0 はじめに
少し前、図書館で小室直樹先生の古い本を見つけた。
この点、私が図書館から借りた本は文庫本であり、出版されたのは平成3年である。
しかし、オリジナルの本が出版されたのは昭和51年である。
西暦に換算すると1976年、今(2022年)から約45年前である
その意味で古い本である。
私は『評伝_小室直樹』でこの本の存在を知り、「いつかこの本を読みたい」と考えていた。
そして、読んで驚いた。
「自分の思考回路」をこれほど理論的、かつ、明快に説明してくれた文章はなかったからである。
となると、この本を「借りて読んで返す」だけ終えるのは非常にもったいない気がする。
そこで、この本をまとめたメモに作ることにした。
この点、この本は図書館から借りている。
つまり、返却期限があるので読書メモは一気に作成した。
ただ、作成したペースでブログに公開すると、公開のペース(一カ月約10記事、週2~3記事)が崩れる。
よって、公開のタイミングは従前のペースにあわせることにした。
1 目次を見る
まず、本書の目次を見てみる。
(以下、目次部分を本書から引用)
はしがき
第1章、戦後デモクラシーの認識
第2章、日本型行動原理の系譜
第3章、歴史と日本人思考_ジャーナリズム批判
第4章、「経済」と「経済学」
第5章、危機の構造
第6章、ツケを回す思想
第7章、社会科学の解体
あとがき
著者の学問的遍歴について
解説
(以上、終了)
本書は、日本社会や日本人の行動様式と思想に対して学問的な視座から検討し、日本社会や日本人の行動様式と思想に関する「一定の法則」を導き出している。
この法則が私にも適合していたわけだが、現在の日本社会にもほぼあてはまると言える(この点は一度具体的な分析を行い、その結果をどこかに発表したいと考えている)。
なお、この「今の日本社会においてもあてはまる」ということは山本七平氏の書籍を読んでいて頻繁に持つ感想である。
また、そもそもそのような感想を持たなければ読んでいないだろうが。
この点、「私もあてはまる」で終了するだけではあまり役に立たない。
本書が役に立つのは「(自分もあてはまる)その法則の背後に何があるか」を示している点にある。
「法則の背後」を知れば、自分や社会(集団)を変えようとした際の方針が見える。
たとえ変えられない場合であっても、「背後」を把握することで将来高い蓋然性で起きるであろう失敗やミスが想定でき、場合によっては、事前の手当ても可能になる。
小室直樹先生の本や山本七平先生の本はその意味で非常に役に立っている。
では、本書を読み進めていこう。
2 『はしがき』を読む
まず、「はしがき」を見て、本書の目的を確認する。
昭和50年頃、日本で起きていた事件は二つある。
一つは大学紛争、もう一つがロッキード事件である。
筆者は、この二つの事件の当事者たちが落伍者や無法者ではなく、エリートや善良な市民である点に注目する。
そして、その大学紛争の当事者たちは「ナチスや軍国主義者も企てなかった文化破壊」(丸山真男による評価)を行った。
その一方で、ロッキード事件に関して国会の証人喚問で証言した人々は「日本のデモクラシー」を重大な危機に追いやった(著者の評価)。
もちろん、「大学に保存されている文化」や「デモクラシー」に価値を見出さなければ、「だから、何?」で済むのかもしれないが。
では、エリートや善良の市民と思われた大学紛争の当事者・国会の証人喚問で証言した人々がこのように振舞った背景には何があるのか?
