今回はこのシリーズの続き。
『危機の構造_日本社会崩壊のモデル』を読んで学んだことをメモにしていく。
4 第1章「戦後デモクラシーの認識」をまとめる
第1章の内容を箇条書きにまとめる。
・ロッキード事件や太平洋戦争などの事件の背景には、戦前の軍事官僚・戦後の経済官僚や大企業エリートなどが「帰属集団の機能的要請」に従って動いてしまう傾向があり、この両者は極めて類似する
・戦後の高度経済成長による社会変化は著しく大きい
・以上の二つの事実から、現在の日本の社会組織(外面)と社会構造(内面)の乖離が著しい
なお、本書では触れられていないが、明治の近代化にも同じことが言えるかもしれない(この辺は山本七平の著書を確認すれば分かる、詳細は割愛)。
5 第2章「日本型行動原理の系譜」を読む_前編
本章は、昭和45年頃に日本を騒然とさせた日本の過激派たち(日航機ハイジャック事件の犯人・アラブゲリラに参加した日本人・企業連続爆破事件や北海道庁爆破事件の実行者)の「性格」と「彼らが行った行為」にスポットをあて、日本人に対してアノミーが侵食していることから話を進めていく。
この点、これらの事件の異常性・犯罪性などから「実行者たちは異常である」という切断操作を行うことがある。
しかし、本章によると、これら過激派の人間たちと前述のエリートや官僚が同様の行動様式・思考をもっている。
ならば、社会科学的に見れば、切断操作をしても人が入れ替わって同じ現象が起き続けるだけであり、抜本的な解決策にはならないと言える。
なお、社会科学的実践を行うことは実行者に対する責任追及をやめることを意味しない(相対化されることはありえても)。
両方やらなければならないことは言うまでもない。
また、「(諸々の理由から)抜本的解決をしたくない」・「事件が繰り返されても構わない」のであれば、切断操作で十分である点も留意しておかねばならないだろうが。
まず、新聞記事に見られる一連の過激派の人物たちの性格等の共通項を抽出する。
すると、次のような共通項があることが分かる。
また、企業連続爆破事件の犯人グループが逮捕された際、周囲の人々が「まさか、あの人が・・・」といった現代の我々から見れば飽きるほど見られる感想を述べた点も付け加えておく。
・模範的な中流家庭の子弟
・社会生活態度は平均的市民と同程度、むしろ、真面目過ぎるレベル
・25歳以上の者が多く、結婚している者もおり、「血気にはやる」とか「学生時代の延長線上にいる」といったものがない
・社会の落後者や無法者ではない
そして、ここに「彼らが団体・組織の要請に従って、中立の一般市民を巻き込む爆破事件を引き起こした」という事実が加わる。
これに対し、「彼らは平凡な市民を装った精神異常者である」と評価することもできる。
しかし、その場合、「ならば、何故、彼らは長期間、平均的な社会生活態度を維持できたのか?」という問いに答える必要があるところ、「彼らは精神異常者である」という前提を維持したままこの問いに答えることは容易ではない(精神異常者と自己規律の関係は後述)。
そこで、「彼らはアノミーに陥っていたのであり、精神異常者ではない」という本書の分析結果が出てくる
(なお、アノミーに陥っていた点が当事者を免責する理由にならないことも注意)。
この「アノミー」とは無規範状態・無連帯状態と訳されるもので、本書によれば「日本の危機の源泉」ということになる。
この点、過去にアノミーによって成長したものの一つにナチスがある。
つまり、ナチスは無法者や落伍者に蔓延するアノミーを利用して急成長した。
逆に言えば、ナチス・ドイツの場合、アノミーが蔓延していた範囲は無法者・落伍者の範囲にとどまっていたとも言いうる(ただ、第一次世界大戦後のドイツは経済的に危機的状況に陥っていた点には注意)。
そのことを踏まえて70年代の日本の過激派たちを見ると、アノミーが中流家庭にまで蝕んでいることが示されており、侵蝕範囲がより広範囲であることが示唆されている。
では、日本のアノミーの深刻さはどうだろうか。
過去の事例と比較すると、日本の方が危険であると言える。
というのも、日本の過激派たちはナチスや戦前の軍国主義者でさえやらなかった「中立者の蹂躙(権利の無視)」という一線を踏み越えているからである。
つまり、ナチス統治下のドイツにおいて書斎派(理論を弄ぶが、行動はしない人たち)の人を容認した例は存在しており、「中立者の権利の尊重」という態度が残っていた(程度については反論の余地があるものの)。
