今回はこのシリーズの続き。
『日本人と組織』を読んで学んだことをメモにしていく。
16 感想
去年から今年にかけて、故・山本七平と故・小室直樹の書籍をたくさん読んだ。
このブログでメモにした本もあれば、図書館で借りた本もあれば、キンドルで読んだけの本もある。
これらの本を読んだことによって得られた「知識と快楽」は膨大であった。
ただ、快楽を得ただけで満足してしまうのはもったいない。
得た知識・知恵については私の分析その他のために利用するつもりである。
もっとも、対外的な何かのために利用する予定は今のところない。
やれるに越したことはないにせよ、そこまでやるのは手を広げすぎの感じが否めないので。
この本を読んで得られた知識・知恵はたくさんあった。
ざっと列挙していけばこんな感じである。
・上下契約と相互契約について
・上下契約(神への誓約)と上下支配関係(権力者への忠誠)について
・古代イスラエルと日本の共通性について
・マニュアルとミューステリオンについて
・日本とアメリカ・ヨーロッパの「秩序と組織を維持している背景」の違いについて
・日本とアメリカに「刻印されているもの」の違いについて
・日本と古代イスラエルの共通項について
・モノティズムとパンティズムについて
・モノティズムとパンティズムにおける誓約方式の違いについて
・空間的把握と時間的把握について
・ヨーロッパにおける空間的把握と時間的把握の調整について
・キブツ(生活と生産の一体化)と株式会社(生活と生産の分離)について
・神聖組織と世俗組織について
・神聖組織と世俗組織の調整方法に関する分離型と一体型について
・知の要素と信の要素について
・知の要素と信の要素を調整する方法について
・キリスト教に由来する二尊主義と日本的儒教に由来する一尊主義について
・ユダヤ・キリスト教に由来するトサフィストという発想について
・本文を尊重する権利と本文にコメントをする権利の両立性について
この点、本書に書かれていることを大雑把に把握する(あくまで大雑把である、ある種の極論になっていることに注意)と、「ユダヤ・キリスト教の伝統と日本の伝統というのは対極的だなあ」という感想を持つ。
そして、「キリスト教的伝統を持たない日本が近代化と高度経済成長を成し遂げた」という事実は「奇跡中の奇跡」と感じざるを得ない。
さらに、某首相の「日本は神の国である」という言葉にある種の信ぴょう性を感じざるを得なくなる。
それが錯覚である可能性があるとしても。
両者の伝統の違いを「秩序」の観点から言葉にするならば、アメリカ・ヨーロッパの「二尊主義」と日本の「一尊主義」になりそうである。
ただ、一尊主義といっても日本は何から何まで融合させているわけではない。
例えば、日本は「八百万の神々」という言葉があるとおり、多神教であって一神教ではない。
逆に、アメリカ・ヨーロッパは二尊主義だが、信仰する神は一つ(イエス・キリスト)である。
この対照的な比較結果は面白いものがある。
さらに言うと、世界に覇を唱えたイギリスとアメリカは一尊主義ではないか、という疑問が頭に浮かぶ。
特に、アメリカの民主主義・自由主義の布教の熱心さは「果たしてこれは二尊主義なりや」という気がしないでもない。
また、多神教だから一尊主義、一神教だから二尊主義というわけでもないようだ。
例えば、私の知識の範囲でイスラム教や儒教を見ると「一神教・一尊主義」に見える。
もちろん、私の知識が曖昧ゆえにこの辺の疑問が生じている可能性は十分ある。
よって、この辺はもう少し整理したいと考えている。
なお、本書に書かれている日本への処方箋として「トサフィスト」という案があった。
トサフィストという手法を見て頭に浮かんだのがニコニコ動画の「動画とコメントの関係」である。
もっとも、両者は似ているように見えて、何かが違うような気もする。
この辺もいろいろ考えたら理解が深まるかもしれない。
また、この処方箋は「一神教・二尊主義」だから有効に活用できるような気がする。
「多神教かつ一尊主義」の日本に可能なのかどうか。
この点、困難なルールが「履歴消去の禁止」であり、心理的に置き換えれば「ミスに関する寛容さ」になる。
この背景には「絶対教に対する信仰とそれによる安心感」があるような気がする。
ただ、はっきりしたことはわからない。
もちろん、私が取り入れる分には問題ないので積極的に導入しようと考えているが。
最後に、「多神教かつ一尊主義」と『危機の構造』で見てきた「盲目的予定調和説」・「機能体と共同体化現象」・「(日本の)社会科学的実践の欠落」・「(日本の)アノミー」は相互に関連しているような気がする。
もし、余力と時間があればこの辺の関係も見てみたい。
すぐには困難であろうが。
以上、本書を読んで、その内容をメモにした。
この辺でこのメモは終わる。
なお、現在、「『痩せ我慢の説』の意訳」が中途半端になっているところ、本書と最近読んだ『危機の構造』は『痩せ我慢の説』を考える際の有益な補助線になりそうな気がする。
是非、これらの補助線を活用したい。