今回はこのシリーズの続き。
『日本人のためのイスラム原論』を読んで学んだことをメモにしていく。
3 「第1章_イスラムが分かれば、宗教が分かる_第1節」を読む(中編)
前回、イスラム教(社会)の爆発的・世界的発展について、その発展にもかかわらず日本にはイスラム教が浸透しない点についてみてきた。
今回はその原因について、イスラム教の教え以外の事情からみていく。
第一の原因として「イスラム教側に布教の意思がない」という点が考えられる。
この点、大航海時代のキリスト教宣教師の行動に見られるように、キリスト教には世界にどんどん布教していく意思があり、かつ、行動もしている。
他方、民族宗教であるユダヤ教には世界に布教していくといった意図はない。
つまり、総ての宗教に世界に布教していく意図があるわけではない。
そのため、「イスラム教にも世界へ布教していく意図がないのではないか」と頭に浮かべること自体、ないわけではない。
しかし、歴史を見ていく限り、イスラム教は世界への布教していく意思をもった宗教である。
だからこそ、イスラム教がアラビア半島をまとめて100年もしないうちにあれだけの広大な版図を手にし、世界各地にイスラム教が広がることになるのである。
よって、世界に積極的に布教していくスタンスを持っている点ではイスラム教とキリスト教は同様である。
この点、布教のスタンスについて異なるのが仏教である。
もちろん、鑑真や蓮如など例外的な存在はあるが、原則論から見た場合、仏教は「来るものは拒まず、去る者は追わず」のスタンスである。
つまり、仏教は、真理は与えられるものではなく自らが求めるべきものであるという点、「釈迦の悟りを知りたいものはウェルカムだが、知りたくない人間を無理やり改宗させるといったことはしない」という点がある。
次に、「日本は極東の海の果てにあり、ユーラシア大陸から隔てられていたのでイスラム教が届かなかった」という原因が考えられる。
確かに、アラビアを中心にして世界地図を見ると日本は世界の東の果て(極東)にある。
しかし、この地理的状況はヨーロッパのキリスト教とアラビアのイスラム教とで大きな差があるわけではない。
しかも、アラビア商人はインド洋や地中海を中心に大活躍をしていた。
つまり、イスラム社会はヨーロッパ社会に負けない十分な航海術を持っていたわけである。
よって、技術的に見た場合、キリスト教徒がたどり着けた日本にアラビア商人がたどり着けなかったということは考えづらい。
また、戦国時代末期の南蛮貿易が行われていたころ、日本人が海外に出かけていって、日本人町を作るといったこともあった。
当時の海外で活躍した人間として山田長政がいる。
とすれば、海外に出かけた日本人が東南アジアで活動しているアラビア商人と接触し、イスラム教を知った人間もいたのではないか、そんな中でイスラム教に入信した人間がいたのではないか、とも考えられる。
しかし、実際のところそのような形跡はほとんどない。
以上、布教の意思・地理的条件の点をイスラム教の浸透しない原因として求めることが弱いことが分かった。
そこで、次に考えられる理由になるのが言語の壁である。
「言語の壁」とは何を意味するのか。
簡単に言うと、「アラビア語以外のクルアーン(コーラン)の存在を認めない」点をさす。
この点、クルアーンは「大天使ガブリエルが『アッラー(唯一の神)の教え』としてマホメットに伝えた言葉」をまとめたものである。
マホメットの言葉がまとめられているのはクルアーンではなく「スンナ」である。
この「スンナ」は重要な書物ではあるが、「宗教上の啓典」ではない。
というのも、イスラム教においてマホメットは「預言者」という(ただの)人間に過ぎないからである。
よって、神の言葉が並べられた「クルアーン」と預言者(人間)の言葉が並べられた「スンナ」は同列に並べられていない。
この点は明快である。
そのクルアーンにはこのように書かれている(具体的な場所は「十二の二」)。
(以下、本書にあるクルアーンの訳の部分を転載、転載されている訳の原著は前述のとおり)
(引用終了)
この点、「我ら」というのは神が自分を指す人称代名詞である。
そして、ここで大天使ガブリエルは「アラビア語」でマホメットで語りかけている。
つまり、「アラビア語」であることに特別な意味があることとなり、逆に言えば、クルアーンはアラビア語でなければならない、ということを意味する。
もちろん、クルアーンを日本語などの別の言語に訳されたものは存在する。
しかし、翻訳されたそれらはせいぜい参考書であって、クルアーンそれ自体ではない。
