薫のメモ帳

私が学んだことをメモ帳がわりに

旧司法試験(二次・論文・憲法第1問)の過去問検討の効用

 去年、私は『痛快!憲法学』の読書メモを作成した。

 

 

hiroringo.hatenablog.com

 

 この本を読書メモにした理由は、憲法の前提について非常にわかりやすく書かれており、一度その内容をまとめておきたい」でと考えたからである。

 そして、この読書メモを見る過程でこの本をざっと読み直したのだが、新たな発見などがあり非常に勉強になった。

 

 

 ところで。

 この本を読んだころ、私は日本国憲法に対する関心をほとんど失っていた。

 その理由は「現時点で日本国憲法は死んでいるから」「現時点で憲法の復活(再生)を国民が望んでいるように見えないから」の2点。

 

 もっとも、「近い将来、「国家権力」や「空気」(日本教的権力)の暴走を憲法で制御できなかったために、国家的な悲劇が再び起きるかもしれない」という推測はしている。

 その規模はさておいて。

 なお、この悲劇には少子化による生産人口の減少」とその減少に伴う諸々の結果もこれに含めていいかもしれない。

 それについては、次のブログが参考になる。

 

p-shirokuma.hatenadiary.com

 

 とすれば、「具体的に憲法は権力をどうコントロールしているのか」とか「憲法の再生(蘇生)を望まない日本人のメンタリティはどこから来るのか」といった問いはいずれ出てくると考えられる。

 

 

 この点、後者についての手掛かりが小室直樹先生や山本七平先生の書籍である。

 これは「読書メモの作成」という作業を通じて行っていく。

 ただ、もう少し読書を行ったら「現在の社会現象を通じて考える」といった作業が必要になるかもしれない。

 

 一方、前者の把握も必要である

 そこで、憲法に関する問題についても考えてみることにした。

 とはいえ、現在発生している事件(憲法訴訟)それ自体を取り上げるのは事実関係が確定しない以上扱いづらい。

 また、過去、私は旧司法試験を受験しており、その際に、憲法を学んでいる。

 そこで、旧司法試験(二次・論文)の憲法の人権に関する過去問を通じて憲法との接点を増やすことにした

 

 ここでやりたかったのは二点。

 一つは、過去問のケースにおいて「憲法」はどう考えるのか

 これは、過去問に対して憲法の立場で答えるというものであり、かつ、司法試験の論文(回答)を作ることと等しい。

 もう一つは、過去問のケースにおいて「日本教」はどう考えるのか

「その場の『空気』で決まる」としか言いようがないが、それでも傾向のようなものが見えるのではないか。

 どんな結果になるかはさておき、とりあえずやってみよう。

 この二点に注目しながら、過去問をみていくことにした。

 

 

 ところで、「憲法」から見た場合、一つ注意していることがある。

 それは、最高裁判所の判決文を重視する、というスタンスである。

 

 この点、現在の司法試験ではこれは常識であり、当時の旧司法試験においても「最高裁判所などの判決を重視するのは常識だったのではないか」との疑問を抱くかもしれない。

 しかし、旧司法試験の憲法(と刑事訴訟法)においては必ずしもそうではなかった。

 私が司法試験の勉強をしていたのは次の本が出現する前(私が司法修習生になったころにこの本の初版が出版された)である。

 しょうがない面もないとは言えない。

 

 

 

 実際には判例が下敷きになっていたものは多数あった。

 もっとも、「判例を下敷きにして云々」という意識が明確だったものは多くない。

 また、様々なケースにおいて「最高裁判所の判断と答案の結論が一致するだろう」という考えもなかった(むしろ、判例とは結論が逆になるだろう、という意識すらあった)。

 

 例えば、猿払事件に似たケース(酒税法事件でも可)を考えるとする。

 最高裁判所(当時は堀越事件や世田谷事件の前)の規範やあてはめに従えば合憲だが、当時の私は最高裁判所の規範を使うことも、結論を合憲にすることもなかった。

 これは具体例だが人権に関する問題は万事がこんなもんである。

 それは私が通った予備校とそこで私が初めて触れた憲法の基本書(リンクは以下、ただし、私は全訂版でリンク先は最新版)による影響もあるかもしれない。

 

 

 この基本書は唯一読書メモの価値があると思っている基本書であるが、まあ、そんな感じであった。

 

 もっとも、今回は最高裁判所のみ(判決・多数意見・補足意見・意見・反対意見)に依拠してものを考えることにした(基本書から考えるというスタンスは採用しないことにした)。

 また、「さすがにこれは同意できない」という場合(平成3年の過去問のケースなど)であっても、最高裁判所の基準に従うならどうするのか、ということをできる限り考えるようにしている。

 もっとも、どこまでできているかわからないが。

 

 

 以上のスタンスで、旧司法試験・二次の論文式試験憲法第1問の過去問をみていった。

 そして、約2年間で、平成3年・4年・8年・15年・12年・18年・14年・16年の過去問を検討し、または、検討中である。

 

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 この過去問を通じて、様々なテーマをみてきた。

 表現の自由政教分離・集会の自由・平等・違憲審査基準・営利的言論・知る権利・プライバシー権・・・。

 もちろん、平成元年から20年までの過去問は12問残っているから、それらを見れば、さらに様々なテーマに触れることができるであろう。

 

 改めて見直すと学ぶ面が多い。

 正直、「条文と判決だけで試験に受かるではないか」と考えるくらいである。

 まあ、当時、合格の秘訣は「定義・趣旨・条文」と言われており、判決から定義と趣旨を、条文から定義とその趣旨を拾ってくることができれば、まあ、これは当然のこととも言いうるが。

 

 もっとも、憲法的に見た場合の比率が重く、日本教的に見た場合の比率が軽い

 比率の大小関係はしょうがない点があるにせよ、もう少し、日本教的観点の検討を増やしてもいいのではないか、とは考えている。

 

 

 では、今回はこの辺で。