今回はこのシリーズの続き。
『日本人のためのイスラム原論』を読んで学んだことをメモにしていく。
7 「第1章_イスラムが分かれば、宗教が分かる_第2節」を読む(後編)
前々回は仏教の戒律という宗教的規範についてみた。
前回は日本が仏教の戒律や儒教の祭礼といった「規範」を骨抜きにしていく様子をみた。
今回、この日本の規範の洗い流していく作用を「日本教」という観点からみていく。
前回見たように、仏教と儒教は日本に上陸するや否やその規範(外面的な行為の制限)の部分が骨抜きにされてしまった。
ただし、このことは日本人が仏教や儒教の教え(教義)が嫌いであることを意味しない。
というのも、論語は日本で大いに読まれている(た)。
仏教用語にしても日常生活の中でたくさん使われている。
論語を愛読し、仏教用語を日常生活に取り入れている集団が仏教や儒教を嫌いであると認定するのは少し無理があるだろう。
しかし、戒律を守る仏教徒、祭礼を執行する熱心な儒教の信者になるわけでもない。
日本社会・日本人から見た場合、重要なのは教え・信仰の部分であって、規範・行動の部分はやっかいな部分だと考える。
だから、規範を捨てて信仰の部分だけつまみ食いしようとする。
この日本人の宗教センスのことを「日本教」と呼んだのが山本七平であり、このブログで見てきたことである。
なお、以上のことは、日本人を全体で見た場合、このような傾向があると述べているだけである。
この現象のよしあしについて私は興味がない。
視座を変えればどうとでも言えるからである。
なお、この傾向は宗教だけではなく、技術にもみられる。
この点に具体的に言及しているのが次のメモである。
では、日本教はどんなものか。
日本教は日本固有の神道をベースに仏教・儒教などの教えをミックスさせて作ったものである。
もちろん、ミックスされたのは仏教・儒教だけではない。
例えば、中国の道教もそうである。
このことは、道教の流れをくむ陰陽道の思想に由来する大安や仏滅といった六曜、道教が起源となっている七夕や十二支といったものを利用していることからもうかがえる。
さらに、日本人は、キリスト教信者でもないのに教会で結婚式をし、クリスマスを祝う。
別の宗教・信者から見た場合、日本人のこれらの挙動が無茶苦茶に見える。
彼らの視座に立ったらそうなるわけであるから、それを否定するのは容易ではない。
もちろん、別の宗教・信者から見て「無茶苦茶だ」と言われても、「知らんがな」と言って突っ返せばいいわけだが。
ただ、(他の宗教から見て)「なんでもあり」に見えるこの現象こそ日本教の特徴である。
もっとも、「なんでもあり」に見えるからといって、本当に「なんでもあり」なわけではない。
それは現実を見れば明らかである。
つまり、他の宗教と比較して「容認される基準の内容・明確性が大きく違う」に過ぎない。
このことは内村鑑三不敬事件のいきさつ(メモのリンクは次の通り)を見れば一発で明らかであろう。
ところで、ウェーバーの定義に従うならば、日本教は日本教徒(日本人)の行動を基礎づけており、日本人独特の倫理道徳の観念の源泉にもなっている。
つまり、日本教は日本人らしさを基礎づけている原因、ということにもなる。
とすれば、日本教にも良いもの、悪いものを決める基準や道徳律が存在することになる。
その具体例が新渡戸稲造の「武士道」である。
しかし、日本教の場合、その道徳律はイスラム教や仏教のような規範にならない。
ここが比較宗教社会学的観点から見た場合の日本教の決定的に重要な特徴になる。
つまり、ユダヤ教・イスラム教には外面的行為に関する厳格な規範がある。
他方、仏教においても修行における外面的行為に関する厳格な規範があり、これを破ればサンガから追放され、修行の道が絶たれる。
それに対して、日本教でもルールが一応存在するが、守った守らなかったの判定はかなりあいまいである。
このことは宗教だけではなく法律の執行にも言える。
法律の執行に関するメモへのリンクは次のとおりである。
以下、日本のルールの曖昧性(規範の弱さ)について食物規制を例にしてみていく。
まず、対比の観点からイスラム教の食物規制を見る。
なお、ユダヤ教やイスラム教の食物規制は絶対神の命令だからそのルールは厳格である。
イスラム教において食べてはいけない食物のことを「ハラム」と言い、食べていい食物のことを「ハラル」という。
