この「旧司法試験・二次試験・論文式試験・憲法第1問の見直し」シリーズ、現時点で6問目の検討が完了していない。
しかし、6問目の検討も最終回を残すのみであることから、次の問題をみていくことにする。
具体的にみるのは、平成14年の憲法第1問である。
この過去問のテーマは「知る権利」である。
1 旧司法試験・論文試験・憲法・平成14年第1問
まず、問題文を確認する。
なお、過去問は法務省のサイト、具体的には、次のリンク先にあるものをお借りしている。
問題文と出題趣旨は以下のとおりである。
(以下、平成14年度の司法試験・二次試験・論述式試験・憲法第1問の問題文)
A市の市民であるBは,A市立図書館で雑誌を借り出そうとした。
ところが,図書館長Cは 「閲覧用の雑誌,新聞等の定期刊行物について,少年法第61条に違反すると判断したとき,図書館長は,閲覧禁止にすることができる。」と定めるA市の図書館運営規則に基づき,同雑誌の閲覧を認めなかった。
これに対し,Bは,その措置が憲法に違反するとして提訴した。
この事例に含まれる憲法上の問題点について論ぜよ。
(問題文終了)
(以下、平成14年度の司法試験・二次試験・論述式試験・憲法第1問の出題趣旨)
本問は,市民が,公立図書館において,その所蔵する雑誌を閲覧する権利は,憲法上保障されているか,保障されるとして,それを憲法上どのように位置付けるか,また,その市民の権利を制約することが正当化される事情はどのようなものかを問うとともに設例の状況において,具体的にどのような方法によって解決が図られるべきかを問うものである。
(出題趣旨終了)
まず、関連条文と関連すると考えられる最高裁判所の判例を確認する。
憲法21条1項
集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
憲法12条後段
国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。
憲法13条後段
生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
平成16年(受)930号損害賠償請求事件
平成17年7月14日最高裁判所第一小法廷判決
(いわゆる「船橋市立図書館事件」)
https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/410/052410_hanrei.pdf
昭和52年(オ)927号損害賠償請求事件
昭和58年6月22日最高裁判所大法廷判決
(いわゆる「よど号ハイジャック新聞記事抹消事件」)
https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/137/052137_hanrei.pdf
昭和57号(行ツ)156号輸入禁制品該当通知処分等取消
昭和59年12月12日最高裁判所大法廷判決
(いわゆる「札幌税関検査事件」)
https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/690/052690_hanrei.pdf
この点、船橋市立図書館事件については最高裁判所が市立図書館の性格について詳細に述べているので取り上げることにした。
また、高等裁判所の判決まで考慮すれば取り上げるべき判例は複数あるのだが、ネット上からはアクセスできないようなので、割愛する。
本問は出題趣旨を見ることで何を検討すべきかについて具体的にわかる。
具体的に列挙すると次の通りになる。
1、市民が公立図書館においてその所蔵する雑誌を閲覧する権利は憲法上保障されているか
2、保障される場合、それを憲法上どのように位置付けるか
3、その市民の権利を制約することが正当化される事情はどのようなものか
4、設例の状況において,具体的にどのような方法によって解決が図られるべきか
以下、憲法上の権利が制限された場合の処理手順に従い、あるいは、出題趣旨に従い、本問についてみていくことにする。
2 「知る権利」と憲法上の権利
本問で制限されている自由は「公立図書館の所蔵する雑誌の閲覧の自由」である。
この行為を抽象化すると「情報を受領する自由」になり、憲法上の用語に変換すると「知る権利」になる。
この点、憲法の条文には「知る権利」について記されていない。
そこで、「知る権利」が憲法上の保護を受けうるのか、ということが問題となる。
もちろん、最高裁判所は「知る権利」に属する「閲読の自由」や「知る自由」を憲法上の権利として認めている。
このことは次の判決からも明らかである。
(以下、「よど号ハイジャック新聞記事抹消事件」判決から引用)
えられる。
およそ各人が、自由に、さまざまな意見、知識、情報に接し、これを摂取する機会をもつことは、その者が個人として自己の思想及び人格を形成・発展させ、社会生活の中にこれを反映させていくうえにおいて欠くことのできないものであり、また、民主主義社会における思想及び情報の自由な伝達、交流の確保という基本的原理を真に実効あるものたらしめるためにも、必要なところである。
それゆえ、これらの意見、知識、情報の伝達の媒体である新聞紙、図書等の閲読の自由が憲法上保障されるべきことは、思想及び良心の自由の不可侵を定めた憲法一九条の規定や、表現の自由を保障した憲法二一条の規定の趣旨、目的から、いわばその派生原理として当然に導かれるところであり、また、すべて国民は個人として尊重される旨を定めた憲法一三条の規定の趣旨に沿うゆえんでもあると考えられる。
(引用終了)
(以下、「札幌税関検査事件」判決から引用)
また、表現の自由の保障は、他面において、これを受ける者の側の知る自由の保障をも伴うものと解すべきところ、
(引用終了)
とはいえ、「最高裁が認めたから」は理由にならない。
そこで、「知る権利」の憲法上の実質的根拠が問題となる。
この点、憲法21条1項は「表現の自由」、つまり、発表の自由のみを保障しているように見える。
しかし、現代社会ではマス・メディアが情報発信者としての地位を独占するようになった結果、国民は情報の受信者としての地位が固定化されてしまった。
また、現代において情報の価値は飛躍に高まっている。
そこで、「表現の自由」を受け手の地位から再構成することにより、知る権利も憲法21条1項によって保障されるべきものと考える。
以上により、「知る権利」自体が憲法上保障されうることを確認した。
ただ、「知る権利」と「公立図書館の所蔵する雑誌を閲覧する自由」とは距離があるようにみえる。
そこで、「知る権利」には「公立図書館の所蔵する雑誌を閲覧する自由」が含まれるのかを具体的に確認しておく必要がある。
この点、表現の自由によって保障される「知る権利」は自由権であることから、「個人が情報を受領することを妨げられない権利」が含まれるのは当然である。
そして、自由権は請求権的性格を有するわけではないことが原則であることを考慮すると、「知る権利」に「公立図書館の所蔵している情報・資料を閲覧できるよう要求する権利」のような請求権的な性格までは含まれないとも考えられる。
しかし、現代社会においては国家・地方自治体が大量の情報を持っていることを考慮すれば、知る権利を実質化すべく、自治体などの情報の閲覧を求める自由をも保障していると考えるべきである。
よって、「公立図書館の所蔵する雑誌を閲覧する自由」も「知る権利」の一内容として保障されているものと考える。
・・・少し細かめに検討した。
本番でどこまで書くかはさておき、「憲法上の権利として保障されること」の認定はある程度具体的かつ詳細に認定した方がいいように思われる。
ことはそれほど単純な話ではないので。
以上、Bの自由が憲法上の権利として保障されうる点を確認した。
もちろん、かかる自由は絶対無制限なものではなく、「公共の福祉」(憲法12条後段・13条後段)による制約を受けることは当然である。
では、本問の図書館長Cの行為が「公共の福祉」による制約と言いうるか、という検討に移るわけだが、ここからは次回に。