今日はこのシリーズの続き。
『数学嫌いな人のための数学』を読んで学んだことをメモにする。
3 第1章の第1節を読む(後編)
前回、旧約聖書の『出エジプト記』における神(とモーセ)と古代イスラエルの民との緊張関係についてきてみた。
今回はその続きである。
エジプトから脱出した古代イスラエルの民はシナイ山の麓に到達する。
シナイ山は、神がモーセと古代イスラエルの民にかの有名な「十戒」を授けた場所である。
しかし、ここで大事件が起きる。
詳細な記載は旧約聖書の『出エジプト記』の第32章であり、その全文はこちらのメモで引用した。
事件の概要を示すと、モーセが神から十戒を授かるために山を登っているとき、イスラエルの民は戻ってこないモーセに不安を抱き、エジプトに住んでいた時代に崇拝していた犢(こうし)の像を作り、この像の前に壇を築き、どんちゃん騒ぎを始めてしまったのである。
もちろん、偶像を作ってそれを拝めば、十戒の「あなたはわたしのほかに、なにものをも神としてはならない。」(『出エジプト記』の第20章第3節)に抵触する。
それを知った神はモーセに対して「このようなかたくなな民は滅ぼしつくしてくれよう」と自分の民を皆殺しにする旨宣言した(『出エジプト記』の第20章第9節・10節、具体的な文章は前述のメモブログ参照)。
ところが、そうはならなかった。
とはいえ、民を皆殺しにしたい神と民を救いたいモーセ、両者の意見は真っ向から対立する。
それゆえ、神と人間(モーセ)の論争は白熱することとなった(と考えられる)。
もちろん、モーセも同胞たる古代イスラエルの民の行為を罪と認識している。
また、ソドムやゴモラは堕落の罪で滅ぼされたのであり、異教の神を拝んでいたわけではない。
そのことを考えれば、同胞の罪の重さも認識している。
とすれば、モーセは必死で神を説得したであろう(と考えられる)。
生贄を捧げる、とか、祝詞を述べる、とかではなくて、神を論破しようとした。
この点、モーセの例は一例に過ぎない。
しかし、古代イスラエルの宗教(後のユダヤ教)は「神との論争」を通じて進歩していった。
つまり、宗教と共に論理学も発展していった。
そして、古代ギリシャでこの論理学と数学が結合することになり、近代数学の礎が築かれることになる。
この点、古代ギリシャの数学、あるいは、近代数学の大きな特徴として、「数学と論理が一体化している点」が挙げられる。
しかし、この「論理と数学が一体化する」という現象はギリシャ数学における特徴に過ぎず、他の文明社会で発達した数学にも当然にみられる、というわけではない。
例えば、中国の場合、数学も発展した。
しかし、中国の数学は実用性と密着したものであって、ユークリッド幾何学で見られるような論証性は中国の数学には欠如していた、らしい。
また、このことは別に中国の数学に限った話ではない。
そして、この論証性の欠如が一貫した体系的な論理の欠如をもたらした。
わかりやすく言えば、客観性・全体性の欠如と言ってもいいかもしれない。
その結果、数学の応用範囲が制限されてしまった。
これに対して、ギリシャ数学は論理学と結合した関係で、一貫した体系的な論理を有する数学を誕生させた。
このことがギリシャ数学に近代数学への可能性を開くことになる。
そして、近代数学は様々な科学にも応用することが可能になった。
もっとも、数学の合理性を社会・生活の合理性に転化させるためには、宗教やエートスにおいても合理性がなければならない。
つまり、宗教の合理化と数学の合理化は近代数学における両翼の翼、ということになる。
この点、古代イスラエルの宗教が「宗教の合理化」を目指していたことは『日本人のためのイスラム原論』でみてきたとおりである。
また、キリスト教の宗教改革がいわゆる宗教の合理化を目指していたことも。
この辺は次の読書メモにまとめてある。
ところで、論理学の特徴・強味として「真」と「偽」が一意的に判定できることにある。
もっとも、この「『真』と『偽』の判定が一意的に判定できる」という論理学の設定は当然に成立していることではない。
例えば、刑事裁判の事実認定(民事訴訟についてもほぼ同じ)について考えてみる。
次の最高裁判所の判決を読めば、訴訟・裁判の事実認定における論証の精密さが論理学のそれに劣ることは明白である。
もちろん、「劣るから駄目」ではないし、「劣るとしてもやむを得ない」という面もあるが。
昭和23年(れ)第441号窃盗事件
昭和23年8月5日最高裁判所第一小法廷判決
https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/546/056546_hanrei.pdf
(以下、上記判決から引用、一文毎に改行、強調は私の手による)
元来訴訟上の証明は、自然科学者の用いるような実験に基くいわゆる論理的証明ではなくして、いわゆる歴史的証明である。
論理的証明は「真実」そのものを目標とするに反し、歴史的証明は「真実の高度な蓋然性」をもつて満足する。
言いかえれば、通常人なら誰でも疑を差挾まない程度に真実らしいとの確信を得ることで証明ができたとするものである。