この点、ハラルには牛・羊・ラクダ・ヤギなどの草食動物、ニワトリやカモなどの鳥が入る。
しかし、これらの肉を食べる場合でもイスラム用の規範に従って処理されなければ食べてはいけない。
この作法のことを「ザビハー」という。
よって、イスラム教徒が日本で肉を食べる場合、スーパーの肉屋で買ってくるわけにもいかない。
「ザヒハー」によった作法によらない以上、食べてはいけない「ハラム」に属するからである。
ところで、イスラム教には「ハラル」と「ハラム」という分類があると述べた。
ただ、もう一つのカテゴリ、「マッシュブーフ」がある。
マッシュブーフは「疑わしい」という意味の言葉がある。
では、「マッシュブーフ」にカテゴライズされた食物は食べてもいいのか。
これについては、「食べても罪にならない」・「敬虔なイスラム教徒は食べない」となる。
このような第三のカテゴリを日本教徒が見ると、「厳格に二分されてないのに、『規範』とは片腹痛い」と考えるかもしれない。
しかし、規範において大事なのは基準の明確性であって、規範の単純さではない。
そして、三つのカテゴリにおいて食べて罪になるのは「ハラム」だけであり、マッシュブーフの食物を食べても罪にならない。
その点は明確であり、信者も安心して食べることができる。
その場の空気で罪になったりなかったり、と言うことにならないことは明らかである。
もっとも、食べないことが推奨されているだけで。
このようなイスラム教の食物規定を見たうえで、日本の食物規制を見てみよう。
イスラム教と対比してみるならば、「『ある』ともいえない、『ない』ともいえない」としか言えない。
例えば、海外旅行を行って旅行先の名物料理を食べたら、あとでネコの肉だとわかったとしよう。
この場合、「日本人としてあるまじき行為をした。もう私は救われない」と激しく後悔する人間はいないであろう。
インドのセポイの反乱(インド大反乱)の発火点と対比すれば、その違いは明らかである。
そして、このケースから考えると、「日本ではネコは規制されていない」と言えそうに見える。
しかし、その一方で、「今日、私はペットのネコを食べた」と述べたとする。
遠い人間がそのようなことをすればスルーされるかもしれない(最近なら炎上して社会生命が絶たれるかもしれない)が、親しい関係の人間に対してこんなことを言ったらただでは済まないであろう。
とすれば、「ネコは規制されている」とも言いうる。
というわけで、「よくわからない」以上の結論は出てこず、イスラム教やユダヤ教にあるような明確な規範は存在しないことになる。
このことは徳川時代以前にもみることができる。
例えば、平安時代以降、日本では仏教の影響で四つ足の獣を食べることが忌避されていた。
しかし、厳格な規範として機能していたわけではない。
例えば、イノシシは山鯨であり鯨の一種として食べることができた。
また、兎は「一羽、二羽」と鳥として数えられていたので食べることができた。
このように、兎やイノシシが例外とすることは規範から見てできないではない。
しかし、江戸時代のモモンジ屋ではそれ以外の獣も食べられていた。
もちろん、モモンジ屋は闇商売ではなく堂々と営業されていたものである。
何故食べられたかというと、「薬だから」という理屈を立てたからである。
この点、薬であろうが人体に有益であろうが獣であることに変わりはない。
「『獣でない』から食べてもよい」という理屈なら文言解釈の範囲として分からないではないが、獣であるが薬にしたから、、、という理屈は文言解釈の域を超えている。
だから、この理屈はちょっと、、、ということになる。
ちなみに、水戸藩の徳川斉昭(烈公)の息子にして十五代将軍となった徳川慶喜は将軍になる前から豚肉好きであった。
そして、そのことは広く知られており、それゆえ慶喜を嫌った人もいるらしい。
もっとも、慶喜の豚肉食いは出世の妨げになっていない。
以上、事実をみてきた。
まとめてみると、「行為として食べることはできた。それを嫌う人もいた」となる。
もっとも、明治時代に文明開化の鐘が鳴りだすや否や、肉食嫌いは一掃されてしまい、すき焼きは日本の代表的料理の一つにまでなる。
これでは「わけわかめ」となっても無理からぬことである。
ただ、いくつかの抽象的な基準についてみることができる。