この点は、英語版の聖書や日本語版の聖書を認めるキリスト教とは異なる。
つまり、イスラム教徒になるならばアラビア語の習得は必須、ということになる。
ここで言う「言語の壁」とはそのような意味である。
では、「言語の壁」という理由は日本に浸透しない理由として妥当であろうか。
この点、異国の言語を学ぶことが大変なことは日本に限られない点を考慮すれば、言語の壁のハードルが高ければイスラム教はアラビア社会の外側に普及しないことになる。
しかし、現実ではイスラム教は世界に拡大した。
また、アラビア語を母語としないイスラム教徒であってもクルアーンが読誦できれば足りるのであって、アラビア語を母語のように使いこなせなければならないわけではない点を考慮すると、ハードルが高いとも言い切れなかろう。
よって、これも理由として弱いことになる。
この点、「日本人は世界と比較して異国の言葉を習得する能力が低い」という見解もある。
しかし、天正遣欧使節としてバチカンを訪問した少年たちはラテン語をマスターしたし、江戸時代には庶民だったにもかかわらず日米の架け橋になったジョン万次郎という例もある。
本書によるとこの点を強調するのも妥当でない、という。
以上、イスラム教の教えと関連性の乏しい事象を理由にして日本にイスラム教が浸透しない理由を考えてみたが、どれも理由としては弱い。
そこで、日本人とイスラム教の教えの相性の悪さが原因ではないか、と考えていくことになる。
つまり、イスラム教の教義の何かを日本人が嫌ったことになる。
以下、その「何か」についてみていく。
そして、相性のよしあしを見ていくためには、イスラム教の教えと日本社会の双方を見ていく必要がある。
以下、イスラム教の教えについてキリスト教やその他の宗教と対比しながらみていく。
さらに、ここでは「ある程度単純化した上で」見ていくことにする。
その方が理解しやすいし、本質をつかめるし、ある種の単純化・抽象化は学問的手法の基本だからである(単純化・抽象化による効用については次のブログメモなど参照)。
・それぞれ唯一・絶対の神を信仰する一神教である点
・信仰の基盤に聖書がある点
・旧約聖書の記載(神の世界創造、アダムとイブの楽園追放、ノアの洪水、モーセらのエジプト脱出と十戒を神から戴いたこと)を事実(真実)と考える点
では、両者の決定的な違いは何か。
それは「規範」の存在である。
とすれば、「規範」をイメージだけで考えてしまい、「規範」の定義・存否の要件を明確にしないと、この点が理解できない。
そこで、これから「規範」の定義・存否の要件を明らかにする。
ここで言う「規範」とは何か。
絶対的条件として「規範を遵守したのか違背したのかが判定できなければならない」。
そのためには、基準の明確性と対象の客観性の二つが必要になる。
基準が明確でないと遵守と違背の区別ができないし、対象の客観性がないと遵守と違背の判定が不可能だからである。
その結果、規範の対象は人の外面的(客観的)行為に限られることになる。
この点を考慮しつつ、イスラム教を見てみる。
イスラム教の信者が負う基本的な義務として「六信五行」というものがある。
つまり、六個のことを信じる義務と五個の行いをなす義務があるわけである。
この点、六信における六つの事項は「神(アッラー)」、「天使(マラク)」、「啓典(キターブ)」、「預言者(ナビー)」、「来世(アーキラット)」、「天命(カダル)」を指す。
つまり、これら六個に関する具体的な事項についても疑いを挟んではならない。
そして、六信の他に大事になるのが五行である。
つまり、六つの事項について信じる(疑いを持たない)だけではダメで、五つの行いを実践しなければならない。
五つの行いとは「信仰告白(シャハダ)」、「礼拝(サラート)」、「喜捨(ザカード)」、「断食(サウム)」、「巡礼(ハッジ)」である。
ここでは、規範の観点からこの五行を見ていこう。
まず、五行の一つ目が「信仰告白(シャハダ)」である。
つまり、心のうちで信仰しているだけではダメで、外部に対して信仰していることを表明しなければならない。
この信仰告白は行為であるから「規範」になる。
次に、五行の二つ目が「礼拝(サラート)」である。
イスラム教徒の生活は礼拝と共にある。
つまり、1日5回、決まった時間(夜明け、正午、午後、日没、夜半)にメッカの方角に向かって定められた手順で礼拝をおこなう。
礼拝の時間と作法が決まっている観点から見れば、これも「規範」である。
さらに、五行の三つ目が「喜捨(ザカート)」である。