だから論理的証明に対しては当時の科学の水準においては反証というものを容れる余地は存在し得ないが、歴史的証明である訴訟上の証明に対しては通常反証の余地が残されている。
(引用終了)
つまり、刑事裁判にせよ民事訴訟にせよ、証拠から犯罪事実や犯人と被告人の同一性を立証する際には、自然科学のレベルの証明は必要ない、ということになる。
まあ、このレベルの証明を要求したら、自白(裁判上の自白)や両当事者の合意がある場合を除いて証明(事実認定)が不可能になりかねず、これ自体が不当であることは全くないが。
よって、自然科学における証明から見た場合であっても、民事訴訟や刑事裁判の証明は「絶対に正しい・間違っている」ということにはならない。
一方、そのレベルの証明をもって「絶対的真実」であるかのように認定し、それらの事実関係に対して法律的な判断を行い、最終的には有罪判決や無罪判決、請求認容判決や請求棄却判決を下している。
もちろん、その背後には「そうでもしなければ社会が回らない」という事情がある。
また、法の適用(評価)に対する不服申立てだけではなく、事実認定の不服申立てに対しても、いわゆる「上訴」という手段が認められている。
そして、上訴によって事実認定がひっくり返り、判断が逆転するということがありうる。
なお、上の判決を見て、安易に有罪判決が出せるのではないかと心配に思うことがあるかもしれない。
その点については、次の最高裁判決が安易な証明を戒めている点を取り上げておくので、不安を鎮めていただけると助かる。
昭和45年(あ)66号現住建造物等放火
昭和48年12月13日最高裁判所第一小法廷判決
https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/571/061571_hanrei.pdf
(以下、上記判決から引用、一文毎に改行、強調は私の手による)
ところで、裁判上の事実認定は、自然科学の世界におけるそれとは異なり、相対的な歴史的真実を探究する作業なのであるから、刑事裁判において「犯罪の証明がある」ということは「高度の蓋然性」が認められる場合をいうものと解される。
しかし、「蓋然性」は、反対事実の存在の可能性を否定するものではないのであるから、思考上の単なる蓋然性に安住するならば、思わぬ誤判におちいる危険のあることに戒心しなければならない。
したがつて、右にいう「高度の蓋然性」とは、反対事実の存在の可能性を許さないほどの確実性を志向したうえでの「犯罪の証明は十分」であるという確信的な判断に基づくものでなければならない。
この理は、本件の場合のように、もつぱら情況証拠による間接事実から推論して、犯罪事実を認定する場合においては、より一層強調されなければならない。
(中略)
換言すれば、被告人が争わない前記間接事実をそのままうけいれるとしても、証明力が薄いかまたは十分でない情況証拠を量的に積み重ねるだけであつて、それによつてその証明力が質的に増大するものではないのであるから、起訴にかかる犯罪事実と被告人との結びつきは、いまだ十分であるとすることはできず、被告人を本件放火の犯人と断定する推断の過程には合理性を欠くものがあるといわなければならない。
(引用終了)
少し細かめに見てみたが、同じ「証明」という言葉が使われているとしても、自然科学の証明と法律(訴訟・裁判)の証明はかなり異なることになる。
もちろん、数学や論理学の証明と法律の証明がかなり異なることをも意味する。
なぜなら、自然科学の証明でさえ不完全帰納法に過ぎないのだから。
この「自然科学の証明でさえ不完全帰納法に過ぎない」という点については、次のメモが参考になる。
もちろん、この点は後で細かく見ていくことになるが。
この点、法学(法律学)では「論理が大事」と言われ、「法的三段論法」を大事にしていると言われている。
ただ、その実態はこれまで述べた通り。
そして、論理学から見て不十分に見えるこの「法律における論理」すら、一般人から見れば堅苦しいものとして敬遠されるのである。
ならば、論理学の論理がこれよりさらに煙たがられることは想像に難くないだろう。
この(さらに煙たがられると推測される)論理学と結合した数学がいわゆる近代数学である。
この「論理学との結合」によって近代数学は大きく発展することになった。
では、ここでいう「論理学」とは具体的に何をイメージすればいいのか。
この形式論理学の体系はギリシャ、ヘレニズム社会、ローマ帝国、イスラム帝国、中世ヨーロッパにおいて論理学そのものと考えられていた。
そして、そのまま近代まで利用され、19世紀には形式論理学が記号論理学・数学的論理学に発展することになる。
この点、この形式論理学は形而上学であるとしてマルクスから批判された。
しかし、アリストテレスの形式論理学は完成度において空前絶後であり、中国の論理学とは比較にならない。
というのも、この論理学を用いる最大のメリットは「真偽の判定を一義的に行うことができる」点にあるからである。
以上が、本節のお話である。
第2節については次回に。