この背景を単純化すると次のようになる。
1、戦後の民主化と高度経済成長により日本の社会組織は激変した
2、その一方、従前の日本の原理(社会構造・人々の行動様式)は変わらなかった
3、1と2の結果、「変更後の組織」と「従前の原理」の間に矛盾が生じ、その矛盾が「構造的なアノミー」を生み出した
4、「構造的アノミー」は日本の真面目な人間を学生運動・ロッキード事件の関係者に仕立て上げた
5、それら関係者たちが大学の文化と日本のデモクラシー文化を破壊した
そして、3に書いた矛盾が「『機能体』の『共同体』化」となる。
本書はその過程を説明したもの、となる。
日本の「構造的アノミー」に関する問題は「痛快!憲法学」で出てきた。
本書では、その「構造的アノミー」について細かく見ていくことになる。
3 第1章「戦後デモクラシーの認識」を読む
本章はロッキード事件から始まる。
この点、田中角栄は「今太閤」と呼ばれ、旧制中学に進学せずに総理大臣になった。
現代の言葉で言えば、中卒から総理大臣まで駆け上ったわけであり、そのすごさが分かる。
もっとも、彼は池田勇人のような高級官僚出身でもなく、そのために「別の何か」に頼らざるを得なかった。
そのうちの一つが「金」である、という。
(『痛快!憲法学』等の著書によると、田中角栄が他に頼ったものとして「デモクラシー」があるが、本書では触れてないので、この点は割愛)
そして、本書では「『何故、金に頼るようになったか』を見るべきだ」と言う。
当時、国民の経済万能主義・金権絶対主義を推進力にして、日本は高度経済成長を駆け上っていった。
もっとも、この高度経済成長が日本の諸問題を生むメカニズムを発生させることになる。
何故か。
第一に、高度経済成長という社会変動によって社会は変わったが、日本人の行動様式は変わらなかったから、である。
第二に、日本人には社会科学的実践を行う意思と能力が致命的に欠けているから、である。
なお、社会科学的な実践とは次のことを指す。
・社会的現実を科学的に分析すること
・分析結果を使って社会をコントロールすること
この社会科学的実践の欠落から、「日本では、社会的な問題が発生した場合、問題に対応する意思も能力もないため、問題が解決しない」という法則が導き出される。
この現象、戦前から戦後にかけて続いているような気がする。
いや、ひょっとしたら江戸時代やそれ以前もそうなのかもしれない(要検討)。
本書では、その「社会科学的実践」を始める。
つまり、「問題を明らかにし、問題に対応する方法を検討する」という作業を行う。
そのために、過去の日本に生じた危機的事件を参照し、それらの事件を科学的に分析し、歴史的教訓等将来の危機に対決するために必要な情報を引っ張り出していく。
まず、(重大な危機に陥ったと著者が評価する)「日本のデモクラシー」に焦点をあてる。
そして、「日本のデモクラシー」を評価する点からロッキード事件をみる。
また、ロッキード事件と同時期にアメリカで起きたウォーターゲート事件と比較する。
すると、日米の比較の結果次のことが分かる。
・ウォーターゲート事件(アメリカ)
告発者はアメリカの(当時は名もなき)ジャーナリスト
ジャーナリストも議会も大統領を弾劾し、結果、大統領は辞任
・ロッキード事件(日本)
告発者はアメリカの上院という日本の外
国会での責任追及は代議士の能力の問題もあり不十分、その上、アメリカの資料待ちという態度
(なお、この本が昭和51年に出版されている点には注意)
つまり、アメリカでは議会とジャーナリストたちが見事にデモクラシーのコントロール機能を果たしている。
他方、日本では国会とジャーナリストは到底デモクラシーのコントロール機能を果たしたとは言えない。
著者はここから日本の行動様式と近代主義(デモクラシー)の齟齬を指摘する。
つまり、近代デモクラシーを作動するためには「社会制度は人が作ったものである」という前提・行動様式が必要であるところ、日本にはその行動様式がない、と。
具体的に述べると、日本の行動様式は「制度や慣習は自然がそこに存在するがごとくあるべきものであり、不動・不変のもの」というものである。
そのため、制度や慣習がそのまま規範性を獲得し、議会もジャーナリズムも国民も制度外・慣習外のことをしようとする発想が生まれない。
他方において、国民には「権力者は間違えない」という信仰がある一方、近代主義の大前提である「権力は腐敗する。絶対的権力は絶対に腐敗する」・「政治とは害悪のより少ないものを選択することである」といった発想もない。
国民がこんな心理的状態では、デモクラシーなど機能しえないだろう。
つか、こんな心理状態でいるなら、「日本にそもそもデモクラシーなんか必要なのか」とさえ感じてしまう。
その一方、この場合、汚職をした人が現れ、その人を処罰・更迭できても、再発防止のための制度変更ができないのだから、同じ問題が繰り返されるだけとなる。