そのうちの一つは「一つは規範は時代が決める」ということ、もう一つは「相手の個人・集団によって決まる」というものである。
一神教をいただく宗教の規範から見れば、規範は神が創造するものであって、時代や権力者によって変えられるものではない。
ましてや、一般人によって変えられるものでもない。
ただし、日本教においては行動基準は時代と相手によると考える。
そして、基準に該当するものがいわゆる「空気」(ニューマ)である。
これは儒教・ユダヤ教・イスラム教が一神教であることに対して、日本教が多神教(絶対神の不在)であることに対応するのかもしれない。
一般人に行動基準を変える権限があると考えるためには「一般人も神(一神教ほどの絶対神ではないとしても)である」と考えざるを得なくなるので。
このように見た場合、日本教はキリスト教と同様、規範が弱いことになる。
その結果、信仰・内面を大事にするという意味でキリスト教と日本教は非常に似たものになった。
それが、キリスト教は一神教であり、日本教は多神教である、という点である。
この点、最澄が戒律を形式化・名目化するまで日本人は仏教をありがたがり、仏さまを拝んでいた。
これができたのは神道のおかげである。
具体的には、本地垂迹説のおかげと言うべきか。
日本に入ってきた仏教が戒律を員数化することで日本独特のものになったという話は前回行った。
これを支えた理論が天台本覚論という点も。
ただ、もう一つ見ておくべきことがある。
それは本地垂迹説である。
本地垂迹説の導入と戒律の廃止の両方があったからこそ日本は変質をしつつも仏教が爆発的に浸透した。
この本地垂迹説は法華経に由来する思想で「本地(根本の物体)より迹(具体的な形)をたれる」と考えるものである。
この点、極めて単純化して考えた場合、仏教では形式論理学や実在論を前提にしない。
だから、「あるかないか二者択一」といった形式論理学は前提になってないし、「本当に存在するのは認識だけである」という発想が前提となる。
その意味で、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教とは対極的である。
そして、唯識論を前提として、形式論理学を排除していくと本地垂迹説が出てくる。
この本地垂迹説においては、「釈迦が実在する」ではなく、「宇宙の真理を人間は釈迦の形で認識する」と考える。
この発想が日本に来て、「宇宙の真理(=仏教)が日本では神道の形で現れた」という発想になった。
例えば、菩薩が日本において八幡神として認識される、とか。
他にも例はたくさんある。
これがいわゆる「神仏習合」である。
もちろん、これは逆にもなりうるわけだが。
さて、この神仏習合によって得をしたのは神道ではなく仏教である。
難解な仏教の教えを教える必要がなく、日本の神々は仏の成り代わりであると言ってしまえば、日本人は理解し、仏教の教え自体は受け入れてくれるのだから。
もっとも、そのように普及した仏教に対しては「果たしてこれは仏教なりや」という問いが突きつけられることになるとしても。
以上の神仏習合の作法、この作法は江戸時代に儒教に対しても行われることになる。
とすれば、キリスト教もこの戦術を使えばよかったのではないか、という疑問が浮かぶ。
もっとも、抜け道的にできなかったかと言われると、これまた微妙である。
潔癖なプロテスタントならさておき、カトリック教会ならできたかもしれない、とは言いうる。
なぜなら、キリスト教にはマリア信仰があるからである。
マリア信仰はキリストの母親に対する信仰ということになるが、これはイエス・キリストを唯一絶対の神と考えるキリスト教においては異端と言うしかない。
事実、マホメットはマリア信仰に対して「愚かなこと」と述べている。
しかし、カトリック教会は布教の方便としてマリア信仰を持ち出すことになる。
ここで、キリスト教におけるイエス・キリストの実体に関する議論を確認する。
第一に、イエス・キリストは人間の原罪を解除したとされている。
よって、「イエス・キリストは神でなくてはならない」ことになる。
原罪を解除できるのは原罪を設定した神であり、人間には不可能だからである。
もっとも、バイブルには「イエスはマリアという人間から産まれた」ことになっている。
