件

昭和58年6月22日最高裁判所大法廷判決

https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/137/052137_hanrei.pdf

(いわゆる「よど号ハイジャック新聞記事抹消事件」)

 

平成15年(オ)422号損害賠償請求事件

平成18年3月23日最高裁判所第一小法廷判決

https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/855/032855_hanrei.pdf

(以下、「平成18年判決」という)

 

 これらの判決では、未決者・既決者に対する発信の自由(閲読の自由)といった表現の自由憲法21条1項)に制限を加える場合、「相当の(具体的)蓋然性の基準」によって合憲性・合法性の判断している。

 もちろん、施設長の裁量は一部において肯定されるが、その裁量判断も「蓋然性の有無」をめぐって審査される点は変わらない。

 こうやって考えると、裁判所は「在監者の表現の自由の制約に対して『具体的な事情』や『具体的な障害(危険)』を考慮した上で判断する」と言っていいことになる。

 

 ここで、判決における一般論と審査基準の部分をみておこう。

 

(一般論についてよど号ハイジャック新聞記事抹消事件から引用、強調は私の手による)

 これらの自由に対する制限が必要かつ合理的なものとして是認されるかどうかは、右の目的のために制限が必要とされる程度と、制限される自由の内容及び性質、これに加えられる具体的制限の態様及び程度等を較量して決せられるべきものである

(引用終了)

 

(未決者の閲読の自由の制限に関する基準についてよど号ハイジャック新聞記事抹消事件から引用、強調は私の手による)

 監獄内の規律及び秩序の維持のためにこれら被拘禁者の新聞紙、図書等の閲読の自由を制限する場合(中略)当該閲読を許すことにより右の規律及び秩序が害される一般的、抽象的なおそれがあるというだけでは足りず、被拘禁者の性向、行状、監獄内の管理、保安の状況、当該新聞紙、図書等の内容その他の具体的事情のもとにおいて、その閲読を許すことにより監獄内の規律及び秩序の維持上放置することのできない程度の障害が生ずる相当の蓋然性があると認められることが必要であり、かつ、その場合においても、右の制限の程度は、右の障害発生の防止のために必要かつ合理的な範囲にとどまるべきものと解するのが相当である。

(引用終了)

 

(上記平成18年判決から既決者の発信の自由の制限に関する基準、強調は私の手による)

 受刑者のその親族でない者との間の信書の発受は,受刑者の性向,行状,監獄内の管理,保安の状況,当該信書の内容その他の具体的事情の下で,これを許すことにより,監獄内の規律及び秩序の維持,受刑者の身柄の確保,受刑者の改善,更生の点において放置することのできない程度の障害が生ずる相当のがい然性があると認められる場合に限って,これを制限することが許されるものというべきであり,その場合においても,その制限の程度は,上記の障害の発生防止のために必要かつ合理的な範囲にとどまるべきものと解するのが相当である。

(引用終了)

 

 以上が在監者の場合である。

 次に、公務員の場合についてみていく。

 

19 公務員の政治的表現の自由に関する最高裁判所判決について

 令和の時代から振り返れば平成24年というと「相当前」と言いうるが、猿払事件に類似した2つの事件に対して最高裁判所の判断が示された。

 一つが堀越事件、もう一つが世田谷事件である。

 この2つの事件は判断された法廷が同じであり、判決日も同一である。

 そして、堀越事件では表現の自由の制約を違法(無罪)とし、世田谷事件では表現の自由の制約を合法(有罪)とした。

 猿払事件を形式的に適用すれば両方とも合法・有罪になると推測されるにもかかわらず、である。

 そこで、この両判決をみていく。

 

 

 なお、これから取り上げる最高裁判所の判決・決定は次の4つである。

 

昭和44年(あ)1501号国家公務員法違反被告事件

昭和49年11月6日最高裁判所大法廷判決

https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/800/051800_hanrei.pdf

(いわゆる「猿払事件最高裁判決」)

 