次に、話は現代の日本の議会の権威のなさに進む。
まず、ロッキード事件に関する田中角栄逮捕前後の事実関係を確認する。
1、逮捕前日、国会は田中角栄の証人喚問をしないことに決定
4、逮捕後において代議士からは特に擁護の意見なし
以上の事実から、「代議士は『国会の決定は検察庁の決定に劣る』という考えをもっている」という推測を立て、その一方で次のような批判をする。
・国会は国権の最高機関(憲法41条前段)ではないのか
・国会で「証人喚問をして責任を追及しない」と決定した背後には、「田中角栄が有罪ではあるとは言えない」という国会の判断があるはずではないのか
・「田中角栄が有罪であるとは言えない」と考えていたならば、田中角栄の逮捕は検察権等の権限逸脱・濫用であり、(国会の判断を検察が蹂躙したとも言いうるので、)国会と代議士はこの逮捕を批判すべきではないか
・逆に、「田中角栄が有罪の可能性がある」と考えていたならば、何故、国会で証人喚問をして、国会自ら責任を追及しなかったのか
などなどなど。
もちろん、戦後の憲法は戦前の反省を踏まえて作られており、議会の権限は大いに上昇した。
そのため、その気になれば国会は責任追及をする手段(権限)がいくらでもあった。
しかし、ロッキード事件においてそれらの手段は採用されなかった。
この点を帝国議会と比較した場合、明治26年、帝国議会は星亨衆議院議長の収賄スキャンダルに対して自ら権能を行使して星議員に議長不信任を突きつけ、さらには、除名決議まで行って追放しようとした(もっとも、彼はすぐさま選挙に当選して復活したが)。
また、敗戦が続く昭和19年においても帝国議会の行政権(検察権含む)からの独立性は強かった。
本書では、そのことを裏付けるエピソードが紹介されている。
ミッドウェーの敗戦以降、劣勢著しい中、東条英機首相は自らの権限強化を図ろうとした。
そして、その権限集中に反対していた代議士中野正剛を弾圧し、留置所に放り込んだ。
その後、釈放された中野正剛は自宅で割腹自殺をするが、東条首相はそれに対して次の趣旨のことを述べたと言われている。
「釈放しておいてよかった。憲兵隊の中で腹を切られていたら、内閣がいくらあってももたない」と。
ここには「中野代議士を非国民として留置所に放り込んで社会的に抹殺した。もう安心だ」といった発想はなく、帝国議会の権威と権力に対する警戒感がうかがえる。
このように見ると、日本の戦後の国会(議会)の権威、あるいは、代議士の意識と行動は戦前の帝国議会以下になってしまったのではないか、とも言える。
以上は日本の話だが、イギリスの議会となるともっとすごいのは言うまでもない。
もちろん、ここで「代議士はけしからん」と言っても始まらない。
やるべきことは社会科学的実践、つまり、「こうなった背景を分析すること」である。
ところで、ロッキード事件に関する当事者たちは落伍者や無法者ではない。
一種のエリート、あるいは、エリート中のエリートと言ってもよい。
また、彼らは高度経済成長の一翼を担ったある種の突撃隊長のようなもの(本書による記載)であり、その観点から見れば忠実にその職務を執行したと言ってもよい(別の観点から見れば「堕落」であることも明らかである)。
さらに、当時、マスコミにおいて証言者に対して次のような発言をする識者もいた。
曰く、「彼らの行為は犯罪(構成要件に該当する)であり、許せない。しかし、証人喚問されれば、自分が同じ立場であっても同じようなことした、つまり、神聖な宣誓をしながらも偽証をして真相究明を妨害し、自己の社会的生命を犠牲にしても会社の利益を守ろうとしただろう」と。
では、当事者の行動、または、この発言の裏には何があるのか。
それは「彼らの帰属集団の要請に対して忠実であろうとする習慣」であろう。
そして、これは企業慣習の中で生活している間に本能的に身につけたものである。
この習慣、少し前の歴史でも見かけることになる。
そう、太平洋戦争において「個人的には反対だったが、反対と言えず、集団の要請に引きずられてしまった」と述べる戦前の帝国陸軍の幹部たちに、である。
例えば、先ほど例に出した東条英機を見てみる。
彼は第三次近衛内閣の後に首相に指名され、昭和天皇から「なんとか日米戦争を回避せよ」と言われる。
しかし、「中国からの撤兵ができない、撤兵したら英霊に相済まない」という理由で日米戦争を選択することになる。
大事なことは、この「中国からの撤兵ができないこと」が東条首相本人の意向ではなく、帝国陸軍の意向だった点である。
彼が撤兵を断行しようとすれば、その時点で孤立は不可欠、最悪、暗殺されていたであろう。
この点、この帝国陸軍の幹部たちもエリート中のエリートであり、無法者や落伍者ではない。
今回、帝国陸軍の幹部とロッキード事件の関係者を参照したが、それ以外の例だって見つけられる。