また、戦前の日本で決起した青年将校たちも目指すべき相手には容赦しなかったが、抵抗しない人間や一般人には手を出しておらず、ここにも「中立の権利尊重」・「敵対しない者に手を出さない」という最低限の規範が見られている。
これに対し、連続爆破事件における日本の過激派は企業に勤めている一般の社員(労働者)や付近の通行人を巻き込んでおり、無関係な人に対しても容赦がない。
もちろん、付近の通行人を殺傷することと彼らのイデオロギーとの間に関連性などない。
このことから、彼ら過激派は中立者の権利という最低限の規範を完全に無視したと言える。
そして、このことが彼らがアノミーに陥っていることの現れである。
さらに、過去の事例と比較すれば、そのアノミー(無規範性)が悪化して「完全アノミー」に陥っているとも言いうる。
この「完全アノミー」の原点、それは大学紛争にあるという。
はしがきで「これは、ナチスも軍国主義者も企てなかった文化破壊である」という丸山真男の言葉が紹介されているが、大学紛争において時間をかけて集められた研究資料は紙屑のようになった。
他にも大学周辺の無関係な人たちに生じた被害についても言及されている。
そして、この「完全アノミー」に基づく行動がくっきり現れているのが連合赤軍である。
この点、連合赤軍のメンバーの人物像を見ていくと、前述の過激派たちの持つ例との共通項が見られる。
・中流家庭または上流階級の子弟
・一流大学のエリート候補
・いわゆる「真面目な青年」
・社会の落後者や無法者はいない
次に、次のロジックから、「彼らも『狂気』や『(精神病理学的な意味の)異常心理状態』にない」ことも判明する。
大前提・発狂者や精神病者には「組織的自己規律の欠如」という特徴がある
事実関係1_1・赤軍派の幹部はあさま山荘事件前後の銃撃戦で相応の射撃の腕前を見せていたこと
事実関係1_2・射撃の腕前を身に着けるためには相当期間の厳格な訓練が必要であり、また、継続的な組織的活動による援助が必要であったこと
事実関係1_3・射撃の訓練は組織的要請に基づくものであり、個人の趣味で身につけたものではないこと
事実関係2_1・赤軍派のメンバーは極寒の山中を官憲の目を逃れながらアジトからアジトに転々とし、飢餓寸前の生活を甘受していたこと
事実関係2_2・これらは組織の要請に基づくもので、個人的趣味に基づくものではないこと
大前提と事実関係1からの推論・彼(幹部)に自己規律能力やがないのであれば、このような射撃の腕前を身に着けることは不可能である
大前提と事実関係2からの推論・メンバーに自己規律能力がないのであれば、豊かな社会生活に背を向け、このような過酷な状況を甘受することは極めて困難である
結論・彼らを発狂・精神異常で簡単に片づけることはできない
つまり、彼らは我々には想像できない、そして、著しく逸脱した使命感・倫理観に基づき行動していたことになる。
(無論、それが彼らを免責しないことも注意)
その一方、事件における彼らの行動から「彼らが『完全アノミー』であった」ことも言える。
つまり、「完全アノミー」になった状態は、「①規範的決定過程における推論過程の完全無視、つまり、恣意的な権力の無制限な流入」・「②中立者の権利の完全無視」といった形として現れるところ、彼らの起こした事件には両方の特徴が明らかに現れている。
この点、②についてはあさま山荘事件で山荘付近で犯人たちを説得しようとした母親を射撃した(弾は母親が乗っていた車に命中している)点、また、同様に説得にあたろうとして山荘に近づいた民間人を射殺した点などにみられる。
ただ、ここでは①の具体的な意味と①が現れたリンチ事件についてみてみる。
アノミーは「無規範状態」と訳される。
そのため、「規範」とは何かということが問題になる。
そして、「規範」の特徴は「権力(暴力)のコントロール」であり、その意味で「情緒」とは異なることになる。
つまり、「情緒によって善悪を判断し、また、権力を発動する」状態になると、権力の恣意性をコントロールすることができなくなる。
そこで、権力に「規範」というタガをはめてコントロールするわけである。
もちろん、コントロールの程度にはグラデーションがある。
ただ、コントロールされている・規範があると言えるためには「先例や条文からの解釈からの決定」という形になっていることが望ましい。
