薫のメモ帳

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「痩我慢の説」を意訳する その2

 今回はこのシリーズの続き。

 

hiroringo.hatenablog.com

 

 今回も「私釈三国志」風に「痩我慢の説」を意訳していく。

 

4 第二段落を意訳する

 前回、第一段落を意訳したので、第二段落を意訳する。

 具体的には、「すべてこれ人間の私情に生じたることにして」から「その競争の極は他を損じても自から利せんとしたるがごとき事実を見てもこれを証すべし。」までの部分である。

 

(以下、第二段落の私釈三国志風意訳、これが意訳であることに注意)

「国造り」は人間のエゴによるもので、パブリックなんてフィクションだ。

 しかし、世界を眺めてみれば、人々は集団を作る。

 そして、言語・文字・歴史を共有し、結婚や交際を通じて衣食を共にし、苦楽を共にする。

 すると、あら不思議、集団は維持され、人々は集団から離れることができない。

 こうして国家や政府が作られる。

 国家や政府ができると人民はますます国家に執着する。

 他国のことを考えず、自国のことだけ考える。

 さらに、自国のことだけを考える人間を忠君だの愛国だのと称て美徳として称える。

 当初の我々が望むことから考えれば、なんと不思議なことか。

 このように、忠君だの愛国だのといったのものは人間のエゴに過ぎん。

 だからと言って、国家や集団を維持するためにはこれを美徳とせねばならん。

 つまり、哲学的に見たらエゴだとしても、立国から見れば公道である。

 さらに、この公道公徳は国家だけで行われるものではない。

 例えば、日本においても都道府県や市町村といった小さな区域に分けられている。

 この場合も、同じように自分の住む区域だけの利益を考えることは国家の場合と同じ、同様に美徳となる。

 このことは、欧米列強の各国、東アジアの日本・朝鮮・中国が隣接しつつも利害を異にしていること、日本の江戸時代、幕府を中央に戴く一方で地方は300近い藩に分けられ、藩同士が藩の利害・栄辱を重んじ、互いに譲らず、他の藩に損をさせても自分の藩の利益を図っていったという事実を見れば明らかだ。

(意訳終了)

 

 うーん、あまりいい訳ができていない。

 修業が足らないなあ。

 

 さて。

 第一段落では、自然状態を前提として「なんで国家が作って、それだけで飽き足らず、国家間で争うんだ?」みたいな問いを立てられていた

 この問い、ホッブスなら「万人の万人に対する闘争による不利益回避」を理由にするのだろう。

 他方、ジョン・ロックホッブスのような闘争は念頭にしないだろうが、「利益調整機関の必要性」を理由にすることになる。

 これに対して、福沢諭吉の主張は興味深い。

 要は、「人情的に離れられなくなる」という事実から「集団が政府になる」と述べている。

 機能的な必要性を掲げない点が日本的というかなんというか。

 この解釈は興味深い(よしあしについてはさておく)。

 

 あと、福沢諭吉は「国家ー地方」という形で複数の集団が階層的になっている構造を想定している点も興味深い。

 この辺は「『空気』の研究」を含む山本七平氏の研究を参照して欧米と比較すると何かが見えてきそうな気がするが、自分の頭のなかではまだまとまっていないので、別の機会にする。

 

5 第三段落を意訳する

 さて、訳を続けよう。

 今度は第三段落の「さて、この立国立政府の公道を」という部分から「情において忍びざるところなり」の部分までである。

 

(以下、第二段落の私釈三国志風意訳、これが意訳であることに注意)

 さて、国家や政府の運営、平時はそれほど大変ではない。

 しかし、時勢の変遷とかもあるので、常に平時とはいかない。

 特に、衰退期には自国の維持できず、滅亡が明らかになるということもあるかもしれない。

 だが、この場合、奇跡を望み、または、力を尽くして亡ぶことを選ぶことは人情として普通にありえる。

 これは、両親が余命を宣告され、回復の望みがないことを理解していても、死の瞬間まで奇蹟を祈って看病や治療を続けるようなものだ。

 これだって、哲学的に見た場合、回復不可能であれば、病気による苦痛を死ぬまで味わわせるよりも、モルヒネを使って安楽死させた方が良いとだって言える。

 でも、生じえない奇跡を祈ることはあっても、親を安楽死させる選択は情として選べないだろ、それと同じことさ。

(意訳終了)

 

 以上が第三段落である。

 ここで、福沢諭吉は国家の運営について両親を使って喩えている。

 とすれば、国家と家族をある程度同一視していると考えてみてよい。

 つまり、国家を両親のように入れ替え不可能なもの考えている

 この発想は日本独特の色が強いように思われる。

 

 

 例えば、ジョン・ロックは社会的要請から政府が作られたと考えた。

 その結果、政府がその社会的要請を満たせないのであれば、革命を起こして政府を作り変えてもよい、という考えにもなった。

 つまり、「政府」は入れ替え可能なものと考えており、「共同体」と「政府」を一致したものとしては考えていない。

 

 また、中国の儒教では「忠」と「孝」という言葉が別の意味をもっていた。

 二つの言葉がある、別の意味を持つということから分かる通り、「忠」と「孝」は対象が異なる。

 また、行為規範も異なる(この辺は『「空気」の研究』で学んだ範囲のことしか分からないので、この辺を学んだときのメモへのリンクを貼るにとどめ、これ以上は踏み込まない)。

 

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 ならば、中国・儒教において朝廷や政府に対する規範と家の中の規範は分離していた(共通項はあるのは当然としても)と考えられる。

 

 

 他方、福沢諭吉のこの主張においてその分離が見えない。

 やや極端な見方をすれば、「『政府』=『共同体』と考えている」ように見える。

 

 誤解されると困るので言い添えておくが、私は「福沢諭吉が『政府と共同体は一致するもの』と考えていた」とは思っていない(実際のところ、「分からない」としか言えない)

「『痩我慢の説』ではそのような前提を置いている」と考えるだけである。

 さらに、「政府と共同体は一致する」という考えについて今のところどうこういうつもりはない。

 現段階では私は考え方を確認しているにすぎないからである。

 

 

 以上、第三段落を見てきた。

 第四段落は次回以降に。