本書では大学紛争の関係者が挙げられているが、私の身近な例を挙げれば薬害事件において有罪判決を受けた大学の教授(医師)たちにもその傾向はみられる。
そして、これらの人間から因数分解の如く共通項を括りだしてみれば、「『盲目的予定調和説』に裏打ちされた『構造的アノミー』」であり、帰属集団の機能的要請である。
そして、この傾向は戦前から戦後まで続いており、日本の社会構造が高度経済成長くらいでは全く変わっていないことを示している。
なお、本書では「高度経済成長」のケースを挙げているが、「高度経済成長」の部分に「明治の近代化」を代入してもこの命題は成立するだろう。
以上、「エリートたちの行動が集団の機能的要請に縛られている」点を確認して、話は日本人に社会科学的実践を行う意思と能力が欠けている点へと進む。
著者は伝統的な日本人の政治的楽天主義と健忘症に唖然としている。
もちろん、日本のジャーナリズムにも同様の姿勢があり、国家の存立に関連するような重要な事件に対して、「冷静に起承転結を追う」という姿勢が弱い。
その代わりに、一時的に熱狂し、時の流れとともに沈静化して忘れ、同質のことがあれば起きて思い出したり、思い出すことを忘れたりする。
ある政治的事件が起きる。
当然、見える部分と隠された部分があり、後者の範囲も少なくない。
この場合、隠された部分に重要な部分があること少なくない。
この場合、本来ならば注目すべき部分はこの「重要な部分」なのに、日本人は見える部分に熱狂している。
これでは、重要な部分を取り違えていると言われれても抗弁できまい。
また、前述したように政治とか社会は自然現象ではなく、人為的なものである。
ならば、「忘れたころにやってくる」で済ますべきではない。
この辺を確認すべきではないか、と本書では述べている(私も賛成である)。
ここで、現在、「山積みされた問題」が存在し、かつ、放置・忘却されている事実が安保問題等の具体的な問題を挙げつつ示されているが、その点は割愛。
そして、日本人の楽天主義・健忘症の背後にあるもの、つまり、「『現在を現在』という刹那認識、つまり、過去と現在が延長線にはないという認識」と「過去を科学的に分析し、教訓を引き出して現代に生かすという発想がないこと」を引き出す。
これは社会科学的実践を行う意思の欠如に該当する。
まあ、意思がなければ能力が伸びるはずもないから、これは致命的と言ってもよい。
それゆえ、「高度経済成長による社会の変化」と「日本の原理の恒常性」という現状に目が向かないでいる。
そして、人間の想像力の不足が指摘され、「高度経済成長の変化の凄まじさ」について語られる。
なお、ここからは戦前・戦後直後に関する具体例が紹介されている。
また、現在(2022年)から見てもまだ100年以内であることも留意すべきである。
・終戦直後の日本にはまともな自動車が数台しかなく、代議士はもちろん大臣でもなかなか乗れなかったこと、
・昭和一桁代において自動車が通ると子供たちが自動車を見てはしゃいだこと
・田舎において汽車を見たことのない人もいたこと
・テレビは試作段階であり、画像が明瞭ではなく格闘ものしか上映できなかったこと
・ラジオさえ少なく、常時上映される映画館は例外であったこと
・肉、卵、牛乳は大変なごちそうで庶民の口にはなかなか入らなかったこと
なお、昭和一桁代の話がいくつかあるが、このことは昭和30年代も大差ない。
また、昭和35年と昭和45年の違いについても次の事実があげられる。
・安保騒動後、池田勇人は「国民所得を倍増する」・「自動車生産を年間百万台(当時の生産台数は約二十万)にする」と述べ、これに対して「無責任な放言はやめて、もっと現実的な目標を立てろ」と批判されたところ、10年後の昭和45年において実質GNPは2.8倍になり、自動車の生産台数は500万台近くまで跳ね上がっていたこと
・昭和35年頃、日本は失業と入超のジレンマに悩まされており、外貨準備高が経済成長を阻む障壁だったところ、その外貨準備高は約20億ドルであったのに対し、その約10年後の昭和47年における外貨準備高は約134億ドルであること。
著者はこの事実すら忘れていると慨嘆している。
ちなみに、次のサイトを拝見したところ、三十年前の平成3年(1991年)の実質GDP(最近のデータはGNPではなくGDPで見る)は約440億、昨年(2021年)の実質GDPは約540億である。
こちらは30年間で1.2倍である。
うーむー。
このように、高度経済成長における日本の社会変化は凄まじいものがあった。
他方、諸々の事件から見られる日本の社会構造のような原理の部分に変化はない。
その結果、構造的アノミーが生じ、その種子はあらゆるところに蒔かれている。
その一方、日本人の社会科学的実践の欠落がそれを放置している。
以下、次の章でこれまでの総論の各部分に踏み込んで述べる、として本章は終わっている。
色々と参考になった。
この調子で次の章に進んでいこう。