平成10年(分ク)1号裁判官分限事件の決定に対する即時抗告事件

平成10年12月1日最高裁判所大法廷決定

(いわゆる「寺西判事補事件最高裁決定」)

https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/800/051800_hanrei.pdf

 

平成22年(あ)762号国家公務員法違反被告事件

平成24年12月7日最高裁判所第二小法廷判決

https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/801/082801_hanrei.pdf

(いわゆる「堀越事件最高裁判決」)

 

平成22年(あ)957号国家公務員法違反被告事件

平成24年12月7日最高裁判所第二小法廷判決

https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/802/082802_hanrei.pdf

(いわゆる「世田谷事件最高裁判決」)

 

 寺西判事補事件については処分された人間が裁判官(判事補)であるが、それ以外の事件は(行政)公務員がその対象になっている。

 また、本件については次の論文を参考にしているため、そのリンク先を掲載する。

 

国家公務員の政治活動の自由をめぐる二つの東京高裁判決 :堀越事件判決と世田谷事件判決の意義

(著者_長岡 徹、雑誌名_法と政治第61号、発行年2011年1月20日)

https://kwansei.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=17989&item_no=1&attribute_id=22&file_no=1

 

 また、事件に関連性のある国家公務員法人事院規則の条文も確認しておく。

 まずは国家公務員法から。

 

国家公務員法102条第1項)

 職員は、政党又は政治的目的のために、寄附金その他の利益を求め、若しくは受領し、又は何らの方法を以てするを問わず、これらの行為に関与し、あるいは選挙権の行使を除く外、人事院規則で定める政治的行為をしてはならない

 

 なお、この規定に対しては罰則もあり、当時の国家公務員法110条第1項19号、現在では法111条の2号に定められている(当時の条文に従うと刑罰は「3年以下の懲役または100万円以下の罰金」になる)。

 

 また、この法102条1項の「人事院で定める政治的行為」については、人事院規則14条に定められている。

 本件で問題になった条文の14条6項7号を確認する。

 

https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=324RJNJ14007000

 

人事院規則第14条第6項

 法第百二条第一項の規定する政治的行為とは、次に掲げるものをいう。

(中略)

 第7号 政党その他の政治的団体の機関紙たる新聞その他の刊行物を発行し、編集し、配布し又はこれらの行為を援助すること。

 

 つまり、党の機関紙を配布する行為は人事院規則第14条6項7号により「政治的行為」となり、その結果、国家公務員法110条1項19号(当時)により刑罰が科されることになる。

 

 以上の資料を見ながら、以下、各事件をみていく。

 

20 猿払事件・堀越事件・世田谷事件の比較

 裁判所は司法権を行使する機関であり、事案から離れて審理する機関ではない。

 つまり、各事案を確認することは極めて重要である

 そこで、それぞれの事案とそれらの事実に対する裁判所の評価を引用して引き抜いて見る。

 なお、予断を排除するなどの理由により、固有名詞は極力排除した。

 

猿払事件

 被告人は郵便局に勤務する郵政事務官で労働組合協議会事務局長を勤めていた

 被告人は、衆議院議員選挙に際し、右協議会の決定にしたがい、党を支持する目的をもつて、同日同党公認候補者の選挙用ポスター六枚を自ら公営掲示場に掲示したほか、その頃四回にわたり、右ポスター合計約一八四枚の掲示方を他に依頼して配布した

 被告人は非管理職である現業公務員でその職務内容が機械的労務の提供にとどまるものであった。

 被告人の行為は、勤務時間外に、国の施設を利用することなく、かつ、職務を利用せず又はその公正を害する意図なく、労働組合活動の一環として行われた

 

(堀越事件)

 被告人は社会保険事務所に年金審査官として勤務していた厚生労働事務官

 被告人は、衆議院議員総選挙に際し、党を支持する目的をもって、同党の機関紙を配布した

 被告人は裁量の余地のない職務を担当する、地方出先機関の管理職でもない

 被告人の行為は、休日に、勤務先やその職務と関わりなく、勤務先の所在地や管轄区域から離れた自己の居住地の周辺で、公務員であることを明らかにせず、無言で、他人の居宅や事務所等の郵便受けに政党の機関紙や政治的文書を配布した