この喜捨(施し)、仏教の場合と異なって、宗教上の義務である。
また、その方法も具体的に決まっている。
これまた「規範」に該当する。
そして、この信者が出した喜捨は政府の手によって貧しい人などに分配される。
その意味で喜捨は税金としての性質ももっている。
なお、ザカート以外に寄付を行うこともでき、こちらは「サダカ」と呼ばれている。
また、このサダカやザカートという行為は貧しい人への施しではあるが、宗教上の義務であるから、貧しい人へ恩を売ることにならない。
他方、施しを受けた側も施した側に対する感謝を強制されるわけでもない。
感謝するならばそれは全知全能の神アッラーに対して、ということになる。
もっとも、この「宗教的な見方」が近代という観点から見ると微妙なものをもたらすことになる。
さて、五行の4つ目は「断食」である。
イスラム歴の九月、信者は断食を行う。
この断食、期間は日の出から日の入りまでの間であるが(ひと月もの間ぶっ続けで断食したら餓死しかねない)、ものは食べられない・水や飲み物もダメ・つばもダメというのだから、かなり大変である。
よって、断食には「例外規定」がある。
具体的には、病人・子供・妊婦の他、旅行者や戦士については除外対象となる。
この点、「除外対象がある」という点をとらえて、そんなことで「規範」としての要件を維持できるのか、と考えるかもしれない。
しかし、「規範」にとって大事なのは「遵守と違背のラインが明確であること」である。
そのため、例外によって規範が複雑化したとしても遵守と違背のラインが明確である限り規範として問題ない。
また、具体的な規範を維持する目的は共同体・社会の維持である。
とすれば、断食によって戦争に負けたら(病人や子供が死んだら)意味がない。
よって、例外を認める必要があるし、その点は差し支えないのである。
「規範のシンプルさ出でて共同体亡ぶ」・「規範の例外捨てて社会亡ぶ」では意味がないのだから。
もちろん、朝令暮改の如く例外が頻繁に作られてしまったら規範としての用をなさなくなることはありうるとしても。
つまり、断食の除外規定は合法的例外なのである。
正当防衛や緊急避難に基づく人の殺傷行為に対して殺人罪が成立しないように。
だから、戦士・病人といった人たちは気兼ねすることなく、規範を破ったという罪の意識を持つことなく、断食しないでよいことになる。
ここでは、「規範」の観点からより細かくみていく。
この点、病人・子供・戦士といった人たちはある程度明確に判断できる。
ただ、旅行者になると具体的な基準が問題になる。
例えば、砂漠にある都市から都市までラクダを使って旅している状況であれば、明らかに例外規定にあてはまるだろう。
こんなところで断食を強制し、ましてや、水や唾まで飲むことを禁止したらその旅行者は死んでしまう。
もっとも、「クーラーの利いた自動車または新幹線で東京から小田原(約100キロ)まで移動すること」は旅行と言えるのか。
この移動、東京都の住人が小田原城を観光すれば普通に生じうる旅行である。
昔なら100キロの移動(徒歩で2、3日)となれば旅行であろうが、車や新幹線での移動であれば、数時間以内に移動でき、その日に帰ってくることも可能である。
この場合、一般人が自信をもって判断するのは難しい。
さて、このような問題を「規範」としてみた場合、基準を勝手に決めることはできない。
各人が勝手に決めてしまったら、基準の明確性など吹っ飛んでしまうからである。
また、仮に、「100キロなら旅行に含まれる」と決めると、「じゃあ90キロはどうなんだ」などということになりうる。
この場合、究極的には「家から一歩出たら旅行」となりかねず、規範が空洞化してしまう。
そこで、出てくるのが「イスラム法」である。
つまり、断食が除外される旅行と単なる移動をイスラム法に照らして具体的に決めていくのである。
ちょうど、正当防衛と過剰防衛の境界、過剰防衛と通常の殺人の境界を刑法・法学・社会通念を使って決定していくのと同様に。
イスラム社会では「宗教の法=イスラム法」が社会の法として機能している。
つまり、日常生活のあれこれから社会のルール(取引のルール、犯罪や捜査のルール、戦争のルール)に至るまでイスラム教の教えに則って決められている。
この規範の集合体が「イスラム法」なのである。
以下、このイスラム法についてみていく。
日本の法体系でトップに立つのが憲法であるように、イスラム法の基本に立つのは大天使ガブリエルがアッラーの言葉として預言者マホメットに伝えた「クルアーン」である。