とすると、「マリアである人間に神が産めるのか」という問題が生じた。
つまり、イエス・キリストは神なのか、人間なのか、といった宗教の核心部分に関する問題が生じ、4世紀、ローマ帝国で認められたキリスト教は大混乱に陥った。
そのために、325年、ローマ皇帝コンスタンティヌス一世は「二ケア公会議」を開いて徹底的に討論し、「イエス・キリストは神である。同時に、人間である」という結論を出した。
この結論のことを「二ケア信条」といい、これを採用するか否かが正統と異端を分ける境界線となった。
現在の正教・カトリック教会・プロテスタントも二ケア信条を採用している点では同様である。
他方、当時、二ケア信条に異を唱えたアリウス派は異端として排除される。
イエス・キリストに関する議論をめぐるごたごたはその後も続いた。
451年のカルケドン公会議の開催、三位一体説の確立などにその点が表れている。
もちろん、このような会議が開かれたのも、この問題を放置すればキリスト教が分裂しかねなかったからである。
そうやって、キリスト教が安定させたのもつかの間、カトリック教会は中世以降、マリア信仰を布教の手段に持ち出すことになる。
この点、マリアは人間であるから、マリア信仰は「キリストは神ではない(人間に過ぎない)」と述べたアリウス派よりもはるかにキリスト教からずれている、ことになる。
しかし、従来から自然崇拝の信仰を持っていたゲルマン人やケルト人に対する布教手段としてマリア信仰は極めて有効な手段であった。
この点は「仏教の難解な教えを伝えるよりも、『日本の神々は仏や菩薩が自ら日本用にカスタマイズしたものである』と教えたほうが楽である」というと同様である。
そして、この手段があったからこそキリスト教はヨーロッパや世界各地に広がることになった。
もちろん、本来のキリスト教から見たらとんでもないことだとしても。
以上のヨーロッパにおけるキリスト教拡大の歴史を見れば、戦国時代に日本を訪れた宣教師がマリア信仰を流用して本地垂迹説を使うことができた、と言えなくもない。
比叡山に日本の秀才(天才ではない)が集まるならば、カトリック教会にはヨーロッパの秀才・天才が集まる。
ならば、それぐらいの理論武装は朝飯前であろう。
ちなみに、戦国時代の当時の記録によると日本人のキリシタンにとってはマリアの方が親しみやすかったそうである。
このことはマリア観音像にも表れているといえる。
なお、このようなことを述べると、真面目なキリスト教徒はお怒りになると考えられる。
特に、プロテスタントの方々は。
もちろん、このような方便は神に対する冒涜に他ならない。
この点は、歴史の確認と思考実験としてお許しいただきたい。
さて。
色々見てきたが、「日本人の規範嫌いがイスラム教を阻む」根拠を参照してきた。
つまり、日本教とイスラム教は現在する著名な宗教の中でもっとも相性が悪いといってよい。
さらに、規範に対する態度の違い。
日本の儒教は論語一本槍、つまり、孔子一本槍になったわけであるが、イスラム教において仮にマホメット一本鎗になったところで、世界からイスラム教とは認定されることはない。
これは、現在、日本の僧侶が世界の仏教から僧と認定されないのと同様である。
もちろん、「イスラム教めいたもの」の導入ならできるかもしれない。
仏教から戒律を抜いたように、イスラム教から規範を抜いてしまうのである。
しかし、イスラム教の法はアッラーが創造したもので、かつ、アッラーだけに変更権限があるものである。
この点の徹底さは仏教よりも厳しい。
日本だけで閉鎖しても構わないというならさておき、世界との連帯を築くのであればその道は仏教より困難であろう。
他方、日本だけで閉鎖して構わないというのなら、出来上がるのはイスラム教ではなく、日本教イスラム派に過ぎないことになる。
個人的には、「むぅーりぃー」としか思えない。
ならば、相性の悪い点を十分に認識し、十分に理解した上で、一定の距離を開けたほうがよいと考えられる。
少なくても、アラビア社会と日本は物理的に距離があり、イスラム教は「信仰の強制はしない」と述べているのだから。
以上が本章のお話である。
日本の「空気」・日本教に対する理解が歴史方向で深まった。
その意味でこの本を読む価値があった。
もちろん、イスラム教やその他の宗教に対する理解も深まったことも言うまでもないが。