 

(世田谷事件)

 被告人は厚生労働省大臣官房統計情報部社会統計課長補佐として勤務する国家公務員(厚生労働事務官)である。

 被告人は、党を支持する目的で、党の機関紙を投函して配布した

 被告人は同課に存する8名の課長補佐の筆頭課長補佐(総括課長補佐)であった。

 被告人の行為は、勤務時間外である休日に、国ないし職場の施設を利用せずに、それ自体は公務員としての地位を利用することなく行われたものであること、公務員により組織される団体の活動としての性格を有しないこと、公務員であることを明らかにすることなく、無言で郵便受けに文書を配布したにとどまるものであって、公務員による行為と認識し得る態様ではなかった

 

 ところで、堀越事件と世田谷事件の共通項として次の点が挙げてもよいかと考えられる。

 

「勤務時間外(休日)に、国の施設を利用せず、自分の地位とは無関係に行ったもので、配布行為を外部から見て公務員による行為とは認識しえない状況であった」

 

 当然だが、勤務時間内、とか、国の施設を利用した、とか、自分の地位を利用した、とか、外部から見てあの人が公務員と分かった、などの事情があれば、問題、いや、大問題になりうるであろう。

 しかし、堀越事件や世田谷事件にはそのような事情はない。

 そこで、「このような行為に対して刑罰を科してまで制限することで、どんな法益を保護されるというのだ」という問題点が両事件から浮かび上がることになる。

 

21 両事件における法律・規則の合憲性判断

 両事件の原審たる控訴審判決はそのロジックが異なっていた(その点は上記長岡先生の論文に詳しい)。

 他方、最高裁判決においては両事件のロジックが共通している。

 そこで、最高裁判所が示したロジックを見てみる。

 

 最初に、公務員の政治的表現の自由の制限について、最高裁判所は条文解釈として次のようなことを述べている。

 

(以下、両事件の判決から引用、文章ごとに改行、一部中略、強調は私の手による)

 法102条1項は,公務員の職務の遂行の政治的中立性を保持することによって行政の中立的運営を確保し,これに対する国民の信頼を維持することを目的とするものと解される。

 他方,国民は,憲法上,表現の自由(21条1項)としての政治活動の自由を保障されており,(中略)公務員に対する政治的行為の禁止は,国民としての政治活動の自由に対する必要やむを得ない限度にその範囲が画されるべきものである。

  このような本法102条1項の文言,趣旨,目的や規制される政治活動の自由の重要性に加え,同項の規定が刑罰法規の構成要件となることを考慮すると,同項にいう「政治的行為」とは,公務員の職務の遂行の政治的中立性を損なうおそれが,観念的なものにとどまらず,現実的に起こり得るものとして実質的に認められるものを指し,(中略)

 上記のような本法の委任の趣旨及び本規則の性格に照らすと,本件罰則規定に係る本規則6項7号,13号(5項3号)については,それぞれが定める行為類型に文言上該当する行為であって,公務員の職務の遂行の政治的中立性を損なうおそれが実質的に認められるものを当該各号の禁止の対象となる政治的行為と規定したものと解するのが相当である。(中略)

 そして,(中略)公務員の職務の遂行の政治的中立性を損なうおそれが実質的に認められるかどうかは,当該公務員の地位,その職務の内容や権限等,当該公務員がした行為の性質,態様,目的,内容等の諸般の事情を総合して判断するのが相当である。

 具体的には,当該公務員につき,指揮命令や指導監督等を通じて他の職員の職務の遂行に一定の影響を及ぼし得る地位(管理職的地位)の有無,職務の内容や権限における裁量の有無,当該行為につき,勤務時間の内外,国ないし職場の施設の利用の有無,公務員の地位の利用の有無,公務員により組織される団体の活動としての性格の有無,公務員による行為と直接認識され得る態様の有無,行政の中立的運営と直接相反する目的や内容の有無等が考慮の対象となるものと解される。