もっとも、クルアーンに社会の総ての基準が網羅されているわけではない。
例えば、マホメットの時代には自動車という言葉もなく、自動車という機械も存在しなかった。
ならば、「自動車でどれだけ走れば旅行になるのか」という点がクルアーンに書かれているはずがない。
つまり、最高の法源、または、第一法源であるルアーンに書かれていないことが問題となった場合、別の基準が必要になる。
この点、第一法源クルアーンで解決できない場合、第二法源として「スンナ」を用いて判断する。
「スンナ」とは預言者マホメットの言行録(ハディース)である。
とはいえ、クルアーンにもスンナにも書かれていないことはたくさんある。
イジュマーというのはクルアーンやスンナを完璧にマスターした大法学者(ムジュタヒド)たちの合意を意味するものである。
つまり、クルアーンやスンナにないことは尊敬される大法学者らの合意をもって規範とみなすのである。
では、イジュマーすらなければどうするか。
この点については第四法源に頼り、それでもだめなら次の法源に頼る、と言う形で考えていくのである。
この辺は細かいので省略(本書には簡単な記載がある)。
このような作業を日本人が見るとなにやらバベルの塔が構築されていくさまが見え、規範でがんじがらめになって窮屈さを感じるかもしれない。
しかし、形式的・論理的にみればこれほど整っているものもない。
まあ、形式的・論理的に整っていることは総ての問題において妥当な解決が図れることを意味するわけではないのだが。
さて、断食を通じて規範の構造についてみてきた。
もっとも、五行のうちの最後が残っている。
五行の最後を飾るのは「巡礼(ハッジ)」である。
これは聖地メッカのカーバ神殿への巡礼を意味する。
もっとも、これは自発的義務であって、規範ではない(巡礼しなかったことを理由に地獄に落とされるわけではない)。
しかし、たくさんのイスラム教徒が巡礼に行く。
ところで、ここから五行のうちの断食と巡礼についてみてみる。
この点、イスラム教徒といっても様々な民族がいる。
また、貧しい者や富める者もいる。
しかし、このようなバラバラな属性を一つの共同体にまとめ、一つの共同体として連帯させるために支えているのが、宗教的規範のうちの断食と巡礼である。
例えば、巡礼ではどんな民族の者であろうが、どんな国籍であろうが、あるいは、経済力の違いによることなく、全員が一緒に同じ方向に向かって祈る。
これが連帯と言う意味で以上に大きな影響をもたらすことになる。
また、断食においても、原則として、国籍・民族・経済力の有無を問わず、信者がみな断食に耐える。
この苦しみの共有が連帯をもたらす。
また、断食と共に断食明けのお祝いも連帯の強化に貢献している。
この点、日本にもお伊勢参りといった巡礼があった。
しかし、日本の巡礼は各人バラバラである。
そのため、メッカの巡礼とは全然異なることになる。
以上、イスラム教の六信五行について規範の観点からみてきた。
以下、ここまでのメモについて、私が感じたことを書き足しておく。
まず、日本が遠かったためイスラム教が来なかったという点について。
この点、安土桃山時代である16世紀、オスマン帝国の隆盛によりアラビア社会とヨーロッパ社会の形勢は完全にアラビア社会の方が上であった。
ならば、ヨーロッパ社会・キリスト教の人間の方がリスクをとって遠くまで冒険をする意思が強かったということは言えるのかもしれない。
事実、現在のアメリカ大陸の存在をヨーロッパに知らしめたのはイスラム社会の人間ではなくヨーロッパのクリストファー・コロンブスだし、日本に目をつけたのもヨーロッパ側である。
また、似たようなことを伺わせる事情として、江戸時代、日本との通商に見切りをつけて平戸を立ち去ったイギリスの例もある。
イスラム社会側にとって日本は実りが少なかった、ということなのかもしれない。
次に、日本における言語の壁の高さについて。
確かに、天才的な存在はいただろうし、今もいるだろう。
しかし、このような優秀な人間は例外とも言えるし、明治時代にヨーロッパに経済学を学びに行った留学生らが語学の壁(と数学の壁)に阻まれて経済学を日本に紹介できなかったという事実がある。
また、『日本人と組織』でみてきたとおり、日本は言語で秩序を構成している面もあるので、日本では異国の言葉を道具として使いこなすのが苦手という一面はあっても不思議ではない。
ただ、このような事情は日本人サイドの事情として扱うべきかもしれないが。
(なお、この点に関するブログメモは次のリンク先のとおり)
個人的に感じたことは以上である。