この形のイメージは近代裁判、つまり、「適法に集められた証拠によって事実を認定し、その事実を条文の個々の要件を充足するか否かを評価し、結論(有罪または無罪)を出す」というものをイメージすればいいだろう。
そして、逆のイメージは「感情に基づいて衝動的に決定するケース」となる。
以上を前提にして、連合赤軍のリンチ事件における「判断プロセス」を見てみる。
すると、そこに「『規範』の欠片もみられない」という。
筆者はこの事件の残虐さ(被害者が団体内の人間であること、あるいは、殺害の方法)や犠牲者の多さ(10人以上)だけに目を奪われて、社会科学的な意味を見落としてはならない、という。
以上、長々と分析をしてきた。
まとめれば、次のようになる。
・日本の過激派たちはアノミー・完全アノミーに陥っており、その程度はナチスのケースよりも深刻である
・日本の過激派は中流家庭出身であり、ナチスのケースにおける落伍者・無法者よりも広い
・日本で生じている見えているアノミーはより深刻ではないか
次に、話は「過激派たちの行動原理」について検討に移る。
以下、この行動原理のことを「盲目的予定調和説」と言う。
そして、「盲目的予定調和説」の背後にある発想は次のとおりである。
・結果の成否は「自覚したエリートの努力」によって決まり、努力以外の事情は自動的にうまくいく
・「自覚したエリートとは自分たち」のことであり、他の大多数の自覚せざる庶民ではない
・結果を決する「努力」は「特定の行動の遂行」の形でなされる
「盲目的予定調和説」の状態になった結果、彼らの基本的思考は次のようになる。
・自覚したエリートたる自分たち(集団)が特定の行動の遂行に邁進する
・その結果、日本の運命は安泰である
この命題を単純化すれば、「やればできる。必ずできる」である。
だから、こんな無茶苦茶なものもあるまい、ということになる。
しかし、この呪縛、程度の差があれ日本のあちこちに広まっているのではないかと言えるし、私においてもその例外ではない。
そして、「盲目的予定調和説」の状態は次の付随的要素を生む。
まずは、集団の努力に関連しない事項の無視・軽視・無理解。
「『うまくいく』という前提なら無視するのが合理的」だからこれは当然である。
次に、(自分の所属する集団に関する)技術信仰。
努力の遂行は一定の技術を前提とし、かつ、不可欠になる以上、これも当然である。
最後に、セクショナリズム。
「自分たちの努力の遂行」だけがカギになるなら、そのためには集団主義にならざるを得ず、これまた当然と言える。
そして、過激派たちはこの盲目的調和説に縛られていた(「余程のバカ、または、狂人や精神異常者と想定しない限り」という留保が付くが、この二点の留保はクリアしている)。
ただ、戦前の軍事官僚もこの盲目的調和説に陥っていたらしい(こちらも、「余程のバカ、狂人や精神異常者でない限り」という留保が付くが、それは過激派以上にありえないだろう)。
つまり、盲目的調和説は日本のエリート等に蔓延する精神的な共通項ということになる。
以下、軍事官僚たちが盲目的調和説に陥っていたことを具体例を引いてみていく。
まず、大事な社会認識として次のことがある。
この点、複雑な現代社会における機能的要請の実現は一つの機能集団のみでは達成できない。
そこで、多くの機能集団によって分担されることになる。
また、それぞれの集団は独自のメカニズムで動く。
以上から、放置すれば機能集団相互の衝突・紛争は不可避であり、かつ、紛争に対する手当がなければ機能的要請は実現されない。
、、、。
本文に用いられた言葉だとあまりに抽象化されすぎている。
そこで、理解のためにこの四行で具体例を考えてみる。
単純な小商いであれば「必要なことを一人で全部やる」ことが可能である。
しかし、この商売を大規模化しようとしたら、一人ではなく複数の人が必要になる。
また、効率化などを考慮すれば、商品の原料を調達する人、商品を作る人、商品を販売する人、事務をやる人など人ごとに役割を分担する必要がある。
さらに、分業していれば、各人の業務の範囲を決める必要がある。
また、担当者間の事情はそれぞれ違うので、各自の言い分がぴったり揃うとは限らないので、放置すれば担当者間での衝突(規格をどうするその他)が生じるため、各人の業務などについて調整する人間が必要になる。
その調整を放置したら大規模な、または、複雑な商売はおぼつかない。