(引用終了)

 

 この条文解釈を見ると、この判決は「具体的事情を見ながら保護法益たる『公務員の職務の遂行の政治的中立性』に対する侵害の危険が発生の有無を考慮する」ことになる。

 このような事情を一切考慮しないと考えられる猿払事件とは雲泥の差である。

 

 その上で、両事件はよど号の事件を引用して「表現の自由に対する制約が認められる際の一般論」を展開している。

 その上で、上記条文解釈を前提とする場合は法令が合憲である旨判示している。

 まあ、このことは上の条文解釈の意義を考えれば当然といえる。

 

 

 ところで、ここまでの手順は寺西判事補事件に対する最高裁判所の決定と発想が類似している

 そこで、寺西判事補事件の最高裁決定を見ておく。

 

 まず、本件とは関連性が乏しいが、裁判官の政治的中立性について色々述べているのでその内容も確認する。

 

(以下、寺西判事補事件の最高裁判所決定を引用、ところどころ中略、強調は私の手による)

 このような司法権の担い手である裁判官は、中立・公正な立場に立つ者でなければならず、(中略)。

 裁判官は、独立して中立・公正な立場に立ってその職務を行わなければならないのであるが、外見上も中立・公正を害さないように自律、自制すべきことが要請される。

 司法に対する国民の信頼は、具体的な裁判の内容の公正、裁判運営の適正はもとより当然のこととして、外見的にも中立・公正な裁判官の態度によって支えられるからである

 したがって、裁判官は、いかなる勢力からも影響を受けることがあってはならず、とりわけ政治的な勢力との間には一線を画さなければならない。そのような要請は、司法の使命、本質から当然に導かれるところであり、現行憲法下における我が国の裁判官は、違憲立法審査権を有し、法令や処分の憲法適合性を審査することができ、また、行政事件や国家賠償請求事件などを取り扱い、立法府や行政府の行為の適否を判断する権限を有しているのであるから、特にその要請が強いというべきである。

(中略)

 裁判所法五二条一号が裁判官の積極的な政治運動を禁止しているのは、右に述べたとおり、裁判官の独立及び中立・公正を確保し、裁判に対する国民の信頼を維持するとともに、三権分立主義の下における司法と立法、行政とのあるべき関係を規律することにその目的があると解されるのであり、右目的の重要性及び裁判官は単独で又は合議体の一員として司法権を行使する主体であることにかんがみれば、裁判官に対する政治運動禁止の要請は、一般職の国家公務員に対する政治的行為禁止の要請より強いものというべきである。

(引用終了)

 

 と述べた上で、裁判所法52条1号の条文解釈について次のように述べる。

 

(以下、決定から引用)

 裁判所法五二条一号の「積極的に政治運動をすること」(中略)とは、組織的、計画的又は継続的な政治上の活動を能動的に行う行為であって、裁判官の独立及び中立・公正を害するおそれがあるものが、これに該当すると解され、具体的行為の該当性を判断するに当たっては、その行為の内容、その行為の行われるに至った経緯、行われた場所等の客観的な事情のほか、その行為をした裁判官の意図等の主観的な事情をも総合的に考慮して決するのが相当である。

(引用終了)

 

 興味深いのは、この決定で最高裁判所が「積極的に政治運動をすること」の条文解釈にあたり、「中立性を損なう危険」を考慮していることであり、要件の判断に関して具体的な事情を考慮して判断している点である。

 このことについては上述の論文で拝見したが、裁判所の発想の変遷が見られるようで興味深い。

 

 こうやって見ると、表現の自由に対する制約について広く認める」という発想(前々回で述べた発想、または、猿払事件の発想と言ってもよい)は少なくても今の裁判所では積極的に採用していないように思われる。

 もちろん、「これですら温い」という批判は十分可能であるとしても。

 

 

 なお、ここからそれぞれの判決は各事案へのあてはめに進む。

 しかし、諸々の引用により既にかなり長くなってしまった。

 そこで、各事案へのあてはめその他については次回に回す。