今日はこのシリーズの続き。
『数学嫌いな人のための数学』を読んで学んだことをメモにする。
4 第1章の第2節を読む
本節(第1章の第2節)のタイトルは「存在するのかしないのか、それが問題だ_ギリシャの三大難問題」である。
前節(第1章の第1節)は古代イスラエルの宗教を通じて論理学についてみてきた。
本節(第1章の第2節)ではギリシャで生まれた「幾何学の三大難問」を通じて数学についてみていく。
この点、「幾何学の三大難問」とは次の3問を指す。
1、角度を三等分せよ
2、円と等面積の正方形を作れ(いわゆる「円積問題」)
3、形が同じで体積を二倍にせよ(立方倍積問題、いわゆる「デロス問題」)
これらの問題に対し、ギリシャの哲学者や幾何学者は競って挑戦した。
ところが、どっこい、誰もできない。
例えば、3つ目にある「デロス問題」。
むか~しむかしっ、プラトンの時代、デロス島で恐ろしい伝染病が流行し、毎日何十人もの人がこの伝染病で死んでいった。
もちろん、島の医者にもこの伝染病に対して有効策が打てなかった。
そこで、人々は「アポロン神殿」にお伺いを立てた。
その結果、アポロンから「この神殿の祭壇を『形は同じままで体積を2倍にせよ』。そうすれば、伝染病はなくなる」との神託を得た。
そこで、デロスの人々は「形は同じで体積2倍」の条件を満たすためには一辺の長さを何倍にすべきか、幾何学者と相談する。
結果、その答えが2の3乗根(立方根)であることがわかる。
よって、定規とコンパスしか使うことができない。
また、定規は点と点とを直線で結ぶためだけに利用でき、目盛りがあったとしても目盛りを使うことができない。
つまり、元の長さを測って、その長さに2の立方根をかけて必要な長さを求めるといったことはできない。
だから、デロス問題というのは「定規とコンパスのみを用いて、ある長さが与えられたときにその長さに『2の立方根』をかけた長さを示せ」と言うことができる。
さて、島の人々から相談を受けた幾何学者は(2の)立方根の作図(元の長さを1とすれば、2の立方根を作図すればいい)にとりかかった。
しかし、作図法・解法は思いつかない。
そして、この難問は19世紀まで多くの数学者の挑戦にもかかわらず解けなかった。
なお、1837年、むしろ「デロス問題に対する解法はない」ということが証明されることになる。
なお、これと似たような問題は他にもある。
例えば、1つ目の「角の三等分の問題」もそうである。
もちろん、定規とコンパスしか使えないのは「デロス問題」と同様である。
この点、角の二等分なら簡単に可能である。
算数で習ったとおりである。
また、二等分が可能なら、四等分・八等分も可能である。
では、三等分も簡単ではないのか。
そう思った学者たちは競って問題に挑戦した。
ところが、この問題も解けなかった。
それは、ユークリッド幾何学が学問の手本となる以前からそうである。
このことは、プラトンの「幾何学を学ばざる者、我が門に入るべからず」という言葉からも推測できる。
学者ならば、学問の華たる幾何学は得意でなければならない。
その学者たちが束になって挑んでも、角の三等分は実践できない。
この問題もヘレニズム世界、古代ローマ、イスラム帝国、近代ヨーロッパの学者たちが挑み続けたが、解法が見つからなかった。
そして、19世紀、「『解法がない』と証明される」ことによってこの問題は決着することになる。
前述の立方倍積問題と同様に。
ちなみに、2つ目の円積問題も「解法がない」と証明されることによって決着がつく。
さて、「解法がない」という決着のつき方を見て、「数学って役に立たないな」と考えるかもしれない。
しかし、数学が教えてくれる最も重要なものは、「一定の問題を思いついた場合、あるいは、問題提起をした場合、必ずしもその解(正解)があるとは限らない」ということである。
これに対して、「ばんなそかな。数学に正解がないはずないではないか」と反論される方がいるかもしれない。
日本の初等中等教育を受けた人間がこのような反論をされる、信念を持つこと自体全く不思議ではない。
しかし、そのような信念は現実とは整合しない。
すると思われるならば、ギリシャの三大作図問題の一つを解決されればよいであろう。
もっとも、日本の数学教育から見れば、この点はむしろ無視されているといってよい。
この無視がどれほどのバグ(虫)になっているか、この点は想像に難くない。
類似の例を代数学から見つけてみる。
代数学における著名な問題は方程式である。
この点、一次方程式はずいぶん古い時代から解くことができていた。
次に、二次方程式については文明の発達により解けるようになっていた。
具体的には、古代バビロニアの時代にも解かれていたらしい。
その後、様々な古代文明で見つけ出されていた解法がイスラム帝国に伝わった。
その結果、方程式の解法はどんどん進化した。
そして、イスラム帝国で進化した解法がヨーロッパに伝えられる。
かくして、いわゆる「数学屋」たちによる方程式解法競争が始まった。
この結果、三次方程式はイタリアのカルダノによって解かれた。
また、四次方程式はカルダノの弟子たるフェラーリによって解かれた。
その結果、数学者の関心は五次方程式に向かうことになる。
その一方、「そもそも方程式に解(根)はあるのだろうか。あるとして、その解は求められるのか」という問題に立ち向かったのが数学者ガウスである。
ガウスは解法に興味を持つ数学屋を傍目に根本的な問題(解が存在するか、解法が存在するか)に目を向ける。
そして、「n次方程式には必ず解が存在する」ということを証明することになる。
なお、ガウスが考えたような問題のことを「存在問題」という。
この「存在問題」の重要であることは次の理由からも明らかであろう。
なお、本節では、「これ(私による注、存在問題のこと)がどれほど重大な問題なのか、古代ギリシャの三大難問を思い出し、近代史にも思いを馳せてもみよ。」と述べるにとどまっているが、以下、重大性について検討しておく。
存在問題は次の意味で重要である。
この点、「解が存在しない」と証明されているならば、解を求める作業は無意味である。
逆に、「解が存在する」と証明されていれば、解を求める作業は無意味にならない可能性がある。
つまり、「解が存在するのか、しないのか」という存在問題はその問題を検討する価値があるのかないのか、という意味で極めて重要な意義があると言える。
以上が第1章、第2節のお話である。
三大難問についてはおぼろげながら知っていたが、このような形で(一旦)決着したというのは知らなかった。
私がいかに数学の歴史を知らないのか、思い知ることになった。
まあ、これから知ればいいということでもあるけれども。
次回は第3節についてみていく。