うん、わかった。
社会の仕組みを見た場合、この認識は当然の前提である。
しかし、戦前の軍事官僚はどうやらこの「社会の仕組み」というべきものを理解しえなかった。
その結果、生産に関する経済的問題と戦闘に関する軍事的な問題の対立が生じること、また、その対立を合理的・科学的に解決しようという発想がなかった。
さらに、陸海軍のセクショナリズムが熾烈になり、この対立が戦争を妨げた。
このことは多くの人間が指摘している通りである。
かくして、昭和初期、皆が必死に努力したにもかかわらず、意図と反対の結果が生じ、まっしぐらに破滅に向かってしまった、ということになる。
もちろん、明治の近代化や高度経済成長のように大成功に邁進した例もあるわけだが。
そして、この背後にある思考が「盲目的予定調和説」である。
もう一つ、戦前において「盲目的予定調和説」に陥っていたことを示すために、太平洋戦争の初戦、パールハーバーへの奇襲攻撃についてみていく。
この点、太平洋戦争開始前の段階では「大艦巨砲主義が既に終わり、戦闘機が戦争の主役になった」とは判断されていなかったし、それを裏付けるデータも存在しなかった。
というのも、昭和16年の夏、イギリスの航空部隊はドイツの孤立無援の戦艦一隻を航空部隊のみで沈没させられなかったからということもあったからである。
それゆえ、当時の観点から見れば、「ハワイ軍港の大艦隊が空からの奇襲で全滅することはない」というのは無理からぬ話である。
理論とデータに縛られるのは専門家・学者の逃れえぬ宿命である。
もちろん、この判断はパールハーバーへの奇襲攻撃とその直後のマレー沖海戦(イギリスの戦艦プリンス・オブ・ウェールズを航空部隊だけで撃沈)がひっくり返す。
その観点から見て、パールハーバーへの奇襲は戦術的に見れば大成功、戦争の常識を変えたという意味でも画期的であった。
しかし、社会科学的に見るならば、この点だけ見て終わってはいけない。
というのも、この戦術的大成功・歴史的偉業と思われるこの奇襲は政治的に見て大失敗という結果をもたらすことになったからである。
というのも、アメリカ側には次の事情があったからである。
・アメリカは厭戦気分・パシフィズム(平和主義)が蔓延していた
・フランクリン・ルーズベルトは選挙に勝つため、「(先制攻撃・侵略されない限りは)戦争をしない」ことを公約にし、その結果として大統領となった
・その一方、フランクリン・ルーズベルト率いるアメリカ政府首脳はドイツからイギリスを助けるために第二次世界大戦に参戦したがっていた
・そこで、戦争に参加するためには日本に先制攻撃として一発を撃たせる必要があった
つまり、パール・ハーバーへの奇襲はフランクリン・ルーズベルトが望む先制攻撃となり、また、市民の中で蔓延していたアメリカの厭戦気分やパシフィズムを払しょくさせ、アメリカは戦争に対して上下一致団結するという結果となってしまった。
これほどの政治的失敗もあるまい。
ここで見るべきなのは結果ではなく、当時の海軍の軍事官僚の検討内容である。
彼らは、パールハーバーへの奇襲攻撃それ自体についてはあらゆる検討を行った。
他方、パールハーバーへの奇襲の政治的意味を全く検討していなかった。
この点、海軍の軍部官僚は対米戦争が長期化すれば負けることが分かっていた。
それゆえに、速戦即決で戦争を終わらせて講和する必要があり、パールハーバーへの奇襲もその一環であった。
にもかかわらず、パールハーバーへの奇襲による講和への影響について検討された形跡がない。
つまり、山本五十六ら海軍当事者はあれだけの独創的な作戦を考えた。
その一方、彼らの発想は戦闘の部分、つまり、彼らの業務に限定され、官僚的思考の外側に出ることがなかった。
このことが重要であると著者はいう。
ただ、外側に出られなかったのは彼らだけではないので、やむを得ない面があることも明らかではあるが。
この点、クレマンソー(第一次世界大戦を戦い抜いたフランスの首相)は「戦争は軍人に任せるには重要過ぎる」と述べ、マックス・ウェーバーは「最高の官僚は最悪の政治家である」と述べた。
とすれば、この問題は日本だけではないとも言える。
しかし、日本の場合、盲目的予定調和説に囚われるためにより致命的になってしまうという。
以上、2章を読み続けており、まだだいぶ残っているのだが、分量(約2000文字)を大いにオーバーしている。
よって、続きは次回に。